代表のぼやき

2011.11

「復興の理念」

 3月25日の大学院の修了式。コース長の私は(「千葉大学大学院工学研究科、建築・都市科学専攻、建築コース」の責任者。もっと権威のありそうな名前にしてくれ!)、卒業生に学位記を手渡しした後、何か祝辞を申さねばならぬ。震災のことを紋切り型でしゃべるのは私の美学が許さないし、震災のことに触れないで何を話せばいいの?、とも思うし、大いに悩んだ結果、幸いあるエピソードを思い出した。大学院生の頃、見学旅行に行った宿泊先で土木の先生と話しをしていて、「大土木」で話しが盛り上がった(「大土木」とは日本社会を実効支配する土木工学業界のことを言う。それに比べると建築は「小建築」)。その時、誰かが「土木の最大の問題は何ですか」と尋ねた。先生は一瞬考え込んで「境界条件が解けていないことですね」と答えた。「あっ、そーか」と得心したので未だに覚えている。先生が言ったのは、たとえば鉄橋を例にとると、鉄橋のトラスそのものはほぼ完璧に構造計算ができるけれど、それと地面との間のことは何も分かっていなくて、経験に頼らざるを得ないということである。原発事故がまさにそれで、原子炉そのものは一定の仮定(=境界条件)のもとで構造計算ができても、実際に地面の中やほかの機器や施設との間は、エイヤッ!と決めているということである。そういえば、原発はしょっちゅう配管の不具合で止まっている。この話しはいろいろ拡大解釈が可能だ。つまりこうなる:「諸君は高度な建築教育を受けたけれど、そこで習った理論は、一定の仮定のもとで成立するに過ぎない。そこを忘れて、デザインだけの論理とか、構造だけの論理にかまけて、他との関係をおろそかにしないように。建築は特に人間さまが使う「総合性」が大切な分野である」とかなんとか演説した。
 さて8月末、復興構想検討会議の有志が、1枚のペーパーを各方面へ配布した。「これからの人口減少と高齢者社会においては、歴史に根ざしたコンパクト・シティによる自然と共生する「免災社会」、「総有(共同)社会」の実現が復興の基本理念として重要である」と訴えている。内容は、次の三点に要約できる。

1. 日本は、古来より、自然と共生し災害に強い国を創ってきた。自然との共生とは「免災」の思想であり、日本が目指すべきは、カラミティ・プルーフの国=「免災」構造の国(どんな天災にあっても被害を最小化でき、何事もなかったかのように復興する国)という国際的なブランドの確立をすることである。

2. 日本は、農村集落を中心に、共助の仕組みで共同体が運営されており、利益を共同体全体で享受する「総有」が根付いていた。すでに震災以前から、まちづくりは、個別所有に基づき個別の努力を重ねるだけでは達成されないことが明らかになっていたが、復興においても、「総有(共同)」に根ざしたまちづくりの仕組みを構築することが不可欠である。

3. 戦後の経済成長は国力を大きくすると同時に古くからの日本社会の良さを失わせた。その代表が、地域社会での絆の解体と、豊かな自然を破壊した都市のスプロール。今回津波で直撃されたのは、これらスプロール化された市街地である。対して古くからあるまちは大規模な被災を免れている場合も少なくない。その意味で復興は、拡大以前の従来の生活環境を軸とすることが基準となる。
 まったく賛成だ。それにしても、このような意見が出されるということは、これら主張が、政府の復興施策にはならなかったということなのだろうか。区画整理だけを先行させて、建物が建たない町をつくってどうするのだろう。巨大な堤防をつくって、海辺で海の見えない生活を何十年も続けるのだろうか、医療、行政、交通その他バラバラのシステムがICT産業の支援で見事に統合化することができたとして、それで町は再生するのだろうか。境界条件の設定をおろそかにしたまま、部門別に事業が進行してしまうことが懸念される。


千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一


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