徳島刑務所接見妨害事件最高裁判決について

金子 武嗣(大阪弁護士会)


第1、はじめに

 2000年9月7日、最高裁第1小法廷は徳島刑務所の受刑者(Kさん)と我々弁護士との接見妨害についての損害賠償を認めた高松高裁の判決を破棄する逆転不当判決をなした。この判決を報告し、今後の方向性を検討したい。

第2、事実経過について

 徳島刑務所受刑者接見妨害事件は、1990年4月殺人の共謀共同正犯で懲役15年の刑が確定したKさんが、大阪拘置所から徳島刑務所へ移監されたところ、 刑務官からいわれのない暴行をうけた。Kさんが生きては帰れないのではないかと心配した我々再審弁護団が同年8月8日にKさんを原告として徳島刑務所の暴行に対して損害賠償訴訟提起した。彼を刑務所から生きて帰そうとしたものであった。
 しかし、問題は、その事件の打合わせのための接見であった。刑務所側は、監獄法50条の委任により定められた時間制限の30分(監獄法施行規則121条)と刑務官の立会(施行規則127条1項)を厳格に実施した。事件の相手方が我々の接見に立会い話合いを聞き、しかも時間制限までされたことは、我々弁護士の琴線にふれるものであった。
 そこで、我々は徳島刑務所側に善処のための話合いを求めるが拒否され、 1991年8月21日Kさんと弁護士3名が原告となり提起したのが徳島刑務所接見妨害訴訟であった。
 第1審徳島地裁の判決(判時1597号115頁)は1996年3月15日になされ、徳島刑務所の30分の時間制限は、国際人権自由権規約14条違反であり、時間制限は違法として損害賠償を認めた。
 第2審の高松高裁の判決(判タ977号65頁)は、1997年11月25日になされたが、この判決は、国際人権規約の我国への適用について詳細な解釈論を展開し、@国際人権自由権規約は直接適用される、Aヨーロッパ人権条約についてのヨーロッパ人権裁判所の判断は、解釈の指針として考慮しうる、B被拘禁者保護原則(国連決議)は被拘禁者保護について国際的な基準としての意義を有しており、自由権規約14条の解釈に際しても指針となりうるものと解される、として、刑務官の立会と、30分の時間制限が、国際人権規約14条に違反する違法なものと明快に判決した。
 自由権規約14条により秘密接見交通権の保障を認めた画期的判決であった。

第3、最高裁第1小法廷判決について

 2000年9月7日、最高裁第1小法廷は判決を言い渡したが、国際人権と弁護士の接見に全く無理解な判決といわざるを得ないものであった。

1、多数意見について
 判決は、5名の裁判官で、4名の多数意見と遠藤光男裁判官の反対意見にわかれた。  多数意見は、次のとおりである。
 監獄法、監獄法施行規則が、憲法13条及び32条に違反しないことは、最高裁昭和 45年9月16日大法廷判決(未決拘禁者に対する図書閲読の制限)、最高裁昭和58年6月22日大法廷判決(東京拘置所よど号事件の新聞検閲事件)等の趣旨に懲して明らかであるとし、また、これら規定が、自由権規約14条に違反すると解することもできないとした。
 また、具体的場合において処遇上その他の必要から30分を超える接見を認めるかどうか、あるいは教化上その他の必要から立会いを行わないこととするかどうかは、いずれも、当該受刑者の性向、行状等を含めて刑務所内の実情に通暁した刑務所長の裁量的判断にゆだねられているものと解すべきであり、刑務所長が右の裁量権の行使としてした判断は、裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合でない限り、国家賠償法1条1項にいう違法な行為には当らないと解するのが相当である、とした。
 つまり、「監獄法、監獄法施行規則が自由権規約14条に違反すると解することもできない」との1行が国際人権法に関する唯一の判断であった。まさしく高松高裁や徳島地裁の緻密な解釈論に到底及ばず、国際的にみても人権理論の水準からとても耐えられないような低レベルの、恥ずかしいような「代物」であった。
2、反対意見について
 遠藤裁判官は、弁護士出身である。その反対意見は、刑務所の時間制限と刑務官の接見立会は刑務所長の裁量権を前提としても、逸脱、濫用であり違法であるとするものである。
 その要旨は、「徳島刑務所事件の実質上の被告は徳島刑務所自身とみてよい。いかに、受刑者がその身柄を拘束されている目的及び行刑施設としての物的、人的制約等を考慮しなければならないとしても、このような事件についての打合せを実質的の相手方当事者というべき徳島刑務所の職員の監視の下で行わせるということは、誰の目から見ても余りにも不公平であることは明らかであり、これを容認するとすれば、公正な裁判を受けさせるという理念は完全に没却されてしまうことになる。多数意見について、接見を監視のみでき、かつ、接見内容の聴取を不能とするような施設を設置することによって対応することもできたはずであるから、必ずしも理由とはなり得ない。」というものである。
 国際人権規約に未だ十分な理解があるとはいえないものの、弁護士出身であるだけに、秘密接見交通権の重要性とその必要性を認識した妥当なものであった。

第4、徳島事件をどのように評価するか

1、我が国の判例の傾向
 徳島事件は残念ながら我々の敗訴という結果に終わった。
 しかし、世界には、我々と同じ事件が存在している。ゴルダー事件(接見拒否)にいてのヨーロッパ人権裁判所1975年2月21日判決と、キャンベル・フェル事件(接見立会)についてのヨーロッパ人権裁判所1984年6月28日判決である。これらの判決は、徳島刑務所と同じイギリス刑務所の処分が、国際人権規約と同じヨーロッパ人権条約に違反する違法なものとされている。20年も前から、ヨーロッパでは受刑者と弁護士との接見は、立会もなく、時間制限のないものになっている。
 これらの判決と今回の最高裁の判決を比較すれば、その理論水準の差に愕然とせざるをえない。最高裁判決は、これが我が国の人権水準かと思うと国際的に恥ずかしいものである。
 我が国の裁判所は、国際人権の関係する事件について、その判断を避けようとする傾向が顕著である。国際人権法を使う事件は、戦後補償やマイノリティ−の事件が多く、国が被告となり、我が国の時代遅れの法律や規則が問われることになる。現在の裁判所にとっては一番苦手な事件である。そのため判例は、国際人権規約は憲法と同じであり、法律や規則は、憲法に違反しないから(違反するとの判断は稀有である)、国際人権規約にも違反しないとの判断がなされる場合が多い。このような解釈は、国際人権法を現在の憲法の狭い解釈論の枠内にとじこめてしまうばかりか、国際的にも非難されるし、理論的にも耐えられないおそまつなものになる。そのなかで徳島事件の地裁、高裁判例は、国際的にも評価の高いものといえる。
2、今後について
 最高裁判決は、国際人権と、弁護士の秘密接見交通権に無理解であり、刑務所のひどい実態に目をつむったものである。しかし、今後この様な姑息なやりかたは通用しなくなる。人権のグローバル・スタンダード化は甚だしく、人権問題の普遍性と一般性からみて、ヨーロッパと我が国の落差を許してはおかない。特に、ヨーロッパ人権裁判所の判決の数の多さとその具体性、その思考過程と論理の優秀さが明らかになる。
 今後も、ヨーロッパ人権裁判所のケースで同じものをみつけ(現在では、インターネットで簡単に手にいれられる)、判例適用の道筋を確立すればよい。そのためにも、高松高裁判決の解釈論が役にたつ。
 また、国連規約人権委員会の日本政府への1998年11月5日最終見解で、@裁判官・検察官・行政官に対する国際人権の教育の徹底(32項)、A政府から独立した人権調査救済機関の設立(10項)によって国際人権法水準の人権の普及を図り、後は、我々が諦めずに、裁判などで、具体的実践活動を続けることである。

第5、おわりに

 本件は、Kさんを徳島刑務所から生きて返すことが目的であった。最後に、Kさんはどのようになったか報告したい。
 1997年5月2日、我々は医学鑑定の結果をふまえ、Kさんの徳島刑務所から病院又は医療刑務所への移監を求め、人身保護請求を徳島地裁へ申立てた。1年あまりの期間にわたり審理がなされ、もう少しで移監が認められるところであったが、残念ながら1998年7月21日徳島地裁は請求棄却決定(判時1674号123頁)をなした。但し、その中で、国際人権規約の効力を認めていることを付言しておく。我々は上告したが同年11月26日最高裁は上告受理すら認めず、不受理決定をなした。
 最高裁の結論であれば、Kさんはそのまま徳島刑務所にいなければならないはずである。ところが、最高裁決定のたった4日後(同年11月30日)、矯正管区はKさんを徳島刑務所から大阪刑務所医療刑務支所へ移監した。Kさんはやはり医療が必要だったのである。2年間にわたる最高裁はじめ裁判所の審理と判断はいったい何だったのか?
 そして、翌1999年3月にKさんは同支所を無事出所した。Kさんは、刑務所から生きて帰ることができた。