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我らにふさわしい刑事施設、収容、ケア及び公正

アンドリュー・コイル


◆ 市民がNGOとして刑務所の中で行われていることに参加していくのは重要です。私はPRIのメンバーであり、英国法務員、エディンバラ大学教授でもあり、ロンドンの主な刑務所であるブリクストン刑務所長です。このような様々な立場で、相互の立場に緊張感をもって活動しています。

◆ 政府機関とNGOとのつながりは重要であり、いつでも可能な限り奨励されなければなりません。刑事施設のない社会を想定するのは可能です。にもかかわらず、私たちが刑事施設を必要と決めたために、現にそれは存在します。このことは、私たちが社会の一員として、施設内で何が行われているかを知る義務と責任があることを意味しているのです。
 多くの点で、刑事施設は最後で最大の秘密の施設です。施設の壁は、被拘禁者を中に入れておくためだけではなく、大衆を外部においておくためのものでもあります。刑務所の所長である私にとって、外部の批判にさらされず、「信頼しろ」と言って、好きなように仕事をさせてもらえればこれほど楽なことはありません。しかし、これは民主主義の方法ではないのです。刑務所など民主主義のはしのほうにある機関は特に公衆の批判・公共の目に開かれていなければなりません。NGOの様々な調査は私に安心感を与えます。私は人を閉じ込めています。これは決して気持ちのいいことではありません。しかしこれは社会が私に委ねていることなのです。

◆ 刑事施設制度は矛盾を抱えています。刑事施設がニュースに事欠かない一方で、ほとんどの人は高い塀の向こうで何が本当に起こっているのかを知りません。一般人は監獄のことをテレビから受けるイメージで考えます。メディアは何か起こったときだけ刑務所について取り上げます。監獄がそこにあるということで安心していますが、一方同じ人間を閉じ込めているので落ち着かないのです。監獄が効果的であるのは、犯罪が罰せられることと、犯罪を犯した人が監獄の中にいる限り、別の犯罪を起こさないことからである。しかし最近、小さな子供からピザを盗んだことで25年の刑を受けた人がいます。こういった刑罰がなぜ存在するのか。カリフォルニアでは刑務所への出費が高等教育への出費より大きいのです。なぜ刑務所が存在するのか根底的に考える必要があります。

◆ イギリスにおける監獄改革は、刑務所の暴動から始まりました。イギリスの経験した最悪の暴動は、1990年4月にストレンジウェイズ刑務所で起きました。暴動の5日後に政府は著名な判事であるウールフ卿に、調査と勧告を依頼しました。ウールフ卿は、単に物理的保安面での提言に止まらず、刑事施設のシステム全体を分析し、刑事施設はいかにしてうまく運営されるかについて以下のような勧告をしました。

◆ 第1に「保安」です。保安には、静的なものと動的なものとがあります。静的なものは、壁やフェンスなどといった物理的なもの。動的なものは現在の状況を理解した職員が、被拘禁者をよく理解し、周りの変化に対応していくことにより成り立ちます。特に後者の重要性を指摘しています。

◆ 第2に「良好な秩序」です。職員が担当の被拘禁者のことを理解しており、彼らの中を動き、彼らの言うことに耳を傾け、彼らと話し合う方が、離れて立ち、命令を出すときだけ話し、制服の陰に隠れる職員より、良好な秩序を保つことができます。

◆ 第3に「公正」です。単なる保安、秩序よりも公正、正義を認識していなければなりません。監獄においてこの問題は特にデリケートである。人が監獄に送り込まれるのは、その人が不正義を行なったからです。刑務官は公正に対して鋭い感覚をもたなければなりません。この報告以前には被拘禁者処遇に関して「公正」と言う言葉は聞かれたことはありませんでした。
 刑事施設における公正とは、まず、国内法規はもちろん政府が批准した国際条約、宣言等を遵守することである。
 ヨーロッパ拷問禁止委員会が1990年にイギリスを訪れたとき、彼らはブリクストン刑務所の過剰拘禁、下水道設備の不備、房外で過ごす時間の不足を、「非人道的及び品位を傷つける取り扱い」と結論しました。イギリス政府は、これらの事実は認めたが、こららが「非人道的及び品位を傷つける取り扱い」を構成するとは認めませんでした。
 他にも、被拘禁者には十分な食事をとる権利、適正な医療を受ける権利、自らの宗教を信仰する権利、弁護士と会う権利、家族との関係を維持・発展させる権利が保障されなければなりません。被拘禁者は文化的水準を満たし、人道的に公平に扱われなければなりませんが、往々にして自由のみならず、人間としての権利をも奪われがちです。

◆ 刑事施設の匿名性は受刑者の人権に対する配慮を欠く結果を招いています。刑事施設は人間から固有性を奪う場所です。イギリスでは、施設の門をくぐった途端、番号を与えられます。名前より番号が重要になり、彼は人から被拘禁者になるのです。また彼は衣服をとられ、刑務所ではブルーの制服、拘置所ではグレーの制服を着ます。こういった中で人間性を見つけることは難しい。刑事施設は、そこにいる誰であれ、個性をあまり外に表さず、それぞれの役割の陰に隠れさせる場所なのです。

◆ 被拘禁者の社会復帰にとって家族との関係は重要です。被拘禁者と地域とを結ぶつながりは家族との接触からなります。イギリスにおいて、既決囚は月に2回か、それ以上の面会ができる。しかし、にぎやかな面会室では天気とかスポーツの話題など当たり障りのない話に限られ、家族との関係を維持することはおろか発展させることなど大変難しい。
 現在、イギリスの刑務所では被拘禁者はカード電話をかけることができます。時には毎晩、家族と話をし、以前は話ができなかった、子供のことなどまで話し合えます。結果として、彼は家族のことを身近に感じることができますが、家族に影響を与えることはほとんどできず、葛藤も感じることが多いようです。

◆ 研究によると、犯罪の被害者が望んでいることは、加害者の犯罪によって被害者にどのような心的外傷と苦痛を受けたかに気づいてほしいということです。加害者と被害者とが直接お互いに顔を合わせるのは多くの場合不適当でしょうが、刑事施設にいる間に、彼が被害者に与えた危害について気づくようにすべきです。国家が被害者と仲介し、被害者と加害者のバランスを取り戻すことが必要なのです。

◆ 刑事施設とは社会を映す鏡です。刑事施設は私たちが必要と決めたからこそ存在しています。刑事施設の本質は一方の側の人間が他方の側の自由を奪うことです。それゆえ、刑事施設は常に抑圧的です。拘禁刑を増加させることにより社会の犯罪を減らすことにはつながらないと私たちは気づくべきです。刑務所とは金のかかるシステムです。刑務所を出来るだけ使わない刑罰システムが必要です。拘禁したとしても出来るだけ短期間ですませるようにしなければならないのです。
 だからこそ、NGOの役割は重要です。あなたたちの仕事は地域の良心となることです。被拘禁者をどう取り扱うかは、私たち自身の社会の反映なのです。