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千葉拘置場暴行国賠事件について

四宮 啓(千葉県弁護士会)


事案の概要

千葉拘置場に未決拘留されていたA氏は、持病の糖尿病のため、同拘置場の病舎に収容されていました。
1993年8月30日午前8時40分頃、A氏が病室のベッドで寝ていたところ、頭を向ける方向が定められている方向と逆であったため、職員某が「何だその態度は。ちゃんとした方向を向け。」とA氏に注意しました。その注意に対してA氏が「わかったよ」と答え、頭の方向を指示通り変えようとして身を起こしたところ、A氏の返答に激怒した同職員が「抗弁!」と大声をあげ、他の職員を呼びました。A氏は駆けつけた数人の職員に押さえ付けられ、取調室へ連れていかれました。
取調室でA氏は、その場で職員から「起立!」と号令をかけられ、その命令に従って直立不動の姿勢をとろうとしましたが、身体的ハンディキャップのために指を真っ直ぐに伸ばすことができませんでした。これを見た職員某は、「もっと指を伸ばせ」と命令し、A氏の左手をねじり上げました。この暴行に対してA氏が「何もしていないのになぜ殴るのですか」と返答すると、同職員は再び「抗弁!」と言って、同室にいた10数人の職員が、手をねじり上げる、蹴るなどの暴行をA氏に加えました。
更にその後、職員10名程がA氏を鎮静房に連れていき、A氏の衣服を破いた上、手錠、革手錠をかけ、腰部には拘束具をはめました。そして、A氏の頭を、靴を履いたままでコンクリートの床に押し付け、前額部挫傷の傷害を与えました。その上で、左手を背部にねじり上げるなどの暴行を加えました。その結果、A氏は、前額部挫傷、左前腕部挫傷、右上腕部内側および右ふくらはぎに痣を生ずるなどの傷害を負いました。

裁判の経緯

お気づきのように、本件は1993年8月に起きた事件です。本件は、まさに事件が起こっているときに、たまたま国選弁護人の私が接見に行き、発覚したもので、早速証拠保全の申し立てをし、その結果、「A氏の身体。拘置所保管にかかる衣服(事件当時A氏が着用していたもの)。当日の診療録、諸検査記録、レントゲン写真等、診療に関して作成された一切の文書及び写真」を保全するとの決定を得ました。そして同年9月3日に証拠保全として身体、衣服、診療録、レントゲン写真の検証が千葉拘置場で行われました。
そして同年10月21日にA氏が刑の執行のため府中刑務所に収容された後に、国家賠償訴訟の提起と関係者の刑事告訴をいたしました。ところが、その後、A氏からの面会要請があり、府中刑務所に赴きますと、国賠と告訴を取り下げてほしい、というのです。面会には職員の立会があるため、A氏は「今は話せない。つらい。察してほしい。」と言うだけでした。やむなく、A氏の希望に従って、国賠と告訴を取り下げました。
その後、時間が経ち、1996年の2月になって、A氏から連絡が入り、「出所したが本件はもうだめか?」というのです。まだ時効が完成していないことを告げると、再度国賠訴訟を提起してほしい、との希望でした。そこで、本年3月7日、改めて訴訟を提起したものです。
第1回口頭弁論は4月15日に開かれましたが、まだ被告国側の事実の認否も行われていない段階です(千葉地裁民事第2部A合議係に係属)。次回期日は6月24日(月)午後1時10分、場所は第505号法廷です。

事件の背景など

本件は、先程述べましたように、暴行時にたまたま弁護士が接見に行き、暴行直後の傷害を現認できたこと、病舎に収容されていた被収容者であったので心配があったためか、暴行後医師の診察を受けさせられており、カルテが残されていた、など、事件の発覚と証拠の保全の意味では、おかしな言い方ですが、幸いした点があったと思います。しかし、A氏によれば、このような事件は決して珍しいことではなく、暴行を受けた多くの被収容者は泣き寝入りをせざるを得ないのが実情だ、とのことでした。
また、未決の被収容者が暴行を受けた場合、A氏のようにその後実刑判決を受け、刑務所に収容されますと、刑の執行を受けながら、他方で法務省を相手に裁判を闘うということになり、独房処遇、役務に就かせてもらえないなどの不利益処遇を受けることを覚悟しなければならないようです。A氏が訴訟の取り下げなどをせざるをえなかったのは、このような事情があったようです。
この裁判で、どの程度、以上のような背景を明らかにできるか分かりませんが、できる限り真実に迫りたい、と弁護団では考えています。