これはかつて「週刊アンポ社」(ベ平連が作った有限会社)が発行していた『週刊アンポ』に掲載された支持者からの小説です。すべて、原稿料無料で『週刊アンポ』のために提供されたものです。

(『週刊アンポ』 創刊号 1969年11月17日号)

Going to meet the Man

               大 江  健 三 郎 

 秘書官が、英語でいうなら、こうなんですと、ボールドウィンの小説のタイトルをまねていった時、『あの男に会いに行く』、という小説はどんな内容かと、つい訊ねてしまったのが悪かったのだ。老人は小説家から転進した政治家を、汚ならしい役まわりで活用することに自信を持っていたが、不眠の夜をすごす話だという小説の筋書きをちょっと聞いて、そしていま、明日、あの男に会いに行くのだと、暗闇に、自慢の大きい眼を、かっと見開いていると、癌の心配がぶりかえしてきて、なかなか眠れなくなってしまったのだった。

 あの男は、商社の法律顧問かなにかで東京に来たとき、銀座のバーの女たちを、ホテルにつれかえって大騒ぎをしたと、公安のトップが報告しているのだが、交渉のあいまに、それをほのめかす、ちょっとした冗談をいってみたら、あの男とうちとけることができるのじゃないだろうか? しかし、そんなことはプレシデンシャル・マターじゃないと、あの男が怒鳴りはじめたら、威信をたもてるだろうか? あの男は、実際、粗暴な意地悪なところがあるのじゃないだろうか?

 そのうち、やっと眠りはじめて老人は、ひとつの夢を見た。ホワイト・ハウスの芝生の上を二人きりで歩きはじめるやいなや、あの男は、東京で楽しんだ話をもちだして、クスクス笑いをもらしながら、オイ、オマエノ女房ノ尻ヲ叩カセロ、オマエハ、イツモ女房ヲ殴ルトイウジャナイカ、といってきかないのだ。老人は心底、腹をたてて、交渉は中止する、おれはだんことしておまえの国と対決してやる、と叫ぶと、そのまま特別チャーターのジェット機で東京に帰ってきた。そして安保破棄、沖縄即時全面返還!の主張をくりだして、あの男の国との決戦を呼びかけたのに外務省も国会も党も、本気にしてくれないのである。直接行動の檄をとばしてもみたが、やっとかれの怒りに呼応して実際行動をおこしてくれたのは、学生たちと反戦青年委員会の労働者たちと、ベ平連の市民たちで、しかし老人があの男に会いに行くまえに、全面的に攻撃をかけておいた後遺症状は残っていて強力ではなく、それを押しつぶす機動隊ときたら、これは傲りにおごった怪物のごとくである。自衛隊さえ出動してくる始末だ。

 そこで老人は、機動隊と自衛隊とに、過剰警備だ、暴力行為だと、自粛を求める声明を出したが、その特別声明は、まともに受けとめられず、そうしたあいだにもデモ隊は潰滅の危機にひんしている。老人は絶望にかられて、すべての公安関係者を馘首しようとし、もう俳優に習った発声法もものかわ涙声で、――指揮権を発動せよ!と叫び、自分の声で夢からさめた。老人が、あの善良でなんでもいうことを聞いた、小説家あがりの法務大臣が、すでに死んで久しいことを思って、夢の続きとはいえ、涙を流したのは、それがはじめてだった。

(『週刊アンポ』 創刊号 1969年11月17日号)

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