代表のぼやき

2004.8


都市計画学校 in 佐原

今年の夏のネスカフェの広告は実にすばらしい。佐原の小野川べりを、歴史的な民家を背景に山車を先頭に人々が練り歩く様子が写された後、一転、町家の室内から通りを見るカットに変わる。暑そうな外の通りと涼しげな室内の対照。その真ん中に冷たそうなアイス・ネスカフェ。佐原の町並みのエッセンスが見事に捉えられている。30秒ですべてを語り尽くすコマーシャル・フィルムに改めて脱帽。

さて、佐原の歴史的町並みには、ここ2〜3年、急にたくさんの人が訪れるようになった。その前からも訪れる人は少なくなったが、ふたつの大型店が閉店してしまった駅前とは対照的に、勢いを増している。知られるように、佐原の歴史的町並みは、忠敬橋で十字に交わる小野川と香取街道にそって連なる。小野川は利根川の小さな支流。江戸と直結し物資流通で大きな役割を果たした利根川水運の一端を担う河港として機能してきた。護岸は大正年間に銚子石で端正に整えられ、各建物の前には「だし」と呼ばれる水面へ降りる荷揚げ用の階段が設けられた。この小野川とそれに沿う町並みこそが佐原の特徴であるしかし、ほんの20年前には、この小野川に蓋をして駐車場にしようという案が議論されていた。

私がはじめて佐原の町並みを調査したのは1982年、今からちょうど20年前である。1975年に千葉大学の大河直躬先生が主に建築史の観点から文化庁の町並み調査をされており、それを受け継いで町づくりの観点から調査し報告書をまとめた。タイトルは「よみがえれ、水郷の商都」。この時もまだ「小野川蓋説」が勢いを持っていた。当時は、両端部に大型店のある駅間の商店街は理想的なレイアウトと言われていた。忠敬橋の脇、旧奈良屋後にはスーパーマーケットがあり、その2階の喫茶店が調査に出かけた際の昼食をとる場所になっていた。すべてが変わった。歴史的地区のスーパーは閉鎖された。駅前ではまず十字屋が店を閉めた。商圏は徐々に成田など周辺都市に奪われていった。

しかし佐原の人々は上手に舵をきった。「小野川蓋説」を押しのけて1991年に「小野川と佐原の町並みを考える会」を結成、お祭りには川に船を浮かべるイベントを行うようになった。1994年には重要伝統的建造物群保存地区へ。同じ関東の町並み、ライバルの川越より5年早い。以来、着々と行われてきた町並みの整備の成果は大きい。商家のおかみさんたちが、店を直し、クラフト・ショップなどをいっせいに始めた。今や、なつかしい景色を残す佐原の町並みは映画のロケーションの格好の対象となった。ネスカフェもその流れに違いない。

データを見ていて興味深いのは、ボランティアが来街者をおもてなしする三菱館(もと三菱銀行の建物。そういえば隣の新しい建物で営業していたこの銀行もついに退店した)の入館者数が、忠敬記念館などの施設に比べて急速にのびていることである。地元の人と来街者がコミュニケーションをとれる居心地の良い場所が求められていることがわかる。2001年、川越では未だ実現していない町づくり会社が設立された。本格的には空き店舗の活用を行う市民ディベロッパーをめざすが、手始めに小野川舟運事業を開始した。

佐原の歯車はだんだん良い方向へ回り始めているようである。この佐原で8月25日に都市計画学校が開催される。ちばまちづくりNPOフォーラムの一環で、この後、千葉、市原、流山、九十九里で順次行われる。ご参加ください。

千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一


BACK