代表のぼやき

2004.4


景観法が国会で審議中である。やたらに長い名前の法律が多い中で、三文字の法律名は昔からあった基幹的・基本的な法律を想起させる。しかし、景観法に限って名は体をあらわしていない。既存の都市計画法や建築基準法の矛盾の上に屋上屋を重ねる瘡蓋のような法律である。
にもかかわらず前評判はよい。昨年12月の朝日トップ記事「街並みづくり 法で応援」から始まって、各紙の社説、投稿などで「ようやく国も景観の価値を認めた」と大合唱が続いている。
知られるように景観行政は数年前まで自治体で競って取り組まれていた。そして数多くの景観条例が制定されたが、今やブームは去っている。その理由は、日暮里の富士見坂からの眺望をマンションが阻害する問題について、東京都や文京区が「建築基準法、法的に認められていることについて、景観条例で規制することは出来ないと理解しています。」(『谷根千62』より)と回答したことに端的に示されている。景観条例は、国の法律が合法としている行為を規制することができない。
では、景観法でこの状況は変わるのか。否である。景観法の構造は、自治体の景観条例と酷似している。景観に関する計画をつくり建築などの基準を定め、知事または市町村長への建築行為の届け出を義務づける。知事または市町村長は必要なら勧告を行うことができる。変わったのは、自治体がわざわざ条例を作らなくともこの一連の仕組みが動くようになったこと、条例の定めがあ るときは変更命令を出せるようになったことである。後者に期待がかかるが、変更命令は「形態意匠」つまり狭義のデザインに限られる。建物の高さ・規模・位置などは対象外だ。
一部の報道で景観法が各地のマンション紛争防止に寄与するかのごとき書き方がされていたがまったく無関係である。景観法が国立マンションの高裁判決を有利に導くわけではなく、谷中の高層マンションを止めることができたわけでもない。
景観法の役割は、景観・環境破壊を止めることだけではない。美しくいきいきとした景観を作り出していくことが期待されている。そのためには、建築をめぐってさまざまな立場の人が「闘議」するプロセスが重要である。景観法はこの点でも失格である。景観法は「マスタープラン」に従って建物をつくれば美しい景観ができるという単純なフィクションの上に組み立てられている。この点に関して、いくつかの自治体条例は、事前協議の手続きを取り入れ、基準を工夫し、数値では表わしがたい景観の特性をとらえようと努力していた。景観法制定後、このような自治体の工夫がどこまで許容されるかが問題である。景観法は自治体に景観に係わるわずかな権限を与えたが、いっぽうでその限界を示す役割も果たしているからである。
国の法律である景観法がなすべきは、自治体に景観に係わる権限を包括的に授権することである。それ以外は、余計なお世話と言わざるを得ない。


千葉まちづくりサポートセンター代表・福川 裕一


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