sinno report

新人弁護士監獄人権訴訟受任体験記

秦 雅子(第二東京弁護士会)


 監獄のことを何にも知らないままはまっていった私の体験がこれからCPRに参加してくれるであろう新人弁護士さんたちの何らかの資料になればと思って書きつらねました。

原告からの手紙−初めての面会

1、4月9日
 出勤2日目。前日は新宿御苑で花見などして優雅に弁護士生活をスタートしていた。と、事務所で隣の席に座っている海渡弁護士から、「しんのさん、こんな、手紙が来たよ。」日弁連に宛たマラ氏の手紙が日弁連から海渡弁護士あてにファックスされてきていた。
 手紙を読むと、具体的な事実は挙げられていないが、刑務所での不当な取扱いに関し訴えを提起したいとの内容。こんな手紙を書いて来るなんて余程の思いが…、などと思っていると「今日時間ある? とにかく府中刑務所にいって話を聞いてこよう」。弁護修習で接見に連れていってもらっていたノリで「はい!」と答えていた。

2、府中刑務所では、
事前に電話をし、ファックスで面会の申し入れもしていったのに、日弁連からのファックスを見せろといわれたりして、2時間近く待たされ、立会が2人も入った。当局の緊張感が肌で感じられ、ちょっと興奮した。  待ち時間2時間の間に、海渡弁護士から監獄についてレクチャーを受けた。知らないことばかり。
 面会では、委任の意思を確認し、CPRのことを説明した。彼からは、アメリカ大使館に詳細な事実を書いた手紙を出していることなどを聞いた。事実を詳細に聞き出す時間などなく、委任状を送ることを約束し、彼に事実を詳細に述べた手紙を出してくれるよう頼んで30分が過ぎた。

3、翌朝事務所にいくと、
海渡弁護士からのFAXが私の机の上に。委任状に添えて送るマラ氏宛の手紙だった。「凄いなあ。迅速な対応!」と感動していると、「これを英訳して送っておいて」とのこと??!。CPRの阿部さんにすがる思いで(初めて)電話をして、励ましを頂いて、起案し、添削して頂いて、やっとのことで翌11日に発送。ふー。

弁護団の形成

 私が英訳にひーふーいっている間に、すでに海渡弁護士は弁護士紹介の要請の連絡をしていた。48期(私と同期で新人の弁護士)の野口弁護士と殷弁護士に加わってもらうこととなった。いずれも怖い物知らずの新人。面会の帰りに府中の駅前の青汁スタンドでケールジュースを飲んでしまうような面々である。

二度目の面会−面会拒絶

 4月15日、野口弁護士と私だけで面会に。野口弁護士は、海渡弁護士の復代理とするなど念を入れ、しかも前日にFAXをいれた。しかし、復代理ってなんだという質問をされたりして、2時間待たされた挙句に面会拒絶。理由はこちらからの委任状は刑務所に着いているが、手続きに時間が掛かってまだ本人に渡していない、本人がサインした委任状がないから委任を受けていないのだ、と全く筋の通らないもの。
 すでに口頭で委任を受けている旨伝えたが全く受け入れられず。あまりの不当さに唖然。……とりあえず来たことが伝わるよう二人の名刺を差し入れた。(本人には届いていない模様。)

その後の面会−立ち会いへの抗議

その後委任状を得てから面会拒絶はないが、日増しに立会がいることに対する憤りがつのっていく。以後、面会申込書に立会なき面会を求める旨記載しているが、「法律ですから」という答えのみ。私達は立会の刑務官にも直接訴えた。と、「命令に従ってここにいるので何ともしようがない。上に言って下さい。」という応答。「立場上無理かもしれないが、考えてみて下さい。サッカーの試合で作戦会議に相手方の人がいるようなものではないですか。」とは野口弁護士の言葉。
 時間については徳島の判決のお陰で、原則30分にお願いしますとはいわれるが、事実上2時間近く面会できている。……それでも、新人弁護士ばかりであるし、原告は厳正独居で、たくさん話をしたがるし、なかなか詳細な事実が聞き出せず、苦労した。
 なお、面会、通信への妨害に対して、手紙の送着信手続の大幅な遅滞等とも合わせて、その後、刑務所長宛内容証明郵便を出した。

アメリカ大使館との交渉

 マラ氏と面会した後、私達は、原告が詳細な事実を記して書いたという8通の手紙を見せて欲しい、そして領事の方針を聞きたいとアメリカ大使館に問い合わせた。
 個人のファイルだから、プライバシーの関係等で本人のサインした承諾書、さらには政府の許可もいるとのことであったが、6月初旬には無事入手した。
 その間、領事が直接話をしたいとのことで、これは大変、と海渡弁護士にご登場頂いて、一緒に訪問したこともあった。資料も見ずに、体から溢れてくるようにこれまでの監獄訴訟の経過、CPRの活動、米国務省の人権報告書の日本の監獄に関する指摘部分の内容、及び、今回の訴訟にとって手紙がいかに重要かを説明する海渡弁護士に感服して隣に座っていた。
 領事自身はとても好意的であった。特に細かい規則への違反により懲罰が課されていることにつき、これらを“Silly Rules”(あほらしい規則)と言及していた。海渡弁護士と気分良く帰路に。
 現在、領事としての対処の方針、これまでの対応を聞きたいので質問状をFAXしているが、領事は夏は2ヵ月間アメリカに帰ってしまうとのことで、返事はまだ。なかなか積極的に動いてもらえない。これからに期待。

訴え提起と記者会見

1、6月には、海渡弁護士にお尻を叩いて頂いて訴状を完成、何とか訴え提起にこぎつけた。

2、原告は戦略家であり、提訴による解決にはもともと限界を感じており、外国のマスコミによる圧力を望んでいた。
 そこで、提訴に当たっての記者会見の前に海渡弁護士はアメリカの新聞社と接触した。アメリカの新聞が取り上げることにより日本の新聞にもプレッシャーを掛けてくれることを期待した。(記者会見には、結局10社以上集まったが、記事に取り上げた日本のプレスは7月3日付毎日新聞と7月5日付法律新聞だけであった。外国のプレスは5社ほど取り上げてくれた。遅れて7月20日付朝日新聞夕刊のコラム「窓」にも掲載された。)

3、プレスリリースが各社に送付されたあと記者会見の翌日まで、記者からの質問の電話の対応に追われた。これは非常に勉強になった。忙しくて事務所にほとんどいない海渡弁護士の代わりに、監獄のシステムから、これまでの監獄訴訟の傾向まで、新米なのにそんなそぶりも見せずに(?)質問に答えなければならず、緊張して監獄の勉強をした。

4、記者会見では、場所取りからプレスリリース完成と送付、各NGOとの連絡等々まで、またまたCPRの力強いメンバーが暗躍。記者会見を決定した週が明けると、かっこいい書式のプレスリリースが英語、日本語ともに揃っており、そこにはなんとHRWの声明までついていた。オソルベシ。オソルベシ。7月2日の記者会見も昼間なのにメンバーがぞくぞく集結。部屋の準備から記者に紛れての質問まで…。本当に心強い限りです。

今後のこと

 第1回公判は、9月20日午前11時から、東京地方裁判所第511号法廷。その前に、府中刑務所訴訟担当弁護団で集まって諸先輩の知識を伝授して頂く予定。
 事実・証拠の収集に力を注いでいくのと並行して、現在の処遇が刑罰の目的を越えた人権侵害であることを説得できるようになるために「行刑」や刑事政策、そして国際人権法の勉強も……。