被告/株式会社小学館 提出書面(平成13年4月10日付)

「準備書面2」に徹底的に反論する


【はじめに】

◆ 期限3月末の約束だった被告側「反論書面」が提出されました。私の“怒りの再反論”(笑)を兼ねて、「要旨」を紹介します。
 ちなみに、小林・小学館ともに、内容は大同小異です。ですから、今回は小学館を相手に反論を提示しておきます。

◆ 初傍聴以来私は、被告側は一貫して小学館主導で進んでいるとの確信を抱いています。それは反論書面にも端的に現れている。(前「著作権裁判」時の書面に比して、小林準備書面の内容が格段に高度になっているのです、心なしか。笑)小学館書面完成後に、適当に言い回しを変えながら、かつ、小林独自の主張も付け加え、そっくりそのまま踏襲しているのは明らかです。(決めつけはいけません。しつこいようですが。)ですから真の相手は小学館です。(面倒くせえしな。適当に小林書面も俎上に上げることにします。)

 では始めましょう。

 被告原文・引用は[ ]で、要旨は《 》で示します。敬称略。                                   


「準備書面2」

第1 名誉毀損について

1 原告の主張について

◆ 基本的には全て「争う」という姿勢です。まぁ当然ですけどね。その志しやよし、と言っておきましょう(笑)。

 ポイントは三点。

・「引用に該当するかどうか及び複製権侵害か否かは、証拠等をもってその存否を決することが出来るから『事実の摘示』に当たる」(上杉準備書面三)のか否か。

 小学館主張。

[本件の場合、読者は、争点になっている引用の成否を決するには、優れて高度な法的判断が必要であることを理解する。読者は、直ちに証拠によってその存否を決することができる事項として主張しているとは解さない]。

・[そもそも本件漫画は、読者に対して、違法な著作権侵害が行われたことを摘示しているものではない](!)。

・[いずれも原告の言論活動への批判であり、原告の社会的評価を低下させる目的ではない]。

2 本件漫画で読者に明らかにされていること

《原告は、本件漫画が読者に対し「上杉が小林の漫画を無断複製して違法な著作権侵害をした」との事実を公表し、その結果社会的評価を低下させると主張するが、本件漫画を通読した読者がそのような印象を受けることはない》。

[これが著作権侵害として違法であるという自らの意見を被告小林が表明していることは読者もそのとおり理解するであろうが、問題は、読者が個々のカットでどのように思うかではなく、本件漫画を通読してどのような印象を持つかである]。

[読者は、原告の行為が著作権を違法に侵害しているという認識を直ちに持つことはないし、まして原告の社会的評価が低下されることも無いと思料する]。

 

◆ まぁ、解りづらい主張だこと。

 要するに、「57カットの無断転載が『脱ゴ−宣』にある」との「事実摘示」は認めるけど、その事実を示し「違法だ」としたのは、小林の“意見表明”であると言いたいらしい。その意見をどう判断するかは“読者の自由”という「逃げ」である。

 よくある、抗弁の典型的パタ−ンです。姑息さもここに極まれり。1での主張、[そもそも本件漫画は、読者に対して、違法な著作権侵害が行われたことを摘示しているものではない]という意味はこういうことだったのね(笑)。

 ここら辺りは非常に理解しにくいのだが、つまり、小林は、「もしかしたらこれ(『脱ゴ−宣』)って違法な著作権侵害(本)なんじゃなかろうか」という意見を表明したのであって、断定的に、具体的事実として「違法な著作権侵害(本)だ」と言ったわけじゃないってことね。55章は、上杉の行為を、「違法な著作権侵害だ」とまではまだ断定してはいないよってことね。「『著作権侵害』という『事実』を摘示したものではない」って主張、その内実はこういう意味だ。

う〜ん・・・、自分で書いてても解りづらい。 

 ちなみに上杉側は、[個々のカット]が全体論旨の中で、その「論旨」と相互に補完し合う「漫画」という媒体をこそ含意している。その意味では、まさに被告の言う[本件漫画を通読してどのような印象を持つか]を問うているのだ。渡りに舟。

 

◆ 大体、[著作権侵害として違法であるという(小林)自らの意見]だけで構成されている『新ゴ−宣/第55章』を読んで、[(上杉の)行為が著作権を違法に侵害しているという認識を直ちに持つことはない]読者なんているのかよ。小林ファンの読者なら当然、百人が百人まで「上杉の著作権侵害」を確信した筈だ。

 小林信者に聞きたい。55章を読んで、「センセイの言い分だけじゃまだ判断出来ない。上杉側の意見が確認出来てから自分の態度を決めよう」なんて考えた奴、いるか?(笑)。

 小林信者達よ、あんたらのセンセイは(書面は小学館だけどね。でも小林も同旨)、[読者は、原告(上杉)の行為が著作権を違法に侵害しているという認識を直ちに持つことはない]って言ってるぜ。『新ゴ−宣』はあくまで小林の“意見表明”の場なんだから、そっくりそのまま頭から信じこむなって言ってるぜ。(もっと言ゃぁ、嘘混じりだから、勝手に信じて騙されてんのはお前が悪いってことね。) 随分とバカにされたもんです。

 

 以下、小学館の理由付けを見ていきましょう。

 

(1)基準

《原告の引用する最高裁平成9年9月9日判決は、「ある記事の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、当該記事についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準にして判断すべきであり、〜」としている。

 本件漫画が、原告著書による違法な著作権侵害があったとするものであるか否か、また本件漫画が原告の社会的評価を低下させるか否かは、本件漫画全体からこの最高裁の基準によって判断されるべきことになる。しかし、以下の各点からそのように解することは出来ない》。

   

◆ 最高裁の判断基準すら否定するらしい。「漫画」ってそんなに特別なのか!?。

 

(2)漫画について

《漫画は、表現方法として、誇張や風刺を伴うものであり、「遊びの心」或いは「風刺の心」をもって描かれた絵であるというのが一般的な共通認識であると思われる》。

[すなわち、漫画は、事件やニュ−スを報道することを期待されている報道機関による新聞等の報道媒体とは違い、これらの性格を有していないのだから、そもそも読者において個々の漫画のカットにおいて表現されている事実をそのまま真実のものであると理解することはないと考えるのが社会常識にかなっている]。 

◆ かなってるか!、ドアホ。

 一般的な「ギャグ漫画」や「スト−リ−漫画」の定義を『新ゴ−宣』に当てはめてもらっては困る。

 そりゃ、アラレちゃん読んで、空飛ぶ赤ちゃん(ガッちゃんのことね)が[そのまま真実のものであると理解することはない]よ。そりゃ『あしたのジョ−』読みゃ、豚に乗ってあんなに長く走れるわきゃねえよなとは思うさ。そりゃ『巨人の星』読んで、消える魔球を[そのまま真実のものであると理解することはない]よ。ガキの頃、あの理屈そのままにボ−ルに埃まぶしたことはあるけどさ。

 でも『ゴ−宣』ってさ、“現実”に依拠した“意見主張漫画”なんでしょ?。[そもそも読者において個々の漫画のカットにおいて表現されている事実をそのまま真実のものであると理解することはない]なんて言えるのかなぁ。『ゴ−宣』の存在価値そのものの否定じゃん、これじゃ。

 まぁ「整合性」の無さは今に始まったことじゃない。前訴・小林書面で慣れてるから、別に驚かない。

 

(3)被告小林の漫画の性格

《本件漫画も漫画であり、同様に事実を報道する役割を担っているものではない。加えて被告小林の漫画には、論争的性格がある。即ち、被告小林の漫画は、本件漫画に限らず、一定の立場や見解を漫画を通じて訴えるものが大半である。しかも被告小林は、自分の立場と対立する主張を掲げ、これに対して反論・批判するという形態をとるのが普通である。

 たとえ読者が被告小林の信奉者であったとしても、小林示す見解はあくまで同人のよって立つ立場に基づくものであり、常に対立当事者の意見があることを前提としていると認識していると思われる。[したがって読者は、本件漫画で展開される議論の中でも被告小林のような見解もあるな、しかし反対意見もあるから、それだけでは決らないぞ、というような読み方で、同人の漫画を読むのではないかとおもう]》。

 

◆ ぶわっはっはっはっ。

 笑った。本当に笑った。本気なのか。そんな[小林の信奉者]がどこにいるのか。小学館代理人はよしりん信者をなめてるのか(笑)。現実を知らなさ過ぎるぞ。

 この原稿がアップされたら、全国の[小林の信奉者]達は小学館宛メ−ルしなさい。

「私達、小林センセイの信奉者は、センセイ示す見解はあくまでセンセイのよって立つ立場に基づくものであり、常に対立当事者の意見があることを前提として認識してはいますが、決して、しかし反対意見もあるからそれだけでは決らないぞ、というような読み方はいたしません。対立当事者の意見など常に間違っているのですから、私達は頭からセンセイの意見を信じていますし、又そう信じることを己に課しています。小学館代理人の猛省を促します」。

 

 では、センセイ本人は何と言っているかも見ておきましょう。被告小林「準備書面2」の当該部分です。

[このような「論争」を読んだ読者は、たとえそれが被告小林の熱烈なファンであったとしても、被告小林の示している「見解」を盲目的に「真実」として受け入れる者はいない。それは、あくまでも被告小林の個人的見解であり、対立論者の意見との対比において、客観的冷静に理解しようとするのが通常の読み方である。つまり、平均的読者は、被告小林の意見や評価を読んで、「なるほど、そういう考え方があるのか」「そういう論争があるのか」「そういう問題点があるのか」という印象を受けるに過ぎない]。

 

 ぷぷっ。アホか。

 こういう「主張」についてはくどくど詳論せず、そのまま晒しておこう(笑)。

 

◆ で、結局何が言いたいのかと言えば、《被告小林の漫画で、同人の意見や評価に及ぶ部分は、そのような意見や立場のあることを強調しているという印象を受けるのであり、証拠をもって立証することが出来る事項として事実そのとおりのことがあるとは理解しないのが普通の読者の読み方である》、と言うことです。 何のことはない。「名誉毀損」にとって「事実摘示」は重要な要素ですから、被告側としては、あくまでも「事実摘示は無い」という点に拘らざるを得ません。それは解るんですけど・・・、[小林の信奉者]までを引き合いに出して、それが[普通の読者の読み方]だって言われてもなぁ。

 実際の[小林の信奉者]達の行動様式を知っている、そうではない「平均的読者」なら、かくも現実と乖離した被告側の主張に唖然とする筈だ。勿論、私の口も開いたままだ。

 でも、冗談ではなく、この点って重要なんですよね。裁判上語られる「平均的読者」という言い方、これは言葉どおりの「平均的読者」であって、それが[小林信奉者]だろうが「アンチ小林」だろうが何も関係ありません。(当たり前か。)そして、普通の「平均的(一般的)読者」が、通常どのような読み方をするものなのか、それを判断するのは判事団(の専権事項)に他なりません。

 被告側主張に対して、「いや、そういう読み方はしない」と反論することは可能ですけど(すると思います)、でも双方ともそれを「立証」することは不可能です(※注)。まさか、任意のゴ−宣読者を尋問することなんて出来ませんもん(笑)。

 でもこんなことがホントに実現したら面白いでしょうね。この場合双方の証人は相手側陣営の人になります。被告側証人が「アンチ小林」。仮にそれはアチキ。で、こう証言します。「小林の一方的見解を信じ込むほど思想的幼児ではない(怒)。小林示す見解はあくまで同人のよって立つ立場に基づくものであり、常に対立当事者の意見があることを前提としている」。傍聴席を埋めたよしりん信者達は、内心自分の読み方を否定されていることに心を痛めながらも拍手です。

 そして上杉側。某掲示板ではおなじみの「怪しい日本人」氏(笑)なる者が私達の証人です。で、先程の小学館宛メ−ルのような証言をするわけですね。傍聴席を埋めたもう一方の雄、「楽しむ会」のメンバ−達は、内心「こいつバカじゃねえのか」と思いながらも拍手です。

 自分で書いてて、面白いなぁと思います(笑)。


(※注)

 この部分を書いた後、第五回口頭弁論がありました(4/10)。私は傍聴初欠席だったんですけど、前日に上杉氏との簡単な打ち合わせを持ちました。 「平均的読者の読み方」云々については、ちょっと面白い計画を考えています。


(4)本件漫画について

ア 

《本件漫画も同様の手法を用いており、著作権の侵害として違法であるとする部分は、被告小林の意見であることが解るような構成になっている。[本件漫画全体を通読した読者が、原告著書により違法な著作権の侵害がなされたと印象づけられることはない]》。

 

イ 著作権論争についての記述

(ア) 

《本件漫画は全体として、原告の主張をきちんと掲載しており、「違法な著作権侵害をした」との事実を公表したという印象を読者に与えることはない》。

 

◆ ここはちょっと解説しておきます。

 小学館の言いたいことは、上杉主張が「“個々のカット”をもって事実を摘示した旨指摘している」との誤読から来ています。ですから、個々のカット、それだけを見れば事実摘示に当たるように見えるかもしれないが、「全体を通して見れば上杉主張もちゃんと掲載しているではないか」という主旨です。 

 しかし、55章の中から特定のカットだけを取り出して、そのカットのみを対象として主張しているわけではないこと、そんなことは常識的に考えれば理解出来るのではないでしょうか。くどくど説明しませんが。

 

(イ) 

《すなわち本件漫画は、原告自身が、小林漫画を無断複製していることを前提としながら、「これを『引用権』の行使として認められると主張するのだ」と、これが許されるとする考えを有していることを明確にした上、「これは、専門家に確認したうえで行った。〜『引用権』と呼んでもよいかも知れない」と原告の主張の根拠まで的確に記載したのであって、読者に原告の無断複製が著作権侵害になるか否かについては争いがあることを知らしめ、「この著作権侵害事件に関しては弁護士立てて断固とした法的措置を取る!」と明記し、その決着は曖昧ではなく公権的判断を仰ぐことを明らかにし、さらに別章では「著作権侵害問題は現在東京地方裁判所で係争中」と、明瞭に審理を受けていることを記述した》。

 

◆ それがどうした。

 この論でいくなら、著作権侵害になるか否かについては争いがあり、自ら[公権的判断を仰ぐ]とまで表明した問題に関し、その真偽も明らかになる前の段階で一方的に「ドロボ−」呼ばわりの“意見”を公表した小林の責任はどこに行くって話だ。 更に言えば、55章の最終ペ−ジにおいて[盗っ人にも三分の理〜]云々と書いた小学館の責任はどこに行く。(これって編集部サイドのコメントなんですよね?。)

 

 大体、上杉自身が「専門家に確認した」とまで言明しているのだ。先ずは法的正当性について「精査」するのが普通だろう(既掲載/「判例解説」参照)。しかりとすれば、提訴前に上杉宛「質問状」を送るなり、東方出版宛「見解を質す文書」を送るなり、人を訴えるならそれなりの段階ってものがあるだろう。 小林は何をやった?。いきなり「絶版要求の内容証明郵便」(回答期限5日以内!)が届いただけだぜ(97/11/7着)。そして、11/26(号)の「第55章」だよ。

 そりゃ誰にだって「裁判を受ける権利」はあるよ。この国は「法治国家」(幻想だけどね)だよ。でもよぅ、いきなり訴えるか? 普通。(既掲載/「判例解説」も参照してね、しつこいようだけど。)

 

(ウ) 

《「絵を盗んで」「ドロボ−本」等の表現は、被告小林の立場から、原告著作の無断複製を端的に表現するものであり、すなわち、本件漫画における被告小林の言い分を表現するものである。常に対立する主張を前提とする本件漫画の論争的性格からも、これらの表現がとられたことによって、「原告の引用を正当化する議論が否定されたり、或いは無意味なものになってしまうと理解されることはない》。

 

◆ もはや小学館理論においては、この世に「名誉毀損」の記述など存在しない。極論すれば、「対立する主張を前提としない」論争など有り得ようもないのだから、論争的性格さえ認定されれば中で何を言ってもいいことになる。さすが小学館(笑)。

 相変わらず「無断複製、無断複製」とオウム(鳥よ)のように繰り返すが、そもそも無断複製と判断したこと自体に小林の「重大な過失」があり、かつ、それを「ドロボ−(本)」と表現したことの是非を論じ合っているのだ。 前提を勘違いしてもらっては困る。

 

ウ 読者の理解

[よって 本件漫画全体を通読した読者は、著作権侵害問題は、元々無断複製した原告が引用は適法であるとして提起した問題であり、これに対して被告小林が侵害であると批判していることを理解するのだが、どちらの言い分が認められるかはいずれ裁判で明らかになるだろうと思うはずである]。

 

◆ ふっ、ふざけるな!(怒)。

 55章の段階で、小林が本気で提訴する気があるのかどうかなんて読者はどう判断すりゃいいのさ。だって漫画って、[そもそも読者において個々の漫画のカットにおいて表現されている事実をそのまま真実のものであると理解することはないと考えるのが社会常識にかなっている]わけでしょ。

 漫画の特性を都合よく恣意的に使い分けるのは止めて頂きたい。任意のカットにつき、責任を追求されれば、「だってマンガなんだもん。そのまま真実のものであると理解することはないよ〜ん」と逃げ、別の段では、そのカットをして「明記してある」と抗弁する。

 小学館の「整合性」はどこにあるのか。貴社は「フジタ事件」から、一体何を学習したのか。

 

◆ 小学館に聞いてみたい。

 仮に55章の段階では小林にはまだ提訴の意志はなく、よって(イ)における小林記述が無かったとしたら、あなた方の抗弁はどのようなものになるのか。 後段ではこう述べられている。

[即ち、読者は、本件漫画を通読すれば、被告小林の見解と同様に、原告も「専門家に確認した上で行った」などと、相応の根拠と確信をもって原告著書に被告小林の漫画を無断複製したのだなと判断するのであり、その結末は裁判の結果で明らかになると読むのが普通の読み方である]。

 この伝でいけば、とにかく後に裁判で結果が出るのだから、その時こそ読者は小林の意見表明、即ち「上杉ドロボ−(本)」に納得するのだとしか私には読み得ない。(他の解釈があったら教えてくれ。)しかりとすれば、仮に提訴宣言が無い状況では、一体読者はどう読めばいいのか?。また、どう読むことがここでの[普通の読み方]に該当するのか?。

 また、もし途中で小林の提訴の気が変わったなら、それは永遠に[その結末は(が)裁判の結果で明らかにな]らないことを意味する。被侵害者は小林なのだから、小林からの提訴が無い以上、55章は永遠に一方的な小林の“意見表明”だけを垂れ流すことになる。(「単行本」になればなおさらだ。)この場合、読者の[普通の読み方]は?。「『脱ゴ−宣』は著作権侵害のドロボ−本だ」という理解/認識が、読者の[普通の読み方]になってしまうのでは?。 提訴宣言の存在をもって[普通の読み方]を導きだした以上、そうならざるを得ない気がするが如何か。

 更に言えば、裁判の結果明らかになった[その結末]が、55章における小林の意見表明とは真逆だった場合はどうなるのか?。(現実に起こっているのはそういう現象ではないか。)[普通の読み方]をしてきて、判決を心待ちにしていた小林信奉者達は、「誤りは誤りと認め、ちゃんと訂正してほしい」と思うのではないか、普通(笑)。それは発行元においておや。

 「普通、普通」言うのなら、普通に考えて当たり前の態度も取れるような大人になろうね。

 

◆ しかし、[普通の読み方]ってのは面白い。私が考える普通の読み方を述べておく。

 百歩譲って、確かに、上杉記述の掲載を指して、読者は[原告も「専門家に確認した上で行った」などと、相応の根拠と確信をもって原告著書に被告小林の漫画を無断複製したのだなと判断する]と言われれば、まぁそういうこともあるかも知れん。しかしそれって、普通は『脱ゴ−宣』を読んでる時の読者の反応なんじゃないかな。(事実、私がそうだったし。一瞬「上杉さん、平気なのかなぁ?」って思うわけですよ。)でも、これは小林著作なんだよ。そこんとこを忘れてもらっては困る。

 小林は、自身の「連載」の中で、その上杉記述を紹介した上で、「ドロボ−」と論難し「弁護士を立てて断固とした法的措置を取る」とまで宣言しているのだ。「著作権侵害だ」との確たる自信と根拠がなけりゃ出来ない行為だと、まぁ普通は思うよね。まして次号(だったかな)では「弁護士が絶対勝てると言っている」とまで書いてきたわけで、この時点で上杉記述の「説得力」などゴ−宣読者の中には微塵も存在していない筈だ。それはまぁいい。55章の段階に戻す。

 つまり、両論併記で上杉記述を掲載したからと言って、読者は、上杉も[相応の根拠と確信をもって原告著書に被告小林の漫画を無断複製したのだなと判断する]などということが言えるわけがないのだ。むしろその逆の現象しか起こりようがない。[普通の読み方]とはそういうものだ。

 

 結局それはどちらの著作物で読むか(出会うか)の違いでしかなく、例えば上杉が、「55章で小林は『〜(引用)〜』と言うが、相談した専門家は『全て適法な引用である、絶対勝てる』旨明言している。提訴するのならしてみろ」と書いたものを読んだとすれば、その時点で55章の小林言説など相対化され、読んでいるのが上杉著作である分「訴えて恥かくのは小林だよ」とすら思える。普通、そういうものでしょ?。[普通の読み方]とはそういうことだ。

 であるならば、自身の連載中の「意見表明」を、言葉どおりの意見表明だとして、「事実の摘示ではない」と抗弁することなどいくら何でもちょっと無理があり過ぎると思うのだ。(そういうケ−スが無いとは言いません。あくまで本件です。)

 [普通の読み方]をすれば、小林は「著作権侵害だ」の確信には未だ至っておらず、だからこそ、上杉記述も併記し「争い」があることを読者にも伝え、それでも決着をつけたいが為に「提訴宣言をしている」などと読む読者などいよう筈がないというのが[普通の読み方]から得る私の結論だ。 

 本質は全て逆なのだ。小林は「無断複製」されたと真実思っており、だからこそ(その信念があるからこそ)、あえて上杉記述を併記し、しかし著作権侵害は「争い以前の問題」だと読者をして思わせ(※注)、その根拠(断定)の裏付けを「提訴宣言」により読者の前に開陳しているのだ。

 これをただの「意見表明」だと言うなら、そして「著作権侵害か否かの判断は読者に委ねられている」などと言うなら、およそ名誉毀損における「事実摘示」の概念など法論理上成立するものか。よって55章における小林意見は、「『著作権侵害だ』との事実摘示」に当たると私は確信する。


(※注) 55章の当該箇所を思い出してほしい。上杉記述のすぐ後のカットで、小林は[盗っ人猛々しい]と言い、「業界の慣例として認められているのは文章部分のみ」と断じ、[常識中の常識]とまで言いきっている。これ読みゃ普通、「争い以前の問題なんだな」って思うわな。


◆ 閑話休題。

ここで簡単に「名誉毀損」罪について。(詳しくは各自「専門書」を読んでちょ。)

先ずは条文。

 

第二三〇条@

 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。

 

 [公然と事実を摘示し、]。先ずこうある。本件では「公然」云々は問題にならないのは言うまでもありませんね。問題は「事実を摘示し」なわけですけど、被告側が一貫して否定したいのがこの「事実の摘示」なわけです。 ここは私の言葉より法律家の言葉を借りましょう。以前、「名誉毀損」について適当に当たっていた時に辿り着いたサイトです。弁護士の梅村陽一郎氏のHP(http://member.nifty.ne.jp/umelaw/meiyo.htm)から引かせてもらいます。

 

[「事実を摘示」

 具体的に人の社会的評価を低下させるに足りる事実を告げることをいいます。 ここにいう事実は、抽象的事実では足りず、具体的事実でなければなりません。価値判断や評価だけでは具体的事実とはいえません。たとえば、ホ−ムペ−ジ上で、ある人物を「あほ」「ばか」「税金泥棒」としただけでは、抽象的事実にとどまり、具体的事実ではありませんので、この要件を充たしません。ただし侮辱罪の成立する可能性があります]。

 

 なるほど。

 それで被告側は盛んに“意見表明(価値判断や評価)だ”と主張してるわけですね。でも「ドロボ−」には侮辱罪が成立する可能性はあるってよ(笑)。

 

 今回私、この「名誉毀損裁判」に向けてそれなりに学習してきたつもりなんですけど(嘘)、今一つよく解らんのですわ・・・、名誉毀損の「構成(成立)要件」が。同ペ−ジで梅村弁護士が、[名誉毀損における「事実の摘示」を否定した裁判例]というのを挙げてくれてるんですが、中にこんな事例があります。(ちょっと古い判決ですけど。)

 

[東京地判昭和三九年四月一八日判タ一六二号二〇〇頁 雑誌に「四億円の不正支出でテンヤ、ワンヤのM石油」と題してM石油の内情を暴露するような記事を掲載し、その文中でM石油の傍系会社の役員を紹介するにあたり、「甲(代表取締役、○研究所所長、医師法違反の詐欺師)」と記載しただけで、他に、右甲が医師法違反の詐欺師であることを推測させるような具体的事実の記載がないときは、同法第二三〇条第一項にいう「事実ヲ摘示シ」たものということはできないとした事例]。

 

 う〜ん、よう解らん。一般的常識的観念から言わせてもらえば、普通、何の根拠も示さず、ただ「医師法違反の詐欺師」なんて書かれる方がよっぽど名誉を毀損されてるような気がする。でも、どうも違うらしい。

 対して侮辱罪(刑法第二三一条)の方は、「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する」とあるから、きっとこの二法で運用上バランスを取っているのだろう。

 この辺りは今度高橋弁護士に会った時に詳しく解説してもらおうっと。

 

 話を戻して、被告側は何が何でも「事実摘示」は否定したい。そこで「意見表明」という主張に必然的になるわけですけど、どうも上記判例をあてはめるとそんな簡単に言えない気がする。

 先ず、55章は[他に、右甲(上杉)が医師法違反の詐欺師(著作権侵害のドロボ−)であることを推測させるような具体的事実の記載がないと]言えるのかどうかだ。これが後の議論(反論)に関係してくる。 取り合えず、ここまでをよく覚えておいてほしい。

 

エ 

《被告小林は、裁判経過を一審の敗訴判決も含めて一連の連載中に報じており、したがって読者は、裁判所が下した判断についても知ることが出来る》。

 

◆ ふんっ、虚偽に虚偽を重ねた一連の裁判関連章か(嘲笑)。

「知ることが出来る」から、それがどうしたと言いたいのか?。

 

(5)社会的評価の低下が無いこと

 「事実摘示」自体が無いのだから「社会的評価の低下」が無いという主張は当たり前ですね。しかしまぁ、ここも看過出来かねます。よくもこんなことが言えたもんだよ。

 

[したがって、読者は、本件漫画により、原告が違法な著作権侵害行為をしたとは直ちに信じないものと思われるのである]。

 

◆ だったら小林は、一体何の為に55章を描いたのか?。そもそも『ゴ−宣』って、一体何の為に描かれているのか?。

 “ドロボ−と言ったのは「意見表明」だ。[ドロボ−は許さん!]。でも「争い」があることは伝えてある。しかし、「業界の慣例がネ−ムのみ」なのは常識中の常識だ。「提訴」はするが[読者は、本件漫画により、原告(上杉)が違法な著作権侵害行為をしたとは直ちに信じ]るな”。

 結局こういうことだろ。こんな支離滅裂な作品がどこにある。作品に通底する一貫性は一体どこにある。

 [小林信奉者]達もよく覚えておくとよい。センセイの言を頭から信じ込み、『脱ゴ−宣』を「ドロボ−本」呼ばわりしていた君達のことだ。小林も、小学館も、いざとなったらこういう言い方するんだぜ。信者代表として・・・、例えば「第103章」に載った「応援レタ−」の四元雄歩君(実在するんならね)。仮に君が、「[上杉ドロボ−本]発言」で告訴されたとしよう(笑)。センセイの言をただ信じて、何気なく書いちゃった君は「よしりん企画」に泣きつく。小林は、きっとこう言うよ。「わしが描いてるマンガは単なるわしの意見表明だ。信じる信じないはお前達次第。わしは上杉が違法な著作権侵害行為をしたとまではまだ思ってないし、そう断定したつもりもない。そんなことでいちいちわしの所に相談してくるな」。

 そういう奴だって(笑)。事実、今裁判での小林主張はそういうことなのだ。

 

(6)原告の誤解

◆ 冒頭、ふざけたことを言ってます。[原告は、本件漫画で自分が渦中の存在になっていることから冷静な判断が困難かもしれないが、]。 なんだかなぁ。小林にそっくり返すよ、その言葉。「被告小林さんは、『脱ゴ−宣』で自分が渦中の存在になっていることから冷静な判断が困難かもしれないが、全て適法な引用だったのである」。

 

 で、小学館の言いたいことは、以下。

[読者において本件漫画で被告小林が「原告の無断複製があり、これが著作権法に違反した著作権の侵害行為である」との意見を述べていると認識することをもって 本件漫画全体を通読した上、本件漫画全体から、被告小林のいうとおり「原告の無断複製があり、これが著作権法に違反した著作権の侵害行為である」と印象付けることになると誤解しているのである]。

 

で、その理由は、何度も出てきた「両論併記」です。
 なんだかなぁ・・・。トホホって感じですね。その前段がムチャクチャだって批判してんだよ、さっきから。単に[意見を述べていると認識する]なんてことが“有り得ない”って言ってんの。

 

(7)付

[なおこのように言っても読者は、幾分かは原告が著作権法に違反した無断複製をしたのではないかということを印象づけられるという反論が予想できるところである。また最高裁平成9年9月9日判決がいう「新聞記事中の名誉毀損の成否が問題となっている部分について、そこに用いられている語のみを通常の意味に従って理解した場合には、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張しているものと直ちに解せないときにも、当該部分の前後の文脈や、記事の公表当時に一般の読者が有していた知識ないし経験等を考慮し、右部分が、修辞上の誇張ないし強調を行うか、比喩的表現方法を用いるか、又は第三者からの伝聞内容の紹介や推論の形式を採用するなどによりつつ、間接的ないしえん曲に前記事項を主張するものと理解されるならば、同部分は、事実を摘示するものと見るのが相当である。また、右のような間接的な言及は欠けるにせよ、当該部分の前後の文脈等の事情を総合的に考慮すると、当該部分の叙述の前提として前記事項を黙示的に主張するものと理解されるならば、同部分は、やはり、事実を摘示するものと見るのが相当である」という議論もあろう]。

 

◆ [という議論もあろう]じゃねえよ(笑)。この判決、前回(準備書面三)上杉側が援用した判決だぜ。ヘンテコな言い回しばっかしやがって。

 

 [しかし、本件漫画は]これらにも当たらないんだそうです。以下、理由を見ていきます。

 

(a)《繰り返しになるが、被告小林の漫画の性格である》。 既述。笑止。

 

(b)《被告小林は、比喩や婉曲的言い回しではなく明確な直接話法で自分の見解として語っている》。

 

◆ だったらもっと悪いじゃねえか(笑)。 判決の「文脈」が理解出来ているのだろうか?。

 

 ここで、先述の、梅村弁護士紹介事例を振り返ってみましょう。[雑誌に「四億円の不正支出でテンヤ、ワンヤのM石油」と題してM石油の内情を暴露するような記事を掲載し、その文中でM石油の傍系会社の役員を紹介するにあたり、「甲(代表取締役、○研究所所長、医師法違反の詐欺師)」と記載しただけで、他に、右甲が医師法違反の詐欺師であることを推測させるような具体的事実の記載がないときは、同法第二三〇条第一項にいう「事実ヲ摘示シ」たものということはできないとした事例]。

 

 この事例に照らして、55章が、[他に、右甲(上杉)が医師法違反の詐欺師(著作権法違反のドロボ−)であることを推測させるような具体的事実の記載がない]と言えるのかどうかです。

 仮に、「著作権侵害のドロボ−(本)」とのみ表現(意見表明)されていたのなら、或いは「他に著作権侵害行為を推測させるような具体的事実の記載は無い」と言えるのかも知れません。この事例どおりに受け取るならば、或いはそれは「侮辱罪」までに留まり、名誉毀損とまでは言えないのかも知れない。
 しかし小林は、上杉の行為が「著作権法違反/著作権侵害行為」であることの“根拠”をいくらでも挙げているではないか。そしてその根拠を、小林は、厳然たる「具体的事実」として読者の前に提示している。
 例えばそれが「業界の慣例」だ。一般的読者が、いわゆる「漫画業界の慣例」などに精通している筈もないのだから、読者は小林のこの言を無条件に受け入れざるを得ない。信じざるを得ないのだ。この一点だけでも、「著作権侵害行為を推測させるような具体的事実の記載」だと言えるだろう。(勿論、上記事例が言う所の[〜であることを推測させるような具体的事実]とは、ここで私が言う「具体的事実」とは概念が違う。それは解った上で、あえて援用している。この程度の敷衍が認められないとなると、いわゆる判例の「あてはめ」自体が不可能にもなるだろう。)
 ここで小林が例に挙げている「謎本」の類、現にこれらに絵の引用が無いことは、(それらが大ヒット作ばかりであることを勘案すれば)既に多くの人が知っているのだ。つまり、[業界の慣例として 認められている 「部分的な引用」は あくまでもセリフなどの 文章部分のみ に限られている][漫画・アニメなどのビジュアル作品の 内容を評する場合でも その作品の画面を著作権者に 無断で転載してはならないと いうのは常識中の常識だ](共に55章)という小林のこれらの言説は、単なる“意見表明”に付随した説明などに留まるものではなく、「上杉=著作権法違反のドロボ−」を読者に印象づける最大の“根拠”として機能しているわけだ。

 

 先に見たように、小学館は上杉側に対し、[本件漫画全体を通読した上、本件漫画全体から、被告小林のいうとおり「原告の無断複製があり、これが著作権法に違反した著作権の侵害行為である」と印象付けること になると誤解して]るんだよ君達は、と言っている。[誤解]のわけが無かろう。むしろ、[「原告の無断複製があり、これが著作権法に違反した著作権の侵害行為である」と印象付ける]為にこそ小林はこの章を描いた。その為にこそ、小林は数々の“根拠”を挙げているのではないか。(例えば「同一性保持権」の説明はどうだろう。[著作権上 特に/許されないものだ]とは言うが、「やむを得ぬ改変」もあることは読者の前に示さない。「両論併記」が聞いて呆れる。)

 小学館言うとおり、もし[印象付け]が我々の[誤解]なら、小林は、読者がそんな印象を持たざるを得ないような「根拠」を何故挙げているのだろう?。 

◆ で、先ほどの判決です。今までの私の説明が意図どおりに伝わっているなら、こう読むことに異論は無い筈です。

 

[新聞記事(雑誌)中の名誉毀損の成否が問題となっている部分について、そこに用いられている語([著作権侵害])のみを通常の意味に従って理解した場合には、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張しているものと直ちに解せないときにも、当該部分の前後の文脈([無断で盗んで乱用][業界の慣例][常識中の常識]「すが秀実や柳美里もそうしていた。[それが物書きとしての最低の仁義だ]」等)や、記事の公表当時に一般の読者が有していた知識(小林が例として挙げる「謎本」の類には絵の引用は無かったという事実)ないし経験等を考慮し、右部分が、修辞上の誇張([ドロボ−本])ないし強調([ペテン本])を行うか、比喩的表現方法([ドロボ−])を用いるか、又は第三者からの伝聞内容の紹介や推論の形式を採用するなどによりつつ、間接的ないし婉曲に前記事項(著作権侵害行為)を主張するものと理解されるならば、同部分は、事実を摘示するものと見るのが相当である]。

 

 どうでしょう?。そんなに無理矢理な読み方だとは思わないんですけど。

 

(c)《略》

既述。(透視したり、宙浮いたり。それは奇術。)

 

(d)同

 

(e)《略》

 下らな過ぎ。

 

(f)《読者は、原告と被告小林に議論の対立があることを知るものの、特別な著作権の知識が無いのであり、主張の対立・論争の存在として本件論点を認識すると思われるのである。仮に小林が、本件漫画で明示した事実関係以外の事実が実は他にあり、それによれば著作権侵害行為になるのだと暗喩するような婉曲な或いは暗示的な言い回しや表現方法をとり、そのことを前提事実に含めて判断すれば、一般読者の知識と経験からでも違法な著作権侵害になるというような場合であれば勿論別である。その場合、読者に対して証拠をもって、かかる事実を明らかにしなければならないだろう。ところが前記のとおり、被告小林はそんな手法は全く用いていない。よって、このような観点からの反論も成立しないというべきである》。

 

◆ 語るに落ちる。

 《仮に小林が、本件漫画で明示した事実関係以外の事実が》あろうが無かろうが、《それによれば著作権侵害行為になるのだ》という表現は、それこそいくらでもある(上述)。

 《そのことを前提事実に含めて判断すれば、一般読者の知識と経験からでも違法な著作権侵害になるというような場合》だけで構成されている漫画が、まさに『新ゴ−宣/第55章』ではないか。

 小学館言うとおり、一般的読者は特別な「著作権の知識」など持ってはいないのだ(私だって全く無かった)。そんな状態で55章を読んだ一般的読者が、[本件漫画全体を通読した上、本件漫画全体から、被告小林のいうとおり「原告の無断複製があり、これが著作権法に違反した著作権の侵害行為である」と印象付けること になると誤解している]などと本当に言えるのか?。読者が、[「原告の無断複製があり、これが著作権法に違反した著作権の侵害行為である」と印象付け]られないなどと、果たして本当に言えるのか?。

 そんなバカな・・・、と思う。

 

3 予備的抗弁についての理解

《被告立場の「前段的な説明」につき全て略》。

 

4 予備的抗弁その1

《本件漫画が仮に、原告が指摘するカットから、「原告が違法な著作権侵害をした」と主張するものであるとの印象を与えるとしても、これらは、被告小林の評論あるいは意見である》。

 

◆ この点の抗弁は、既に主張しているが[なお後述する]んだそうである。 楽しみにしている。 

 

(1) 最高裁平成9年9月9日判決との関係《上記最高裁判決が、事実を摘示しての名誉毀損と意見乃至論評による名誉毀損の区別について論じたのは、殺人罪を犯したことを摘示したことになるかどうかという事案である》。

 

◆ 被告側は、こういうことを度々言う。「判例あてはめ」を故意にとぼけているとしか私には思えない。(実際そうなんだろうけど。)

 

ア 最高裁判決について

《上記判決は、いわゆるロス疑惑事件に関連する新聞記事についてのものだが、ここで問題になっているのは殺人という犯罪事実の存否である。判決は、その記事中の談話内容の信用性を否定すべきことを窺わせる記述がないことなどから、当該記事の見出しが断定的に犯罪を犯したと主張し、その事実を摘示したと判断したのである。簡単に言えば、背景としてロス疑惑事件の知識を有していた読者に対し、「意味深長な談話」を掲げて、かつこれを疑わせる情報を提示しなかったことで、断定的に犯罪事実を主張していると判断したということが出来る、とされたのであった》。

 

◆ その通りではある。だから何?。

 「談話内容」を「著作権侵害」に、「当該記事の見出し」を「ドロボ−(本)」に置き換えて、もう一度考えてみては如何か。

 

 この新聞記事は恐らく、某氏の「犯罪事実」(殺人)を確信している。(判決文を読んではいないので推測になるが、まぁ間違ってはいないだろう。)だからこそ、それを裏付ける意味で[「非常に意味深長な」談話]を掲載しているわけで、敢えてその《談話内容の信用性を否定すべきことを窺わせる記述》を入れなかったことなど、むしろ当たり前の話だ。(「報道」としてはどうかとは思うが、本稿の主旨ではない。)

 それに一定の歯止めをかけたのがこの最高裁判決ではないか。あくまで「推定無罪」の原則を貫けと、報道が「犯罪事実」を認定するような「事実摘示」をするなと・・・。

 

◆ 本件にそのまま援用しても何等問題など無いではないか。(何かあるの?。) 小学館主張の言葉を置き換えて示せばこうなる。

 

《上記判決は、いわゆるロス疑惑事件(『脱ゴ−宣』)に関連する新聞記事(雑誌作品)についてのものだが、ここで問題になっているのは殺人(著作権侵害)という犯罪事実である。判決は、その記事(作品)中の談話内容(根拠)の信用性を否定すべきことを窺わせる記述がないことなどから、当該記事(当該漫画)の見出し(ドロボ−発言)が断定的に犯罪を犯したと主張し、その事実を摘示したと判断したのである。簡単に言えば、背景としてロス疑惑事件(著作権法)の知識を有していた(いない)読者に対し、「意味深長な談話」(「業界の慣例」や「同一性保持権」の説明)を掲げて、かつこれを疑わせる情報を提示しなかったことで、断定的に犯罪事実(著作権侵害行為)を主張していると判断したということが出来る、とされたのであった》。

 

 どうだろう。これって、無理矢理だろうか?。(正直、ちょっと無理矢理な気もしている初春のボク。)

 

◆ 小学館はこの最高裁判決を逆に援用し、[被告小林は、暗喩や婉曲的な言い回しではなく、明確な直接話法で自分の見解として]云々などと主張していたが、勘違いも甚だしい。(どうせ故意だろうが。)判決中で判示されたその部分は、新聞記事中に掲載された「第三者の談話」という形式に対応したものなのだから、それこそ本件に当てはめ、その部分だけを取り出して否定しても意味は無かろう。「2(7)付」で自らが引用した判示部分を読めば、被告が否定しなければいけないのはそんな箇所ではないことなど解りそうなものではないか。 むしろ、小学館が自信ありげに主張する「直接話法」、それこそが一義的に問題なんだと思うぞ(笑)。[当該部分の前後の文脈]、この意味を噛みしめてみたら如何か。

 

イ 事実と評価

《略》

 

ウ 引用の成否と著作権の侵害の主張

《ところで、著作権法32条の引用の成否は、優れて高度な法的判断によって決せられることになると思われる。[こうした場合に、著作権侵害を主張したとすれば、それは、A)著作権侵害を基礎付ける無断複製についての事実の主張と、B)この無断複製が著作権侵害に該当するという意見とが一体となっているということができる]》。

 

◆ ここら辺りから、またまた「引用論争」になりそうな雲行きです(笑)。
 被告・小学館とすれば、小林が「著作権侵害だ」と信じた根拠を挙げて抗弁しなければならないわけで、それはまぁ解るんですけど・・・、又もや同んなじ主張を最初っから聞かされるこちらは、正直たまったもんじゃありません。何とかならいんでしょうか。

 

 簡単に、ここでの小学館主張をまとめておきます。

《根拠となる主要な事実Aを特定した上、これに対する筆者の見解Bを示した。事実の主張と、意見・評論は区分されており、意見Bは公正な論評の法理によって名誉毀損の成否が論じられるべきである》。

[特に別件著作権事件の如く、過去例のない漫画の引用の成否という法的な評価にかかわる争点について当事者が鋭く対立した事案において、相手方の行為を著作権侵害であると主張すると、著作権侵害という主張の前提とした事実について真実であることを明らかにしても、なお著作権侵害が裁判所で認められない限り、これが許されないということになってしまうのである。このようなことは言論の自由の観点から到底妥当ではない》。

 

◆ 違う。
 そしてこれが違うことなど、小学館代理人は当然に知っている。

 確かにこの通りだとしたら大変なことだ(笑)。為に「名誉毀損」罪(刑法二三〇条)は「特例」を設けた(昭和二二年)。その条文。

 

[(公共の利害に関する場合の特例)

第二三〇条の二@ 

 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない]。

 

 ここで問題になるのが、[真実であることの証明]が不十分だった時、つまり「証明出来なかった時」はどうなのかという点だ。現在では、仮に「事実の真実性の証明」が無い場合でも、その事実を真実であると信じた「相当の理由」がある場合には名誉毀損にはならないということで定着している。 ただ、二三〇条の二の「解釈」を巡っては、ホントに様々な学説が乱舞している。各自、刑法の「専門書」を当たってちょんまげ。アチキの能力で解説するのは無理でありんす。(いつも生意気な書き方なんで、ここではちょっと謙遜してみました。)

 

 小学館さん・・・。何で[真実であることを明らかにしても、なお著作権侵害が裁判所で認められない限り、これが許されないということになってしまう]のですか?。「真実」を明らかにしたのなら勿論、それが「誤信」だとしても、その[著作権侵害という主張の前提とした事実]をそうであると信じた「相当の理由」を裁判所に対して示せばいいだけではないですか。

 [このようなことは言論の自由の観点から到底妥当ではない]?。弁護士だろっ、あんたら。

 

エ とどのつまりの結論。

[本件漫画中の原告指摘のカットにおける被告小林がした「原告が著作権を侵害した」との主張は、意見の表明であって、証拠をもってその存否を決する他人に関する事項を主張したものとはいえない]。

 

(2) 原告指摘の漫画カット等における被告小林の主張について

ア 被告小林が著作権侵害を主張する前提とした事実

 55章のカットについての説明です。一例だけ示しましょう。
[c 原告著書が転載している被告小林の漫画が、57点73コマに及ぶこと 
(以上本件漫画1頁の各漫画及び文章。)]

 

イ 被告小林の主張

《略》

 

(3) 証明すべき事実


[本件漫画の違法性を阻却する為に真実であることを立証すべきは、原告が漫画を無断複製したという事実などの被告小林がその主張の前提とした事実である。具体的には、前項ア指摘の点である]。

 


 [この点は、原告もこれを争わないところであろう]。

 

◆ [争わない]わけがなかろうて(笑)。どうしてこういうバカなことが言えるんだろう?。皆さん、前・上杉「準備書面三」を読んでみてほしい。

 

 ここで小学館が主張していることがどれほどバカバカしいものか、簡単な例で解説しましょ。

 

★ ヨシノリ君が食堂に入ると、同級生のカンジ君もそこでご飯を食べていました。外は雨です。お客さんがたくさんいます。おいしい食堂なんです。カンジ君は食べ終わり、ヨシノリ君に挨拶して先に帰りました。ヨシノリ君がおあいそを済ませ、さて帰ろうと思うと、何と傘がありません。

 仕方なく店を出て、近くで買おうとコンビニに飛び込むと、カンジ君がサピオを立ち読みしています。傍らには、ヨシノリ君が持っていたのと同じ傘・・・。その場で聞けばいいものを、後日、学級日誌にヨシノリ君は書きました。「カンジ君が僕の傘を盗んだ」。 

 何のことだか解らないカンジ君は、当然ヨシノリ君に抗議します。「僕はドロボ−じゃないよ。君の傘を盗んだという証拠を出しなよ」。「だってあの日、同じ店でご飯を食べてたもん。カンジ君は僕より先に帰って、そのすぐ後に会ったら僕のと同んなじ傘を持ってたじゃん。そんな偶然あるわけない」。
 キレたのはカンジ君です。当然ですね。だってヨシノリ君が出すべき証拠は、その傘が間違いなく自分の物だってことですもん。

 でもヨシノリ君は頑固です。何と日誌にこう書きました。「僕とカンジ君のケンカの件で、僕の違法性を阻却する為に真実であることを立証すべきは、カンジ君があの日僕と同じ食堂にいたことや、そのあと僕のと同じ傘を持ってたっていう事実などの、僕がその主張の前提とした事実だよ」。クラス全員呆れ返ったのは言うまでもありません。

 ヨシノリ君は、「事実の真実性の証明」を勘違いしているのです。食堂のおばさんに頼んで、あの日カンジ君が店にいたことや、ヨシノリ君より先に帰ったことを証言してもらっても、コンビニのお兄さんに頼んで、その傘を持ってカンジ君が立ち読みしていたことを証言してもらっても、ぜ〜んぜん意味はありません。 だって、カンジ君は偶然ヨシノリ君のと同じ傘を持ってたってだけなんですから。二人とも町内の「イクヒコ商店」で買ったんですから、同んなじことだってあるでしょう。

 後日、同級生のノブカツ君が、クラスみんなの前で正直に告白しました。「ゴメン。僕がヨシノリ君の傘を持ってったんだ。雨宿りがわりに食堂に入ったんだけど、帰る時見たら同んなじ傘が二本あったんで、つい出来心で・・・。でもその時はその傘がヨシノリ君のだとは解ってなかったよ。それだけは信じて。僕が居たの、二人とも気付いてなかったよね。ヨシノリ君はサピオ、カンジ君は『正論』読むのに夢中だったから。ゴメンネ、みんな」。教室中にすすり泣きが聞こえます。ノブカツ君の正直さに、みんなが感動しています。

 もしかしたら、ヨシノリ君とカンジ君の立場が全く逆だったかもしれないこと、正直に告白すりゃそれで済むのかよノブカツ、といったようなことは、子供達の世界では何の問題にもなりません。ヨシノリ君はカンジ君に、そしてみんなにも謝りました。クラスが一つになりました。

 ところがです。クラス一の秀才を自認するアキノリ君が変なことを言い出します。「こういう時、ヨシノリ君がそう信じた『相当の理由』があればヨシノリ君は悪くないんだよ」。

 どこにでも和を乱す人はいるもんです。大体、ノブカツ君の告白があり、事件自体が解決しているのに、こんなことを言い出す意味が解りません。この日を境にアキノリ君の女子人気は急降下です。

 それにどう考えたって、ヨシノリ君に「相当の理由」があるなんて

 

 誰か止めろよ(笑)。放っとくとずっと書いてるぞ。

 

(4) 意見としての相当性

ア 意見表明の対象となった事柄

《本件漫画で、原告について批判している事柄は、原告の著作による著作権侵害であり、原告の私的な事項にわたって人格攻撃をしているのではない》。

 

イ 公平な態度

《著作権侵害を構成しないとする原告の主張をそのまま記載して、その言い分を読者に知らしめている。真に公平な対応である》。

 

ウ 無断転載と「ドロボ−」との表現

(ア)

《ところで、著作権侵害を盗作・盗用等と表現するのが普通であることは言うまでもない。著作権を侵害して無断複製することを比喩的に「窃盗」と呼ぶこともある》。 

◆ [比喩的に]ってねえ・・・。なぁ〜んだ、やっぱり「直接話法」だけじゃなかったのね(笑)。

 

[現に、一九八七年、当時の著作権審議会の林修三氏(元法制局長官)は、「著作権は、法律的には財産権と人格権から成っていますが、財産権でもあるのですから、勝手に使うのは盗むと同じ、極端にいえば泥棒です。」と述べている]。

 

◆ そりゃ、極端に言えばね(笑)。

 小学館はこの林主張を受けて、《そうだとすれば無断複製した相手を「ドロボ−」と呼んでも不当じゃねえよ》って言ってます。でも本件は「引用の成否」、つまり「財産権の制限事案」ですから、やっぱり不当なのでは?。 小学館さんよぅ。「ドロボ−」と呼ぶことの正当性の主張に、“偉い人も使ってる”ってんじゃあ、ちょっとまずいでしょう。そうではなく、「ドロボ−」と呼ばれてもこちらが文句を言えない程に小林がそう信じた「相当の理由」、それを“論理的”に主張しなきゃ。それを積極的に抗弁しなきゃ。(これは裁判なんだよ。そして今回、小学館は被告なんだよ。)

 

(イ)

《また、ドロボ−の絵も、アイマスクと風呂敷という典型的なスタイルで描かれたものであり、ドロボ−のシンボルであるということができる。原告の悪性を殊更に強調するものではない。漫画は、風刺と誇張を旨とするのであり、漫画において著作権侵害を主張する場合には、不相当な表現とはいえない》。

 

◆ 出たよ。

 「漫画、漫画」。肝心な所は全部、「だって漫画だからぁ・・・」。

 ふざけんなよ、テメエら(怒)。[風刺と誇張]だぁ?。そんなものは「公人/権力者」に向けてこその“武器”だろが。小林がやっているその[風刺と誇張]は、論敵の[悪性を殊更に強調する]以外の何者かであった試しがあるのか。

 

 被告・小学館は、何故前・著作権裁判で「目隠し」の「やむを得ぬ改変」が認められたのだと思うよ?。あんな、現象だけ見れば誰の目にも「同一性保持権」を侵害している態様が、何故「著作者人格権侵害」にならなかったんだと思うよ?。えっ、どうなんだよ。

 

◆ 小林よ。小学館よ。

 いつまでも、「漫画はサブカルだから」なんて地平で甘えてんじゃねえよ。漫画は、特に日本の漫画は、もう立派な、世界に冠たるこの国の「文化」だろ。それはスト−リ−漫画だろうが、“意見主張漫画”だろうが同じだ。
 前・一審判決後、依頼されたあるミニコミの原稿で私はこう書いた。[そしてそれは、今後の「漫画」にとっても決してマイナスなことではないのだ。逆の言い方をするなら、今回の判決によって漫画は文章同様の地位にまで引き上げられたということもできる。「お前ら、もうサブカルなんかじゃねえぞ」と。
 「楽しむ会」の仲間である漫画編集者のS氏は、報告集会のシンポジウムで次のようなことを述べた。

 「小林よしのりの罪は深い。漫画表現の可能性を歪めてしまった罪は深い。しかし、こんなに親切にていねいに余裕をもって批評してくれる人を得たという成果があったということです。これは小林よしのりひとりへのプレゼントではない。漫画表現が漫画業界以外の人から漫画以外の表現なら当然うけていたであろうあたりまえの方法をもった批評を得られたということだと思うのです]。
 そうなのだ。「小説」でやれば当然に名誉毀損や侮辱になるようなことは、「漫画」でやってもそれはなるのだ。「エッセイ」で、他人のプライバシ−を侵害し信用を毀損するような表現は、漫画で描いてもそれは同じなのだ。それが示されたのが、前・著作権裁判での判決ではないか。個人の「名誉感情」と漫画家の「表現の自由」を諮り、ケ−スによっては表現の自由が大幅に制限されること、「人格的利益」の前にはクリエイタ−の「表現の自由」など後退を余儀無くされること、それは「漫画」においても全く同じことだと初めて示されたのがあの判決だった。

 

◆ [悪性を殊更に強調するものではない]と主張するのも自由だ。「漫画のシンボル的表現だから不当ではない」、そう言い張んのもいいっすよ。
 でも、誰も信じてないぜ。一般的読者は、信者だろうがアンチだろうが、誰もここでの小学館主張など信じてないぜ。だってさぁ、実際問題小林と相手との関係が悪化し出すとその途端に論敵の肖像が醜悪になっていくのは皆実感として知ってるんだから。小林が、論敵の[悪性を殊更に強調する]のがどれだけうまい作家であるか、皆それは知ってるし認めてるんだから。それが小林の意図的操作であることなど知った上で、その操作すらを信者は娯楽として楽しんでんだから。私(あくまで私)のようなアンチ小林は、その操作を嫌悪しながらも、それでも、別に好きでも嫌いでもない相手の肖像に関しては結構楽しんでたりもするんだよ。
 小学館さん・・・、誰も信じてないぜ。

 

エ 

[以上によれば、被告小林が、真実であることが明らかな事実に基づいて原告の著作活動について著作権侵害をしていると批判し、これを端的に表現する方法として「ドロボ−」などと記述しても、相当な意見・評論の範囲を超えることはないというべきである]。 

 

5 予備的な抗弁、その2

《原告指摘の漫画カットから、読者に違法な著作権侵害行為であるとの印象を与える場合に、これが証拠をもって決すべき事実を主張するものであると解される場合を仮定すれば、以下のとおりである》。

 

(1) 著作権侵害の事実と本件抗争

[原告著書が被告小林の著作権を違法に侵害しているか否かは、現に別訴で争われており、最高裁判所に係属中である。著作権侵害の有無の判断に当たっては、本来は、同事件の最終判断を待つべきであろう]。

 

◆ ふっふっふっ。私の怒りの発火点に火つけやがった。 解った。この「論」でいくなら、最高裁が「著作財産権の侵害無し」(「複製権」侵害否定/「適法引用」認定)との[最終判断]をしたなら、その瞬間この本件抗争は「証拠をもって決すべき事実」に当たる事案になり、結果遡及から小林の不法行為は認めると、そう主張するわけだな。

 

 先程、3の「予備的抗弁についての理解」の所で、《被告立場の「前段的な説明」につき全て略》としたが、実は小学館は、ここでの冒頭こんなことを言っている。[前項のとおり、本件漫画による名誉毀損はないのだから、被告において抗弁を主張する必要は無い]。

 「無いんならしなけりゃいいじゃん」とも思う。でもこんな「予備的抗弁」を出しておかざるを得ない程に、被告側の反論は何一つ説得力を持たないのだ。それは小学館も自覚している。絶対。

 

 しかし、こんなことまで言い出して、実際に最高裁が一・二審判決を維持したらどうするつもりなんだろう(笑)。

 

[本訴において新たに著作権侵害について主張立証することは、実質的に二重の審理を求めることになるので、当被告としては、当面これを主要な争点として主張することは差し控え、被告小学館において、原告著書による著作権の違法な侵害があったと信ずべき相当な理由があったという点を主要な主張立証の対象としたい。《以下、その趣旨で主張している》]。

 

◆ 本書面中、最大にして最高の「トンデモ主張」です。突っ込みどころ満載ですね。

 

 先ず、では何故、前提訴において小学館は原告として加わらなかったのですか?と聞いておきます。今頃[本訴において新たに著作権侵害について主張立証すること]が出来ると豪語する位なら、だったら「著者」と足並みを揃えてやれよ。(「主張することは」ではないことにご注意下さい。[主張立証することは]と言っているのです、裁判所に対して。)

 小林だってそう思うんじゃないか(笑)。

 

 [実質的に二重の審理を求めることになるので]云々と言うが、じゃ何かい、求めれば「著作権侵害事件」としての判決も一緒に出してくれるとでも言うのかい?。「このカットは複製権侵害」とか「ここも同一性保持権侵害」とか、そんな判決が出る可能性があるんだ。それとも、個々の判断はしないけど、「前著作権裁判での判決を破棄する。審理をまた森裁判長のもとに差し戻すよ〜ん」とでもいった判決が出る可能性があるのか。被告が言うその[主張立証]に民事28部が納得すれば、そんなことも起こるのか・・・。知らなかったよ。恐いな、裁判って。 

 この、小学館代理人の竹下正己弁護士、『週刊ポスト』で「法律相談」のコ−ナ−を連載しています(確認は本年1/26号。釈ちゃんが表紙だったぞ。かわいいな)。よかったらお顔を見てあげてね。こんな「知的な主張」を考えつくお人だから、さぞや人気のコ−ナ−なんでしょう。

 

◆ 嫌みはさておき、いよいよここら辺りからが本質的争点になります。勿論小学館は、[〜実質的に二重の審理〜]云々などと、本気で言っているわけではありません。

 「争点」は二三〇条の二です。[前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない]。
 これを基に、かつ、本件事案が以下の判例に該当するのか否かです。

 

[刑法二三〇条ノ二の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法二一条による正当な言論の保障との調和をはかったものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法二三〇条ノ二第一項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である。これと異なり、右のような誤信があったとしても、およそ事実が真実であることの証明がない以上名誉毀損の罪責を免れることがないとした当裁判所の前記判例は、これを変更すべきものと認める]。(最高裁昭和四四年六月二五日大法廷判決)

 

[被告小学館において、原告著書による著作権の違法な侵害があったと信ずべき相当な理由があったという点を主要な主張立証の対象としたい]。

 最初っからこう主張しておけばいいだけのことなのに、変に持って回った言い方ばっかりするんだから。

 

《[なお、原告による無断複製を著作権侵害に当たらずとした別件判決は未確定であるが、東京高等裁判所は、同一性保持権の侵害を認めている]。即ち原告は、被告小林の著作者人格権を侵害しているのであるが、このような態様の無断複製は「適法引用」には当たらず、違法コピ−である。したがって、著作権侵害というべきことは明らかである》。

 

◆ 自家撞着の見本のような文章。

 自分が敗けた判決は[未確定]、勝った判決は[侵害を認めている]。小学生でも突っ込むんじゃないか、きっと(笑)。

 しかし、[違法コピ−]とは言うも言ったり。

 

(2) 真実であることの立証の対象

《この場合の真実であることを証明すべき対象は、違法な著作権侵害であるから、具体的には a 無断複製の事実 b 引用が成立するとはいえないこと である。aについては争いがない。[よって、被告は、原告著書が「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるもの」であるとはいえないことを明かにすれば足りるということになる]》。

 

◆ ねっ、結局また「引用論争」でしょ。もう決着ついてるんだけどなぁ。小林さんが散々主張したよ。そのどれもが認められなかったのっ、「引用」に関しては。 

 小学館がやることは(小林もね)、また頭から[「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるもの」であるとはいえない]などと主張することなのではなく、[真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由がある]ことの立証だ。

 まぁ、そういう趣旨だと理解して、以下見ていくことにしよう。(面倒くさいけど面白そう。)

 

(3) 引用が認められる要件

ア 解説書

 

◆ なっ、何?、「要件」から始めるの?。冗談じゃないよ。ホントに最初からやるのかよ、引用論争(笑)。そんなことまで懇切丁寧に「紹介」した上で反論するほど暇じゃねえぞ、オイラ。

 でも、乗りかかった船。まぁ思いっきりはしょりながらやっていこう。

 

◆ 小見出しでお解りのように、ここでは、世間に数多ある「解説書」の中から自分らに都合のよさそうな見解を引っ張ってくるという手法を用いている(手法自体への批判は無いっすよ、私)。半田正夫『著作権法概説』からは「引用の範囲」を、加戸守行『著作権法逐条講義』からは「公正な慣行」についてを、というように。 こういったメジャ−どころの解説書は、往々にして個々の条文に込められた「理念」のようなものを語っている場合が殆どなのだから、一般論としてのそれを援用して果たして自らのケ−スへの補強になるのだろうか?。よう解らん。まぁいいけど。 まぁ、ここはさほど重要ではない。(被告にとっては、ある意味重要かも。)

 

イ 判例

(ア) 最高裁判例以前の判例

《後記の昭和55年最高裁判決以前には、(「判決」三例を挙げ)〜などとまちまちであり、統一的な基準のような言葉は用いられていなかった。しかし概ね社会通念上引用が必要とされる場合であることが要件とされていたようである》。

 

(イ) 昭和55年最高裁判例

《ところで、いわゆるパロディモンタ−ジュ写真事件で最高裁第三小法廷は、最高裁として引用の範囲について初めて判示した。すなわち、正当な範囲内の引用の認定基準として、@明瞭区分性、A主従関係、[さらに、Bその引用が引用される側の著作者人格権を侵害するような態様でなされるものではないこと、の三要件を必要とし、]上記の要件を満たさない限り、著作権の許容する「引用」とはなり得ない旨を明らかににした》。

 

◆ 違う。今だにこんなことを言ってる奴がいるのか。それも弁護士で。@Aはいい。そのとおりだ。だが、Bは違う。

 これはあくまで「倫理」の問題として付言されただけで、Bそのものを「要件」としたわけではない。

 大体、引用は「著作財産権」の制限なのだから、全然別の法体系である「著作者人格権」によってその成否が左右されるなんておかしいではないか。ちょっと考えれば解るだろ。 

 別訴第二審では、残念ながら、一ヶ所の「著作者人格権侵害」が認定された。小学館の「要件」理解でいけば、その瞬間[著作権の許容する「引用」とはなりえない]筈であり、引用ではない以上、同時に「複製権侵害」が認定される筈だ。されたか?。

 この一点だけを見たって、引用の要件に「著作者人格権」など全く関係ないこと、自明ではないか。

 極論すれば、故意に被引用者の「著作者人格権」を侵害した上で引用したって一向に構わない。(極論ですよ、あくまでも。)でも、敗ければ当然裁かれる。しかしそれは「人格権侵害」で裁かれるのであって、決して「引用が(も)ダメ」だったからではない。四要件さえ満たしていれば、取り合えず「引用」自体は合法だ。 

 先の「ア 解説書」の項で小学館はこう書いていた。[(ウ) 作花文雄「詳解著作権法」(平成11年・ぎょうせい)は、引用の適正要件として、@引用目的、A明瞭区分性、B主従関係のほか、C必然性,最小限度性及びD人格権への配慮の各項目を論じている。(略)さらに注目すべきは、人格権への配慮を挙げて「他人の著作物を引用する場合に、その著作者の人格権を侵害しないよう配慮する必要がある。」としている(283頁以下)]。
 一目瞭然、どう読んだって作花氏は「配慮の問題」として語っている。その限りにおいては誰も異論などないだろう。だって、当たり前の話だもん。しかし、もし、Dを法的な「要件」として語っているのなら、それは間違っている。

 

[なお、この最高裁判決は引用の要件として明瞭区分性と主従関係という2つの要件のほかに、著作者人格権を侵害しないことという第3の要件を挙げていると説明されることがあります。しかし、判決文を読む限りでは、必ずしも著作者人格権を侵害しないことが引用の要件とされているわけではないので、この判決が著作者人格権を侵害しないことという第3の要件を挙げているというのは、必ずしも正確ではないと思います]。

 私の言だけでは誰も信用しないだろうから(笑)、引かせて頂いた。(東京地裁「知的財産権部」の榎戸道也裁判官の講演録から。『コピライト』2000.2より)

 小学館代理人さん、参考にしてちょ。

 

(ウ) 以後の判例

《フジタ事件、バ−ンズコレクション事件の説明》 

◆ 「釈迦に説法」のような気がする・・・。

 

(エ) まとめ

《学説では、引用の必要性や最小限度性を要件としているのだが、大半の判例では、別訴判決もそうであるが、明瞭区分性と主従関係を掲げ、他の要件については特に触れていない》。

 

◆ だって、要らないんだもん。しつこいようだけど。 「必要性」も「最小限度性」も、全部「主従関係」の中での判断で足りる(含まれる)んだもん。

 小学館は、[しかし、これは、引用の必然性や最小限度性の要件を否定するものではないというべきであろう]と主張する。各人勝手な自分の中の「倫理」として語っているのなら別に私とて否定はせんが、[要件]と言われると話は別だ。少なくとも、最小限度性など、既に多くの判例が明確に否定しているではないか。 こいつらは、一体今頃何を言っているのか?。

 

 要するに、こうなんですね。

 多くの解説書の中には、「必然性」や「最小限度性」を要件として挙げているものが結構ある。それに、最高裁は「著作者人格権侵害での引用は認めない」との“要件”を示した(笑)。そんな中で被告小林が原告の『脱ゴ−宣』を目にすれば、一見して著作権侵害と考えたのも無理はない。

 こんな風には書いてないんですけどね。でも言いたいことはこれだけのことです。

 

ウ 出版界における取り扱い

[当被告も含め、出版界では、他人の著作権に対する尊重とその侵害の防止に強い関心が払われている。当被告の新入社員の研修においても「自分が苦労せず楽にものを作るため、他人のものを勝手に使ったら泥棒」と指導している]。

 

◆ 笑い過ぎて死ぬかと思ったぞ。

 なんちゅう指導だ。せめて「無断複製」と「引用」の違い位は教えておけよ。将来その有能な新人編集者どもが恥かかないようによ。
 どうでもいいけど出版界ってよ、[他人の著作権に対する尊重とその侵害の防止]の前に他人の「人格権に対する尊重とその侵害の防止」をもっと考えろよ。「人権侵害」にゃ無頓着でその下位法益(※注)である著作権に敏感でも仕方ねえだろが。

 

 こんな立派な指導をしてる小学館さんよ。その中でも、特に『新ゴ−宣』の担当編集者さんよ。ペタペタ、ペタペタ、ペタペタ、ペタペタ他人の著作物を張り付けてコマを埋めてることってたくさんあるぜ、ゴ−宣にはよ(笑)。「自分が苦労せず楽にものを作るため、他人のものを勝手に使ったら泥棒」なんだろ?。そう指導してんだろ?。

 近くに[泥棒]がいんじゃねえかよ。

 


(※注) 

 こんな言葉があるのかどうかは知りません。しかし、先ず「人」がいて、その人の精神的活動の結果(所産)として「著作物」があるのだから、あながち間違った表現ではないでしょう。

 


《(縷々述べて)これらは、編集者が他人の著作権を侵害しないようにする為の指導や注意であるが、引用が許されるとする場合と表裏の関係にある。[出版の現場では、引用の必要性、絵画や美術品などの観賞性を伴うものの引用、引用の量的な割合等について注意しているのが普通なのである]》。

 

◆ はい、はい。

 

エ 学説及び判例の状況と当被告の立場

[こうした背景の中で、被告小学館において、以下のとおり原告著書が被告小林の漫画を無断複製したことについて、著作権侵害があったと信じることに相当な理由があったと言うことができるのである]。

 

(4) 被告小学館において、著作権侵害を信じたことについて相当とする理由

《学説及び判例の状況は前項のとおりである。法文には「引用は、公正な慣行〜ならない。」と規定されている。「公正な慣行」については、加戸「著作権法逐条講義」のとおり、「健全な社会通念で御判断願うところです・・・」「世の中で著作物の引用行為として実態的に行われており、かつ、社会感覚として妥当なケ−スと認められるものが、公正な慣行に合致するということです」と言われている》。[そうだとすれば、原告の本件複製行為が、このような健全な社会通念に照らして妥当ではない、あるいは世の中で著作物の引用行為として実態的に行われていない、社会感覚として妥当とは思えないと信じたことが、被告小学館にとって無理もないところと言えるかが争点になろう]。

 

◆ 勝手なものだ。お前が「争点」を決めてどうする(笑)。
 「そう信じた。ホントにそう信じてたんだよぅ」なんてことで「相当の理由」として認められるのなら、世に「名誉毀損」なんて無えよ。 他人が「著作権を侵害していると公に発表しようというのであれば、十分な裏付けを基に慎重の上にも慎重をなせ」と既に判示されてるではないか(東京高裁平成一二年九月一九日)。まさか本件はこの判決前だから、別に「慎重でなくてもいいんだ」なんて言い出すんじゃねえだろうな(笑)。
 「学説」も「判例」も都合のいい所だけを恣意的に引っ張ってきて、それを曲解混じりに解釈し、[このような健全な社会通念に照らして妥当ではない、あるいは世の中で著作物の引用行為として実態的に行われていない、社会感覚として妥当とは思えないと信じた]なんて言われても、普通「ハイそうですか」なんて言って笑ってられるか。

 小学館が前項で挙げている「判例」なるもの、「フジタ事件」と「バ−ンズコレクション事件」なのだが、小学館程に稚拙・恣意的な判例解釈でよいのなら、それらの判決から、全く逆に上杉氏に有利な解釈を導き出すことなど、実は簡単だ。

 

 法が言う「公正な慣行」を、まだ「出版・漫画業界の慣行」なんていうレベルで抗弁するのか。恥ずかしくはないか?。著作権法の引用条文が、「各業界の慣行」なんてレベルで左右されると本気で考えているのか?。[健全な社会通念に照らして妥当]かどうか、[あるいは世の中で著作物の引用行為として実態的に行われて]いるかいないかは、「出版・漫画業界の中で」なんて話じゃないだろが。
 言葉どおりの社会だよ、言葉どおりの世の中だって(笑)。そして社会は、「漫画だけは特別だ」なんて誰も思ってはいない。世の一般的・平均的読者は、いわゆる「謎本」にカットの引用が無いことも知っているが、一方で、カットの引用のある「漫画評論」が存在することも知っているのだ。(故に、後者の存在は開示せず、前者のみを具体的事実としての「慣例・常識」とした55章は誤導なのだ。)そしてその「証拠」は、前・著作権裁判で上杉側が提出している。だからこそ、一審判決も、「そんな慣行はない」と明言したのではないか。
 あんた達は、いつまでも夢の中か?。

 

イ 漫画引用をする場合の従来の慣行

(ア)

《被告小林が本件漫画で指摘しているとおり、漫画においては、「業界の慣例として〜限られている」という状況にあった。[これが「公正な」慣行といえるかについてはひとまずおくこととして、かかる取り扱いが普通であり、そのように解されていた]》。

 

◆ と主張し、この後「カット引用のない漫画評論」を列記してきます。 『磯野家の謎』、『サザエさんの悲劇』、『ドラえもんの秘密』、『セ−ラ−ム−ンの秘密』(セ−ラ−ム−ンなんて生まれて初めて書いたぞ)、『ポケンモンの魔力』(パチ物? 勿論ママね)、『ポケモンは子供の敵か味方か』。 こんだけ。

 

(イ) 漫画の作られ方

《漫画は、アシスタントの協力とかがあって、すっごく作るの大変なんだぞ》。

 

◆ これは要旨というより「要約」です。

 

(ウ)

[しかも元々絵については、実質的には観賞的な形、つまり、その引用された絵画を見る人が観賞する形で引用はできないという見解があるのであり、こうした点からも、被告小学館が前記(ア)の如き慣例を、「公正な慣行」であると信じたとしても何ら不当ではない]。

 

◆ 先生っ、質問っ!。

 [元々]って言いますが、その元々の見解って「フジタ事件」の前からあるんですか?、それとも「フジタ事件」以降 “見解”になったんですか?。
 それとついでにィ、「フジタ事件」で被告だった会社、どこだったか忘れちゃったので教えて下さいっ。

 

ウ 原告著書の引用の仕方について

《略》

 

エ 著作者人格権の侵害

《原告著書には、著作者人格権侵害の疑いがあり、現実にも東京高裁から2箇所(ママ)の侵害を認定されいる。[そうだとすれば、原告の無断複製が前記最高裁判決の3要件の一を欠いているものと信ずることにも相当な理由があった]》。

 

◆ こういう言い方するんなら、[原告著書が被告小林の著作権を違法に侵害しているか否かは、現に別訴で争われており、最高裁判所に係属中である。著作権侵害の有無の判断に当たっては、本来は、同事件の最終判断を待つべきであろう]、なんて言い方もしないでほいしな。

 だって「整合性」って大事でしょ?、大人なんだし、裁判なんだから。 

 この論をもって[信ずることにも相当な理由があった]とするのなら、前述のようにその「要件」理解は間違っており、瞬間[相当な理由]は瓦解する。単なる「無知」がそう信じていたというだけの話であり、何のことはない、自ら「過失」を認めたようなものだ。

 

5 公益目的について

《略》

 

 

【休憩】

◆ ここまでが、「名誉毀損」に関する小学館書面の要旨です。

 

 被告反論はこの後「肖像権侵害」の項に入っていくわけですが、取り合えず、ここで一時中断し発表します。

 

◆ 今回、「小学館書面」を選んだ理由は実はまだあります。後半の「引用」に関する小学館反論でもお解りのように、小林さんの主張もまた、殆どが前裁判での主張の繰り返しです。

 例えば、「各要件の検討」の項での小見出しを示しましょう。

 

@主従関係(附従性)

(a)引用の目的 (b)制作労力 (c)商品価値 (d)情報量の多さ (e)文章の量(「引用対比一覧」参照) (f)頁中の占有率 (g)57カットという数の多さ (h)採録の方法1−カットをして語らしめる (i)採録の方法2−拡大複製(「拡大複製対比一覧」参照) (j)観賞性 (k)まとめ

A必要性・必然性・最小限度性

B著作者人格権の侵害がないこと

C公正な慣行

 

 全て「控訴審」まんまの主張です。(「書面」も殆ど一緒。)さすがにもう飽きました。よって、小学館の方にしたわけです。レトリック的には小林書面よりもまだ新鮮でした。

 

◆ それでも一点だけ批判しておきます。

 「相当の理由」として小林が挙げてきた上記主張、その中には「控訴審」に入ってから初めて主張してきたようなことまでが含まれています。これはいくら何でもちょっとズルですね(笑)。

 本当に「55章」執筆時にそう信じていたのなら、やっぱり一審で全てを主張しておくべきでしょう。真実、そう信じていたのならね。

 では、また。   (文責:「楽しむ会」 横山好雄)                                                                                2001/4/18                       

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