「名誉毀損裁判」訴訟方針解説


「名誉毀損」の論理構成

一.上杉氏に対する「ドロボ−/ドロボ−本」発言

二.上杉氏の肖像を醜く描いている


◆ 上記二点を基本として、上杉氏は「名誉毀損」を主張してきました。しかしこれらは、本来、個別単独の主張ではありません。一、二が密接に絡み合っている一つの「漫画作品」ということを含意しての主張だったわけです。小林作品(と言うか漫画)の特徴は、一(ネ−ム)と、二(絵)が互いに互いを補完・補強し合うという関係性にありますから、あくまで一の全体趣旨の中において醜く描かれることの是非を問題意識として、そもそもこの裁判はスタ−トしました。 しかしまた、これらは個別単独の主張として論じていく事も勿論可能です。 

 「文」による名誉毀損と、「絵」による名誉毀損。この二本立てです。ここら辺りの明確な方針に関して、上杉氏、高橋弁護士、そして「楽しむ会」の三者の間で微妙な相違があったというのが偽らざる事実でした。

 

 被告側が一貫して釈明を求めてきたのも、この点に関連してのことです。詳しくは「小林準備書面要旨」を参照してほしいのですが、要するに、「ネ−ムによる名誉毀損と絵による名誉毀損とが渾然一体と主張されており不明確である」というわけです。(小学館も同旨。)

 裁判所が上杉氏側に求めたのも、この点の整理・具体的主張でした(第三回報告参照)。極論すれば、口頭弁論の過去三回全てが、この点での三者(原告・被告・裁判所)の齟齬に終始していたわけです。このままではなかなか本質的な議論に進むことが出来ませんし、いつまでも曖昧なままの主張では裁判所の心証も悪くなるでしょう。

 早急に結論を出す必要性が上杉氏側に出てきました。

 

◆ 上杉氏がずっと拘ってきたのは、「醜く描かれたことによる名誉毀損」、つまり二の認定です。それは、川田龍平氏に目隠しを入れて引用した上杉氏の思いにそのまま重なります。相手を貶める為に「意図的に醜悪に描く」という小林よしのりの「手法」、それが問われない限り、またそこを問わない限り、上杉氏が自ら原告となり小林を訴える意味がないからです。その為にはどうしても、「醜く描くことの不法性」を争点として裁判所に認知させる必要があります。つまり、前記二での名誉毀損の主張はこの裁判の根幹なわけです。

 上杉氏の意図や思いは痛い程よく解ります。そして、この名誉毀損裁判における「楽しむ会」の支援スタ−トも、それが原点でした。

 

 しかしそれは、ある種「賭け」でもあります。もし二が棄却されるようなことがあれば、間接的ではあれ、小林描く上杉画程度の人物描写では「名誉毀損にはならない」ことにお墨付きを与えることにもなってしまう。誰もが認める梶村氏の「醜悪さ」や、後の松井やより氏の「侮辱性」などに比して、上杉肖像がそこまでの説得力を持って裁判所に迫れるのか、各人意見は様々なのが現実でした。

 

◆ 二を勝ち取る為には、「醜い」ことの証明、並びにそれによって「如何なる社会的評価が低下したのか」を立証することが必要となります。これがなかなか簡単なことではありません。

 醜さの証明は、まだ比較的容易かもしれない。上杉氏自身を対比できる二つの絵がありますし、最終的には裁判所の判断(専決事項)ですから、この二枚の上杉画を提出するだけでも十分立証足り得ます。この点につき、小学館の準備書面は仲々に挑発的です。

[勿論、本件訴訟において、絵の印象について判断が必要になる場合、最終的には、裁判所の専決事項であると思う。しかし、被告としても大いに議論したいところである。原告の如き主張では、自分はそう思うということだけであり、反論もできない。/そこで、原告がこのAの絵の何をもって、a醜悪で、b汚らしく、c卑怯そうで、d腹黒そうな人物として描かれていると主張するのか、明らかにされたい]。 正面からこの議論に乗っていくことは得策ではないと私は思います。仮にa〜dを完璧に立証できたとして、さて、それでどんな社会的評価の低下があったのか? という問題は残るからです。ここが認められなければ名誉毀損にはならないのです。ハ−ドルが高過ぎる。

 

◆ 「『醜い』から名誉毀損」では、じゃあ美しければよいのかという話になって、「あくまで主観の問題」という抗弁に抗しきれない気がします。(主観的な侵害感情だけでは名誉毀損にはなりません。)また元々、「著作権侵害のドロボ−(本)」という論旨の中で肖像が使われる(た)こと、そしてその肖像が醜いこと、その醜さが漫画の論旨を補強すること等を問題としてきた筈です。一、二を、分離した個別の論点として、二本立ての主張をするなら、それは本来の主旨ではないことにもなります。

 上杉氏側はここで矛盾に陥ります。つまり二に拘る以上、分離した二本立ての主張しか有り得ないという現実です。一、二を、(密接に絡み合った)セットにしてということは、裁判論理上無理なのです。今まで全て傍聴してきて、裁判所としてもその(セットの)主張は認められないということは容易に看て取れます。被告側求釈明も一貫して同じです。これ以上拘るのは得策ではありません。また二本立てにして、あくまで二に拘っていくのもリスクが大き過ぎること、前述の通りです。

 

◆ 獲得目標は、一でも二でも「名誉毀損認定」なわけです。ならばこれ以上拘る必要はないのではないか。一による「名誉毀損」と、「肖像権侵害による不法行為」認定、それだってとてつもなく画期的なことです。 勿論、意図的に醜く描くという小林の手法、これを不問に付すわけではありません。「侮辱的な表現(ドロボ−の恰好)や、醜悪さを伴う表現(二)」、これらは肖像権の侵害を強める方向に作用するというのが学説上の一致した見解(定説)ですから、もう一つの争点である「肖像権論争」の中で存分に主張していくことが可能です。つまり、二での獲得目標を、「名誉毀損」から肖像権侵害による「不法行為」にスライドしたというわけです。

この方針転換により、もう被告側は些末な求釈明は出来なくなり、同時に裁判所の要求もクリアしたことになります。後は本格的な論戦に入っていくだけです。 

◆ 被告側「反論書面」は、3月末までに提出されることになりました。非常に楽しみです。小学館代理人のあの曲者弁護士は、一体どんな理屈で反論してくるでしょうか。

 

 これで具体的な「争点」が定まりましたから、あの裁判長の下では、きっとそんなに長くはかからないだろうというのが高橋弁護士以下一致した見方です。夏には結審、秋には判決といった所が今後の展開ではないでしょうか。(根拠なし。勘です、勘。)

                   

 皆様の変わらぬご注目を心よりお願い申し上げます。                    

以上


名誉毀損裁判 第4回口頭弁論報告

 

 2月13日、4回目です。

 本日傍聴、総勢18名、最高記録です。その殆どが大学生らしき若者でした。こいつらがみんなよしりん信者かと思うと・・・、あぁ情けねえ。(「決めつけ」はいかんか。)

 本日の若者の多さ・・・、ここん所「報告」で「双方の面白い応酬が見られる」って伝えてきたから、それで期待が膨らんだ面があるのかもしれません。でも、今日はちょっと期待はずれだったかも。ごめん。

 今回提出された上杉側「準備書面(三)」(別掲)によって、冒頭から裁判長の心証がよいのが手にとるように解りました(笑)。従来からの、裁判所、並びに被告側求釈明に上杉氏が答えたこの書面によって、いよいよ本格的な論戦に突入していきます。

 というわけですので、今回の裁判は、基本的に次回期日を決めてアッというまに終了してしまいました。

 

 次回、被告側「反論書面」の提出があるわけですが、小林・小学館ったら、随分時間を取りました。3月いっぱいだそうです。まぁ、あの書面(別掲)に反論するのは大変でしょう。じっくり書いて下さい(爆)。

 

 今回はこんな所でお茶を濁しておきます。 ではまた。 (「楽しむ会」 三上秋津)