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徳島刑務所をめぐって

受刑者の接見交通権と国際人権法−徳島地裁受刑者接見訴訟判決の意義

北村 泰三 (熊本大学法学部)


 徳島地裁は、さる3月15日の判決において受刑者と弁護士との接見を妨害した刑務所側の措置が裁判を受ける権利を保障する市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)14条1項との関係において違法性を免れないという画期的な判断を下した。本判決の意義については金子武嗣弁護士が言及しているが、私は、金子弁護士らの依頼を受けて本件に関して証人として出廷し、特に国際人権法の観点から証言を求められた経緯があるので、この場を借りて本件判決の意義を確認し、問題を整理してみたいと思う。
 同判決は、国際人権法のわが国における適用に当たって、次の三つの点について重要な判断を示している。第一は、自由権規約の14条の直接適用性を明示的に承認する際に、直接適用性の判断基準を示している点である。第二は、規約の実体条項の解釈の方法に関して国際法に基づく議論を展開している点である。第三は、受刑者の権利に関する刑務所側の裁量的判断も国際人権規約に一致しなければならないとしている点である。

 第一点について、自由権規約委員会に対するわが国の報告書では、規約の直接適用性を認めてきたが、これに反して本件を含む最近の裁判例では国側はさしたる理由を示すことなく自由権規約の直接適用性を否定する傾向が強くみられる。その一因は、裁判所が規約の直接適用性について明示的な判断を示してこなかったことにあるともいえる。従来のわが国の判決で自由権規約の直接適用性を明示的に認めた例としては、僅かに京都指紋押捺拒否事件に関する大阪高裁判決(平成6年10月28日)などの例がある。しかし同判決にしても、B規約はその内容に鑑みると原則として自力執行的性格を有し、国内での直接適用が可能であると解せられると述べるに留まり、自力執行性の具体的な判断基準については何も触れていない。
 今回の判決はきわめて分かり易く自力執行性の基準を述べている。すなわち、まず条約及び確立された国際法規の誠実な遵守を必要とすると定める憲法98条2項は、「特段の立法措置を待つまでもなく国内法関係に適用され、かつ、条約が一般の法律に優位する効力を有することを定めている」とする。ただし、わが国が締結した条約のすべてが右の効力を有するものではなく、「抽象的・一般的な原則あるいは政治的な義務の宣言にとどまるものであるような場合には、それを具体化する立法措置が当然に必要になる。」その点、「B規約は自由権的な基本権を内容とし、当該権利が人類社会のすべての構成員によって享受されるべきであるという規定形式を採用しているものであり、このような自由権規定としての性格と規定形式からすれば、これが抽象的・一般的な原則等の宣言にとどまるとは解されず、したがって、国内法としての直接的効力、しかも法律に優位する効力を有するものというべきである。」とする。要するに判決がここで言っているのは、直接適用性の判断基準としての「保護される権利の性質」及び「具体性の基準」に他ならない。この基準自体は、直接適用性の基準としては学説も指摘するところであって、おおむね妥当なものである。

 第二に、わが国も批准している「条約法に関するウィーン条約」がB規約の解釈に際しても指針となるべきことを認めたことの意義について付言する。ウィーン条約を踏まえた解釈を展開している例としては崔善愛事件判決(福岡高裁平成6年5月13日判決)判決や前述の京都指紋押捺拒否事件などがある。これらが外国人の権利に関する事件であったのに対して、規約14条という一般的な規定の解釈についても、条約解釈の基本的ルールに従って解釈すべきことを認めている。また、今回の判決では、ヨーロッパ人権条約の解釈も全く同一の解釈が妥当するとまでは断定できないが、「一定の比重」を有することを認めている。実は、ヨーロッパ人権条約上の判決として、本件の事実関係とうりふたつのゴルダー対英国事件というヨーロッパ人権裁判所の古典的な判例があった。それによれば民事訴訟を提起するために弁護士との接見を妨げた英国の監獄制度が同条約に違反するとの認定をうけているのである。B規約とヨーロッパ人権条約との類似性からみても、本件で同様の結論が支持される所以があった。確かに、ヨーロッパ人権条約の判決が自動的に国際人権規約の解釈に応用できる訳ではないが、規約解釈の一環としてヨーロッパ人権条約の豊富な判例に一定の考慮を示した姿勢は評価できる。

 第三点については、従来より、監獄行政については刑務所側の裁量を広く認め受刑者の権利については狭く解する傾向が覗われるところであるが、B規約が自由裁量を制約する根拠に挙げられているところに意義がある。すなわち、「B規約14条1項は、そのコロラリーとして受刑者が民事事件の訴訟代理人たる弁護士と接見する権利をも保障していると解するのが相当であり、接見時間及び刑務官立会いの許否についてはなお一義的に明確とはいえないにしても、当該民事事件の相談、打合わせに支障をきたすような接見に対する制限は許されないというべきである。したがって、監獄法及び同施行規則の接見に関する条項も右B規約14条1項の趣旨に反する場合、当該部分は無効といわなければらない。」という判断に至っている。判決は、法並びに規則が規約に照らして無効であるとの判断を示したわけではないが、B規約14条1項及び憲法の趣旨並びに接見の権利の重要性に鑑みて、全くの自由裁量ではなく、特段の事情がないのに接見を拒否することは裁量権の範囲を逸脱し違法となると解すべきである、と述べる。本件判決は、行刑密行主義の下に「塀のなかのできごと」とされてきた事例も国際人権法との両立性の視点から検討を促すものともいえよう。
 判決は、原告側が主張した接見時の刑務官の立会いを義務づける監獄法施行規則の違法性については十分な判断を示していない。しかし、法及び規則が国際人権法の基準からみて改められるべき点が多数あることを司法判断においても指摘したものといえよう。換言すれば、本件判決は、一国の行刑制度に基づく受刑者の処遇も国際人権法に照らして一定の根拠がなければ、その合法性を獲得し、維持し得ないということを確認するものである。
 最近の拙書『国際人権と刑事拘禁』(日本評論社、本年2月刊)でも詳しく触れているように、イギリスの近年の監獄改革は、ゴルダー事件に始まる一連のヨーロッパ人権条約上の判例に強く影響されたものであった。同様に、わが国の監獄改革においてもB規約等の国際人権法が一つの契機を与えうるものである。その意味で本件は、第一審の判断とはいえ、わが国の監獄改革の将来的方向を探る上で、国際人権法に一定の根拠を認めたものであるといえよう。今後も、さらに議論を深める必要がある。