名誉毀損裁判準備書面 

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平成一二年(ワ)第一八七八二号 謝罪文掲載等請求事件

 原告 上杉 聰      被告 小林善範  外 一 名

    準 備 書 面

  平成一二年一一月一日

      右原告訴訟代理人弁護士     土   屋   公   献

      同               高   谷       進

      同               小   林   哲   也

      同               小   林   理 英 子

      同               五   三   智   仁

      同(担当)            高   橋   謙   治

東京地方裁判所民事第二八部合議A係 御中

 

第一 原告の主張一(名誉毀損について)一

1 他人の作品が盗作であると公表する行為は名誉毀損となる(東京地方裁判所平成一一年三月二九日判決 判例時報一六八九号一三八頁)。

2 本件のように、「わしの絵を無断で盗んで乱用している」(別紙不法行為摘示表2)、「人の絵を・・ドロボーだ!ドロボーは許さん!」(同3)、「絵を勝手にドロボー・・あんなぺらっぺらの本で一二〇〇円!?汚い商売しとるよなー。わしの絵がなかったら商品として成り立たなかったはずだ!お前の一〇円だ!わしの絵が一一九〇円だ!!」(同7)、「著作権侵害のドロボー本」(8)、「慰安婦問題に関する上杉ドロボー本」(同9)、「このドロボー本」(15)、「ドロボー本で逆襲・・ドロボー本を持ち上げて」(同18)、「上杉聰のわしの絵をドロボーしたこの本」(同20)と、適法な引用(著作権法三二条)を行った原告を泥棒扱いすることが名誉毀損となることは明らかである。

3 被告小林は、原告による被告漫画の採録は「引用」(著作権法三二条)に該当しないとして原告を泥棒呼ばわりしていたのであるが、原告による被告漫画の採録は、別件訴訟第一審及び控訴審において一貫して全て「引用」(著作権法三条)に該当すると認定されている。

 さらに右控訴審判決について被告小林は上告を断念し、被告小林自身、一旦は原告の引用の適法性を認めた結果となっている。

 したがって、上告審においても、原告による被告漫画の採録は全て「引用」(著作権法三二条)に該当するとの判断が維持されることは確実である。 よって、右のように被告小林が原告を泥棒呼ばわりすることが原告の名誉を毀損することは明らかである。

4 仮に万一原告による被告漫画の採録が「引用」に該当しないとしても、少なくとも別訴第一審判決及び控訴審判決が「引用」に該当すると判断した事案であるから、「引用」に該当すると判断して被告漫画を採録した原告の判断は一定の合理性を有し、明らかな犯罪である泥棒とは全く異なるものであるから、原告を泥棒呼ばわりすることはやはり名誉毀損となる。

5 なお、現在、別件訴訟控訴審において一点のカットについてのみ同一性保持権侵害(著作権法二〇条)が認定されているが、これは引用に際してカットの配置の同一性を維持しなかったというだけであって、このカットの同一性保持権侵害については、被告小林の本件漫画は全く触れていない。

 従って同一性保持権侵害の有無は、本件漫画における「ドロボー」という名誉毀損表現とは全く関係ないものであるから、別訴控訴審判決でごく一部被告小林が勝訴したことは本件名誉毀損の成否とは全く関係しない。

 さらに付言すると、右同一性保持権侵害については上告中である。引用に際しては主要部分の同一性があれば足りるとする高裁判例もあり(東京高裁平成五年一二月一日判決)、社会通念上も引用に際しては要旨が同一であればよいとされていることから、本件原告著作においても同一性保持権侵害はないと考えるのが妥当である。

二 原告の肖像を殊更醜く描くことは、原告の社会的評価を低下させ原告の名誉を毀損するものであることは明らかである(なお、名誉権侵害と名誉毀損は同義である。)。

 別紙不法行為摘示表1、4、5、6、10、11、12、13、16、19の絵は、目つきなどの点で対比表1@の絵に比して一見して明らかに醜く描かれており、いずれも原告の名誉を毀損するものである。

三 原告が実際に行っていない動作を描くことも動作によっては原告の名誉を毀損するのであり、特に泥棒の格好をさせた絵を描くことは明らかに名誉毀損となる(別紙不法行為摘示表20)。

四 被告小林は、一方的に原告の肖像権を侵害しかつ名誉を毀損した上、別件訴訟における正確な情報を読者に提供せず、あたかも被告小林が勝訴したかのごとく漫画を描いている(甲八)。

 被告小林の漫画を読んでいる読者にしてみれば、原告は被告小林の漫画を泥棒し、それがために敗訴したと思うのが通常である。

 したがって、原告が自己の名誉を回復すべき必要性は極めて高い。

 

第二 原告の主張二(肖像権・人格権について)

一 訴状において既述したとおり、人格的利益の一つとして、人は自己の肖像を無断で制作、公表されない利益を有するのであり、かかる利益は、肖像権、情報プライバシー権ないし人格権として憲法上保護されるものである(憲法一三条)。

似顔絵も、肖像や容姿に関する情報に該当することは明らかであり、原告は、無断で似顔絵を公表されない人格的利益を有する(かかる権利は肖像権に包摂されると考えられるので、以下、かかる権利のことを肖像権と呼ぶが、より広義の概念としての人格権・人格的利益と呼ぶこともある。)。

 したがって、無断で他人の肖像を公表すれば肖像権侵害となるのである。

 とはいえ、単に似顔絵の公表というだけにとどまるならば、写真の公表より権利侵害の程度は強度ではない場合も多く、似顔絵を公表すべき必要性、必然性、目的、表現の程度、被描写者の性質などによっては違法性阻却事由を備えることも多いかもしれない。

1 しかし、本件において、被告小林は、原告を意図的に醜く描いている。

2 被告小林は、新ゴーマニズム宣言第三七章(初出SAPIO平成九年三月一二日号)で、原告を別紙対比表1@のように描いている。

しかし、被告小林は、今回新ゴーマニズム宣言第五五章(初出SAPIO平成九年一一月二六日号)で、別紙不法行為摘示表番号1、4、5、6、10、11、12、13、16、19のように意図的に醜く描いている(別紙対比表1A)。

 対比表1Bは原告の写真であるが、これらを見比べると対比表1Aが悪意を持よって意図的に醜く描かれていることは一目瞭然である。

3 被告小林は、論争相手や自己に批判的な相手を貶めるためにその肖像を意図的に醜く描き、読者に相手に対する嫌悪感を持たせる手法を多用している。しかも、漫画という視覚的な表現手段の場合、読者は無自覚のうちに相手に対する嫌悪感を持ってしまうことが多いのである。

(一)例えば、ゴーマニズム宣言第一五九章で、被告小林は、川田龍平氏を好青年として描いている(対比表2@、A、甲一一)。

 しかし被告小林は、自己に批判的となった同氏を貶めるために意図的に意地悪そうに醜く描いている(対比表2B、C、甲一二)。

(二)こうした手法は、写真や実写映画では採り得ないが、漫画では容易に採り得る 手法である。

そして、その効果は絶大であり、対比表2@、Aを見た読者は川田氏を好青 年と思いこむし、対比表2B、Cを見た読者は、同氏を意地の悪い人物と思い こんでしまうのである。

5 被描写者の肖像や容姿に関する情報を意図的に歪曲して公表するこうした描写手法は、単に似顔絵を公表するのとは比べものにならないほど被描写者の人格的利益を侵害する。

 また、意図的に醜く描写した場合、写真より遙かに被描写者の人格的利益を侵害することも社会通念上明らかである。例えば川田氏の写真をどのように撮ったとしても、対比表2Cのように読者に嫌悪感を感じさせることはできないのである。

 したがって、意図的に醜く描いた場合は、およそ違法性阻却事由を備える余地はない。

(一)しかも本件において、被告小林は、原告の意に反して原告の肖像に被告小林の思うがままの動作を行わせて描いている(別紙不法行為摘示表6、11、13、14、16、17、19、20)。

(二)こうした手法も、写真や実写では容易には採り得ないが、漫画では容易に採り得る手法である。

 そして、やはりその効果も絶大である。

 例えば甲一〇号証を見た読者は、「あなた方はどうしてそこまで自国の祖父の代を罪におとしいれるの?」という問に対して梶村太一郎氏が「オレとは関係 ないから前の世代がやったことだから」と意地悪く無責任そうに返答した場面が実際にあったものだと思いこんでしまう(甲一二号証一二、一三頁)。しかし実際には、「どうしてこの問題でそこまでの努力ができるのか?」と いう問に対して梶村氏は「オレと関係ない前の世代がやったことだから、と考えるとしたら大間違いだぞ」と返答したのである(甲一号証九五頁)。

(三)このように、こうした描写手法を用いれば、ありもしない事実を捏造することが容易に可能となるのである。

文字情報であれば、読者は読者自身の脳でその場面を想像して初めてその場面を具体的なものとして認識する。しかし、漫画の場合、視覚的に直接その場面を具体的に認識するため、文字情報に比べ遙かに読者に対する影響力が強いのである。

(四)本件においても、原告は、実際には行っていない動作を描かれることで、怯矮小で、こそ泥のような人物に描かれているが、読者が原告の人格をそのように思い込んでしまう危険は著しく大きい。

(五)したがって、実際には行っていない動作を描かれることは、写真や単なる似顔絵とは比べものにならないほど被描写者の人格的利益を侵害する。

よって、被描写者の意に反して実際には行っていない動作を描いた場合は、特段の事情がない限り違法性阻却事由を備える余地はない。

1 確かに、表現手法として、パロディやコラージュなどの表現手法が存在することは事実である。

 しかし、だからといって被描写者が犠牲とならなければならない道理はない。

2 例えば、昨今インターネット等で、女性アイドルの顔写真を別の女性の身体の写真と合成する、いわゆるコラージュの手法が流行しているようであるが、かかる表現手法が被描写者の人格的利益を侵害し違法であることは論を待たない。

 またパロディとして女性の顔写真を男性の身体の写真と合成したり、人の顔写真を動物の写真と合成することも、同様に被描写者の人格的利益を侵害し違法であることは明らかである。

 したがって、被描写者の人格的利益は、パロディやコラージュといった表現手法より優先するのである。

3 人は誰しも自ら望んでいない動作の肖像を作成されないという人格的利益を有するのであり、自己の意に反して他人に勝手に操られ他人の意図どおりの動作を描かれることは耐え難い苦痛である。

4 よって、原告を示す人物像を泥棒のように描いたり、本当は心血を注いで執筆したにもかかわらず鼻歌交じりで本を執筆しているように描くこと等は、表現手法として許され得ないものである。

五 特に、本件漫画は、原告が泥棒であると印象づけるために描かれており、その中で原告の肖像が描かれているのである。

 例えば、雑誌などで名誉毀損の文章と合わせて対象者の顔写真を載せた場合、文章と写真は相互に補完し合い読者により鮮烈な印象を与えるから、名誉毀損の程度及び肖像権侵害の程度は、それぞれ単独の場合より大きいものとなる。

 本件でも、被告小林は、本件漫画において、原告が泥棒であると主張し、原告の名誉を毀損している。

 本件漫画が、単純な風刺漫画の域を超えていることは明らかであり、原告の名誉を著しく毀損することも明らかである。

 この名誉毀損表現と合わせて、原告の肖像が公開され、さらに醜く描かれたり、漫画において原告の意に反した動作をさせられているのであり、名誉毀損の程度及び肖像権侵害の程度は、相乗効果で著しく拡大しているのである。

六(一)

(1) 被告小林が、本件漫画において、わざわざ原告の肖像を公表すべき理由はない。

(2)  実際、被告小林は、甲六ないし八号証のいずれにおいても、原告の肖像を 使わずに漫画を描いている。

(3)  例えば、被告小林は、甲六号証の新ゴーマニズム宣言第一〇三章三頁目上 段一コマ目のコマ(対比表3@)においては、目と鼻を省略した一見したところ 原告とはわからない人物像を描いている。

(4)  甲七号証の新ゴーマニズム宣言第一一五章三頁目下段三コマ目のコマ(対 比表3A)や甲八号証の新ゴーマニズム宣言第一一九章二頁目上段三コマ目のコ マ(対比表3B)においても、一見したところ原告とはわからない人物像を描い ているだけで、本件漫画のような描き方はしていない。

(5)  したがって、原告の肖像を公開しなくとも被告小林は漫画を描くことがで きるのであるから、本件漫画においても原告の肖像を公開すべき必要性はない。

(二)本件漫画における原告の肖像は、論争相手である原告を貶める目的で意図的に醜く描かれており、目的の正当性もない。

(三)本件漫画において、原告は、前記の通り醜く描かれまた自己の意に反した動作をさせられている。

その肖像権侵害の程度は著しい。

(四)原告は、公人でもなければ犯罪者でもない。したがって、原告が肖像の公開を甘受すべき理由はない。

(五)したがって、原告の肖像を公表すべき必要性、必然性、目的、表現の程度、被描写者の性質などの点において、本件漫画が違法性阻却事由を備えることはないから、本件漫画が原告の肖像権を侵害するものであることは明らかである。第三被告小学館答弁書記載の求釈明事項について

一 求釈明事項イについて

名誉毀損による不法行為の主張をするという趣旨である。

二 求釈明事項ロない しホについて

本準備書面及び別紙不法行為摘示表のとおりである。

 

第四 被告小林答弁書記載の求釈明事項について

一 求釈明事項一、二について

本準備書面及び別紙不法行為摘示表のとおりである。

 

第五 被告岡成憲道に対する訴えは全部取り下げる。

 以上


【判例解説】

 

◆ 「準備書面」の中で述べられている、「他人の作品が盗作であると公表する行為も名誉毀損となる」と判示した、「東京地方裁判所平成一一年三月二九日(民事第二九部)判決」について解説します。 この判決は、本「名誉毀損訴訟」において上杉氏側に非常に有利な条件が揃っており、検討に値すると考えます。 

 

◆ 「事件の概要」

 ある造形美術作家(A)が作品(本件著作物)を創作しました。また別の美術家(X)はその約5年後、やはり作品を制作し発表します。同年東京で開催された演劇祭において劇団SCOT(演劇ファンなら誰でも知っている著名な劇団)は、X作品を組み込んだ舞台装置を使用し、本件演劇を上演します。 その舞台を観たAは、自分の作品と酷似しているX作品を認め、スコットの事務局長(Y)に対し「舞台で使用されているX作品はA作品の盗作ではないか」との指摘をします。YはXに指摘を伝え、「Aという者は知らないし、勿論盗作でもない」旨の返答を得、Aとの話し合いを持つことで合意します。同日Aは舞台装置の写真撮影を要請し事務局長はこれに協力、その際Yは、XがAと会う用意がある旨を伝えAはこれを了承します。  何度かの日程調整の中で、Yは、「Xは自分のオリジナルな作品だと言っておりスコットとは関係ない問題なので、作家同士で話し合ってもらいたい」旨を伝えますが、Aは「それならば会う必要はない」との立場で、ここで両者は決裂します。

 

「記者会見」

 Aは舞台装置を見た後、旧知の評論家(呉智英)と大学助教授(B)に相談します。呉は先にAが撮影した10枚程の写真を見て、X作品はA作品の盗作である旨確信し、Bも交え三名で記者会見を行うことで合意します。呉もBも、写真での確認だけで十分であり、当の舞台装置の実物を見る等、その他の確認作業は必要ないとの考えでいました。 Aは三名の合意に基づき、「劇団スコットによる舞台美術剽窃事件に関する記者会見のお知らせ」なる案内をマスコミ各社に流します。中には「作品の剽窃が発覚いたしました」「法的手続きは既に準備いたしております」等の文言もありました。 この会見の翌日、朝日、産経、読売の全国版社会面、東京新聞の社会面等に記事が掲載されます。

 

「争点」

 この事件では双方が原告・被告という立場です。 先ず、「他者の作品が自己の作品の著作権侵害行為に当たると記者会見等において公表する行為が、その他者の名誉を毀損する不法行為を構成するのか、否か」(第一事件)です。ここではA、B、呉智英が被告です。 また、第二事件(X作品はA作品の盗作であるという「同一性保持権、複製権、翻案権」侵害)では、Aのみが原告です。つまり呉智英はただの被告です(笑)。 この第二事件は、著作権侵害事件における「依拠性」の判断として面白い事案ではありますが、本拙論とは関係ありません。つまり、「他人の作品が盗作であると公表する行為も名誉毀損となる」と判示された第一事件の判決が重要なのです。 以下、この判決を見ていきます。(引用は[ ])

 

◆ [他人の創作活動が著作権侵害行為に当たる旨を記者会見等において公表するに際しては、当該作品を制作した者などから事実を確認するなどして、真実著作権を侵害する行為があったか否かを十分に調査し、他人の名誉を損なわないようにすべき注意義務があるというべきである。] 当たり前ですね。しかし当たり前のようですが、判例上は[貴重な先例](『判例タイムズ』No.1001)なのです。本「名誉毀損訴訟」に援用するには足り過ぎる程の内容です。

 

 かつて「楽しむ会」の議論の中でこんなやりとりがありました。小林の「ドロボ−発言」(「新ゴ−宣」55章)は裁判前のものであり、結果として判決において著作権侵害(引用と認められないカット)があった場合にはその発言にも一定正当性が生まれるのではないか。よって、可能性を秘めている段階での発言について、果たして名誉毀損を問えるのだろうか?。 解りづらいですか?。つまり、今、上杉氏並びに私達「楽しむ会」が小林の「ドロボ−発言」を糾弾出来る立場にいるのは、結果として裁判に勝ち「全カット引用」が確定しているからであって(例の「配置替え」のカットについては「著作者人格権」での判示であって引用の正否とは無関係)、もしも一コマでも負けていれば、今と同じ立場で小林の責任を追求することが出来るのかという疑問です。

 

 この疑問を見事に解消してくれたのが上の判決です。 この裁判では第二事件についてもAは敗訴しています。しかしそのことと記者会見での発表の「正否」はリンクしているわけではなく、仮にAが勝ったとしても、その確定前の段階で一方的に公表することは相手の「名誉を毀損する不法行為に当たる」としているわけです。「盗作だ」と公表するなら、そう公表するに足るだけの調査に基づけと言っているわけです。勿論、明らかな「デッドコピ−」(いわゆる海賊版)等では多少事情も変わってくるでしょう。ですから、全く「リンクしていない」と断言するのも早計かもしれません。この辺り、判決はこう述べます。 「ところで、Y及びXは、再三にわたり、Xからの事情説明などを含めた話合いの機会を設けようとしていたこと、それにもかかわらず、Aは、話合いを拒否し、Xから事情の説明を聴取するなどして、著作権侵害行為に当たるか否かの確認行為をしようとしなかったこと、呉智英及びBらは、本件舞台装置を撮影した写真を見たのみで、X作品ないし本件舞台装置の詳細及び制作経緯について確認行為をしようとしなかったこと、また、X作品及び本件舞台装置の各制作行為が本件著作物に係るAの著作権を侵害するものでないことは、いずれも前記認定のとおりである」。 先の疑問、「リンク」云々は、やはり判断の分かれる所ですね。もし、「X作品及び本件舞台装置の各制作行為が本件著作物に係るAの著作権を侵害するもの」だった場合はどうなのか、この判決では解りづらい。この点、控訴審判決(東京高裁平成一二年九月一九日)ではやや詳しく判示されています。以下、見てみましょう。 [本件第一著作物と戸村作品とは、一見しても、いわゆるデッドコピ−でないことは明白であり、直ちに著作権法上の「複製」や「翻案」に該当することにはならないのであるから、著作権法上の「複製」や「翻案」に該当するかどうか慎重に検討する必要があるのであり、控訴人らが、敢えて、被控訴人らが著作権を侵害していると公に発表しようというのであれば、十分な裏付けを基に慎重のうえにも慎重になすべきことであったというべきである]。 やっぱり多少はリンクしてるのかな(笑)。それでも私は「リンクしていない」という立場を取りたいと思います。(海賊版のような明白なケ−スは別。)

 

◆ で、小林の「ドロボ−発言」です。 

 これら一・二審の判決に照らせばこうなります。

 

 小林は、「上杉・東方出版からの事情説明などを含めた話合いの機会を設けようともせず、絶版を求める内容証明郵便を一回送ったのみで、上杉・東方出版から事情の説明を聴取するなどして、著作権侵害行為に当たるか否かの確認行為をしようとしなかったこと、また本件著作物(『脱ゴ−宣』)を見たのみで、上杉作品ないし東方出版の制作経緯について確認行為をしようとしなかったこと、また、上杉作品及び東方出版の各制作行為が『新ゴ−宣』に係る小林の著作権(著作財産権)を侵害するものでないことは、いずれも一・二審判決認定のとおりである」。 「本件著作物(『脱ゴ−宣』)と小林作品とは、一見しても、いわゆるデッドコピ−でないことは明白であり、直ちに著作権法上の『複製』や『同一性保持権侵害』に該当することにはならないのであるから、著作権法上の『複製』や『同一性保持権侵害』に該当するかどうか、本当に『引用』には当たらないのかどうか、慎重に検討する必要があるのであり、小林が、敢えて、上杉らが著作権を侵害している(ドロボ−本だ)と公に発表しようというのであれば、十分な裏付けを基に慎重のうえにも慎重になすべきことであったというべきである」。

 

 「リンク」していようがいまいが、全て「引用」であることは認められたので、結果から遡及しても小林の「不法行為」は揺るぎません。 勿論、先の事件は「全国紙」レベルでの名誉侵害事件であり、本件のような「雑誌」での場合を同等に敷衍して言及するのはちょっと無理があるかもしれません。しかし小林の場合、単行本化というケ−スにより、新たに「永続性」という問題が生まれ、これはある意味その日限りの新聞の場合よりも被害は甚大、かつ悪質だとも言えるわけです。

この辺りを裁判所がどう判断するのか、興味津々で日々私は生きています。

 

◆ 「損害賠償額」「謝罪広告」

 日本の裁判における損害賠償額の低さには目を覆うばかりです。実際この裁判では「いくら」認められたでしょうか。 皆さん、想像してみて下さい。あなたが何かの作家だとして、自分の作品が「盗作」だと全国版新聞数紙に報道されたのです。私なら少なくとも三百万は欲しいっす(笑)。 X、スコット共に、認められた額は四〇万円でした(請求額は共に五〇〇万)。たったの四〇万ですよ。これで「毀損された名誉の損害を償うに相当」というわけです。なんたる人権感覚か・・・。 この国の出版社、特に写真週刊誌等がいくらでも「名誉・人権侵害」を起こすのも無理はありません。後々裁判で敗けようが、雀の涙程の賠償額を相手に払えばいいだけですから。被侵害者のおかげで、売上げはその数十倍という構図です。

 

 この裁判では「謝罪広告」が認められませんでした。この点はどうしても納得できません。  原告の本目的は「名誉を回復する」ことにあり、決して五〇〇万を手にすることではないでしょう。仮に請求通りの額を手にした上で謝罪広告が認められないのと、その逆の選択があるのなら、「一銭もいらんから謝罪広告を出せ」となる筈です。絶対になります。多分なるんじゃないかな。額によるかもしれん・・・。まっ、ちょっと覚悟はしておけ。

 

◆ 「画期的な裁判」 

 そして控訴審です。画期的なことが起こります。 先ず賠償額が四〇万から一〇〇万円に増額されます。一審の、人をバカにする程の低額が覆されたことは評価に値するでしょう。(それでも低いとは思いますが。)

また「相当因果関係のある」弁護士費用についても、両者共に四〇万円に増額されました。(一審では各一〇万円) 

 そして、「謝罪広告」が認められます。以下のその判決主文。[控訴人らは、被控訴人スコット及び同戸村のために、別紙謝罪広告目録一記載の謝罪広告を、見出し及び記名宛名は各一四ポイント活字をもって、本文その他の部分は八ポイント活字をもって、朝日新聞社発行の朝日新聞、産業経済新聞社発行の産経新聞、及び読売新聞社発行の読売新聞の各全国版朝刊社会面、中日新聞社発行の東京新聞の朝刊社会面、並びに統一日報社発行の統一日報のそれぞれに一回掲載せよ]。

 

 画期的です。とにかく画期的です。

 本「名誉毀損訴訟」でも、当然ながら上杉氏は「謝罪文」の掲載を請求しているわけです。何故ここまでこの判決に拘ってきたのか、そろそろ真意が見えてきたのではないでしょうか。 とにかく日本の裁判は「謝罪広告」が認められにくい傾向があります。殆ど皆無と言っても言い過ぎではない。そんな中、高裁の段階がそれを覆してくれたことに本当に意味があると思うのです。(その逆のパタ−ンが多いですからね。) この判決によって、「敷居」はかなり低くなったと私は感じています。まして、全国紙朝刊に比せば、『新ゴ−宣』単行本や『SAPIO』が格段に認められやすい条件にあるのは誰の目にも明らかでしょう。例え前者(上杉氏の請求は朝日、産経)は認められなくても、後者については勝ち取れる可能性が俄然高まったと確信しています。 故に、この控訴審判決に接し、私はとてつもなく希望が湧いてきています。もう夜道も恐くありません。

 

◆「最後に」

 目も当てられないのは呉智英側です(笑)。彼らは控訴人なわけです。Xやスコットは附帯控訴人ですから、呉たちが一審判決を不満ながらも受け入れていればスコット側からの附帯控訴も存在しなかったわけです。 まぁこの辺の判断(控訴するべきか否か)は微妙な所ですが、結果として、一審判決確定なら、X、スコットにそれぞれ五〇万払えばよかっただけなのに、それが各一四〇円万になり、「謝罪広告」までも掲載しなければならなくなったわけです。雲泥の差ですね。泣くに泣けません。(ちなみに訴訟費用に関しても、一審より厳しい判決を呉智英側は受けることになりました。)

 

 「附帯控訴」の威力ここにありという感じで、少々私は度肝を抜かれた面もあります。自分達からは控訴していないわけですから、ある意味「棚ボタ」という面も拭い切れない。もっともこの「附帯控訴(上告)」、制度としては必要なものであるとの認識には達することが出来たのですが・・・。 よって小林の「附帯上告」も、「制度」を支持する限りにおいて私は支持することにしました。(「心情的」には、卑怯だなぁと思うということね。)  

 如何でしょう。多少は参考になりましたでしょうか。興味をお持ちの方は前掲『判例タイムズ』をぜひお読み下さい。ホント、いい判決です。

 

 この「名誉毀損訴訟」にますますの注目をお願いいたします。

 そして、ぜひ傍聴にご参加下さい。

(文責:「楽しむ会」 三上秋津)