1986年1月
16
水沢耶奈 死去。
1986年2月
26
フィリピンのマルコス大統領、国外脱出。アキノ新政権誕生。
1986年4月
26
ソ連でチェルノブイリ原発での大事故発生。29
天皇在位60年記念式典。
1986年6月
7
市川白弦 死去。(84歳)◎ この月、小田実著『われ=われの哲学』(岩波新書)刊行。
1986年9月
6
社会党、土井たか子を委員長に選出。8
藤尾文相、「日韓併合はよいこともした」との発言で更迭。23 西尾昇氏(元世田谷区議)逝去。
(77歳 結腸がん)。ベ平連、原子力情報センターなどに積極的に参加。
1986年10月
15 安田 武 死去。(63歳)
28 衆議院本会議、国鉄の分割・民営化法案可決。
1986年11月
15
三原山噴火。
1986年12月
30
防衛費、1%の枠を突破。
1987年1月
5 水戸 巌 死去判明。(北アルプスでの遭難死はおそらく前年12月末と思われる。53歳)
1987年2月
2 小田実、小中陽太郎、それぞれ東京都知事選挙への出馬を考慮して対立。(どちらも立候補取り止め)
1987年4月
1
国鉄分割民営化。JR発足。
1987年5月
3
朝日新聞阪神支局に銃撃、記者2名が死傷。
5 小島輝正 死去。(67歳)
1987年8月
1 ヴェッセイ米大統領特使、ハノイ訪問、行方不明の米兵の捜索促進に合意。
18 深沢七郎 死去。(73歳)
◎この月、小田実著『強者の平和 弱者の反戦』(日本評論社)刊行。
1987年9月
20 杉山竜丸 死去。(68歳)
1987年10月
26
沖縄読谷村の国体ソフトボール会場で、知花昌一、「日の丸」を焼き捨てる。
1987年11月
?日 西川光治 死去。
6 竹下登内閣成立。
20 同盟、中立労連解散。→20日、全日本民間労働組合連合会(連合)結成。
1988年2月
17 タイとラオス国境紛争停戦協定。
25 韓国、盧泰愚大統領就任。
◎この月、小田実、中山千夏、福富節男、渡辺勉、辻元清美などのよびかけで「市民の意見
30」の起草と意見広告運動始まる。「市民の意見30の会」発足。(→89年1月16日、広告掲載)
1988年3月
14
南シナ海・南沙群島の領有をめぐり、中国とベトナム海軍が交戦。
1988年4月
10 桑原武夫 死去。(83歳)
1988年6月
18 リクルート事件発覚。
◎この月、『久野収対話史 2』(マドラ出版)刊行。
1988年7月
23 横須賀沖で、つり船「第一富士丸」と海上自衛隊潜水艦「なだしお」が衝突。
1988年8月
20 イラン・イラク戦争停戦。
(写真はベ平連デモでの風間道太郎氏〈右端〉。67年3月4日。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)
1988年9月
18 裕仁、吐血。(19日、重態。「自粛」ムードたかまる。)
1988年11月
10 自民党、消費税関連法案を衆院で強行採決。
1988年12月
7
本島長崎市長、「天皇に戦争責任はあると思う」と議会で答弁。24 山田無文 死去。(88歳)
1989年1月
7
裕仁 死去(87歳)14
ベトナム・中国外務次官会議。国境貿易再開。16
「市民の意見30」の意見広告、『朝日新聞』全国版に10ダンで掲載。
1989年2月
2
昌谷忠海 死去(69歳)9
手塚治虫 死去(60歳)
1989年3月
15
江口朴郎 死去(77歳)
1989年5月
8
輸入血液製剤でHIVに感染した血友病患者、国と製薬会社を告訴。16
ゴルバチョフ、訪中。中ソ首脳会談。中ソ関係正常化。
1989年6月
2
宇野宗祐内閣成立。4
天安門事件。軍が学生、市民に発砲、、死傷者多数出る。●ポーランド総選挙で「連帯」圧勝。14 黒田秀俊 死去(84歳)
28 市井三郎 死去(67歳)
1989年7月
23 参議院選挙。社会党が大躍進。
30 カンボジア和平パリ国際会議。
◎この月、栗原幸夫著『歴史の道標から』(れんが書房)刊行。
1989年8月
9 海部俊樹内閣成立。
14 長岡弘芳 死去(57歳)
1989年9月
26 カンボジア駐留ベトナム軍、撤退完了。
1989年11月
9 「ベルリンの壁」、崩壊。
21 総評解散。日本労働組合連合会(連合)発足。全国労働組合総連号(全労連)結成。
1989年12月
2 ブッシュ・ゴルバチョフ会談(マルタ会談)。東西冷戦の終結を宣言。
9 開高 健 死去(58歳)。
(葬儀は翌90年1月12日 青山斎場)
20 米、パナマに侵攻。
22 ルーマニアのチャウセスク政権崩壊。
1990年1月
18 本島等長崎市長、右翼に銃撃され、重傷。
1990年2月
11
南アフリカ黒人解放運動指導者、ネルソン・マンデラ、28年ぶりに釈放。28
在日韓国人政治犯徐勝、19年ぶりに釈放。
1990年3月
6
古在由重 死去(88歳)15
ソ連初代大統領にゴルバチョフ就任。
1990年4月
1
全国の小中学校で「日の丸」「君が代」が義務化。
1990年5月
19
ハワード・ジン来日。(民芸公演『エマ』米倉斉加年演出に立ち会うため。)「ハワード・ジン氏を囲む会」。早稲田セミナーハウス。50名参加。◎この月、山田塊也『アイ・アム・ヒッピー』(第三書館)刊行。
1990年6月
26 飯川四郎氏(奈良、交流の家管理人)逝去。
(77歳 急性呼吸不全)1990年7月
◎この月、京都べ平連『復刻版ベトナム通信』(不二出版)、「トーマス・H・ヘイプンズ著、吉川勇一訳『海の向こうの火事――ベトナム戦争と日本』(筑摩書房)刊行。
1990年8月
2 イラク軍、クエェートに侵攻。
25 国連安保理事会、対イラク「限定武力行使」を可決。
28
国連歩常任理事国5ヶ国がカンボジア包括的和平案で合意。29
日本政府、「中東貢献策」を発表。
1990年9月
3
ベトナムのグエン・ヴァン・リン書記長らが極秘に訪中。中国首脳と会談。?
日 『復刻版 ベトナム通信』出版記念会+シンポジウム。京都・楽友会館。9
カンボジアの紛争4派が国連和平提案を受け入れ。SNC設置合意(ジャカルタ)。13
ソ連、大統領制に移行。ゴルバチョフ就任。14
政府、中東支援策として30億ドル追加支出を決定。
1990年10月
3 東西ドイツ併合。「ドイツ連邦共和国」に。
16 「国連平和協力法案」閣議決定。
1990年11月
9 「国連平和協力法案」、衆院で廃案。
12 平成天皇「即位の礼」。(22日 大嘗祭)
23
市民の意見30の会・東京、自衛隊の海外派兵に反対するネットワーク、『朝日ジャーナル』に「海外派兵反対・国連平和協力法反対」の意見広告掲載。30
国連安保理事会、対イラク武力行使容認決議。◎ この月、栗原幸夫著『革命幻談――つい昨日の話』(社会評論社)刊行。
1990年12月
◎この月、
久野収・鶴見俊輔共著(対談)『思想の折り返し点で』(朝日新聞社)刊行。1991年
1991年1月
2
野間 宏 死去(75歳)13
独立を宣言したリトアニアの首都をソ連軍、制圧。17 米軍を主力とする「多国籍軍」、イラク・クウェートに大規模な空爆開始。(湾岸戦争開始→28日、戦争終結)。
24 政府、「多国籍軍」に90億ドルの追加資金協力、避難民輸送のための自衛隊機派遣を閣議決定。
28
古山洋三 死去(59歳)
(写真はベ平連デモでの古山洋三氏〈右端〉左は小林トミ、中央は栗原幸夫の各氏。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape
では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)
1991
年2月11
村上重良 死去(62歳)
1991
年3月18
日本の市民、米『ニューヨーク・タイムズ』紙に湾岸戦争反対の全面広告を掲載。
1991
年4月16
ゴルバチョフ来日。16
海上自衛隊掃海艇部隊、ペルシャ湾の機雷除去のため出発。
1991
年5月6
ユーゴスラビアでクロアチア人とセルビア人の民族対立が激化。
1991
年7月1
ワルシャワ条約機構、解体。◎この月、小田実著(小説)『ベトナムから遠く離れて(T)』(講談社)以下、8月に(U)、9月に(V)刊行。
1991
年8月19
ソ連でクーデター。失敗。(→21日)22
竹内良知 死去(72歳)24
ゴルバチョフ、共産党書記長を辞任。党中央委員会解散。
1991
年9月6
ソ連、バルト3国の独立を承認。17
南北朝鮮、国連に加盟。◎この月、吉川勇一著『市民運動の宿題』(思想の科学社)刊行。
1991
年10月23
カンボジア紛争、パリ和平協定締結。24
深作光貞 死去(66歳)25 小田実『ベトナムから遠く離れて』出版記念会。私学会館。
◎この月、「PKO協力法案」を国会で審議(→12月)、継続審議に。
1991
年11月5
宮沢喜一内閣成立。◎この月、福富節男著『デモと自由と好奇心と』(第三書館)刊行。
1991
年12月21
「独立国家共同体」(CIS)創設。ソ連邦、解体。
1992年1月
17 訪韓中の宮沢首相、「従軍慰安婦」問題について公式謝罪。
1992年3月
15
国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)発足。◎この月、鶴見俊輔著『鶴見俊輔集B 読書回想』(筑摩書房)刊行。
1992年4月
5 ベ平連同窓会の集まり。早稲田奉仕園。
30名。●神奈川テレビ(TVK)、『父と母の時代』放映。(この中で、ストックホルムにいる日本からの脱走兵、テリー・ホイットモアにインタビュー。)
1992年5月
30
井上光晴 死去(66歳)
1992年6月
5
「PKO協力法案」衆参各委員会、本会議で強行可決。(〜6月15日) 社会党、社民連議員、「総辞職」するも、のち撤回。
1992年7月
6
日本政府、旧日本軍の「慰安婦」問題の実態調査結果報告、軍の関与を認める。
1992年9月
12
山梨県忍野村の吉田泰三宅で旧ベ平連事務局のパーティー。以降毎年5、9月の2回行なうこととする。17
カンボジアPKOに参加する自衛隊施設部隊第1陣出発。20
共産党、野坂名誉議長を解任。(12月27日、除名)
1992年10月
9
今堀誠二 死去(77歳)23 天皇、皇后、中国訪問。
31 新村 猛 死去(87歳)
◎この月、小倉貞男『ヴェトナム戦争全史』(岩波書店)刊行。
1992年11月
4 クリントン、米大統領選で圧勝。
17 テリー・ホイットモア日本招待についての第1回相談会。新宿・梟門。
1992年12月
3 国連安保理、ソマリアに多国籍軍派遣を決議。
11 中村武志 死去(83歳)
19 旧『ベ平連ニュース』読者の忘年会。早稲田奉仕園チャペル。30名参加。
27 平井啓之 死去(71歳)
1993年1月
1 EU誕生。
16 「テリー・ホイットモアと25年目に会う会」(仮称)発起人会。神田パンセ。40名参加。
18 『産経新聞』、ベ平連の脱走兵援助は、ソ連KGBのてこ入れでやっていたとの記事を報道。
20 クリントン米大統領就任。
23 福生市議、遠藤洋一、ホイットモアとの打ち合わせにストックホルムへ。(→2月2日帰国)。
1993年2月
13
NHKテレビ、反戦米脱走兵援助にもふれた市川森一作『私が愛したウルトラセブン』@放映。(Aは20日放映)。25 韓国、金泳三大統領就任。
1993年3月
25 水俣病第3次訴訟、熊本地裁、国の責任を認め、国・チッソ・県に賠償支払いを命令。
27 「帰ってきた脱走兵――ベトナムの戦場から25年」東京集会。発言:鶴見俊輔、海老坂武、吉岡忍、坂本良江ほか。文京区民センター。 200名参加。
28 テリー・ホイットモア訪日。(→ 4月10日まで。この間、横浜、静岡、浜松、京都など訪問。詳しい日程は『帰って来た脱走兵』p.182以降に)
◎ この月、テリー・ホイットモア著、吉川勇一訳『兄弟よ、俺はもう帰らない』(復刻版)(第三書館)刊行。また1967年にベ平連が制作した記録映画『イントレピッド号の4人』などビデオ化、販売。
◎ この月、『世界』4月号で、鈴木佑司、高橋進、前田哲男、山口二郎、和田春樹、高柳先男、山口定、坪井善明「共同宣言『平和基本法』をつくろう」と提唱。「最小限防御力」など提案。
1993年4月
7 カンボジアPKOに参加する自衛隊施設部隊第2陣出発。
1? カンボジアUNTACの国連ボランティア中田厚仁、武装集団に襲撃され死亡。
16 前田俊彦 死去(83歳)
(写真は前田俊彦氏。満州事変のころ生まれた人の会の講演会で。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape
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1993年5月
4 カンボジアPKOで日本の文民警察官高田晴行、武装集団に襲撃され死亡。
◎この月、ハワード・ジン著『甦れ 独立宣言』(人文書院)刊行。
1993年6月
2 『世界日報』、吉川勇一がKGBのエージェントだったという記事を大々的に報道。
13 「自衛隊の即時撤兵とPKOの廃止を要求する6月共同行動」主催の集会とデモ。1,000名。上野公園→西神田公園。
18 衆議院本会議で、宮沢内閣不信任案可決。
21 新党さきがけ結成。●松岡信夫 死去(61歳)
23 新生党結成。
27 東京都議選挙。日本新党が大躍進、社会党惨敗。
1993年7月
14 フジテレビ、
NONFIX『帰って来た黒人脱走米兵――ベ平連25年目の再開』を放映。18
衆議院選挙。社会党、凋落。24 山本満喜子 死去(80歳)
1993年8月
6 細川護煕首班指名。(8月9日、8党派連立内閣成立)。●土井たか子衆議院議長に選出。
10 細川首相、先の戦争について「侵略戦争であった」と明言。
20 山口光朔氏(神戸女学院大学名誉教授)逝去。(66歳、腎臓ガン)
1993年9月
◎ この月、小田実著『小田実全小説 D ほか』(第三書館)刊行。
1993年10月
6 前田俊彦さんを偲ぶ東京の集い。文教区民センター。100名参加。
1993年12月
2 中西防衛庁長官、改憲発言で辞任。
4 伊津信之介、大木晴子らの呼びかけで新宿地下広場「フォーク・ゲリラ」同窓会。新宿センタービル。30名参加。
20 和田洋一 死去(90歳)
1994年1月
25 森滝市郎氏 死去(92歳)
29
細川首相と自民党河野総裁との間で小選挙区制についての取り引き。自民党案に近い形で衆院通過。
1994年2月
3 細川首相、「国民福祉税」構想を発表。翌日撤回。
4
「政治改革関連諸法案」成立。◎この月、武藤一羊「原点としての朝鮮戦争」、吉川勇一「べ平連――国境を超える運動」(いずれも池田浩士・天野恵一編『思想としての運動体験』社会評論社に所収)刊行。
1994年3月
7 久能 昭 死去(63歳)
写真は久能昭氏。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape
では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)
17 『テレビ朝日』、ドキュメンタリ「新宿西口フォークゲリラ再開」を放映。
1994年4月
25 羽田孜首相誕生。与党5会派が統一会派形成。翌日、社会党は連立離脱。
◎この月、鶴見俊輔・吉岡忍・吉川勇一編『帰ってきた脱走兵――べトナムの戦場から25年』(第三書館)刊行。
1994年5月
7 永野法相、「南京虐殺はでっち上げ」と発言し、辞任。
25 井手佐武郎 死去
◎ この月、記録映画大内田圭也監督『新宿西口地下広場』のビデオ化。
1994
年6月27 松本市で猛毒のサリンによる中毒事件発生。
30 村山富市内閣成立。(このあと、社会党党首が首班の内閣で、つぎつぎと社会党の基本政策が変更される。)
1994年7月
8 北朝鮮、金日成 死去。
12 ドイツ憲法裁判所、域外派兵に合憲の判断。
20 村山首相、自衛隊合憲の考えを表明。
22 那須正尚さん(元『思想の科学』編集部、『週刊アンポ』編集部)、食道ガンで逝去。53歳。
◎ この月、飯沼二郎著『飯沼二郎著作集C 市民運動研究』(未来社)刊行。
1994年8月
14 桜井環境庁長官、「日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではない」と発言し、辞任。
15 「日本はこれでいいのか市民連合」解散。
1994年9月
27 河野外相、国連で日本の常任理事国入りに希望表明。
1994年10月
4 庄司 洸 死去。
(写真は庄司洸氏。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape
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13 大江健三郎、ノーベル文学賞受賞。
15 「アンポをつぶせ!武蔵野・三鷹ちょうちんデモの会」のデモ、500回となる。記念集会。講演:もののべながおき、吉川勇一。武蔵野商工会館。デモに20名参加。
◎この月、佐々木譲(小説)『勇士は還らず』(朝日新聞社)刊行。
1994年11月
3 『読売新聞』、独自の憲法改定案を発表。
1994年12月
10 新進党結成(旧新生・公明・民社・日本新党その他の合同)。
16 鶴見良行 死去(68歳)
(写真は鶴見良行氏。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape
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1995年1月
17 阪神淡路大震災発生。
30
ホロコースト否定記事で『マルコポーロ』廃刊。●米、スミスソニアン博物館「原爆展」中止。
1995年3月
20
都内の地下鉄で同時多発的にサリンが撒かれる大テロ事件発生。(地下鉄サリン事件)(22日 警察、オウム真理教教団施設を強制捜索)。
1995年4月
5
「戦後50年国会決議を求める会」主催シンポジウム、「国会決議はどうあるべきか」発言:和田春樹、高橋武智、上杉聡、司会:内海愛子 総評会館 150名。9
統一地方選挙で、東京に青島幸男知事、大阪に横山ノック知事が誕生。
1995年5月
11 いずみたく 死去(62歳)
31
青島都知事、世界都市博中止を決定。
1995年6月
9
衆議院で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」(戦後50年国会決議)を採択。
1995年7月
24 文部省と日教組、和解。
◎ この月、吉川勇一編『反戦平和の思想と運動 コメンタール戦後50年C』(社会評論社)刊行。
1995年8月
15 市民の意見30の会など、『朝日新聞』全国版に戦後50年「市民の不戦宣言」7ダン意見広告を掲載。
18 日本テレビの「驚きもものき20世紀」の番組、「ベ平連・友情の大脱走作戦」(えふぶんの壱制作)を放映。ベ平連の脱走兵援助活動の記録。
◎この月、久野収『市民として哲学者として(聞き手 高畠通敏)』(毎日新聞社)刊行。
1995年9月
4 沖縄で米兵による少女暴行事件発生。●北京で第4回世界女性会議(→15日)
5 フランス、ムルロア環礁で核実験。
18 松村 雄 氏死去(58歳)。松村氏は横浜ベ平連事務局長をつとめた。
28 太田沖縄県知事、米軍用地の強制収容の代理署名拒否を表明。
1995年10月
19 丸木位里 死去(94歳)
21 沖縄、基地抗議県民総決起大会(8万5千人参加)。
1995年11月
18 第2期ジャテックの実際を聞く会。京大会館。11名参加。
25 「ベトナマコスの会――鶴見良行さんの歩いた道」 国際文化会館。110名参加。発言:鶴見和子、吉川勇一、赤嶺 、中村尚志ほか。その後、同会館で鶴見さんを偲ぶパーティー。
28 新防衛計画大綱、閣議決定。
◎この月、鶴見良行『東南アジアを知る――私の方法』(岩波新書)刊行。
1995年12月
14 政府、オウム真理教に破防法の団体適用を決定。
1996年1月
7 村山首相、辞意を表明。(橋本竜太郎への「禅譲」との理由)。
1996年2月
6 米、カリフォルニア州ベンドルトン基地で、元海兵隊員で70年以来脱走していたダン・ベイリー伍長(45歳)が、脱走罪で起訴され、軍法会議にかけられる。(『琉球新報』2月7日夕刊に掲載のロサンゼルス6日発の共同電)。
1996年4月
◎この月、小田実著『被災の思想 難死の思想』(朝日新聞社)刊行。
1996年8月
15 丸山真男 死去(82歳)
1996年9月
8 沖縄県民投票。6割が基地に反対。
◎この月、小田実著『でもくらてぃあ』(筑摩書房)刊行。
1996年11月
写真は吉田泰三氏。1973年12月13日。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)
1996年12月
15 もののべながおき 死去(80歳)。
(写真はもののべながおき氏。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape
では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)
◎この月、阪東恭一とおじさん文化探検隊編『ニッポン・グラフィティ19XX』(二期出版)刊行。(この中に東一邦「『べ平連』の時代」を所收)。
1997年2月
2 「吉田泰三君を思う会」 市ヶ谷アルカディア。150名参加。
19 埴谷雄高 死去。(87歳)
22 「もののべながおき氏を追悼する会」武蔵野公会堂、約50名参加。
1997年4月
24 大野静子 死去。(70歳) 歌人で、ベトナム反戦の歌など多数。
◎ この月、ハワード・ジン著『アメリカ同時代史』(原題は "You Can't Be Neutral on a Moving Train ――A Personal Hisory of Our Times"という自叙伝)の邦訳出版。明石書店 \2,800 + 税
1997年7月
20 「ほびっと」同窓会。岩国市半月庵で。元マネジャーの中川六平、メンバーだった岩国在住の富田裕明、岩瀬成子らのほか、京都から鶴見俊輔、鈴木正穂夫妻、福岡から石崎昭哲氏ら約40名参加。
1997年11月
13 竹内泰宏死去。(67歳)
◎ この月、D・デリンジャー著、吉川勇一訳『「アメリカ」が知らないアメリカ』(藤原書店)刊行。
1997年12月
3
6 講演とシンポジウム(デリンジャー・小田実)主催・日米平和友好条約を推進する会、神田パンセ 701会議室 13:30 pm〜16:30 約100名参加。
7 講演とシンポジウム(デリンジャー・小田実)主催・市民の意見30・関西、東淀川勤労者センター
9 ジェラルド・メイヤーズ氏(1968年11月5日、北海道で逮捕され、強制送還、軍事裁判となった米脱走兵、当時19歳)が初来日。
11 ジェラルド・メイヤーズ氏歓迎パーティ。国際文化会館。鶴見俊輔、大島孝一、吉岡忍、山口文憲氏ら約30名出席。
13 D・デリンジャー自伝『「アメリカ」が知らないアメリカ』(藤原書店)出版記念会。東京・市ヶ谷アルカディアにて。約150名参加。
14 石谷行、阿木幸男らの呼びかけで、デリンジャー夫妻を囲む非暴力行動についての懇談会。東京・早稲田セミナーハウス。約30名参加。
1998年2月
18 NHK教養番組、ETV特集でD・デリンジャー氏の滞日中のドキュメンタリーを放映。
21 宮島義勇氏死去(88歳)。
1998年4月
24 安東仁兵衛氏死去(70歳)。安東氏は1966年8月のベ平連主催「ベトナムに平和を!日米市民会議」に日本代表として参加。
1998年5月
14 山田典吾氏死去 (81歳)。山田氏は、ベ平連初期に、記録映画『ベトナムに平和を!』を監督、作製。
◎ この月、坂元良江・関谷滋編『となりに脱走兵のいた時代』(思想の科学社, \5,700 + 税)出版。
1998年6月
3 松田道雄氏死去(89歳)。松田氏は、1968年8月の京都における「反戦と変革に関する国際会議」に日本代表として参加。そのほか、脱走兵の治療の世話など、多くの面でベ平連に協力された。
7 米CNNテレビが、ベトナム戦争中の1970年9月に、米軍がラオス、北ベトナムでサリン爆弾を使用したと報道。 (この件についての報道は 「ニュース欄」 No.29を参照のこと。) 後に誤報としてすべて撤回、謝罪。関係者を処分。
9 土師政雄氏死去(72歳)。土師氏は、数学者で、『方向感覚』の同人。ペンネームは野見隆介。代ゼミ、河合塾、駿台など予備校で教鞭をとる。1995年3月の市民のベトナム反戦デモ(ベ平連以前の東京での市民デモ)の企画に参加して以来、ずっとさまざまなベ平連運動に参加。
1998年7月
2 米国防総省のベーコン報道官、記者会見で、ベトナム戦争当事、沖縄の米軍基地に毒ガスのサリンが貯蔵されていたと述べる。(『朝日』98/07/03)
4 「大泉市民の集い」30年の会。練馬区・大泉教会で開催。約50人参加。『大泉市民の集いニュース 復刻版』も出版される。
5 『となりに脱走兵のいた時代』出版記念シンポジウム、および記念パーティ。13:00〜19:00。国際文化会館。約150名参加。パネリストは遠藤洋一、坂元良江、関谷滋、高橋優子、本野義雄、山口文憲。パーティの参加者は約50名。
11 京都で 『となりに脱走兵のいた時代』出版記念の催し。18:00〜。左京区・京大会館。
1998年8月
◎ この月、
吉岡忍著『路上のおとぎ話』(朝日新聞社)、小中陽太郎著『青春の夢』(平原社)出版。
1998年9月
5 堀田善衞氏、脳梗塞で死去。80歳。
25 小中陽太郎著 『青春の夢』(平原社)出版記念会。市ヶ谷アルカディア。約150名参加。
◎この月、久野収 『久野収集』 第X巻 (岩波書店)出版。
1998年10月
12 佐多稲子氏、敗血症で逝去。94歳。
15 横須賀からの米脱走黒人兵と日本人妻を主人公とした劇映画 『Mr.P's Dancing Sushi Bar』 の試写会、旧べ平連の脱走兵援助活動参加者らを招いて東京で行なわれる。
30 鈴木均氏、逝去。
1998年11月
1 自衛隊朝霞基地で3年ぶりに「中央観閲式」が開催される。浦和市民連合のデモ(200人参加)ほか、市民団体による複数の抗議でもが行なわれる。
◎この月、『鶴見良行著作集 全12巻』(みすず書房)刊行はじまる。
1998年12月
? 寺沢迪雄氏死去。寺沢氏は60〜70年代、水戸平和問題懇談会の中心メンバーとしてべ平連活動に積極的に参加。
1999年1月
10 神奈川県立近代文学館主催の「開高健展」はじまる。(横浜市・港の見える丘公園内の同文学館で 5月16日まで) 展示の中の「第3部 ヴェトナム」では、べ平連での開高健の写真、その他が展示される。
1999年2月
4 夏堀正元氏、大腸ガンで逝去。73歳。
6 鈴木均氏を偲ぶ会。神楽坂の日本出版クラブ会館で開催。約100人出席。鶴見俊輔さんら挨拶。
9 久野収氏、死去。88歳。翌10日、伊東市の川奈斎場で火葬。約100人列席。故人の意思により、葬儀などなし。
(写真は久野収氏。1997年9月6日。クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)
1999年3月
14 吉川勇一著『いい人はガンになる』の出版記念会。(東京全日空ホテル、210名参加)。
24 自衛隊、初の海上警備行動。日本海で「不審船」に威嚇の実弾射撃、爆弾投下。●この日、NATO軍、ユーゴへの空爆開始。
◎ この月、小田実,D・デリンジャー著『『人間の国」へ――日米・市民の対話』(藤原書店)刊行。
◎ この月、吉川勇一著 『いい人はガンになる』 (KSS出版)、 D・デリンジャー/小田実著『「人間の国」へ』 (藤原書店)刊行。
1999年4月
17 シンポジウム「鶴見良行の国境の超え方」に200人参加。上智大学。基調講演が花崎皋平、パネリスト=内海愛子、ダグラス・ラミス、宮内泰介、村井吉敬。
27 周辺事態法など、新ガイドライン関連法案が衆議院通過。反対は、社、共、民主。
1999年5月
12 アジア太平洋資料センター(PARC)主催の「自由学校」で、「鶴見良行の足跡と思索」を学ぶ12回連続の講座開講。第1回は、吉川勇一「鶴見良行はなぜアジアへ向かったか」。
16 神奈川県立近代文学館の「開高健展」、約1万人の訪問者があり、盛会裏に終了。
21 東京・明治公園で新ガイドライン関連法案反対の共同行動。5万人が参加、国会などへデモ。
24 新ガイドライン関連法案、参議院本会議でも、自民、自由、公明の賛成で通過。民主党は、3法案のうち、「周辺事態安全確保法」にのみ反対。すべてに反対は、共産、社民両党。
1999年6月
12 山口健二氏逝去。山口氏は、元ML派活動家で、『世界革命運動情報』誌の編集などにあたったが、べ平連とジャテックの脱走兵援助に協力した。詳しくは坂本良江・関谷滋編『となりに脱走兵のい時代』(思想の科学社、1998年)の p.44 - 49 参照。
1999年7月
4 新宿、東京ヒルトンホテルで「土師政雄さんを偲ぶ会」開催。150名参加。