77.  谷川俊太郎作詞・武満徹作曲の『死んだ男の残したものは』の発表は65年4月の市民集会で(99/09/05

 「死んだ男の残したものは  こわれた銃とゆがんだ地球,ほかには何も残せなかった 平和ひとつ残せなかった……」 今でも時々、中年以上の人が、つぶやくように歌っているのを聞くことがあります。熾烈化するベトナム戦争のさなか、1965年の4月に谷川俊太郎作詞、武満徹作曲でつくられた反戦歌です。

 かくれたファンは結構いるようですが、この歌がどうして作られ、どこで発表されたかはあまり知られていません。

 8月末、日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』のテレビ・ラジオ欄に連載されていた長田暁二さんの「八月のうた 平和のうた U」で、これがとりあげられ、次のような事情が明らかにされています。

「…… 現代日本を代表し、世界の作曲界の一翼を担った武満徹(一九三○〜九六年)のところに、詩人の谷川俊太郎(一九三一年〜)がこの詩を持ってきて「明日の市民集会のために曲をつけてほしい」と頼み、その日の晩にできた曲です。武満はこれを「メッセージソングのように気張って歌わず、『愛染かつら』を歌うような気持で歌って欲しい」という手紙を添えて関係者に渡したといいます。一九六五年(昭和四十年)四月二十二日、お茶の水の全電通会館ホールでおこなわれた「ベトナム平和を願う市民の集会」で、バリトンの友竹正則の歌で発表された静かな反戦歌です。

 この歌は、井上陽水夫人の石川セリが九五年にコロムビアから発売した CDアルバム「SERI〜TORU TAKEMITU POP SONGS」の中や、九七年にフォーライフからリリースされたフォークの小室等のCDアルバム「武満徹ソングブック」の中にも収録されています。……」

 この1965年4月22日の全電通会館での市民集会とは、本「ニュース」欄のNo.26、67にある「世田谷懇談会」の土師政雄さんや、明石博隆さん、そして社会主義政治経済研究所の前野良さんらが計画した集会とデモでした。この行事は、べ平連発足以前に東京で行われたベトナム反戦の最も早い市民行動でした。(このことは、吉川勇一の個人ホームページの中の土師政雄さん追悼文にも、ちょっとでてきます。→ http://www.jca.apc.org/~yyoffice/saikin15hajimasao.htm

  『赤旗』には、さすがに書いてありませんが、この行動を組織した中心メンバーは、ほとんど、日本共産党を「反党修正主義者」として除名された人たちでした。

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