(別紙) 原判決「第3目録」記載事項に関する説明


 原判決は、「『右翼のデマゴーグ』など殊更相手方を揶揄し誹謗する印象を与える比喩的な表現もみられる」(原判決23頁)と判示している。

 しかし、控訴人著作を注意深く読めばわかるとおり、これらは控訴人による被控訴人小林に対する正当な指摘、批判、意見・論評、忠告の一環として述べられたものであって、被控訴人小林個人を揶揄したり誹謗するものではない。むしろ控訴人は、被控訴人小林を高く評価し、その立ち直りを期待して控訴人著作を書いているのである。以下個別にそれぞれの表現の意図、事情等について説明する(ゴシック部分は第3目録の記載である。)。

 

ア これは私の愛する漫画家・小林よしのり氏への鎮魂の書である。もちろん彼が肉

 体的に死んだわけではない。だが、精神は死ぬことがある。ここでは、漫画家とし

 ての精神の死を悼んでいる。鎮魂歌が歌われるのは.死者と生者、両方のためだ。

 死者のためには、死んだことを彼自身に受け入れさせ,黄泉の国へ静かに移るよう

 すすめる。生者のためには、かつて慈しんだ彼がもうこの世にいないことを締(マ

 マ。諦?)めさせ、悲しみをくぐり抜ける勇気を与える。私が、漫画家・小林よし

 のり氏の精神が死んでいることに気付いたのは、この書を執筆し始めて少したって

 のことだった。(甲1、P1。以下同じ)

(説明)

 「私の愛する漫画家・小林よしのり氏」「悼んでいる」「かつて慈しんだ彼」「悲しみ」という表現にあるとおり、控訴人は元来被控訴人小林の漫画を好んでいた。権力や強者に対する健全な批判精神という漫画家としての精神と強い独創性が、かつては被控訴人小林の漫画にあったからである。

 こうした、控訴人が被控訴人小林の作品を高く評価している点は、次の記載などから明らかである。

「私は、よしりんの漫画が大好きだ」(同12頁)

「いずれ漫画の一時代を画した一人に数えられるのは間違いない(同13頁)

「『ゴー宣』の魅力は、無表情になりがちな活字による論理の世界に、絵という表情を盛り込んだことであり、人々の論理への接近を楽しいものとした」(15頁)

「いったい何があったのか? よしりん! /『いつの日かこの世を弱者の楽園にするまでわしは闘い続けてやる!』と叫んだよしりん、毒は持っていても心優しいよしりんはどこへ行ってしまったのか?」(18頁)

「それまでの彼(被控訴人小林)の運動論には見るべきものがあった。『個の連帯』を追求した彼の考えを私は今も強く支持しつづけている。」(19頁下段)

「よしりんの「ゴーマニズム宣言」が強い魅力を放ったのは、抽象的で複雑な社会問題や思想を、いったん自分の子供時代の体験や経験のフィルターを通し、そこから直観的に洞察し、発言したからだ。彼の漫画の最大の強みをここにあり、知識人と互角にわたりあえたのも、この能力を研ぎ澄ますことによってだった。」(22頁上段)

「『(略)あんたがショーコ持ってきなはれ!』なんちゅう薄情なこと言うよしりんやなかったはずやで。」(46頁下段)

、「わては、あんさんが『武漢兵站』を全部読んで、わざと重要な箇所を隠したとは、必ずしも思うてへん。締め切りに追われて資料を読む時間もないよしりんは、誰からか、その箇所だけを示されて、「今週の漫画のネタはこれでできた」と喜んだだけかも知れへん。ノルマに縛られて十分な調査や検討がでけへん漫奴隷の辛さはよーわかる。(69頁)

「私には、(被控訴人小林に)惚れた弱みがある。」(97頁)

「『小林よしのりなんて、元から駄目だったんだ』という話がポンと出て、私はちょっと言葉を失ったんですけれども、実は彼はHIV問題だとか、オウムの問題だとか、それから部落差別論で、相当頑張って書いてきた一人です。」(105頁)など

 また、控訴人は、被控訴人小林の才能を高く評価しているからこそ、近時の右傾化を憂い、悲しみ、「もいちど漫画家としての原点に戻りなはれ!」(14頁)、「疲れを癒して、もいちど元気な姿で帰ってきなはれ!」(21頁)、「みんな包み込んで、なおかつゴーマンかませるようなよしりんに、早う戻ってくれなはれや!」(32頁下段)、「よしりん!「慰安婦」の人たちを非難したことを謝りなはれ!それがもしできたら、まだあんさんには、漫画家として生きる道は出てくるかもしれへん!(93頁)などと忠告し、被控訴人小林の「復活」を期待している(同100頁)。

 しかし、権力や強者に対する健全な批判精神という漫画家本来の精神と強い独創性が被控訴人小林から失われ、次第に、弱者つぶしの道具、特定勢力のプロパガンダの手段に堕すようになった(甲1号証13,14頁、18ないし21頁など)。

 「漫画家としての精神の死」という言葉は、近時、被控訴人小林の漫画から、権力や強者に対する健全な批判精神及び強い独創性という漫画家としての精神が欠落していることを批判した言葉であり、揶揄でも誹謗でも人格攻撃でもない。

 

イ 小林氏はそのやり方を入り口にしつつ、一部の事実を削ったり強調して歪曲し、

 やがてこの「慰安婦」問題の全体をデマを交えて否定し、ついには読者を低俗な「慰

 安婦」理解に導き入れようと、漫画のテクニックをフル動員していたのである。(P2)

(説明)

 控訴人の被控訴人小林に対する「歪曲」「デマを交え」「低俗な『慰安婦』理解」という批判の具体的内容について、控訴人著作は具体的にかつ丁寧に説明している。たとえば、「歪曲」の例としては、西野瑠美子氏の発言を大きく歪曲した事実(p.82〜83)、梶村太一郎氏の発言をまったく逆の意味に歪曲した事実(P.95)、資料の重大な箇所の隠蔽(P.64,68,71)など、「デマを交え」としては、原資料に「ことさらに」とあるのを被控訴人小林が「かたって」と改変し読者を騙す手法を用いた(P.78)こと、「『新ゴー宣』第37章・第42章でよしりんは、吉見氏の研究が狭義の強制連行説を作ったとしている。これはデマだ」(P.34)と控訴人が指摘した箇所、「低俗な『慰安婦』理解」としては、「慰安婦」をソープ嬢と同じものと描いている(12章)ことなどである。これらはほんの一部にすぎない。

 実例を挙げて批判しているにすぎず、被控訴人小林個人に対する揶揄でも誹謗でも人格攻撃でもない。

 

ウ ヨーロッパにも、彼らと同じ手法を駆使する「歴史修正主義者」と呼ばれる人た

 ちがいて、ナチスのガス室なども無かったと主張してきた。(中略)漫画はヨーロッ

 パの歴史修正主義者たちの手段にもなった。そして日本では、小林よしのり氏が使

 われた。(P3)

(説明)

 被控訴人小林が所属していた「新しい歴史教科書をつくる会」は、歴史認識を変えようとする集団であり、歴史修正を標榜する集団である。

 正当な論評であり、被控訴人小林個人に対する揶揄でも誹謗でも人格攻撃でもない。

 

エ 自民党のタカ派グループ「明るい日本・国会議員連盟」が発足し、翌春から中学

 校の歴史教科書のすべてに「慰安婦J の記述がなされることを取り上げつつ、国連

 などの動向に対抗し、国内での巻き返しをはかる動きを開始した。そのやり方は.

 旧来の右翼団体や政治家は後ろで糸を引き、文化人・著名人などを全面に押し立て

 て活動する方式がとられた。小林よしのり氏はそうした流れに担がれ、『SAPIO』

 に連載中の「新ゴーマニズム宣言」に、「慰安婦」を取り上げた漫画を描き始めたの

 だ。(P 5)

(説明)

 詳細については、後述のとおりであるが、正当な論評であり、被控訴人小林個人に対する揶揄でも誹謗でも人格攻撃でもない。

 

オ 右翼のデマゴーグとなってしまった人間と、正面から論争する余地などないかも

 知れない。(P 5〜6)

(説明)

 「右翼のデマゴーグ」という表現は、被控訴人小林が先に表現した「サヨクの亡霊・反日売国グループ」など(甲16)の表現に比べれば、遙かに穏当なものである。

 「右翼」とは「保守派」(広辞苑)、左翼は急進派(広辞苑)・革新を意味する言葉であり、右翼、左翼という言葉は政治姿勢に対する純粋な評価の問題であって、それ自体は全く「誹謗」ではない。また右翼や左翼は相対的なものであり、被控訴人小林が控訴人のことを「サヨク」と呼ぶ以上、被控訴人小林は控訴人より右翼・保守派に位置するはずである。被控訴人小林が保守系団体に参加していたことは被控訴人小林も自認しており(甲46)、また世間一般からは被控訴人小林は「右翼」はおろか極右とも言われている(甲43,44)。

 「デマゴーグ」という表現も煽動者という意味に過ぎず(なお広辞苑によると「扇動政治家」とある。)、被控訴人小林自身、「世論を作るためにいかにも倫理心情的なスキャンダリズムのニュアンスを前面に押し出して大衆を誘導し強力な世論を作り上げる」ことを行っていると自認しており(甲30)、まさに煽動者たることを自認しているのであって、何ら揶揄でも誹謗でもない。

また、被控訴人小林がその漫画において数々の虚偽、歪曲、隠蔽を描いているのは事実である。

 その一部を例示すると、「『新ゴー宣』第37章・第42章でよしりんは、吉見氏の研究が狭義の強制連行説を作ったとしている」こと(甲1号証34頁参照)、原文に「ことさらに」とあるのを「嘘をついて」と改変して読者を騙そうとしたこと(同78頁参照)、西野瑠美子氏の発言を大きく歪曲した事実(同82,83頁参照)、梶村太一郎氏の発言をまったく逆の意味に歪曲した事実(同95頁参照)、「慰安婦」をソープ嬢と同じものと描いていること(同第12章)などがあるが、その他にも、控訴人著作において詳述されているとおり、被控訴人小林の漫画には、多数の虚偽、歪曲、隠蔽が描かれている。

 これをもって「デマ」「デマゴーグ」と称することは、まさに正当な批判であり、何ら揶揄でも誹謗でもない。

 なお、被控訴人小林が、控訴人著作より先に控訴人らを揶揄、中傷、侮辱した箇所は、ざっと拾っただけでも次のとおり多数にのぼる。

/轡粥璽泪縫坤狎觚逝茖横款蓮聞達毅機

 慰安婦問題を扱う若者を「純粋正義まっすぐ正義くん」と呼びさらに「アッホ」「アッホッホ」と叫ばせており、揶揄、中傷している。

また慰安婦問題で慰安婦を支援する大人を「純粋正義まっすぐ正義くん」の大人版と呼び揶揄している。

 さらに「善人ぶりっこのカマトト野郎ども」と呼び、さらにはナルシシズムのために活動しているかのごとく中傷している。

⊃轡粥璽泪縫坤狎觚逝茖横珪蓮聞達毅供

 慰安婦支援の人々を単純な人間として描き、「何とかしろその単純脳!」と中傷している。

新ゴーマニズム宣言第29章(甲57)

「今この時期に慰安婦問題で日本国を謝罪させようとする勢力の裏に…もしかして左翼拡散型の反日イデオロギーの一派が市民主義を隠れみのに暗躍しているのでは」「この国を崩壊させようとする勢力とは闘う!」「純粋誠実のふりをしてこの国を破壊せんとする勢力」などと中傷している。慰安婦問題と日本国の崩壊とをこじつける悪質な中傷である。

た轡粥璽泪縫坤狎觚逝茖械云蓮聞達毅検

 慰安婦を支援する市民団体、弁護士らが「被害者を疑うとは何事なの!?」「韓国に言いつけるぞ!」「検証なんかいらん!」「決め付けていいんですとも/日本軍は悪!/国家は悪!」「じーさんらは強姦魔なんじゃけーん」と語っているかのように虚偽の事実を捏造している。悪質なデマである。

 さらに「じーさんたちを強姦魔と決め付ける連中」「鬼畜生」「弱者権力」と罵倒している。

タ轡粥璽泪縫坤狎觚逝茖械仮蓮聞達毅后

 被控訴人小林に抗議した市民団体に「きさま…よーちな抗議文出してきおって」と発言し、「おまえたちは文章を読めんのか?」「バッカじゃねーの」「愚劣さの極み」などと罵倒、揶揄している。

 新ゴーマニズム宣言第37章(甲60)

 控訴人と共に出演した吉見義明教授を「青山吉伸にそっくり」と揶揄し、梶村太一郎氏を「ゴロツキ」「ヤギヒゲのチンピラジャーナリスト」「こいつ共産主義者だ〜っ」と決め付け、最後は同氏に「オレとは関係ないから/前の世代がやったことだから」と言わせて事実の重大な歪曲を行った。

 

Э轡粥璽泪縫坤狎觚逝茖慨特別編(甲16)

慰安婦問題をとりあげる人々を「小ずるい悪党」「大学教授のくせに中学の教科書も読めんのかね」と罵倒し、「私達のじっちゃんたちを『性奴隷をひきずりまわした強姦魔』として世界に売りわたし/子孫代々伝えましょう!」と、控訴人ら研究者の意見を捏造し、「サヨクの亡霊」「反日売国グループ」と誹謗している。

 特に「左翼拡散型の反日イデオロギーの一派」「純粋誠実のふりをしてこの国を破壊せんとする勢力」「反日売国グループ」などの表現は、控訴人らに対する著しい侮辱である。控訴人らは、日本を愛すればこそ、日本の過去の過ちを素直に認め、これによって国際社会において日本が尊敬され名誉ある地位に立つことを欲しているのであって、断じて「反日売国グループ」ではない(99,100頁参照)。また、慰安婦を支援する者が「じーさんらは強姦魔なんじゃけーん」などと述べたかのように虚偽の事実を描くことも非常に悪質である。

 こうした被控訴人小林の描写に比べれば「右翼のデマゴーグ」など極めて穏当な発言である。

 

カ ひん死の「ゴーマニズム宣言」(P12)

キ このままやと「ゴーマニズム宣言」は「作・某政治家、絵・小林よしのり」の宣

 伝ビラになりまっせ。(P14)

(説明)

 「ひん死の『ゴーマニズム宣言』」という表現も、死んで欲しいという意味でなく、「このままやと…宣伝ビラになりまっせ。よしりん、あんさんは今、大切な自分を失のうてるのとちがうか? もいちど漫画家としての原点に戻りなはれ」(P.14)と結語で述べているように、被控訴人小林の再起を期待してのものである。

「このままやと」という言葉も同様に再起を促すものである。

 文脈としてはむしろ被控訴人小林の再起を促す温かい声援であって、被控訴人小林個人に対する揶揄でも誹謗でも人格攻撃でもない。

 

ク そのうち「マンガばっかし描いてると、よしりんみたいになるよ!」と、どこか

 のおかーさんが言うようになったら恥やで ! (P 36)

(説明)

 控訴人著作36頁の文脈は、「慰安婦」研究の第一人者であり極めて真面目な研究者である吉見義明氏について、被控訴人小林が無礼にも「慰安婦オタク」とテレビ番組で罵ったことに対して、これをたしなめて、きちんとした学問的手法を通じて考えることの大切さや礼儀の大切さを指摘し、反省を促したものである。「そのうち・・言うようになったら恥やで」という言葉から明らかなとおり、将来の仮定の話を述べたにすぎず、このような無礼な中傷を慎み、真面目に議論する姿勢を身につけないと、被控訴人小林自身が恥をかくことになることを指摘し忠告したものである。被控訴人小林個人に対する揶揄でも誹謗でも人格攻撃でもない。

 

ケ よしりんたちの背後にいる政治家・奥野誠亮氏も、別掲のように、犯罪を犯すと

 きは「口頭連絡」でやった。(P 38)

(説明)

 政治家・奥野誠亮氏らが、控訴人著作P.106〜107で述べているように「明るい日本・国会議員連盟」を結成し、後述のとおり、さらにその政治家たちが文化人(西部邁氏もその一人)を表面に立てて自らは裏に隠れて支援する手法をとっていることを指摘し、被控訴人小林と読者に注意を促しているのであり、被控訴人小林個人に対する揶揄でも誹謗でも人格攻撃でもない。

 

コ こっけいなのは、こうやって「慰安婦」問題を含めて、当時の証拠書類を焼いた

 政治家たち−−この犯罪の張本人たち一一に踊らされて、よしりんたちが『しよ−

 こがない」「しょーこがない」と、性懲りもなく声高に叫び続けていることだ。オウ

 ム信者が、麻原を持ちあげて「しょーこー」「しよーこー」と歌っていたのと、よく

 似ている。今は政治家を持ち上げて「しよーこー」「しよーこー」とやっている。(P

 4 0)

(説明)

 被控訴人小林の「証拠がない」という主張は、P.37の3コマ目の「どう読んでも強制連行を軍が行ったということは書かれていない」や、P.40の引用コマで被控訴人小林が「『強制連行』の資料を一枚残らず隠すなんてことができるわけがない」と被控訴人小林が書いていることで明らかであり、このような態度が正しくないことは第8章、第9章で詳述しているとおりである。被控訴人小林の従軍慰安婦問題に対する態度を批判したものであって、被控訴人小林個人に対する揶揄でも誹謗でも人格攻撃でもない。

 

サ ゴーカン問題にドンカンなよしりんは、そのうち「ゴーカンニズム」宣言と呼ば

 れるかもしれへんぞ。(P 50)

(説明)

 「ゴーカン問題にドンカン」というのは、同書50頁で控訴人が指摘したように、被控訴人小林が「新ゴー宣」第29章(甲57)の欄外で「ハラたってハラたって、そこら中の女、犯して妊娠させて認知せずに逃げたいわ。」と書いたことを指している。強姦が凶悪犯罪であり、妊娠させて認知せずに逃げるという行為が卑劣な行為であることは言うまでもない。腹が立ったからといって、「そこら中の女、犯して妊娠させて認知せずに逃げたい」などと公言することは、冗談であっても許されない。まして数十万部を発行する雑誌であればなおさらである。

 多数の女性を強姦し、妊娠させて認知せずに逃げたいなどという反社会性著しい言動をすべきでないことは常識であり、控訴人は、そうした常識の欠落した被控訴人小林の発言について、根拠を挙げた上で至極常識的な批判をしたにすぎない。被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

シ よしりんも漫画家になりたくって、つい自分が奴隷であることが見えなくなる。

 (P 5 4)

ス これは辛い作業や。あんさんは、その壁に突き当たって、壊れ始めてる。(P59)

セ よしりんの漫画が、責任を逃れたがっている政治家や国の宣伝マンガであること

 を表している。これならよしりんは本当の漫奴隷だ。しかも、読者や出版社のカワ

 ユイ奴隷なんかじゃなく、大文字の国家様の奴隷なのだ。(P66)

ソ 出版社の漫奴隷が、国の漫奴隷になるっちゅうのは、せめて奴隷の頭になりたい

 という恥ずかしい願望やないのか?(P66)

タ ノルマに縛られて十分な調査や検討がでけへん漫奴隷の辛さはよ−わかる。せや

 けど、漫奴隷が読者を無知の奴隷にするいうんは、やっぱり恐ろしいことやで !(P

 69)

チ 「お職」(ナンバーワン)の漫奴隷、よしりん ! もうプライドなど捨てなはれ。

 (P 73)

ツ もうこれ以上、涙を流す若い漫奴隷を作らへんように、漫奴隷として共に歩む努

 力をしてはどうや?(P 7 5)

テ 優しい言葉と甘い誘いに乗せられて漫奴隷になったあんさんは、本当はまだ目覚

 めてへんのとちがうか?(P 7 7)

(説明)

 被控訴人小林は、従軍慰安婦問題を茶化して取るに足らないもののように思わせるために、自らを「漫奴隷」と称して自らも被害者である、「その気になればかならず被害者になれる」などと訴えかけている(甲61)。すなわち、ここで被控訴人小林は誰しも「奴隷」であると称しているのである。

 これを受けて控訴人は、被控訴人小林の定義した「奴隷」概念を利用しながら、漫画家と従軍慰安婦の違いをわかりやすく述べている(51ないし54頁)。「漫奴隷」という用語は被控訴人小林が定義した意味での用語であり、甲61を読めばわかるとおり、一般に使用される「奴隷」という言葉より遙かに軽いニュアンスで用いられている。

 また、スは、被控訴人小林が、地獄のような競争の苦しみや批判に耐え続けて心身ともにボロボロになった事実を甲61号証で描いたことを受けて、「何でも自分に引きつけて理解することは大切や。よしりんが、そうしたやり方をとってきたことは大いに理解してる。せやけど、どんな場合でも自分の体験を超える場合が出てくる。そんなときは、学ぶこと、想像力を働かせることや。これは辛い作業や。あんさんは、その壁に突き当たって、壊れ始めてる。自分を壊したらあきまへん。引っ返すことや。あんさんにまだその自由は残ってるはずや。」と優しく被控訴人小林の方針転換を促しているのであって、被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。控訴人著作97頁で述べているとおり、岡田斗司夫氏の分析に基づき、漫画をきちんと描けなくなる状況を「壊れ始めてる」と表現しているのである。

 セ、ソは、控訴人著作第14章で詳述しているように、被控訴人小林は「武漢兵站」の中の重要な箇所を省略することで慰安婦と民間業者、そして軍との関係を不明にし、特に慰安所を作ったのは軍であるという重要な事実と軍の責任を隠蔽している。

 このような隠蔽を指して控訴人は「カラクリ漫画」であると評し、さらにそのようなカラクリを描くことは「責任を逃れたがっている政治家や国の宣伝マンガ」であって「これならよしりんは本当の漫奴隷」となると評しているのであって、このような「カラクリ」を描いたことを批判しているのである。被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。このことは一方で控訴人が「わては、あんさんが『武漢兵站』を全部読んで、わざと重要な箇所を隠したとは、必ずしも思うてへん。締め切りに追われて資料を読む時間もないよしりんは、誰からか、その箇所だけを示されて、『今週の漫画のネタはこれでできた』と喜んだだけかも知れへん。ノルマに縛られて十分な調査や検討がでけへん漫奴隷の辛さはよーわかる。」(69頁)と被控訴人小林をかばっていることからも明らかである。

 そして、控訴人は、被控訴人小林に対して、その過酷な生活については同情し、「あんさんも今の地位を使うて他の若い漫奴隷の待遇改善をしなはれ。そして、多くの女性の奴隷状態の象徴となっている本物の性奴隷のことも考えなはれ。・・性奴隷と連帯せよ!」(54頁)と述べることで、他人の痛みを理解し、過酷な生活を強いられる若い漫画家や悲惨な体験を強いられた従軍慰安婦の側に立って思考するよう勧め、被控訴人小林の方針転換を優しく促しているものである。被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

ト ウソをついてまで責任者を隠すようになったあんさんは、もうおしまいなんかも

 知れへんな ! (P 81)

(説明)

 原資料には「ことさらに」とあるのを「かたって」と被控訴人小林が書き替えてまで読者を騙そうとしたこと(P.78)を指して「ウソをついて」と表現している。

 控訴人は、このトの部分の直前において、「そもそも漫画家いうんは、こういう悪い奴らの本当の姿を白昼に引出し、読者に見せるのが仕事やないんか!?」と述べている(81頁)。

 通して読めばその文脈は、控訴人は、被控訴人小林にこのような漫画家本来の仕事に立ち戻ってほしいがために、また被控訴人小林がウソをついたことを批判するために、このような表現をしたものであって、被控訴人小林を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

ナ ものごとを、ごつつう単純に描けば、「そりやマンガや」と人は笑う。(中略)こ

 こまであんさんが、そのマンガ家になり果てていたとは、 今しみじみわかった。(P

 8 6)

(説明)

 中略された部分には「よしりんは、そんなしょーもない『マンガ』を描く人やなかった。せやけど」が入っている。

 この全体の文脈を考慮して読めば、資料を批判的に検討しつつ総合的に判断することが必要であること、被控訴人小林もかつてはそのような検討・判断を行って漫画を書いていたこと及び近時の被控訴人小林が物事を極度に単純化して描いておりこれを控訴人が批判しているということが直ちに読みとれる。

 これは正当な批判であり、被控訴人小林を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

二 自民党右派の提灯持ちになって、薄っぺらな考えの宣伝マンガ家になってしまっ

 たことを知って、体から力が抜けた。(P91)

(説明)

 この引用は不正確である。正確には、「自民党右派の票田になってきた日本遺族会の提灯持ちになって」である。

 日本遺族会の提灯持ちという記載は、同頁で記したとおり、「慰安婦問題を取り上げることがじっちゃんの世代を辱めること」であると短絡的に結びつける被控訴人小林の感情的な反発が、日本遺族会の主張の二番煎じであるということを受けている。正当な批判であり、被控訴人小林を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

ヌ よしりんは、救い様のないところに行ってしまった。「漫画家としてのよしりんは

 死んだ!」という思いを、今は禁じ得ない。(P94)

(説明)

「『漫画家としてのよしりんは死んだ!』という思い」は、控訴人著作を著す過程で控訴人が到達した感想である。その根拠は、上のト〜ニで指摘したとおりの歪曲、隠蔽、独創性の欠如や、「おわりに」で指摘した、梶村太一郎氏の発言をまったく逆の意味に歪曲した事実などである。甲54の日本会議の前身団体である「日本を守る国民会議」の意見など右翼の典型的な意見と、近時の被控訴人小林漫画で述べられている意見とは酷似しており、従来は存在した被控訴人小林独自の切り口による斬新な意見はない。これを評して独自性を喪失していると評しているのである。

 言論のルールとして歪曲、隠蔽は許されないことは当然であり、独創性が欠落し他者の思想の受け売りを流すだけの漫画は、意見主張漫画としての高い価値を放棄し宣伝漫画に堕するという点で、致命的である。

 執筆者たるものがウソをつき、重大な歪曲をし、もっとも肝心な点をぼかし、複雑だが大切な点を切り捨て、もはやその主張に独自性が無くなったとき、「漫画家として死んだ」という表現は、正当な批判である。被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

ネ あんたの漫画は、もう「ビラのイラストそっくりになってきている」(柳美里、本

 書第1章参照)と批判されたレベルを通り越し、今やデマに変質していると断定せ

 ざるを得ない。(P 9 6)

ノ よしりんは、宣伝マンガ家から、デマゴーグへと変身している。(P 9 7)

(説明)

 「今やデマに変質している」と控訴人が批判した根拠は、「『新ゴー宣』第37章・第42章でよしりんは、吉見氏の研究が狭義の強制連行説を作ったとしている」こと(P.34)や、原文に「ことさらに」とあるのを「嘘をついて」と改変して読者を騙そうとしたこと(P.78)、西野瑠美子氏の発言を大きく歪曲した事実(p.82〜83)、梶村太一郎氏の発言をまったく逆の意味に歪曲した事実(P.95)、「慰安婦」をソープ嬢と同じものと描いていること(12章)、上記ト〜ニで指摘した事実、その他(詳細は控訴人著作において詳述したとおりである。)を指しており、正当な批判である。

 近時の被控訴人小林の漫画は、独創性が欠落し宣伝漫画に堕したばかりでなく、歪曲、隠蔽を織り込むなど、デマに変質してきていることを批判するものであり、被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

ハ よしりんの性分からして、次に行く所は右翼か日本遺族会くらいしかないかも知

 れない。(P 9 8)

(説明)

被控訴人小林はニューヨークタイムズに「極右」と紹介されるほどの人物であり(甲43)、また、日本遺族会との主張の共通性、人的な関連性は前記ニ、後記ヘのとおりである。

まさに正当な指摘であり、被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

ヒ 復活しなければならないのは、日本の国などではない。漫画家として死んでしま

 ったよしりん自身の方なのだ。(P100)

(説明)

 ヌで述べたとおり、正当な批判であり、被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。控訴人は、権力や強者を批判する漫画本来の精神や独創性を被控訴人小林が取り戻し、かかる意味での「漫画家として復活」することを願っているのである。

 

フ 背景で、彼ら(「明るい日本・国会議員連盟」の議員)がかなり政治的に、経済的・

 組織的に、バックアップをやっていると思います。私は特にこの組織的なバックア

 ップが、非常に大きいと思います。(P107)

(説明)

 「明るい日本・国会議員連盟」の前身である自民党「歴史・検討委員会」(奥野誠亮顧問、板垣正事務局長)が、1993年10月に行った講演でも、近藤議員は「我々自民党が表に立ってやるとまた変な誤解を生むならばやりようは考えながら、いろんな形で資金的その他でバックアップしてやる。」「先生方が勉強される際にも資金的その他必要になるでしょうね。それは我々がお手伝いしていかないといけないんじゃないですかね。」など(歴史・検討委員会『大東亜戦争の総括』展転社。)と述べている。

 控訴人が奥野誠亮氏の水面下での動きについて指摘(本書P.39〜40、「サンデー・モーニング」でも平成9年1月に紹介)した直後に、彼ら古くからの世代は後ろに退き、新しく若手の議員を立て、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(中川昭一代表)を発足させた。さらに平成12年に発足した若手による自民党文教部会「教科書に関する小委員会」(小山孝雄委員長(なお、小山氏は同氏が以前秘書を務めていた村上正邦元議員と同じくKSD事件で逮捕された。村上氏は前記「歴史・検討委員会」の重鎮であった。))が、被控訴人小林らが属する「新しい歴史教科書をつくる会」が製作した教科書の検定通過と、この採択に向けた働きかけを、平成13年にかけて行った。

 このように、「新しい歴史教科書をつくる会」は政治家集団の協力を受けて運動を展開してきた。

 よって正当な指摘であって、被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

へ 実際に彼らの背景に政治家がおり、そしてその下には、宗教団体などがおります。

 音からのいわゆる日本遺族会だとか、神社本庁だとか、生長の家なんてのもご存じ

 だと思います。(P109)

(説明)

 「新しい歴史教科書をつくる会」は文化人を主体として構成されたが、それ以前から長期にわたって活動してきた改憲団体「日本を守る国民会議」の流れと密接な人間関係のもとで結成された。同会議はその後「日本会議」へと名称を変えて、「つくる会」の地方組織を実質的に支えてきた。

 たとえば、「日本会議・大阪」の設立大会(平成10年6月)の翌日に同じ会場(中之島中央公会堂)で「つくる会」のシンポジウムを行い(甲48)、その動員も「キリストの幕屋」などほぼ同じ組織勢力によって担われている。「キリストの幕屋」と藤岡信勝「つくる会」副代表との親密な関係は控訴人著作(P.109,111)で述べたとおりである。

 また日本会議と「つくる会」は、一応別組織ではあるが、両者の構成人員は交差している。たとえば日本会議・大阪で代表委員をつとめる大阪新樹会代表幹事・濱野晃吉は「つくる会」大阪の会長代行でもある(甲49、甲50)。

 日本会議・大阪の構成団体(代表委員・運営委員を送っている団体)をみると、キリストの幕屋のみならず、神道政治連盟(神社本庁)・国柱会・仏所護念会・IIC(霊友会)・崇教真光・念法真教・神道青年会などの宗教団体が名を連ねているし、大阪府遺族連合会という日本遺族会の下部団体も名を連ねている(甲49)。

 日本会議と「つくる会」が密接に連携していることは、日本会議・大阪の活動基本方針に「教科書の偏向記述を是正し、正しい歴史認識を広める運動」を掲げてかかる運動を展開していること(甲49)、同会議の機関誌である『日本の息吹・大阪版』は、「つくる会」元会長の西尾幹二氏、副会長の藤岡信勝氏の講演会を紹介している(甲51)ことなどからも明らかである。

 よって正当な指摘であるし、被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

ホ まるで黒い影が蠢いていて、そこから言葉の紙砲弾がポンポンと飛んでくるよう

 な、ある人は「妖怪」と呼びましたが、妖怪なんて立派なものじゃなくて、たいへ

 ん失礼なんですけれども、魑魅魍魎と話をしているような感じがして、非常に疲れ

 ました。(P110)

(説明)

 この直前に、「さすがに、なんて言うか、この人たちひどいわ、と思って、話をする気もなくなりました。よく友だちや意見の違う人たちと議論をして、真っ向から対立することがあります。それでも相手の気持ちがわかると、俺の方が正しいと思うけれども、おまえの気持ちもよくわかるんだよっていうような、何らかの接点っていうものがあります。ところが、議論してても、そういうものが全然見えてこないんです。」とあり、これに続けて比喩として述べられている。

 「朝まで生テレビ」において「新しい歴史教科書をつくる会」側の出席者たちと、控訴人とが全く議論がかみ合わず接点ができなかったことを論評してこのように述べているのであり、被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

マ 「新ゴー宣」の行き詰まりは極まった感がある。(P146)

ミ いくらなんでももう手遅れだろう。あとは、戦争に協力した「翼賛漫画」のよう

 に、特定の政治勢力の御用漫画家になり切るしか道は残されていないかもしれない。

 (P146)

(説明)

 マの直前には、「さらに今は、漫画の伝統から大きく離れ、弱い者、力のない者を笑い飛ばし、痛めつけるところまで行き着いた。」とある。

 漫画の伝統は権力や強者に対する健全な批判であったが、被控訴人小林の漫画は今や全く逆に弱者を痛めつけるものと化している。このような漫画が行き詰まりを見せているということは、正当な批判であり、被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 ミの直前には、「小林氏は、『新ゴー宣』をやめるか、主人公のキャラクターを新しく作り直すかーそれは彼自身を裸のピエロにすることからしか始まらないと思うのだが、果たして彼の裸を見たい人がいるかどうかーしか生きる道は残されていない。とはいっても、」とある。

 その文脈は、「新ゴー宣」をやめるか、主人公のキャラクターを新しく作り直すか、さもなければ御用漫画家になるしかないのかもしれない、という流れであり、既述のとおり、歪曲、隠蔽を織り込み、独自性を失ってきた被控訴人小林に対する正当な批判である。被控訴人小林個人を揶揄・誹謗したり人格攻撃したものではない。

 

以  上