拘禁二法案の再提出にどう立ち向かうか

海 渡 雄 一


拘禁二法案の再提出の危険性高まる

さまざまな情報を総合すると、法務省は野党の一致した反対で3たび廃案となった拘禁二法案(刑事施設法案・留置施設法案)を4たび次の通常国会に上程することを準備しているようである。拘禁二法案が最初に国会に上程されたのは1982年4月だった。以降、既に17年以上が経過し、その間に3回廃案となっている。これだけ長期間国会に継続しながら成立しなかった政府提出法案は、戦後の国会の歴史をみても例がない。そのことだけをとってもこの法案がいかに大きな問題点をもつものであるかがわかるだろう。  監獄人権センターは1995年に発足したが、そこに参加した多くの人々は拘禁二法案の反対運動に関わってきた。拘禁二法は私達の結成の理念に関わる重大な問題である。しかし、国会をめぐる状況も反対運動の中心であった弁護士会の状況も大きく変わった。8月までの第145国会ではガイドライン法、日の丸君が代法、盗聴法等組織的犯罪対策法、国民総背番号制などが、自自公の枠組みでことごとく成立した。この状況で我々が手をこまねいていれば拘禁二法案も成立させられてしまうかもしれない。 国会議員や市民運動に関わる人達のなかにもこの拘禁二法案の問題を直接知らない人が増えているように思う。そこでこの法案の問題点をもう一度おさらいをして、現時点における課題を明らかにしておきたい。以下、日弁連の見解に触れた部分もあるが本稿の全体は私見をまとめたものであることを最初にお断りしておきたい。

拘禁二法案問題の簡単な経緯

1975年9月 日弁連「刑事拘禁法要綱」提案
1976年3月 法務大臣、法制審議会に監獄法改正を諮問
1980年11月 法制審「監獄法改正の骨子となる要綱」答申
1982年4月 政府、拘禁二法案を国会提出
1983年11月 衆議院解散に伴い廃案
1987年4月 政府、拘禁二法案を一部修正の上再提出
1988年7月 規約人権委員会、代用監獄などについて勧告
1988年12月 法案の実質審議行われる
1988年12月 「国連被拘禁者保護原則」採択
1990年1月 衆議院解散により廃案
1991年2月 アムネスティ・インターナショナル勧告
1991年4月 政府、1987年と同一法案を三度国会に提出
1992年2月 日弁連「刑事処遇法案」「拘置所増設プラン」を発表。三度衆議院解散により廃案

代用監獄を恒久化する刑事施設法案
代用性を否定する留置施設法案

 拘禁二法案の最大の問題点は、代用監獄制度を恒久化し、さらにこの制度を原則的な未決拘禁制度としようとすることにある。日本では警察に逮捕された被疑者が23日間も警察留置場内に拘禁され、その間捜査機関の取調を受ける。このような制度は世界中を捜してもほとんど類例を発見することのできない極めて異常な制度である。警察が逮捕後の被疑者の身柄を管理する時間は1日程度が標準であり、どんなに長くても2、3日を超えることはない。1908年に制定された現在の監獄法でもこのような警察留置場の用い方は例外とされ、近い将来に廃止することを約束していた。法制審議会の要綱においても、代用監獄に収容する場合を少なくしていくことは付則で合意されていた。国際人権規約に基づいて設立された規約人権委員会は、98年の勧告においてもこの代用監獄による人権侵害の危険性を厳しく指摘している。代用監獄の廃止は監獄法改正の最も重大な課題なのである。にもかかわらず刑事施設法案は法制審要綱すら無視して代用監獄制度を恒久化し、さらに、警察庁が提案している留置施設法案では被疑者については代用監獄制度を原則的な未決拘禁制度として、代用監獄の「代用性」そのものを否定しようとしている。 このような日弁連などからの批判に対して警察は警察署内部における捜査部門と身柄拘禁部門の分離を行ったので人権侵害の危険性はないなどと反論している。しかし、警察による取調が23日間もの長期にわたって継続できること自体に人権侵害の危険性が存在し、このような分離の後も、代用監獄における自白の強要を原因とする冤罪事件は多数に上っていることからも、反論には根拠がない。

法制審議会の要綱すら無視した法案
平野龍一法制審監獄法部会長も批判

 日弁連はこの法制審に委員、幹事を派遣してその改正案作りに意見を述べた。日弁連としては不満な点もあり、この要綱案自体に対する意見書をまとめている。しかし、政府案が法制審の要綱を忠実に法案化したものであればこれほどの大きな反発はなかったかも知れない。しかし、実際政府案はこの要綱から百数十ヶ所にわたって変更され、その変更点のことごとくが施設当局の権限を強め、被拘禁者の人権保障を弱めるものだったのである。当時法制審の監獄法部会長であった平野龍一教授自らが「残念ながらこの『法案』が『要綱』を忠実に条文化したものであるかには疑問がある。」「加えられた微妙な変更の中には『要綱』の基本的な考え方に触れる部分もある。」と厳しく批判している(平野龍一「刑事施設法案の諸問題」法学協会一〇〇周年記念論文集二巻)。このことからも、法案をめぐる混乱が留置施設法案の提案、法制審答申の無視という信じられない暴挙によることが理解されるだろう。

規律秩序偏重の政府案 バランスのとれた日弁連案

拘禁二法案のもう一つの大きな問題点は現在の刑務所における規律秩序偏重、受刑者の自主性を無視した行刑政策を法律的に合法化してしまうことである。このことはもう少し具体例に則して丁寧に説明する必要があるだろう。
我々が日本における刑事拘禁制度の大きな問題点と考えている独居拘禁制度について、政府案と日弁連案を比較してみよう。拘禁二法案はこれを「隔離」という形で法定している。その要件は「他の被収容者と接触することにより刑事施設の規律と秩序を害するおそれがあるとき」としている。しかも、隔離期間は1ヶ月毎に更新するとしているものの、その更新回数には制限がない。現在刑務所当局に対して裁判を提起している被拘禁者は、ほとんど例外なく独居拘禁とされている。このような漠然とした規定では現状の処遇は完全に合法とされてしまうだろう。
 日弁連案では「他の受刑者と接触することにより刑事施設の規律秩序を害することが明白で、他に避ける方法がないとき」にはじめてこのような処遇が認められるとしている。独居拘禁が被拘禁者の心身に及ぼす影響を考えればこのような限定は極めて合理的なものである。 このような考え方の違いは、どのような範囲で手紙の検閲を認めるか、どのような人と面会を認めるか、懲罰の手続で被拘禁者の権利をどの程度保障するか、革手錠のような残虐な戒具を認めるかなど、拘禁施設内の生活のあらゆる場面での処遇のあり方についての意見の対立となってあらわれる。そして、政府案に従えば、施設当局には広範な裁量権が認められ、被拘禁者にはほとんど権利らしい権利は保障されないこととなるのである。

対立の根本は人間観 受刑者の自主性の捉え方

 このような対立の根本には次のような人間観の違いがあるように思われる。
政府案では刑務作業だけでなく、教育や生活指導も強制できるとしている。被拘禁者を、自主性を持った独立の人間としてではなく、起床から就寝までのあらゆる生活を細かな規則によって規律しなければならない者の集団と考えているようである。これに対して日弁連は受刑者処遇の原則を「受刑者の処遇は、受刑者の人間としての尊厳を尊重し、個々の受刑者の資質及び環境に応じて、その自覚に訴え、社会復帰の意欲を喚起し、社会生活に適応する能力をかん養するように行うものとする。」として、刑務作業以外の処遇は本人の希望に従って実施するものとした。強制された教育より、自ら選択した教育の方が身に付くという常識的な観点から日弁連の考え方は出発しているのである。

内心の自由まで否定する拘禁二法案
死刑確定者の処遇をめぐって

 この点のさらに重要な問題点は死刑確定者の処遇の問題点である。現行監獄法は死刑確定者の処遇は未決に準ずるものとし、1960年代までは誰とでも面会、手紙のやりとりが認められていた。ところが、1963年通達によって「心情の安定を害するおそれのある場合」には外部交通を制限できるものとした。さらに、法案では死刑確定者の外部との面会、通信について「死刑確定者の心情の安定に資すると認められる者その他刑事施設の長が相当と認める者」に限定した。心情安定を害する者でなくとも、これに「資する」者でなくては面会も手紙も認めないというのであるから、通達よりもいっそう制限的である。再審請求を支援するような友人、NGOメンバーは「死を受け入れる心情の安定に資する」とは到底認められないから、外部交通は認められないであろう。日弁連は現行監獄法の原則通り、未決被拘禁者と同様の処遇を保障すべきだとしている。
死刑確定者が友人とも面会通信ができないという問題点は1993年、1998年の規約人権委員会の勧告で、明らかに規約違反と指摘された。拘禁二法案を再提出するということは代用監獄だけでなく、この死刑確定者の処遇の問題についても、規約人権委員会への挑戦ということとなる。

政府案は国際人権基準を充足しておらず、その再提出は規約人権委員会への挑戦である

 冒頭に掲げた経過から明らかなように、法制審議会の要綱が議論されていたのはもう20年以上も前のこととなる。その後世界の行刑制度は大きく進歩し、国際人権基準も幅広いものとなった。法制審議会の答申がなされた1980年以降に採択された被拘禁者の人権に関連する国際人権基準を挙げると次のようなものがある。

1982年12月 国連「拷問等から被拘禁者を保護する医療倫理原則」
1984年5月 国連「死刑に直面している者の権利の保護を確保する保障規定」
1984年12月 国連「拷問等禁止条約」(1999年7月、日本国批准)
1985年12月 国連「司法部の独立に関する基本原則」
1987年   欧州評議会「ヨーロッパ刑事施設規則」
1987年11月 欧州評議会「拷問等防止ヨーロッパ条約」(ロシア・東欧を含む40ヶ国が既に批准)
1988年12月 国連「被拘禁者保護原則」
1989年12月 国連「死刑廃止国際条約」(自由権規約第二選択議定書)
1990年12月 国連「社会内処遇のための国連最低基準規則(東京規則)」
1990年12月 国連「被拘禁者の処遇に関する基本原則宣言」
1990年12月 国連「弁護士の役割に関する基本原則」
1992年10月 欧州評議会「ヨーロッパ・コミュニティ・サンクション・アンド・メジャーズ」

1998年4月 欧州評議会「監獄におけるヘルス・ケアの倫理的・組織的側面に関する勧告」  拘禁二法案はこのようなめざましい国際人権基準の発展を全く反映していない。20年経っても国会を通らなかった問題のある法案を少しぐらい手直しをしたとしても実のある修正は不可能である。もし、政府が真に21世紀にふさわしい監獄法改正を考えるのであれば、まず二法案の国会提出を断念し、この間の国際人権基準や各国の先進的な実践例に学び法案を根本から作り直す作業を開始すべきである。そのためには法律家が集まり、落ち着いて議論のできる法務大臣の諮問機関である法制審議会に再度監獄法の全面改正を諮問し直すべきである。強い反対で3たび廃案となった法案を押し通そうとすることはさらなる混乱を生み出すだけである。

施設当局から独立した権利救済機関の設立こそ急務

 拘禁制度の適正な運用のためには施設の透明化と情報公開がどうしても必要である。日弁連は長らく「第三者機関」の設立を求めてきた。しかし、政府案ではこのような機関の設立は全く予定されていない。  このような第三者的な監督制度は様々な形態のものが実施されている。例えばイギリスには矯正局からは独立した刑務所査察官制度、刑務所オンブズマン制度、さらには地域代表による訪問者委員会などの重層的な監督制度が作られている。また、ヨーロッパには定期的にもしくは臨時に刑事拘禁施設、警察署、精神病院、入管収容施設を訪問して、被拘禁者と立会なしで面会したり、内部の書類のチェックもできる「ヨーロッパ拷問防止委員会」があり、現実にトルコで拷問が行われている施設を調査によって明らかにしたこともある。 このような国内的、国際的な独立機関による監視、権利救済は、密室で、人権侵害が表面化しにくい拘禁施設における人権保護のシステムとしては非常に優れている。  1998年11月の規約人権委員会の最終見解では委員会は、実効性のある、政府から独立した国内人権救済機関の設立を勧告した(最終見解9項)。また、委員会は、最終見解10項で、とりわけ警察や入管職員による虐待についての調査救済機関の「速やかな」設置を求めている。審査では、非常に多くの委員からこのような機関の欠如が指摘された。代用監獄、入管収容施設、刑務所などの拘禁施設内における暴行事件の救済にとっては、証拠の収集・保全が非常に困難であるという観点からも、また被害者の簡易迅速な救済という観点からも、このような機関の必要性は高い。このような機関の設立こそが、わが国における被拘禁者の人権保障にとって最も緊急性のある改善点なのである。

拘禁二法案の再提出に反対する

 私達は現在の監獄法は国際人権基準に従って全面的に改正する必要があると考える。しかし、拘禁二法案はこの間の国際人権基準のめざましい発展を全く反映しておらず、これに逆行するものである。その再提出には、絶対反対である。もし、監獄法の全面改正について合意を得ることが難しいのであれば、1998年11月の規約人権委員会の指摘に従って などの緊急を要する改善点に絞って改正を行い、その上で改善の動向を見て全面的な改正について法制審議会に再諮問したり、法務省と日弁連や人権団体等が話し合うことも可能であろう。これは我々が規約人権委員会の勧告を受けて行おうとしていた活動の内容でもある。拘禁二法案の再提出にはあくまで反対し、規約人権委員会の勧告を実質化するような監獄法の部分改正を求め、状況によって国際的な人権基準にかなった監獄法の全面改正を実現するというのが、今のところ私の考える方向性である。会員の皆さんの忌憚のないご意見をお寄せ下さい。