会報1号(2002.11.17発行)

コスタリカ平和の会の皆様、お待たせしました。会報第1号をお届けいたします。第1号では、10月24日から来日されたコスタリカのトップレディー・元大統領夫人のカレン・オルセンさんの特集を組みました。平和のメッセージを聞いた方々の感想文を掲載しております。また、8月10日から11日にかけて開催いたしましたコスタリカ合宿@伊豆の様子もご紹介したいと思います。大阪経済法科大学の澤野義一教授を講師に招いて、「永世中立国の安全保障と有事法制」と題する講演会を行ないました。第1号からかなり分量の多いものになってしまいました。その分、読み応えがあると思います。コスタリカたっぷりの会報をどうぞご賞味ください。

<カレン・オルセンさん来日日程>

詳しくは<カレン・オルセンさんのページ>をご覧下さい。

10月24日(木)来日。
 池田真規弁護士など6人の出迎えを受ける。当日は空港が大混雑していて、入国手続きに手間取ったが、元気一杯なお顔を見せる。第一声は「私は仕事をするために日本に来ました。みなさんと共同の作業をしましょう」。

10月26日(土)沖縄;平和の礎、沖縄県平和祈念資料館を見学。
 平和の礎の前で感無量。記者会見にのぞみ、沖縄戦の実態にふれ、ショックをうけ、胸がつまって直ぐには、言葉が出無い様子。

10月27日(日)沖縄;講演会(那覇市)。米軍基地などを視察
 講演会では会場にあふれんばかりに450名もの人たちが、カレンさんの講演を熱心に受け取り、質疑応答にいくら時間があっても足りないほどであった。

10月28日(月)沖縄;首里城などを見学

10月29日(月)東京;「コスタリカに学んで平和をつくる会」夕食会

10月30日(水)東京;原爆被爆者との懇談会

10月31日(木)東京;「コスタリカ平和の会」夕食会

11月02日(土)東京;学生対話集会(国立市・一橋大学祭)
 一橋大学の学園祭「一橋祭」に招かれて、学生や市民との対話集会に。250人をこえる学生や市民の熱気に話しかけられた。集会のあとは、一橋祭を回って大はしゃぎ。

11月03日(日)東京;子ども&市民対話集会。慰労会
 集会には500人を超える人々が参集し、カレンさんの元気を取り入れて、世界平和に向けて活動を始めようという気概が溢れていた。慰労会では、カレンさんの大活躍に対して、お礼と慰労のためのはずだったが、実際には、カレンさんに元気をつけてもらったことになってしまった。

11月04日(月)京都;「コスタリカ・キネマ・カフェ」で挨拶

11月05日(火)京都;二条城などを見学

11月06日(水)帰国
 京都から成田を経由して無事に帰国された。このあと、一週間もたたないうちに公式行事が控えているに・・・敬服するしかありません。


[カレンさんとの集会に出席した3人の感想文を掲載します]

カレンさんのお話を聞いて:コスタリカは希望の星

 世界を見れば、相変わらずアフガニスタンではアメリカ軍による武力攻撃が続き、イスラエルによるパレスチナへの武力弾圧が続き、チエチェンヘのロシア軍による武力制圧が続き、アメリカのイラクへの武力攻撃がいつ始まるが分からない、といった国際情勢・・・。
 国内を見れば、拉致問題が変な方向へいき、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国交正常化交渉は暗礁に乗り上げたような気配だし、各地で米軍と自衛隊との合同演習が行われ、海上では、自衛艦による実弾演習が至る所で繰り返されている。個人情報保護法案や有事3法案もこの臨時国会にまた出されてくるだろうし、盗聴法は成立してしまったし、住基ネットは動き出したし・・・おまけに、自分の暮らしを思ってみても、この先日本の社会はどうなるのか、安心して豊がな老後を迎えるなんてとてもできそうもないし・・・などと暗たんたる気分になってしまう中、コスタリカを知ることができて、とてもよかった。
 日本と同じ頃にできた平和憲法、なのにその後の歩みはまったく違って、コスタリカは日本国憲法の前文にある理念を実現できた国のようだ。なぜこんなに違ってしまったのだろう?なぜあちらには真の民主主義国家ができて、こちらには育たなかったんだろう?私の頭の中はクエッションだらけ。
 実に愚かなこともするし、偉大なこともできる、それが入間。同じ人間だもの、あちらにできて、こちらにできないはずはない。どれ程時間がかかるか分からないけれど、私も自分のできることをコツコツやっていこう、と、希望と元気をコスタリカは与えてくれました。
 カレンさんは、とてもエレガンスな方でした。日本の子ども達との対話という第1部の演出もよかった。第2部のカレンさんの講演の中で、いちばん心にグサッときたのは、「平和とは、存在するものではなく、つくっていくものです」という言葉でした。
 平和な日本をつくっていくためにも、もっとつくっていく過程を聞きたかった。あちらにだって「自分さえ良ければ」という勢力だってあったはず。もっともっとコスタリカのことを知りたい、と思わせてくれる集会でした。
 ただ、11月3日は憲法集会が開かれる日。この日にぶつけなければ、もっと多くの人が来たでしょう。


今回カレンさんと御会いし感じ考えたこと

 2001年9月11日を期に、アメリカの現大統領のブッシュ氏はこう言いました、「私達側に付くのか、テロリスト側に付くのか」。全世界が選択を迫られたように思われました。あの時ボストンに居た私は、これは大変なことになってしまったと思いました。その一年後、12年半の米国留学を終え帰国、ひょんなことでコスタリカの平和主義を学ぶ機会が与えられました。
 1999年、ハーグでの国際平和会議で出会った池田眞規弁護士を初め、私の父、そして多くのコスタリカに興味の有る方々がカレンさんをお招きになり、そのボランティアをしてほしいとの事。正直言って私はコスタリカの事を、(父が行って見た国という以外)何も知りませんでした。そしてカレンさんの来日が近付くにつれ、コスタリカの勉強を始めました。
 今回カレンさんに初めて御会いしました。この機会を通じて色々な人と会い、とても多くのことを学び考えさせられました。今でも印象的なのは、コスタリカには、軍隊が無く永世中立国で有る事、女性議員の席が全ての議会において40%以上有る事、障害者差別に反対の法律が有る事、子供の模擬選挙が有る事、国会議員は一度に一期(4年間)のみしか出来無い事、そして大統領は一期のみ(4年間のみ)しか出来無い事です。ある時、どうしたらこの様な平和的な考えが育つのかという質問に対し、カレンさんはこう答えました、「もし全ての人に本当の平和主義的な考えが植えついているのであれば、更により良い考え、国が生れてくるのは必然的である」。私は途轍もない魅力を、カレンさんとコスタリカに感じました。
 有事法制法案が問題となっている現在の日本は、その民主主義と平和主義(憲法第9条)自体が危うくなっています。今、日本に必要なのはアメリカ側、又はテロリスト側という選択ではなく、真の平和主義への選択だと思います。そういう意味では、今が最高に良いチャンスだと思います。戦後の日本を振り返り、日本は色々な事に目を向けるべきです。例えば、池田弁護士は、日本・韓国・北朝鮮を非核地区にすることが日本の成すべき謝罪であると、バルガス氏は、日本は広島・長崎により世界で最も永世中立国になるべき国であると、書かれています。本当にその通りだと思います。日本は速やかに永世中立宣言をし、自国を含め他のアジア諸国(特に植民地化または侵略した国々)と非核地域条約又は同盟を結び、もう二度と戦争はしないと全世界に宣言すべきです。私は、日本が、自衛隊などというものを捨て、早くコスタリカの様な本当の平和主義国になる事を望みます。カレンさん、どうも有難う。


平和とは生まれるものではなく作るもの

「I hava a dream」と黒人の人権運動に力を尽くしたマーチン・ルーサー・キング牧師は演説しました。ジョン・レノンは「Imagine there‘s no Heaven・・・」―天国なんてないと思ってごらん・・やってみれば簡単なことさ・・君は僕のことを夢想家だと思うかもしれない・・でも僕は一人じゃない・・すべての人々が平和の中で生きているんだと思ってごらん・・・。
 私たちはいつの頃からか夢を見なくなりました。夢や理想を語らなくなってからもう随分時間が経ってしまいました。この世はままならない。生きていくのが精一杯。戦争は一番いやだ!と思っていても、いつもどこかで戦争してる。「殺し合いが仕事」の軍隊なんておかしいのに一向になくならない。どこの国もみんな軍隊を持っている。世の中なんてこんなもんさ・・・。
 ところが、こんな世界で、まして物騒な中南米で軍隊を持ってない国があるなんて。お隣はあのニカラグア。その上にはあのアメリカ。もっと下るとつい最近まで軍事独裁政権だったチリとそうそうたる国(?)が並ぶではありませんか。その中にあって、1948年に軍隊廃止を宣言して以来、軍隊を持たない国が、この地球上に存在するなんて。これはまったく日本国民にとって晴天のヘキレキではなかったでしょうか。
 半世紀前に軍隊廃止を宣言したフィーゲレス大統領夫人カレンさんが日本まで来て下さると言うではありませんか。これはぜひ行ってみなくては。カレンさん自身も国会議員、国連大使、在イスラエル大使、中南米大使を歴任。現在もお元気に活躍中とか。
時は11月3日(日)日本教育会館にて。
 まずはカレンさんと子供たちの対話。
 「今はコスタリカは平和だけど、同じ国民同士で内戦したのは良くないと思います」「僕は日本が好きだなんて考えたことないから、コスタリカの人は自分の国の自慢でいばっているようにおもえるんだけど」「カレンさん、平和の反対語はなんですか」素直な質問がいっぱい。カレンさんはにこにこして答えている。
 そのあとにカレンさんの講演。
軍隊を持たないと宣言してからもたくさんの困難があった。私たちは理想であるかも知れないことに挑戦し続けて来た。50年経って私たちは自分たちのやってきたことに満足している。軍事費を福祉、教育に。中南米の国もコスタリカから学んでいる。私たちは「問題」の中にいるのではなく、「解決」する側にいたい。すぐに解決できなくても日々解決のために行動を。人生の十字路に来たとき、私たちはどんな社会を作りたいと考えているのか。どんな人間を作りたいと考えているのか。そう考えればおのずから道は開ける。平和とは何か。平和の反対語は戦争だけではない。飢餓、貧困、無知、暴力、虐待などたくさんある。平和は生まれるものではない。平和は作りだすものである。平和とは実践。平和とはたえまなく日々実践し続けることである。沖縄でもすばらしい出会いがあった。沖縄の言葉、「ぬちどう宝」。命こそ一番大切なものである。対話を続けよう。平和のために日々行動しよう。
 今も平和のために行動するカレンさん。集会の幕が下りたとき、何とカレンさんはもう舞台から降りてきて、私たちの目の前にいらっしゃるではないか。過密日程でとてもお疲れだと聞くのに、そんな気配はそぶりもなく、参加者と語り合い、励まし合い、握手し、抱擁し、今日参加してくれたことをとても感謝されている。私も思わず、感動の抱擁、チュッ。
 カレンさんの真摯な行動力には本当に敬服。
 軍隊を持たない国コスタリカ。それを日々実践し、行動し続けるカレンさん。夢を持ち、理想を掲げ、それに向かって行動することの大切さをあらためて教えてくれたカレンさんでした。


澤野義一教授講演録(要旨)

永世中立国の安全保障と有事法制

2002年8月10日 コスタリカ平和の会・伊豆合宿にて
澤野義一(さわの・よしかず)
大阪経済法科大学法学部教授

はじめに

 私は、憲法学の中でも「永世中立」について研究をしており、その中で、コスタリカも取上げています。
 私の著作物としては、「永世中立と非武装平和憲法」(大阪経済法科大学出版部)、「非武装中立と平和保障」(青木書店)が参考になると思います。
 さて、産経新聞の佐瀬昌盛教授の記事(2002年8月9日)にもあるとおり、中立政策に対しては、低い評価をする方もおられます。ここでは、東西の冷戦がなくなってからというもの、「中立国」はなくなるという意見が掲載されています。しかし、現実には、モルドバやカンボジア、トルクメニスタンなどの永世中立国はうまれています。
 もっとも、中立国の中でも、これからお話しますとおり、スイスやオーストリアのように伝統的な「武装した」中立国では安全保障政策に関して、限界が見えています。というのも、武装していることによって武力の高度化が進んでいるからです。
 私は、「永世中立」という特色を生かすには、「非武装」という観点が重要だと考えています。この方向での運動は、スイスなどの伝統的永世中立国にもあります。成功している実例として、まさに、皆さんが訪問された中米のコスタリカ共和国があります。現在では、コスタリカは、これからの「中立主義」の有力なモデルとされています。
 日本国憲法9条を考えるときも、この「非武装(永世)中立」という観点が重要であると考えています。不幸にも日本では、周辺事態法やテロ特措法などの法整備が進んでいますが、本当に安全保障を守るために必要な政策は、武装化ではなく、中立政策だろうと思います。
 今日の講演では、「有事法制」についても言及してほしいということでした。スイス・オーストリアのような武装中立国には、有事法制が存在しています。それぞれの国で制度が異なり、まったく同じではありません。しかし、限定された有事法制にとどまっています。コスタリカでは、かつて規定された有事法制が1949年の現行憲法にも残存し、廃止されないまま残っていますが、今日では、運用は全く凍結されています。あたりまえですが、軍隊がなければ、軍事的な有事法制は必要ないのです。

一 永世中立の概念

 「永世中立」概念(意義)としては、以下の3つの義務が考えられます。それは、第1に、戦争を開始しないということです。もっとも、この義務は今日ではすべての国に課された義務です。第2に、軍事同盟を締結しないということ、第3に、外国の軍事基地をおかないという義務が挙げられます。これらは、国際条約に基づくものではありません。歴史的に、スイスがこれまで実行してきたものが、国際的に認められてきたのです。
 ここで注意しておかなければならないのは、「非同盟中立」という概念との相違です。インドなどの「非同盟中立」諸国は、発展途上国を中心に、世界の国の3分の2を占めています。この「非同盟中立」というのは、法的な概念ではなくて、政治的なものです。
 政治的というのは、何を意味するかというと、一つには、一方的に放棄することができるということです。他方で、「永世中立」は法的なものなので、一方的には止めることができません。
 また、「非同盟中立」は、集団的自衛権を認めています。もともと、非同盟中立は、冷戦下の世界において、「米ソのいずれにもつかない」という政治的スタンスを表明したものでした。ですから、非同盟諸国どおしで、軍隊を派遣しあうことはあります。
 ところで、日本国憲法9条については、集団的自衛権は認めないという解釈を取ることができますが、そうすると、憲法9条は、「永世中立」を規定したものと考えることができます。詳しくはまた後で述べます。
 さて、レジュメには、現在の永世中立国を列挙してあります。
 永世中立国を分類すると、1)条約型、2)宣言型、3)国連承認型に分けられます。
 まず、コスタリカについて、お話しましょう。コスタリカでは、1983年に当時のモンヘ大統領が一方的に中立宣言しました。これについては、他国に対して明確に、中立について承認を求めたかどうかについて争いがあります。しかし、私は、法的な意味を持つ中立宣言と考えます。2)の宣言型といえます。
 ところで、アジアの話になりますが、アフガニスタンの北にあるトルクメニスタンは、永世中立国です。これは、国連承認型といいまして、新しいタイプですね。トルクメニスタンは、1995年に国連で永世中立を承認されました。アメリカに対して、アフガン攻撃のための軍事基地提供を拒絶しています。残念ながら、このことについて、大きなマスメディアはほとんど報道していません。
 スイスは、1815年のウィーン会議(パリ条約)で承認された永世中立国です。1)の条約型です。
 かつては、「中立性」と集団安全保障との関係が問題となりましたが、スイスが国連に参加したので、「中立国」においても、集団的安全保障参加型が一般的となりました。コスタリカも米州機構という南北アメリカにおける集団的安全保障の組織に参加しています。
 中立国の安全保障には、「武装中立型」と「非武装中立型」があります。「永世中立国にとっては、武装をすることは義務か?」という議論が従来からありました。かつては、「義務だ」という見解が多かったかもしれませんが、今日では、「非武装」と「永世中立」とは法理論的には両立すると考えられています。永世中立国の安全保障政策は、どのようなものかというと、軍事同盟への協力はしないということをあげることができます。ただし、国連へは一定限度協力します。そのほか、軍縮や人権保障にも協力します。
 「中立国」にも、有事法制はあります。一般的に、「有事法制」には、永世中立国の防衛という目的を掲げています。
 武装永世中立国には有事法制はあるが、非武装永世中立国には有事法制ないはずとも思えます。しかし、意外かもしれませんが、コスタリカにも有事法制はあるのです。もっとも、先にも述べたとおり、運用は凍結されています。

二 武装永世中立国の場合

 中立国の安全保障にかかわって、国際平和協力に参加してもいいのではないかという議論があります。経済制裁については問題がないでしょう。しかし、軍事制裁はできません。
 PKOについては、東西冷戦中は、中立的な軍事活動であるとされ、オーストリア等が積極的に活躍していました。現在では、スイスも含め中立国は、PKFを含むあらゆる国際平和協力隊に参加していく方向です。このことは、確かに、国際法的に見れば矛盾していませんが、政策的には問題があるのではないかと考えています。今日では、従来のPKOの活動原則が形骸化しているからです。
 オーストリアはEUに加盟しています。ただし、中立政策に矛盾しないという留保を付けてですが。これは、法的な矛盾はありません。しかし、オーストリアは、NATO参加へ大きく傾いています。右派政権が進めているのです。もっとも、国民はこのような動きに反対しています。オーストリアは、「平和のためのパートナーシップ」として、ソフトな形でNATOでかかわりを持ちつつありますが、私は、問題であると考えています。
 なお、軍縮については、永世中立国や非同盟諸国は、冷戦中は大きく活躍していました。
 オーストリア憲法には、永世中立に基づく国防方針や国家緊急権が規定されています。
 スイス憲法の場合は、憲法の中には、中立という言葉しかありません。が、永世中立と理解されています。スイスは、常備軍ではない形で軍隊を持っています。「市民兵」の制度ですね。国民には、兵役の義務が課されており、民間防衛が制度化されています。また、スイスでは、包括的な国家緊急権が規定されています。第2次世界大戦までは、これは規定されていませんでした。しかし、第2次世界大戦時に、事実上、超憲法的措置として総動員をかけていたのでした。これは、人権の制限を伴うもので、政府に権限が集中していました。スイスでは、軍事的・政治的・経済的・社会的・心理的防衛についての具体的マニュアルもあります。まさに、有事法制であるといえます。ただし、アメリカ軍の活動への協力のような外国の軍隊への協力法はありません。なぜなら、外国軍隊への協力は中立を危険に陥れるからです。
 ちなみに、日本には、刑法に、「中立危険罪」という罪があります。これにもっと、着目すべきです。中立政策の足がかりになりうるものです。日本で検討されているようなアメリカ軍のための軍事物資の輸出支援のための行為は、永世中立国ではでは犯罪になります。
 ところで、スイスなどの伝統的永世中立国では、軍事費が増大し、軍備が高度化していく傾向にありますが、本当にこれでいいのか、という思いがあります。これは武装永世中立国の限界であると考えています。
 その逆の、「非武装永世中立」を唱える流れが注目されています。これを唱えることで、「中立防衛」を名目にした軍事力増強を防ぐのです。
 非武装中立国における防衛のあり方にはどのようなものがあるでしょうか。一つは、「市民的不服従」というものがあります。「社会的(市民的)防衛論」ともいいます。これは、スイスの民間防衛論とは異なるものです。スイスでは国民がレジスタンスとして戦うものですが、「市民的不服従」は、非暴力的な社会防衛論なのです。歴史的な事実として言えるのですが、武力で抵抗した場合よりは非暴力で抵抗したほうが被害が少ないのです。
 スイスでも軍隊廃止の運動があります。そのための国民投票もありました。この運動にかかわった人たちは、日本国憲法9条を翻訳して、運動に生かしているそうです。
 日本でも、単に平和憲法を守るという平和運動だけではなく、世界各国に、平和憲法の積極的なメッセージを流すという運動を進めていくべきだと思います。

三 非武装永世中立国の場合

 前述したコスタリカの永世中立宣言について、その理論的な性格は、政治的なものか、法的なものか、という議論がなされています。私は、その点について、先日来日されたカルロス・バルガス教授に質問しました。「コスタリカの永世中立宣言は、政治的なものという見解があるが、どう思うか?」との私の質問に、バルガス氏は「法的なものとして捉えている」と答えてくれました。私も、一方的な宣言であっても、それを国家実践で示していれば、信頼の原則によって、法的な効力が生じるものと考えています。法的なものと考えるならば、前述したとおり、コスタリカは、この宣言を一方的に廃棄できないし、他国はそれを尊重しなければなりません。
 ここで、用語の確認をしたいと思います。
 「永世的」というのは、いかなる戦争の場合であっても、中立を守るということです。また、普段から戦争防止に努めるということです。「戦時中立」という概念がありますが、これは、戦争中に中立を守るという概念です。永世中立とは、それだけでは足りず、常に紛争に巻き込まれないようにするということです。
 「積極的」というのは、集団安全保障に加盟することもできるということです。また、普段から、平和と人権保障のために努力するということを意味します。つまり、イデオロギー的に無色であることを意味するものではないのです。民主主義なり、人権保障なり、一定の価値観の下に、それを実現すべく国が行動するということを意味します。難民の受け入れ政策などが代表例です。
 「非武装的」というのは、お分かりのとおり、常備軍を持たないということです。
 「永世的」「積極的」という観点からは、国際平和協力への関与が導かれます。最も有名なのは、コスタリカのアリアス大統領でしょう。かれは、中米における和平交渉の件で、ノーベル平和賞を受賞しています。中米の和平プランへの合意を導いたのですね。現在では、彼の意思は、平和基金としてのアリアス財団に生かされています。
 アリアス大統領は、積極的・永世的・非武装中立というコスタリカモデルを諸外国に紹介して回りました。アフリカや他の中南米諸国からは、コスタリカの平和・教育・福祉などの政策が注目されています。パナマの軍隊廃止にも大きな影響力を及ぼしました。
 アリアス大統領は、「安全保障」という概念はつかわないようです。これは、軍事的な安全保障につながるとの懸念からです。また、アリアス大統領は、軍産複合体を批判し、世界の構造的な暴力を解消したいとも述べています。まさに、対話と交渉による紛争解決を唱えているのです。
 ご承知のとおり、コスタリカ憲法12条では、常備軍を禁止しています。ただし、文言上は、再軍備の余地を残しています。
 コスタリカ憲法を詳細に見ていくと、非軍備が原則ですが、憲法上、国防、緊急事態対処、徴兵などの規定、いわば有事法制規定を残しています。具体的には、例えば、明白な緊急状態が発生した場合には、国会議員の3分の2以上の議決で30日以内において、特定の人権を制限できるとされています。また、大統領の軍事に関する最高指揮権や、国会閉会中の人権制限を設けています。
 そのうえ、80年代以降、警察力が高度化し、アメリカからの援助を受けたことはありました。これは、モンヘ大統領の非武装政策が不徹底だったことにも起因します。しかし、再軍備は行われていませんし、モンヘ大統領の意思を受け継いだ、86年のアリアス大統領以降、非武装永世中立が徹底されました。
 そして、何より重要なことは、コスタリカにおいては、非武装永世中立の実践により、有事法制は凍結されているということです。
 なお、99年に新しい国家緊急事態法が制定されていますが、自然災害への対処などを規定しているものですから、軍事的な有事法制とは関係ありません。

四 日本の平和憲法を考える視点

 日本国憲法を素直に読めば、軍事的な防衛活動はなしえないのが明らかです。その意味では、臨時に予備役を召集できるとするコスタリカ憲法は不徹底な非武装憲法であると評価することもできます。
 そして、コスタリカの有事法制ですが、49年の平和憲法に合わせる形で、有事法制規定も見直すべきだったのではないかとも考えられます。その点でも不徹底であったといえます。
 日本の憲法は、あえて、有事法制・国家緊急権を規定していません。非常に徹底しています。なかには、憲法に書かれなくても、緊急権は観念できるという意見もありますが、日本国憲法は、成文憲法ですから、書かれざる不文の緊急権は存在しないというべきです。
 すでに、日本には、自衛隊法と日米安全保障条約という有事法制があります。今回国会に提出された有事関連3法案だけが有事法制ではないのです。自衛隊法と日米安全保障条約がある限りは、有事法制は必要とされてしまいます。この2つがあることの当然の帰結として、有事法制制定に行き着くのです。
 現在、一部の政治家は、国家緊急権に基づく人権制限を憲法改正なしにやってしまおうとしています。
 憲法学界では、集団的自衛権は認められないという解釈が有力です。日本国憲法の帰結として、軍事同盟を締結しない、他国の戦争に関与しないというのは当然導けます。そして、このような考え方は、まさに、「永世中立」の考え方と一致しています。つまり、「非武装中立政策」は、憲法が求めているものであると言えるのです。
 みなさんに覚えておいていただきたいのは、「非武装永世中立」という考え方は、日本が先駆的であったということです。
 多くの学者が、50年代から、非武装中立理論を主張してきました。しかし、東西冷戦の影響があって、その研究や主張は残念ながら下火になりました。国際法学者も研究しなくなってしまいました。
 これからの課題は、日本において、中立政策を採る政府をいかに作っていくかということです。そのためには、まず、軍事的有事法制を不要とする平和的環境作りに取り組まなければなりません。その意味で、先ほど触れました刑法の中立危険罪に注目すべきだと思います。この規定に注目する学者は驚くほど少ないのですが、もっと活用されるべきです。明治時代につくられた刑法が平和憲法に沿う形で改正されていないという問題があるのです。
 また、コスタリカの非武装中立宣言を下敷きにした形で、「永世中立」に関する法律作りを進めていくべきだと考えます。
 本日は、ご清聴ありがとうございました。


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