この議案書は2003.06.21(第2回総会)にて採択されました。

<議 案 書>

■ はじめに ■

 コスタリカの人々と手をたずさえて平和をめざす会(以下「当会」といいます)は、2002年1−2月コスタリカ視察団(以下「2002視察団」といいます)のメンバーを中心に結成され、2002年4月19日の第1回総会をもって正式発足しました。
 その後、当会は、軍隊を捨てたコスタリカの人々の知恵と実践に学び、平和な社会を実現するために、これまでさまざまな活動を続けてきました。
 第2回の総会を迎えるにあたり、日本と世界の1年間の動きを踏まえ、当会のこれまでの活動を振り返るとともに、今後の活動方針について定めたいと思います。

■ 第1 日本と世界の動き ■

1.はじめに
 以下に見るように、アメリカ合衆国による対イラク戦争への支持、有事法制の制定など、日本はますますアメリカとの軍事同盟を強化し、軍事大国への道を加速して歩み続けているといえます。しかし、このような状況だからこそ、軍事力に頼らない社会作りをコスタリカに学ぶ意義は大きいといえます。

2.アメリカ合衆国の世界戦略
 2002年9月に発表された「国家安全保障戦略」(ブッシュ・ドクトリン)で、アメリカ合衆国は、「自由と民主主義と自由な企業活動」こそが、世界の「公理」だ。それを脅かすのは、「テロリストとその同調者」だ。この「公理」への「敵」には、先制攻撃も躊躇しないし、単独行動も辞さない、と主張しています。
 世界第一位の経済力と軍事力を有するアメリカは、多国間の協議を尽くして平和を維持し、世界全体の共存繁栄を模索するという方針をかなぐり捨て、アメリカの政策に従わない国に対しては、力づくでもいうことをきかせるという方針を打ち出しました。まさに、単独攻撃宣言、先制攻撃宣言を表明し、まさに「帝国」の論理を世界に押し広げようというものです。
 のちに見るように、このようなアメリカに対して、日本はブレーキをかけるどころか、アメリカの意向に沿う形で軍事同盟を強化しつつあります。

3.北朝鮮を巡る動き
 2002年9月17日に小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、日朝共同声明で日朝国交正常化交渉の再開が合意されました。朝鮮半島では、1953年7月27日の朝鮮戦争・停戦協定の成立以後約50年も南北分断が続いており、かなり不安定な状況が続いています。その中で、日本と北朝鮮が国交を回復しようと動き始めたことは一定の評価に値します。 しかし、金正日総書記との会談で明らかにされた、いわゆる「拉致事件」によって、国交正常化交渉は暗礁に乗り上げました。特に、被害者のうち8人が死亡していたこと、拉致事件は北朝鮮・特殊機関によるものとされ、北朝鮮の国家的犯罪であることが明らかにされたことは日本国内に激しいショックを与えました。他方、金正日総書記からは、謝罪とともに「これからは絶対起こさない」との言明もなされました。しかし、逆に日本国内では、北朝鮮に対する強硬姿勢が強まり、拉致事件の解決なくして国交正常化交渉はありえない、経済援助を直ちに打ち切れ、という声が日増しに強まっています。
 たしかに、北朝鮮の行為は国家的犯罪であり、日本が過去に朝鮮半島を植民地支配したということで拉致事件が免責されはしません。しかし、このような国際犯罪への対応は、戦争に訴えることでも、軍事力によって威嚇することでもないことも、また真実です。あくまでも国際犯罪は、司法手続きによって適正に裁かれなければなりません。

4.有事法制の審議など
2002年7月31日、国民世論の声に押される形で、有事法制関連3法案は継続審議となりました。しかし、2003年の第156通常国会において、政府は国民からの批判をかわそうと、有事法案の本質は全く変えないままに有事関連三法案の「修正」案を提出しました。その法案は、有事に日本を守ると説明されているものの、実際には、アメリカと一体となってアジアにおける軍事行動に自衛隊が参加し、アメリカ軍のために日本の自治体・企業・市民が協力を余儀なくされるという危険な内容を持ったものでした。そして、具体的な法案の中身についても、武力攻撃事態なるものの定義は曖昧で、国会のコントロールも不十分であり、国民の人権制約も容易になされかねないものでした。
 当然、多くの市民はこの法案の成立を食い止めようとしましたが、2002年5月15日、衆議院本会議において、そして、2003年6月6日、参議院本会議において、有事法制関連3法案は強行採決され、可決・成立しました。この法案には、与党3党ばかりではなく、民主党・自由党などまでが賛同していました。 今後、有事関連三法案は、その具体化法制である「国民保護法制」や「米軍支援法」などの成立を待って発動されるとされています。
 さらに、政府・与党は、イラク復興支援に名を借りて、いまだアメリカなどと戦争状態にあるイラクへ自衛隊を派兵することを検討し、イラク新法の整備を画策しています。本来、非軍事的な分野において、かつ国連主導で行なわれるべきイラク復興に関して、敢えてアメリカに追随し、自衛隊を派兵するのは、自衛隊の活動領域を拡張させ、集団的自衛権をなし崩し的に実現していこうとする意図の表れですから、平和憲法の下で、決して認められません。

5.対イラク戦争の開始と世界の反応
2002年3月20日のバクダッド攻撃によって開始されたイラク戦争では、イラクの多くの市民が殺されました。この戦争は、自衛権の行使にも国連の強制措置にもあたらない国連憲章・国際法を真っ向から侵犯した戦争です。この戦争がいかなるイラク問題の安保理決議からも正当化されないことは、アメリカが自ら提出した「修正決議案」を取下げて開戦に踏み切ったことからも明らかです。 戦争開始に先立って、2月14日には、ピースウォークが世界中を覆いました。このイベントには1000万人を超える人々が参加して、世界を平和と非戦の声で包み込みました。日本でも、多くの市民が平和の行動に立ち上がり、全国でピースウォークが行なわれました。 ところが、このような良識ある国際世論を踏みにじり、アメリカは攻撃を仕掛けたのです。 そして、5月1日、ブッシュ政権は、「戦闘終結宣言」を行いました。たしかに、イラク全土を長期占領下において「アメリカ肝煎りの新政権」を樹立しようとするブッシュ政権にとっては、「戦争は終わった」のかも知れません。しかし、いまなおイラクでは実際には戦闘が行なわれていますし、戦争の傷跡に多くのイラク市民が苦しんでいます。特に、劣化ウラン弾はイラク各地で使用され、今後被害の深刻な拡大が懸念されます。


■ 第2 当会のこれまでの活動 ■

1.設立総会
 当会は、2002年4月19日東京合同法律事務所にて開催された設立総会をもって正式発足しました。出席した共同代表の開会あいさつで総会が始まりました。そしてまず、記念講演が行なわれました。講演者は会員ですが、高校時代にコスタリカを訪問して魅せられて以来、コスタリカを研究している方です。コスタリカの平和教育の徹底、環境政策など、会員に対して、分かりやすくコスタリカを紹介していただいきました。
 そして、議長が選出され、議事検討が行なわれました。コーヒーの頒布について、カルロス・バルガスさん(国際反核法律家協会副会長)日本招聘企画の進展状況、ウエブサイト(ホームページ)の設置について報告がありました。また、カレン・オルセン・フィゲーレスさん(元国連大使、フィゲーレス元大統領夫人)の招聘の準備について報告がありました。また、コスタリカ報告集の頒布状況についても報告がありました。
 そして、会の正式名称、英語表記、略称、規約、会費、人事などを決定しました。
 さらに、欠席した2人の共同代表から届けられた、設立総会にあたってのメッセージが披露されました。

2.会員の増加
 前記設立総会を経て、当会はますます本格的に活動を開始しました。その活動に比例するように、正会員(会費を納入し、総会にて発言ができ、議決権がある者)が増加していきました。もちろん、当初は2002視察団のメンバーが中心でしたが、その後いろいろな年齢・職業・経歴の方が加入していただき、加入者の居住場所も東京近辺に限られません。現時点での正会員は、47名となっております。
 一人一人のかけがえのない個性が当会を通して結びつき、新しい平和への取り組みにふさわしい規模が備わりつつあります。

3.バルガスさん日本招聘
 2002年5月1日から5月13日にかけて、カルロス・バルガスさんが平和講演のために来日されました。バルガスさん招聘のため、実行委員会が発足し、多くの会員がこの実行委員会に加わりました。
 来日初日に、2002視察団のメンバーが中心となってバルガスさんを囲んだ夕食会を開き、翌2日は、参議院議員会館にて、記者会見を行ないました。また、3日の憲法記念日には、日比谷公会堂での憲法集会において、バルガスさんは冒頭スピーチを行い、会場を沸かせました。
 4日には、山形憲法会議主催にて、山形市の遊学館で講演会を行ないました。翌5日には、会員の案内により箱根で静養されました。
 そして、6日には、バルガスさん講演会と「軍隊を捨てた国」上映会が、国立オリンピックセンターにて開催され、多くの市民とバルガスさんの交流が行なわれました。
 その後、8日から10日にかけて京都・大阪を訪問され、10日には一橋大学教職員組合主催による講演会が行なわれました。11日に長野を訪問されたのち、12日には、コスタリカを訪問した3団体合同の懇談会を行いました。
 バルガスさんは、ここに列挙しきれないほど旺盛に日本各地を訪問し、平和のメッセージを私たち日本の市民に届けてくれました。5月13日の懇談会におけるバルガスさんのメッセージを紹介します。

私は夢を持っています。夢を持っているということが、すばらしいプロジェクトのはじまりです。みなさんで夢を持ち続けている必要があります。そして1、2年かかるか、100年かかるか分かりませんけれども、夢を持ち続けている限り夢を実現することが可能です。(中略)私はこの旅の中で普遍的な心の気高いすばらしい精神的価値を持った人々に会いました。それらの人々は日本の現在の状況に非常な心配をしておりまして、新しいリーダーシップを待ち望んでいました。それらの人々のリーダーシップをあげられるのはみなさまではないでしょうか。コスタリカにおいてみなさんの学んだこと、経験したことが日本のリーダーシップを求めている人々に対して、非常に重要なことだと思います。みなさんには非常に大きな責任があると思います。私はいつでもみなさまを幸せにするためここに参ります。

4.コスタリカ報告集の発行
 設立総会が開催される直前の2002年3月30日に、2002年コスタリカ視察団がまとめた「コスタリカ報告集」(のちに、第3版以降「平和に生きる・コスタリカ」に改称)が発行されました。
 この報告集は、およそ1月半の編集作業で完成され、それだけに視察団の熱意のこもった読み応えのある書となりました。できるだけ早く多くの方にコスタリカのことを知ってもらいたいという思いが強かったために、当初、誤記や事実誤認などがいくつか見られました。しかし、その後の編集作業において、様々な方々に協力していただいた結果、大幅に資料的価値が高まりました。
 コスタリカの平和政策、教育、民主主義、人権保障、歴史年表、新聞記事、論評、中米の歴史など、コスタリカを多角的、分析的に検討するにはまたとない資料となりました。コスタリカについて実体験に基づいた報告集が他に発行されていなかったこと、頒布価格が1000円と比較的安価であったこと、コスタリカ映画の上映会やコスタリカ旅行ブームの時期と重なっていたことなどから、第1刷500部は2か月もたたずに無くなり、バルガスさん帰国後すぐに再編集した第2刷も約4か月で頒布終了しました。第3刷は、9月20日に再編集して発行しましたが、これも現時点においてほとんどありません。
 頒布においては、多くの会員が力を出し合いました。その結果、多くの方にこの資料集がいきわたり、コスタリカの平和に対する知恵と実践が知り渡るようになりました。現在でも、さまざまな集会や学習会にてこの資料集が活用されています。

5.ウエブサイトの開設・更新
 当会では、当会の活動を国内外の多くの市民に知ってもらうために、ウエブサイト(ホームページ)を開設してきました。まず、2002年3月11日に会員専用の仮ウエブサイトを開設し、さらに同年7月2日に正式なウエブサイトを開設し、その後続々と新情報を追加し、ウエブサイトを更新してきました。<URL:http://www.jca.apc.org/costarica/>
 このウエブサイトは、特に、のちに触れるカレンさん招聘の案内などの宣伝に、大いに効果を上げました。また、新しくメーリングリスト(以下「ML」といいます)に加入される方のほとんどがウエブサイトを閲覧したことがきっかけとなっております。
 現在でも、「コスタリカ」にて検索をすると、上位にこのウエブサイトが掲載されております。

6.メーリングリストの活用
 会員間の情報交流と事務連絡、イベントの紹介などのために、当会では、メーリングリスト(ML)を活用してきました。現在では、MLへの登録者は125人となっており、毎日、活発な情報提供がなされております。MLへの登録申し込みは事務局長が受付け、会員の担当者が登録・管理を行なっています。
 MLへの登録者が増大し、活況を呈しているのは、ML会員というものを設け、登録手続きを無料としていること、ウエブサイトにてMLへの登録を積極的に呼びかけていること、MLにてコスタリカに限定することなく多くの活動・イベントなど有意義な情報が紹介されていることが原因だと思われます。
 もっとも、残念ながら、ML会員間において、MLの利用方法について、十分な共通認識がなかったことから、電子メールで送られてくる内容や投稿の頻度、文章の表現方法について、見解の相違が見られました。事務局会議にて、暫定的に、投稿の準則を以下のように定めました。

  1. 個人に対する中傷にわたる非難は、ML上ではひかえましょう。
  2. 明らかに不適切な内容を含む表現については、管理人が削除することがあります。
  3. ML上での活動報告、集会へのお誘いなどについては、節度を守り、投稿してください。
  4. 企画の紹介などの情報を転送する場合は、転送メールの冒頭で、送信者が適宜説明を加えるようにしましょう。
 MLにて、コスタリカに関する情報がそれほど多く流れていない点で、物足りなさを感じている会員もおり、新鮮で有意義なコスタリカ情報をどれだけ提供できるかが、今後の課題と言えます。

7.夏合宿の開催
 2002年8月10日から11日にかけて、静岡県の伊豆高原にて、合宿を行ないました。参加者は20人です。一橋大学の学生グループPARMANからも4人が参加し大いに交流を深めました。
 初日は、招へいした大阪経済法科大学・澤野義一さんによる講演が行なわれました。テーマは、「永世中立国の安全保障と有事法制」。参加者の関心に沿ったお話をうかがうことができました。コスタリカでは、憲法上緊急事態に対処するための条項が残されており、限定的ではありますが、人権の制約が認められています。しかし、その条項は現在では事実上凍結されているという内容でした。この報告に参加者は大いに励まされました。
 また、2002視察団のスライド上映や、2000年の国際法律家協会などが主催したコスタリカ訪問の際のビデオ上映が行なわれました。そして、一橋大学PARMANから活動の報告も行なわれました。 さらに、2日目は、カレンさん招聘に向けての協力を進めていこうということが確認されました。また、平和社会の実現のために、どのような行動が求められるかということも真剣に議論されました。

8.出版記念パーティへの協力・支援
 2002年9月16日には、東京都・表参道のクレヨンハウスにおいて、『平和をつくる教育・「軍隊をすてた国」コスタリカの子どもたち』(著者:早乙女愛・足立力也、岩波ブックレットNo.575)の出版記念パーティが開かれ、多くの会員が参加しました。この著書は、コスタリカの平和教育を平易な言葉でとても分かりやすく説明されています。
 なお、このパーティへは、在日コスタリカ大使・セケイラ氏と同参事官・バレリオ氏にも特別参加していただきました。パーティへの出席者は50人を超える盛況ぶりでした。

9.カレンさんによる平和講演
 カレン・オルセン・フィゲーレスさんの日本招聘と各地での平和講演については、当会も最大限の助力をし、各会員も担当者を中心として、カレンさんの平和のメッセージを多くの人に聞いてもらおうと尽力しました。
 そもそも、カレンさんを日本にお呼びしようと考えたきっかけは、2002視察団がコスタリカにてカレンさんのお話を伺ったことに端を発します。2002視察団帰国後、約8か月の準備期間を経て、コスタリカの国母とも呼ばれているトップレディ・カレンさんを日本に迎えることができました。特に、2002年10月には、会員の一人がコスタリカに直接出向き、カレンさん来日の打ち合わせを行なってきました。
 そして、カレンさんは、2002年10月25日に来日しました。まず、沖縄にて摩文仁、平和の礎、平和祈念資料館、佐喜眞美術館、首里城を見学され、市民向け講演会を行ないました。これは、沖縄の報道機関が大きく取り上げられました。まさに軍事基地のないコスタリカからの平和の使者が、基地に囲まれた沖縄にて平和のメッセージを届けに来たのです。
 「命を大切にする」というシンプルな考え方、カレンさんの深い洞察はこのシンプルな考え方から始まっています。「平和というのは生まれるものでなくて、つくるもの。平和というのは語るものではなくて、実践することです」というメッセージは、市民を奮い立たせ、深い共感を呼びました。
 その後、カレンさんは、東京にて、4人の被爆者と対談し、原爆被害の深刻さに触れ、作家の落合恵子さんと対談し、また一橋大学にてPARMANら大学生と平和についての対話を行ないました。
 そして、11月3日の文化の日に、日本教育会館にて、「カレンさんと話そう」と題するカレンさんと子どもたちの対話+講演会が開催されました。子どもたちからの率直な質問に対して、誠実に答えるカレンさんの姿勢は印象的でした。子どもたちからの質問に対して、カレンさんは「平和というものは日常生活の中にあると思います」「戦争に勝利者はいない。全ての人が敗者だと思います」と答えています。子どもたちの目線で平和そして戦争というものが語られたことで、カレンさんの思想がシンプルに響いてきました。
 最後にカレンさんは京都を訪れ、三十三間堂、二条城を見学し、講演会を行い、コスタリカにお戻りになりました。
 カレンさんの来日中に、カレンさんとの間で「覚書」を取り交わしました。カレンさんに接した一人一人が平和のために力を尽くすことを確認しあいました。
 その後、カレンさんの貴重な講演内容を活字に残してさらに多くの方に読んでもらおうということで、カレンさん招へい実行委員会において、出版計画が進められました。そして、2003年6月10日、念願のカレンさん語録「カレンさんコスタリカを語る」(草の根出版会)が完成しました。写真をふんだんに用いた親しみやすい装丁となっております。
 なお、カレンさんのメッセージをコスタリカにて収録した「平和のメッセージ」のビデオ(メディアクロッシング)の販売についても会員の多くが協力をしています。

10.定例会(事務局会議)の開催と会員の交流
 当会では、事務局間の事務連絡と会員の交流を図るために、定例会を定期的(一月に一度程度)に開いてきました。当初事務局会議と称しておりましたが、必ずしも事務局員ばかりが集まるわけではなく、広く会員に開かれた会合にしようということで名称を改めました。
 定例会では、もちろん当会の運営のための事務的な処理を行ないますが、会員同士で情報の交換を行ない、平和のための企画を立案してきました。これまでの多くの平和企画が定例会で出されたアイデアで実現しました。たとえば、合宿やヒバクシャシンポジウム、後で触れるアメリカ大使館へのイラク攻撃反対要請などです。
 また、定例会では、たびたび他のグループの方をお招きし、情報交換も行なってきました。たとえば、PARMANによるコスタリカセミナーツアー報告や、「コスタリカ作る会」によるコスタリカ訪問報告などです。

11.アメリカ大使館要請行動
 当会は、いかなる軍事力、そして戦争を否定するというコスタリカの思想を一致点に会員が集まっています。アメリカ合衆国がイラクへの戦争を計画しているという状況の中で、なんら罪のない人々の命を奪うことになる戦争を回避させるべく、会員有志とともに、在日アメリカ合衆国大使館へイラク攻撃反対の署名を届けました。要請分には、710名もの賛同者の署名をつけました。呼びかけを始めてからたった1週間でこれだけの賛同者を集めたことは、同じ気持ちを持つ市民が日本全国にたくさんいるということの確認となり、当会のメンバーにとって大きな勇気となりました。
 「親愛なるブッシュ大統領へ」という文言から始まる要請文には、会員の中のプロ翻訳者が翻訳した英文も添付されました。
 会員有志8名によって、厳戒態勢のアメリカ大使館にこの要請文が届けられました。大使館の職員に直接手渡しすることができず、セキュリティを担当している警備会社の担当者にしか会えなかったのは残念ではありました。
 しかし、それ以上に残念だったのは、2003年3月20日に、アメリカがイギリスと共同してイラクへの武力攻撃を開始したことです。たしかに、戦争自体を回避することはできませんでした。しかし、当会の会員を含め、世界中の市民が一体となって戦争に反対したことにより、すぐさま開戦させることを防ぐことができましたし、なによりも世論に後押しされたフランスやドイツなどの多くの国々が公然とアメリカの戦争に反対の意見表明を行ない、最後まで、国際連合はアメリカの戦争にお墨付きを与えませんでした。
 このような世界の良識ある市民と連帯して、要請行動ができたことは、当会にとっても大きな前進であると考えます。

12.会報の発行
 当会の活動を広く会員に知ってもらうために、会報を定期的に発行してきました。これまで第1号を2002年11月17日に、第2号を2003年5月20日に発行しています。第1号は、カレンさん来日のニュースと合宿の報告、第2号は、イラク攻撃反対要請行動の報告と総会と「ヒバクシャ」上映会の案内が中心となっております。
 これまでは当会の正会員だけではなく、報告集を購入していただいた方へも会報をお送りしてきました。今後、会報の宛て先をどの範囲にするかは検討課題です。

13.コスタリカコーヒーなどの頒布
 当会では、報告集だけではなく、さまざまなコスタリカにまつわる物品を頒布してきました。特に、コスタリカのコーヒーの頒布は、「世界で一番おいしいコスタリカのコーヒーを飲んで、世界平和への力を得ませんか!」という宣伝文句にて、多くの方に愛飲されてきました。当会が扱っているこのコーヒーの名前は、「PAZ」といって、平和を意味しています。また、コスタリカの生産者協同組合コカフェにより準有機農法で作られたものです。その意味では、このコーヒーを購入することが、間接的にコスタリカにおける平和運動の支援にもなっているのです。

14.ヒバクシャシンポジウムの共同開催
 本日の総会の終了後、午後1時30分から東京大学農学部弥生講堂にて、「ヒバクって知っていますか」――今も生まれ続けるヒバクシャたち〜アメリカ・イラクそして日本――と題して、世界のヒバク問題に関するシンポジウムが開催されます。
 この企画はもともと、総会を開催するにあたって、ただ会議を行なうだけではもったいないから学習会を行おうという提案が発端です。その後、その提案を受けて、学生団体と共同して、最新ドキュメンタリー映画「ヒバクシャ」を上映したい、ということになり、劣化ウラン研究会からの講演を交え、さらに原爆症認定訴訟の原告からの訴えを取り入れることになりました。
 平和を望む東大生の会「PeaceT」との共同により相互のメンバーの交流が進み、お互い刺激を与えあることを期待しています。


■ 第3 今後の活動方針 ■

1.平和のための具体的な行動のアイデアを出し合おう
 まさに、カレンさんが残してくれた「「平和というのは生まれるものでなくて、つくるもの。平和というのは語るものではなくて、実践すること」というメッセージを日常生活に生かすべく、一人一人の会員が平和のために何か行動をしましょう。
 そして、その前提として、なにをすればいいのか、なにができるのか、ということについて、積極的にMLや会報などで情報交換を行いましょう。

2.平和を実現するための知恵を身につけよう
 平和を実現するための知恵を身につけなければ、紛争に際して戸惑うばかりですし、紛争当事者に対して実のある対話は実現できません。コスタリカの市民が受けている平和教育に知恵が詰まっているはずです。
 そこで、コスタリカの平和教育について、さらに深く研究し、日本に積極的に取り入れていきましょう。
 具体的には、コスタリカの教科書を翻訳したり、コスタリカで教育に携わる方を日本にお招きして講演してもらったり、またコスタリカに留学した日本の方に報告してもらったりという方法があります。

3.日本を取り巻く国際社会の状況に関心を持とう
 残念ながら、有事関連3法が国会を通過し、ますます日本は憲法の理念に反し、戦争ができる国づくりに近づきつつあります。この有事法制制定の背景となったのは、政府や多くのマスメディアによって喧伝された北朝鮮の軍事的な脅威でした。
 軍隊はいらない、戦争はしない、ということを掲げつつ、市民の安全を確保するためには、日本を取り巻く情勢について習熟しておかなければ、反対の論者に対して説得力を持ちません。
 また、北朝鮮に限らず、世界各国の経済的・政治的・文化的状況を知り、世界各国の良識ある市民と連帯して、世界規模で平和への取り組みを促進する必要があります。

4.まずは行動してみましょう
 当会のメンバーは、現実の社会の矛盾点に気がついているはずです。軍隊を持たないと憲法に定められているのに自衛隊という巨大な軍隊を持っていること、アメリカに軍事基地を提供して、アメリカのアジア侵略を容認し、一体化しつつあること、憲法9条に反する有事法制が整備されつつあることなど、放っておくと再び日本は戦争ができる国になりかねません。
 そこで、平和に対する思いをまずは行動に移しましょう。一人一人できる活動は異なります。1で述べたように会員どうしが情報交換することで、行動の選択肢が広がるでしょう。また連帯の力も強くなるでしょう。
 平和のためのイベントに参加し、時にはイベントを自ら企画してみましょう。
 平和の訴えが多くの市民の心に響くように、創意工夫を施していきましょう。
 平和はそれだけでは実現できないことに鑑み、人権保障・民主主義・環境保護・教育などの分野にも視野を広げましょう。
 一人の力は無力ではありませんが、非力です。ところが、多くの市民が協力すると共感を生み、世論を作り、政府を動かし、世界に影響を及ぼします。連帯の心を重視しましょう。

5.当会のネットワークを拡大する
 当会は、平和のための活動をこれまで熱心に続けてきました。その結果、平和実現を切望する方が多く集まっています。これらの方々のネットワークをより大きく強いものにしていき、コスタリカの知恵を多くの市民と共有していくことが平和社会実現のための近道です。
 そのためには、当会を支える事務局をさらに充実させ、財政的な基盤を安定させ、対外的な宣伝活動も旺盛に行い、会員間のコミュニケーションを豊かにさせていくことが必要です。
 それゆえ、ML会員だけではなく、正会員も募り、会報の誌面やウエブサイトのコンテンツを充実させ、読者・閲覧者を拡大し惹き付け、MLでの議論を活発化させていきましょう。そして、定例会での議論を大切にして、当会の活動の方向性を集団での討議によって定めていきましょう。

6.有事法制の発動を許さない活動に参加し憲法改悪の動きを食い止めよう
 前述したとおり、有事関連3法は成立しました。しかし、この法律は現時点では発動は凍結されています。もっとも、国民保護法制、米軍支援法などの下位法が整備されていくと発動されかねない状況なります。そこで、有事関連3法が発動されない取り組みに参加しましょう。また、憲法9条を改変しようとする動きに反対していきましょう。



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