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磯江洋一氏の処遇が厳正独居から夜間独居へ変更

北海道「磯江さんを支える会」から


1995年10月23日朝、磯江洋一氏の処遇が厳正独居から夜間独居へ変更となり同日工場へ出役した。磯江氏は、1982年9月3日無期懲役囚として旭川刑務所に収容され、同年9月24日から実に13年1ヶ月もの間厳正独居処遇が続いていた。彼が必死に家族へ監獄の実態を伝え続けると看守達は「そのようなことは家族へ出す内容ではない。書き直せ」と指導した。それに対し磯江氏は「(監獄の人権侵害の実態を)全ての人々に伝えたい。出来れば世界中の人々に伝えたいのだ」と述べていた。しかし、幹部職員は「無期囚は、仮釈放しか社会復帰の道はない」、「獄中者組合をつくろうとする者を集団処遇に出来ない」等圧力をかけ続けていた。処遇の変化には、ヒューマンライツウォッチの調査及び報告書の発表、国連人権委員会への報告なども背景にあった。96年2月13日の公判において、国側が提出した準備書面(6)によると、「原告が工場に出たいという態度に変化が見られた。多少の危険はあるものの、今が工場へ出す絶好の機会であった」という、13年前にも出せたはずの理由であった。13年にも渡る厳正独居拘禁が、社会復帰への教育の為の処遇とは無縁であり、いかに磯江氏の心身を消耗させ、思想を屈服させようとするものであったかを現場検証で明らかにさせ、厳正独居の原則的撤廃を勝ち取りたい。