hitotubasi

アンドリュー・コイル、ヴィヴィアン・スターン氏
一橋大学での講演の質疑の中から


2月21日(水)午後2時より、一橋大学職員集会場にて「イギリス行刑改革の現状と問題点」についてアンドリュー・コイルさんをメインに講演が行われた。聴衆の多くが研究者や学生であったため、コイルさんの希望により、彼が準備していた「現代社会における刑事施設」と題する講演を短めにまとめ、質疑と討論の時間を十分にとることにした。
 折しも、当日の午前中、お二人は府中刑務所を、前日は東京拘置所を訪問していた。質疑の最後に、これらを訪問しての感想を聞くと、まずコイルさんは、「短時間での訪問であり、また刑事施設は社会の鏡でもあるので、表面だけ見て物を言うのは危険だ。」と前置きした上で「府中刑務所の物理的状況は概して良好である。見た独居房は少し狭い気がしたが、窓は十分大きく、自然の光も入ってくる。受刑者の大部分は1日の多くを工場で過ごし、食べ物も良いように思われた。ただし、刑事施設において、スタッフと被拘禁者との関係が重要であるが、府中刑務所においてこれらの人間関係が存在していなかった。お互いに人間としての関係が欠如しているようだ。また、被拘禁者と外部との関係では、面会が重要になるが、多くの受刑者がいる府中刑務所で、面会室が不足しているように思った。数少ない面会室も十分活用されているように思えなかった。また、府中刑務所も、東京拘置所も、暖房施設がなくとても寒く、冬のこの時期には大変であろう。刑務所長として、また世界各国の刑事施設を訪問した経験から、日本の施設の関係者は、何でも見せてくれようとし、何か隠しているとは感じられなかった。しかし、現代の日本が大変近代化を進めたが、刑事施設の中は取り残され、10年、20年昔に逆上ったような感じがした。」と感想を述べた。これを聞いて、隣にいたスターンさんはすかさず「いいえ、50年前よ!」と答えていた。スターンさんは、「アンドリューは、刑務所長の立場もあってか、かなり外交的な返答をしているようだが、私は率直に感想を述べたい。見たものをその文化の一部というのは簡単だ。しかし、私は3年前から日本の方と知り合いになり、幾分かは日本の文化も知りつつあると思っている。今まですれ違う時に、壁に向かって直立不動の姿勢をとる日本人に出会ったことはない。通常は、出会うと『やあ、こんにちは』とか、ほほ笑むのが日本人だけでなく、人間としての通常の対応である。これが、刑務所の廊下で訪問者と受刑者がすれ違うときに、壁に向かせて立たせるのは、被拘禁者の品位を傷つけるものだし、訪問者にとっても失礼なものだと思う。法務省からすれば、プライバシーの保護と安全のためということだが、それは理由にならない。」と述べた。
 実はこの日の府中刑務所訪問直後、お二人に対してあるテレビ局から取材の予定が入っていた。刑務所から出てきたところで感想を聞きたいということだった。しかし、刑務所の門を出てきて、壁を背景にカメラを回すことすら許されず、更に離れて公道まで出て壁が画面に入るようにしても、同行した法務省の関係者がそわそわして、結局一橋大学まできての取材ということになった。