1990年

1990年1月

18 本島等長崎市長、右翼に銃撃され、重傷。

 

1990年2月

11 南アフリカ黒人解放運動指導者、ネルソン・マンデラ、28年ぶりに釈放。

28 在日韓国人政治犯徐勝、19年ぶりに釈放。

 

1990年3月

6 古在由重 死去(88歳)

15 ソ連初代大統領にゴルバチョフ就任。

19 脱走兵援助に協力した北海道・根室の漁船主、村井寛氏(若宮水産社長、下田に本社)が、操業中、乗組員とともに遭難(死亡と思われる)。《A-02》

 

1990年4月

1 全国の小中学校で「日の丸」「君が代」が義務化。

 

1990年5月

19 ハワード・ジン来日。(民芸公演『エマ』米倉斉加年演出に立ち会うため。)「ハワード・ジン氏を囲む会」。早稲田セミナーハウス。50名参加。

◎この月、山田塊也『アイ・アム・ヒッピー』(第三書館)刊行。

 

1990年6月

26 飯川四郎氏(奈良、交流の家管理人)逝去。(77歳 急性呼吸不全)

1990年7月

◎この月、京都べ平連『復刻版ベトナム通信』(不二出版)、「トーマス・H・ヘイプンズ著、吉川勇一訳『海の向こうの火事――ベトナム戦争と日本』(筑摩書房)刊行。

 

1990年8月

2 イラク軍、クエェートに侵攻。

25 国連安保理事会、対イラク「限定武力行使」を可決。

28 国連歩常任理事国5ヶ国がカンボジア包括的和平案で合意。

29 日本政府、「中東貢献策」を発表。

 

1990年9月

3 ベトナムのグエン・ヴァン・リン書記長らが極秘に訪中。中国首脳と会談。

『復刻版 ベトナム通信』出版記念会+シンポジウム。京都・楽友会館。

9 カンボジアの紛争4派が国連和平提案を受け入れ。SNC設置合意(ジャカルタ)。

13 ソ連、大統領制に移行。ゴルバチョフ就任。

14 政府、中東支援策として30億ドル追加支出を決定。

 

1990年10月

3 東西ドイツ併合。「ドイツ連邦共和国」に。

16 「国連平和協力法案」閣議決定。

 

1990年11月

9 「国連平和協力法案」、衆院で廃案。

12 平成天皇「即位の礼」。(22日 大嘗祭)

23 市民の意見30の会・東京、自衛隊の海外派兵に反対するネットワーク、『朝日ジャーナル』に「海外派兵反対・国連平和協力法反対」の意見広告掲載。

30 国連安保理事会、対イラク武力行使容認決議。

◎ この月、栗原幸夫著『革命幻談――つい昨日の話』(社会評論社)刊行。

 

1990年12月

◎この月、 久野収・鶴見俊輔共著(対談)『思想の折り返し点で』(朝日新聞社)刊行。

 

1991

1991年1月

2 野間 死去(75歳)

13 独立を宣言したリトアニアの首都をソ連軍、制圧。

17 米軍を主力とする「多国籍軍」、イラク・クウェートに大規模な空爆開始。(湾岸戦争開始→28日、戦争終結)。

24 政府、「多国籍軍」に90億ドルの追加資金協力、避難民輸送のための自衛隊機派遣を閣議決定。

28 古山洋三 死去(59歳)furuyama.jpg (12266 バイト)(写真はベ平連デモでの古山洋三氏〈右端〉左は小林トミ、中央は栗原幸夫の各氏。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)

 

19912

11 村上重良 死去(62歳)

 

19913

18 日本の市民、米『ニューヨーク・タイムズ』紙に湾岸戦争反対の全面広告を掲載。

 

19914

16 ゴルバチョフ来日。

16 海上自衛隊掃海艇部隊、ペルシャ湾の機雷除去のため出発。

 

19915

6 ユーゴスラビアでクロアチア人とセルビア人の民族対立が激化。

 

19917

1 ワルシャワ条約機構、解体。

◎この月、小田実著(小説)『ベトナムから遠く離れて(T)』(講談社)以下、8月に(U)、9月に(V)刊行。

 

19918

19 ソ連でクーデター。失敗。(→21日)

22 竹内良知 死去(72歳)

24 ゴルバチョフ、共産党書記長を辞任。党中央委員会解散。

 

19919

6 ソ連、バルト3国の独立を承認。

17 南北朝鮮、国連に加盟。

◎この月、吉川勇一著『市民運動の宿題』(思想の科学社)刊行。

 

199110

23 カンボジア紛争、パリ和平協定締結。

24 深作光貞 死去(66歳)

25 小田実『ベトナムから遠く離れて』出版記念会。私学会館。

◎この月、「PKO協力法案」を国会で審議(→12月)、継続審議に。

 

199111

5 宮沢喜一内閣成立。

◎この月、福富節男著『デモと自由と好奇心と』(第三書館)刊行。

 

199112

21 「独立国家共同体」(CIS)創設。ソ連邦、解体。

 

1992年

1992年1月

17 訪韓中の宮沢首相、「従軍慰安婦」問題について公式謝罪。

 

1992年3月

 

15 国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)発足。

◎この月、鶴見俊輔著『鶴見俊輔集B 読書回想』(筑摩書房)刊行。

 

1992年4月

5 ベ平連同窓会の集まり。早稲田奉仕園。30名。●神奈川テレビ(TVK)、『父と母の時代』放映。(この中で、ストックホルムにいる日本からの脱走兵、テリー・ホイットモアにインタビュー。)

 

1992年5月

30 井上光晴 死去(66歳)

 

1992年6月

5 PKO協力法案」衆参各委員会、本会議で強行可決。(〜615日) 社会党、社民連議員、「総辞職」するも、のち撤回。

 

1992年7月

6 日本政府、旧日本軍の「慰安婦」問題の実態調査結果報告、軍の関与を認める。

 

1992年9月

5 相模原市職労、戦車輸送阻止闘争20周年を機に、軍縮・シンポジウム「どうする!基地の街・相模原」を開催。相模原教育会館。100人参加。《K-03》6日

12 山梨県忍野村の吉田泰三宅で旧ベ平連事務局のパーティー。以降毎年59月の2回行なうこととする。

17 カンボジアPKOに参加する自衛隊施設部隊第1陣出発。

20 共産党、野坂名誉議長を解任。(1227日、除名)

27 相模原で、同市市職労主催の基地1周の「ピースウォークラリー」。40人参加。《A-02》28日

 

1992年10月

9 今堀誠二 死去(77歳)

23 天皇、皇后、中国訪問。

31 新村 猛 死去(87歳)

◎この月、小倉貞男『ヴェトナム戦争全史』(岩波書店)刊行。

 

1992年11月

4 クリントン、米大統領選で圧勝。

17 テリー・ホイットモア日本招待についての第1回相談会。新宿・梟門。

 

1992年12月

3 国連安保理、ソマリアに多国籍軍派遣を決議。

11 中村武志 死去(83歳)

19 旧『ベ平連ニュース』読者の忘年会。早稲田奉仕園チャペル。30名参加。

27 平井啓之 死去(71歳)

 

1993年

1993年1月

1 EU誕生。

16 「テリー・ホイットモアと25年目に会う会」(仮称)発起人会。神田パンセ。40名参加。

18 『産経新聞』、ベ平連の脱走兵援助は、ソ連KGBのてこ入れでやっていたとの記事を報道。

20 クリントン米大統領就任。

23 福生市議、遠藤洋一、ホイットモアとの打ち合わせにストックホルムへ。(→2月2日帰国)。

 

1993年2月

13 NHKテレビ、反戦米脱走兵援助にもふれた市川森一作『私が愛したウルトラセブン』@放映。(Aは20日放映)。

25 韓国、金泳三大統領就任。

 

1993年3月

25 水俣病第3次訴訟、熊本地裁、国の責任を認め、国・チッソ・県に賠償支払いを命令。

27 「帰ってきた脱走兵――ベトナムの戦場から25年」東京集会。発言:鶴見俊輔、海老坂武、吉岡忍、坂本良江ほか。文京区民センター。 200名参加。

28 テリー・ホイットモア訪日。(→ 4月10日まで。この間、横浜、静岡、浜松、京都など訪問。詳しい日程は『帰って来た脱走兵』p.182以降に)

◎ この月、テリー・ホイットモア著、吉川勇一訳『兄弟よ、俺はもう帰らない』(復刻版)(第三書館)刊行。また1967年にベ平連が制作した記録映画『イントレピッド号の4人』などビデオ化、販売。

◎ この月、『世界』4月号で、鈴木佑司、高橋進、前田哲男、山口二郎、和田春樹、高柳先男、山口定、坪井善明「共同宣言『平和基本法』をつくろう」と提唱。「最小限防御力」など提案。

 

1993年4月

7 カンボジアPKOに参加する自衛隊施設部隊第2陣出発。

1? カンボジアUNTACの国連ボランティア中田厚仁、武装集団に襲撃され死亡。

16 前田俊彦 死去(83歳)maeda.jpg (4270 バイト)(写真は前田俊彦氏。満州事変のころ生まれた人の会の講演会で。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)

1993年5月

4 カンボジアPKOで日本の文民警察官高田晴行、武装集団に襲撃され死亡。

◎この月、ハワード・ジン著『甦れ 独立宣言』(人文書院)刊行。

 

1993年6月

2 『世界日報』、吉川勇一がKGBのエージェントだったという記事を大々的に報道。

13 「自衛隊の即時撤兵とPKOの廃止を要求する6月共同行動」主催の集会とデモ。1,000名。上野公園→西神田公園。

18 衆議院本会議で、宮沢内閣不信任案可決。

21 新党さきがけ結成。●松岡信夫 死去(61歳)

23 新生党結成。

27 東京都議選挙。日本新党が大躍進、社会党惨敗。

 

1993年7月

14 フジテレビ、NONFIX『帰って来た黒人脱走米兵――ベ平連25年目の再開』を放映。

18 衆議院選挙。社会党、凋落。

24 山本満喜子 死去(80歳)

 

1993年8月

6 細川護煕首班指名。(8月9日、8党派連立内閣成立)。●土井たか子衆議院議長に選出。

10 細川首相、先の戦争について「侵略戦争であった」と明言。

20 山口光朔氏(神戸女学院大学名誉教授)逝去。(66歳、腎臓ガン)

 

1993年9月

◎ この月、小田実著『小田実全小説 D ほか』(第三書館)刊行。

 

1993年10月

6 前田俊彦さんを偲ぶ東京の集い。文教区民センター。100名参加。

 

1993年12月

2 中西防衛庁長官、改憲発言で辞任。

4 伊津信之介、大木晴子らの呼びかけで新宿地下広場「フォーク・ゲリラ」同窓会。新宿センタービル。30名参加。

20 和田洋一 死去(90歳)

 

1994年

1994年1月

25 森滝市郎氏 死去(92歳)

29細川首相と自民党河野総裁との間で小選挙区制についての取り引き。自民党案に近い形で衆院通過。

 

1994年2月

3 細川首相、「国民福祉税」構想を発表。翌日撤回。

4 「政治改革関連諸法案」成立。

◎この月、武藤一羊「原点としての朝鮮戦争」、吉川勇一「べ平連――国境を超える運動」(いずれも池田浩士・天野恵一編『思想としての運動体験』社会評論社に所収)刊行。

 

1994年3月

7 久能 昭 死去(63歳)kunoakira.jpg (4527 バイト)写真は久能昭氏。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)

17 『テレビ朝日』、ドキュメンタリ「新宿西口フォークゲリラ再開」を放映。

 

1994年4月

25 羽田孜首相誕生。与党5会派が統一会派形成。翌日、社会党は連立離脱。

◎この月、鶴見俊輔・吉岡忍・吉川勇一編『帰ってきた脱走兵――べトナムの戦場から25年』(第三書館)刊行。

 

1994年5月

7 永野法相、「南京虐殺はでっち上げ」と発言し、辞任。

25 井手佐武郎 死去

◎ この月、記録映画大内田圭也監督『新宿西口地下広場』のビデオ化。

 

19946

27 松本市で猛毒のサリンによる中毒事件発生。

30 村山富市内閣成立。(このあと、社会党党首が首班の内閣で、つぎつぎと社会党の基本政策が変更される。)

 

1994年7月

8 北朝鮮、金日成 死去。

12 ドイツ憲法裁判所、域外派兵に合憲の判断。

20 村山首相、自衛隊合憲の考えを表明。

22 那須正尚さん(元『思想の科学』編集部、『週刊アンポ』編集部)、食道ガンで逝去。53歳。

◎ この月、飯沼二郎著『飯沼二郎著作集C 市民運動研究』(未来社)刊行。

 

1994年8月

14 桜井環境庁長官、「日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではない」と発言し、辞任。

15 「日本はこれでいいのか市民連合」解散。

 

1994年9月

27 河野外相、国連で日本の常任理事国入りに希望表明。

 

1994年10月

4 庄司 洸 死去。shoujiakira.jpg (35275 バイト)(写真は庄司洸氏。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)

13 大江健三郎、ノーベル文学賞受賞。

15 「アンポをつぶせ!武蔵野・三鷹ちょうちんデモの会」のデモ、500回となる。記念集会。講演:もののべながおき、吉川勇一。武蔵野商工会館。デモに20名参加。

◎この月、佐々木譲(小説)『勇士は還らず』(朝日新聞社)刊行。

 

1994年11月

3 『読売新聞』、独自の憲法改定案を発表。

 

1994年12月

10 新進党結成(旧新生・公明・民社・日本新党その他の合同)。

16 鶴見良行 死去(68歳)tsurumiyoshiyuki.jpg (4126 バイト)(写真は鶴見良行氏。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)