HARD TIME

TIME誌 1996年10月28日号

by Frank Gibney jr. and Hiroko Tashiro
translated by IMAI Kyohei


 1993年に、ケビン・ニール・マラが4年半の刑期をつとめるために東京の南西部に ある府中刑務所に送られてきたとき、そこでの規則について、事細かに説明を受けた 。だが、11kgのマリファナを日本に持ち込もうとして逮捕された32歳のアメリカ人で あるマラは、それらの規則については、ほとんど頭に入らなかった。
 ある日、昼食時に彼は目を早く開けすぎた(囚人は、食事の合図があるまで、目を 閉じて座っていなければならない)。 別の時には、看守に向かって小声で不平をも らした。また、今年のはじめのある日、顔を洗うことだけしか許されていない時間に 、髪を水でぬらした。
 マラは、最初の不注意のせいで、2日間にわたって手錠と革ベルトで両腕が動かな いように拘束されることになった。そのせいで食事ができず(看守はスプーンで彼に 食事を与えようとしたが)、用を足すにも、ズボンに入れられた割れ目からするしか なかった。一番最近の事件の後、マラは、2月に日本政府を告訴し、9万ドルの損害 賠償を請求すると声明した。彼の弁護士によれば、この提訴のゆえに、彼は独居拘禁 になって36週目を迎えている。彼の居室は5平方メートルのコンクリートの監房で、 一日のうち8時間は、そこでじっと座って紙袋を貼る作業をしていなければならない。
 マラのような独房拘禁は、めずらしいことではない。最近マラのために法廷で証言 することになった野村明(仮名)の記憶をたどってみよう。
 野村は、覚醒剤事件で2年間府中にいた。彼はその間に14回独居拘禁の処遇を受け た。それは時には1か月にわたることもあった。また4日間も革ベルトに耐えなけれ ばならなかったことがあり、手ひどく扱われた、と彼は述懐している。いったいどん な違反行為を犯して、彼はこんな目にあったのだろうか?彼は看守に目くばせをした (これは仕事中の囚人には厳しく禁止されている)。水虫になった足を掻いた(囚人 は、いかなる通常と異なった動作も禁じられている)。出役交代の時に、タオルで額 をぬぐった。野村が一番忘れることができない出来事は、4日間にわたって4平方メ ートルほどの「檻」と呼ばれる窓のない木製のしきりの中に動けない状態で閉じこめ られたことだ。横浜の建設労働者は、自分の経験を思い出しながらこう語る。「私は 、隣の房でほかの囚人がうめきながら、痛い、痛い、と哀訴しているのを聞きました」  文明国家だと自負している近代社会にとって、不可解で粗暴な日本の監獄は、不釣 り合いであり、ほとんど中世的時代錯誤と言わざるを得ない。これらの監獄は、1908 年に制定された法律で管理され、きわめて秘密主義的に、官僚が事実上誰からも干渉 されることなく独自の判断だけで取り仕切っている。彼らが何より優先させるのは、 何も起こらないことである。むろん、いくつかの規則のおかげで、結果はすばらしい ものである。日本の刑務所には集団による喧嘩も、暴動も存在しない。収容定員の過 剰もない。なぜなら日本の犯罪発生率は、過去5年間、刑務所の人口を4万6,000人 レベルに抑えているからである。これは国民の総人口比で考えると、10万人に対して 37人の割合となる。ちなみにアメリカは415人、ドイツは75人である。しかし、それ を支えている規律の厳格さのもたらす重圧については、ようやく外に知られ始めたに すぎない。現在、日本の囚人が提訴した100以上の訴訟が進行中である。これはかつ てなかった事態である。そして、外国人による初めての訴訟であるマラの7月2日の 提訴が明らかになってから、野村のような刑務所体験者が口を開き始めた。「マラの 事件は象徴的なことです」明治大学法学部の菊田幸一教授はこう語る。「日本の刑務 所当局が、国際的なスタンダードにもとるようなことをしている限り、こうしたこと は今後もなくなりません。」
 とにかく、日本で法律違反をしでかすということは、手錠をはめられた瞬間から、 悪夢の中に放り込まれるようなことである。たとえば昨年の夏の出来事だが、フラン ス人のビジネスマンがタクシー運転手ととっくみあいをして逮捕されたが、検察が「 捜査」している間、10日間にわたって、東京都内で勾留された。 日本では、起訴前 に23日間もの勾留が認められている。この期間に検察や警察が尋問するが、取り調べ はじつに気まぐれに行われる。昨年、ヒューマンライツウオッチが明らかにした調査 報告によれば被疑者たちは「怒鳴られたり、何日も食事や飲み物を与えられなかった り、決められた位置に長時間ずっと立っていることを強要されたりする。これらが功 を奏さずに自白が得られないときは、取調官たちは暴力をもちいる。」
 起訴後の次のステップは法廷に移るが、ここでは検察官達は自白を最大限に利用す る。そして、有罪率は99.9%にものぼる。「検事は、有罪にできるかどうかしか頭に ないんです」こう語るのは、もと政治活動家で、爆発物所持の罪で12年間岐阜刑務所 に服役し、現在は東京の出版社で営業をしているKSさん「日本では、いったん起訴 されたら、まず有罪は避けられないと考えたほうがよい」。
 そして、いったん有罪となったら、上訴でくつがえる見込みもまずない。上訴で有 罪判決がくつがえる率は2%以下である。また、もし当局を訴えようとでもしようも のなら、報復的ないやがらせが待っていることは、周知の事実である。「多くの囚人 達は、行動を起こす前に、あきらめてしまいます」1984年に雑誌に裁判制度について の論文を発表したイガラシ・フタバは、こう語る。小林(彼は、ファーストネームを 名乗ることをしなかった)は、換気が悪く、暖房もない府中刑務所の独居房に入れら れて、今週でまる2年を迎える。彼は暴行を受け負傷した、として54,000ドルの国家 賠償を求める訴訟を起こしている。この提訴以来、ずっと独居房に入れられているの だ。それだけでなく、小林の弁護士、福島武司によれば府中刑務所当局は、正確なカ ルテの提出も拒んでいる。
 法務省は、なんの不手際もない、と強行に主張している。しかしながら、刑務所長 には大幅な自由裁量が認められている。1908年の監獄法には厳格な処罰基準が定めら れており、それらは現在も生きている、と矯正局の保安スペシャリストであるトヤマ ・ミキオは主張する。「囚人達の取り扱いは、完璧なものです」処罰基準によれば、 独居拘禁を決める前に、囚人が自分で選んだ刑務官を代理人にたてた内部での事情聴 取を必ず行うことになっている。ことに、革ベルトは、「囚人を自傷行為から守る」 ためにのみ使用される、とトヤマは語る。府中刑務所の国際課長・ワタナベコウイチ は、それに加えて、「それが懲罰として使用されているなどと語る者は、嘘をついて いるのだ」とまで語る。しかるに、収容者による告訴の裁判で証言にたったある看守 は、自分が3年間に50回も革ベルトを使用したことを認めている。
 刑務所当局からTIME誌に許されたわずかの取材の機会を通して見ても、府中の 実情は、アルカトラズとはほど遠いものである。日本にある8カ所の主要刑務所の中 でも最大規模をほこる府中刑務所は、23ヘクタールの敷地に広がる、収容棟と、くす んだ企業の建物に似た工場群からなっており、手入れの行き届いた芝生や植栽が、そ れを申し分のないものにしている。しかし、同時に、収容者達2,080人の上には、不 気味な沈黙が覆い被さっている。うだるように暑いある日の午後、私達は皮革工場を 訪れた。そこでは、2人の非武装の看守が、104名の収容者を監視しており、聞こえ るのはただ、ミシンの音だけであった。蒸し暑い真夏であろうと、凍えるような真冬 であろうと、収容者達に許されているのは、上着とズボンだけである。食堂の壁から 監房棟の階段まで、いたるところに10いくつもの言語で、会話禁止という注意書きが 貼られている。また、寝るときの体の位置や、入浴の順番を待つ間にしゃがんでいる 位置などまでが、注意書きになっている。監房の外から聞こえてくるのは、収容者が 軍隊式の行進をさせられている声だけである。
 日本においては、刑務所とは肉体のみならず精神までも閉じこめる場所と考えられ ている。沈黙こそが、武器や家畜を追い立てる棒以上に、効率的な執行手段とみなさ れている。アメリカの刑務所は、暴力や無秩序状態であると思われており、事実収容 者は厳重に監視されてはいるが、それでも日本の囚人達にとっては空想することしか できないような自由を享受している。たとえばもっとも警備の厳しい、カリフォルニ ア州ペリカン・ベイのMaxi-SHU刑務所においてさえ、囚人達は喫煙でき、定期的に運 動をし、読み書きについてもなんの制限もない。府中では、収容者達の犯した犯罪は ずっと軽いものであるにもかかわらず、喫煙は禁止され、ほとんどの収容者は1ヶ月 に本は6冊、手紙は1通しか許可されない。会話も、夕食後の3時間半の間だけ、静 かに行うことしか許されていない。
 こうした中で、日本では囚人の45%が、釈放後に再犯を犯している。日本の矯正制 度は、この国が世界に門戸を開いてからわずか数十年しか経っていないときに作られ たものである。もはや日本は、さらに開かれた国になっている。外国人収容者の数も 、1.5%を占め、1991年から倍以上に増えている。その容疑はほとんど強盗や麻薬密 輸であり、彼らは日本人受刑者よりも、刑務所当局の規律に対してより抵抗を示して いる。48か国、600人の外国人収容者の多くが、日本語を話せない。そして、しだい に忍従よりも規則とたたかうことを選びつつある。刑務所当局者は、コミュニケーシ ョンと文化的同化の問題でしかない、と述べている。だが、看守達さえ、当局の政策 を窮屈に感じ始めている。「いやな思い出しか残っていません」と3代にわたって大 阪刑務所の刑務官を勤め、退職した坂本敏夫は、述懐する。「塀の中では、どんなこ とでも命令してやらせることができたんです。」

 1908年の監獄法を民主化しようとする企ては、警察と刑務所の利害のせいで、とん 挫させられてきた。そして、伝統的に刑務所の運営はmikko-syugi(密行主義)で行 われてきたし、日本のメディアはこの問題を取り上げることを、あきらかに避けてき た。政治家にしても、その点では違いはないように見える。日本には、議会内に刑務 所を監視する組織は存在しないが、二見信明衆議院議員は「死刑廃止を推進する議員 連盟」の事務局長として、刑罰問題を取り上げ続けてきた。だが、刑務所の問題につ いてコメントを求めたさいの彼の回答は、刑務所の問題については何も知らなかった 、しかし、そうした話が真実なら、「我々全員が何かをすべきことだ」というもので あった。
 日弁連の弁護士達は、この問題を取り上げ始めている。発足2年を迎えた監獄人権 センターでは、所属する100人のボランティア弁護士だけでは対応しきれないほど、 多くの事件や訴えを受けている。西洋諸国の大使館は、監獄の改善についての共同の 外交的申し入れについて検討を行っている。この問題がいかに困難であるかは、法廷 にもちこまれたとき、勝利するケースが、きわめて稀であることによって推し量るこ とができる。今年、徳島地裁は弁護士との面会を1回につき30分以上行う、という収 容者の権利を認めた。また、東京高裁は、エジプト人の囚人の医療記録を全面的に提 示するように、東京拘置所に命じた。この囚人は、暴行と、数度にわたる窓のない不 衛生な「懲罰房」への拘禁で、東京拘置所を相手に訴訟をおこしている。
 ケビン・マラの件については、法務省は11月11日までに回答しなければならないの だが、いかなる非も認めない姿勢のようである。「彼は、刑務所の当局者から不当な 扱いを受けた、と訴えているじゃありませんか?」矯正局のトヤマは言う。「そうい うことが絶対に起こり得ないとまでは言いません。しかし、国が法にもとるようなこ とをするとは考えにくいです。法廷でも、そうした主張で臨むつもりです」。
 当局が何と言おうと、マラのような囚人の訴えが続いているかぎり、日本の刑務官 達こそ、囚人同様監獄に閉じこめておかなければならない、とすら思えてくるではな いか。

●写真キャプション

【沈黙の掟:府中刑務所内の皮革工場で監視する看守たち。囚人たちは話をすること を一切禁じられている】

【整頓された監房:事細かな点まで、決められたとおりに整頓しておかないと、厳罰 に処せられる】

【清潔で快適:入浴は、府中刑務所の厳しい規律にほんの少しふれただけで、簡単に 囚人から取り上げられる特権である】