1976

1976年1月

8 周恩来中国首相 死去。

◎この月、鶴見俊輔著『鶴見俊輔著作集D 時論・エッセイ』(筑摩書房)、花崎皐平著『風はおのが好むところに吹く』(田畑書店)刊行。

 

1976年2月

4 米議会でロッキード事件発覚。

 

1976年3月

14 ロッキード問題市民共同デスク、『週刊ピーナツ』創刊。(→777月まで)。

 

1976年4月

14 民主カンブチア政権発足。ポル・ポト首相、キュウ・サムパン議長。

25 ベトナム南北統一総選挙。

 

1976年6月

24 ベトナム統一国会開く。

◎この月、吉川勇一「人民の手による国際主義」(安藤彦太郎編『現代史への挑戦』時事通信社に所収)刊行。

 

1976年7月

1 ベトナム南北統一。ベトナム社会主義共和国成立。

27 ロッキード事件で田中角栄逮捕

 

1976年8月

◎ この月、小田実著『「殺すな」から』(筑摩書房)刊行。

 

1976年9月

9 毛沢東中国主席 死去。

 

1976年10月

20 日本滞在のベトナム難民850人のうち、500人を米が引き取り。

22 中国、江青ら「4人組」逮捕。

◎この月、小田実が「北朝鮮」を訪問、金日成主席と会談。その際、日本から同国に渡った韓国軍脱走兵、金東希のことを訊ねたが、知らないが、調べさせるとの答え。後に「調べたがそんな人物はいない」との回答が送られてきた。(小田『「ベ平連」・回顧録でない回顧」p.161)

◎この月、高畠通敏著『自由とポリティーク』(筑摩書房)刊行。

 

1976年11月

1976年11月

5 政府、防衛費をGNPの1%以内とすることを決定。

 

1976年12月

1976年12月

24 福田赳夫内閣成立。

 

1977

1977年1月

20 米カーター大統領就任。

31 南ベトナム解放戦線・平和勢力連合がベトナム祖国戦線に吸収される。

◎この月、栗原幸夫著『肩書きのない仕事』(三一書房)、岩瀬成子著(小説)『朝はだんだん見えてくる』(理論社)刊行。

 

1977年2月

1 『労働情報』創刊。

 

1977年3月

3 竹内 逝去。(67歳)

 

1977年9月

28   日本赤軍、日航機をハイジャックしてダッカ空港に強行着陸。●カンボジアのボル・ポト首相ら訪中。親中国路線明確化。

 

1977年9月

31  カンボジア、ベトナム国交断絶。

 

1977年12月

◎この月、日本滞在のベトナム難民に就労許可。

 

 

1978

1978年3月

26 反対派ゲリラ、成田空港の管制塔を占拠、破壊。開港延期。

27 鈴木武樹 死去。(43歳)suzukitakeju.jpg (24350 バイト)(右の写真をクリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)クリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を、netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)

 

1978年4月

25 村松博雄氏逝去。(51歳) 医師、医事評論家。ベ平連には最初から参加。多くのベ平連メンバーの健康管理などを無料でしてくださった。

30 ベトナム在住華人が中国へ大量帰国開始。

 

1978年5月

3 国連のベトナム難民援助計画に、日本、18500万円(約700万ドル)を拠出。さらに1千万ドルを追加拠出。

20 新東京国際空港開港。

23 1回国連軍縮特別総会(→630日)

25 カンボジア東部軍管区で反乱失敗、ヘン・サムリンらベトナムに逃亡。

30 中国、ベトナムへの援助打ち切り通告。

 

19786

◎ この月、小田実(対談)『タダの人の思想から』(旺文社文庫)刊行。

 

1978年7月

3 中国技術者、ベトナムから総引き揚げ。

16 ベトナムからの難民急増。月間9千人。

30 ベトナム難民に日本で初めて定住許可が下りる。

 

1978年8月

12 北京で日中平和友好条約調印。

 

1978年11月

3 ベトナム・ソ連友好協力条約調印。

26 日米防衛協力指針(ガイドライン)策定。

 

1978年12月

2 カンプチア救国民族統一戦線結成。ポル・ポト時代の政策を否定。

7 大平正芳内閣成立。

8 宇井純、小田実、矢崎泰久、吉川勇一らのよびかけで「現状を考える人びとの会」発足。

13 インドシナ難民対策会議で、日本代表、「財政面で貢献」と消極発言。

25 ベトナム正規軍、大挙してカンボジアに侵入。

26 日本、難民救済に1250万ドルを追加拠出。

 

1979年

1979年1月

1 米中国交回復。

7 カンボジア救国民族統一戦線・ベトナム軍、プノンペンに侵攻、陥落。

17 米国の民間団体「インドシナ難民市民委員会」、日本の難民対策を厳しく批判。

◎この月、米国、7811月までの難民流出は475千人に達したと発表。

 

1979年2月

7 日本、「東南アジア難民問題対策研究室」を発足。

17 中国軍、中越国境で攻撃。(中越戦争。→316日)

◎この月、「ただの市民が戦車を止める」会編『戦車の前に座り込め』(さがみ新聞労組)刊行。

 

1979年3月

5 中国、ベトナムから撤兵開始。

16 いいだもも、色川大吉、小田実、久野収、中山千夏、日高六郎、福富節男、吉川勇一、吉岡忍、吉野源三郎ら61名、インドシナ問題についての共同声明を発表。抗争に終止符を打つことをアピール、日本政府に難民救済を要求。(この声明全文は、吉川勇一個人ホームページの「論争・批判」欄の「井川一久さんとのやりとり」に出ています。)

28 米、スリーマイル島原発放射能漏れ事故。

 

1979年4月

3 日本、インドシナ難民定住ワクを500人に拡大。(7日、米、日本の難民対策に不満を表明。援助金支出の増大を要求。23日、日本、500万ドル援助を決定。59日、さらに1千万ドルの援助金追加。)。

18 A級戦犯、靖国神社に合祀。

 

1979年6月

13 米下院の公聴会で国務次官補が「日本への難民定住許可はたった3人」と日本を非難。

21 「元号法」公布。

23 日本政府、インドシナ難民の定住枠を500名から漸次拡大の方針を決定。

◎ この月末、パリで難民救済を要求するデモ。「ベトナムに救済船を委員会」に派のサルトル、保守派のレイモン・アロンら参加。

 

1979年7月

3 国連難民会議に園田外相参加。

11 総理府内に「インドシナ難民対策連絡調整会議」が発足。

20 国連難民会議開幕。

◎ この月、花崎皋平著『いのちをわかちあう』(田畑書店)刊行。

 

1979年8月

8 丸紅が難民センター設立に200万円の資金援助。民間企業で初めて。●UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)日本支部開設が決定。

24 中野重治 死去。(77歳)

◎この月、吉川勇一「イデオロギー大攻勢としての『ベトナム難民』問題」、『スト権月報』8月号に掲載。

 

1979年10月

2 韓国、朴正熙大統領、射殺される。

6 9月以降、ボート・ピープルが再び増加。

◎ この月、『季刊 クライシス』創刊。(→90年冬)

 

197911

2 戸村一作 死去。(70歳)

17 全国地域婦人団体連絡協議会が、難民救済に1億円寄付。

 

197912

27 ソ連軍、アフガニスタン侵攻。

 

1980

1980年3月

◎この月、吉川勇一「国境を超える運動」(新村猛・松浦総三編『あえて言う――中国とソ連への直言』 すずさわ書店に所収)刊行。

 

1980年5月

18 韓国光州で民主化を求める市民、学生が蜂起。(27日、軍による武力制圧。光州事件)

 

1980年7月

17 鈴木善幸内閣成立。

 

1980年8月

13 乙骨淑子 死去。(51歳)

23 伊藤律、北京で生存確認。(→93 帰国)。

 

1980年9月

2 全斗煥、韓国大統領に就任。

9 イラン・イラク戦争勃発。

10〜16 岩瀬成子『朝はだんだん見えてくる』が、劇団民藝により公演。(劇化=大橋喜一、演出=高橋清祐、出演=日色ともゑ ほか) 東京・砂防会館ホール。

22 ポーランドで自主管理労組「連帯」結成。(委員長=ワレサ)

◎ この月、宇都宮軍縮研究室『軍縮問題資料』創刊。

 

1980年11月

◎この月、本多勝一編『虐殺と報道』(すずさわ書店)刊行。(吉川勇一「カンボジア虐殺をどうみるか」など所収)。

 

 

1980年12月

8 ジョン・レノン射殺される。

22 「日本はこれでいいのか市民連合」(日市連)発足集会。全電通会館。(→23日まで)。「われわれの市民宣言(案)」など発表。(代表=色川大吉、小田実)(→19948月)

 

1981

1981年1月

20 レーガン大統領就任。

 

1981年3月

25 朝日新聞世論調査で、安保条約評価が初めて過半数となる。

27 小西誠反軍裁判で無罪確定。

 

1981年5月

8 日米首脳会談、「日米同盟」・防衛の役割分担を明記。

17 ライシャワー元駐日大使、核積載艦の日本寄港について、「21年前から了解済み」と発言。

23 吉野源三郎 死去。(82歳)

 

1981年10月

6 北添忠雄(忠耀) 死去。(83歳)kitazoetadao.jpg (7910 バイト)(写真左端が、べ平連デモの先頭に旗を持つ北添忠雄。清水谷公園で。撮影=佐藤元洋。右の写真をクリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)

 

1982年

1982年1月

20 文学者の反核声明。(吉本隆明が批判し、反核論争起こる。)

 

1982年3月

21 反核広島集会。30万人参加。(523日は、東京集会40万人参加)

 

1982年6月

7 2回国連軍縮問題特別総会。(→710日)

22 反ベトナム3派、民主カンボジア連合政府樹立。

26 教科書検定、「侵略」を「進出」になどの指示が問題化。(726日、中国政府、83日、韓国政府がそれぞれ、抗議や記述訂正申し入れ。)

 

1982年8月

◎この月、ベトナム映画『無人の野』(グェン・ホン・セン監督、1980年作品)上映。東京・岩波ホール。

 

1982年11月

12 逗子市、「池子米軍住宅建設に反対して自然と子供を守る会」結成。

26 中曽根康弘内閣成立。

 

1982年12月

14 全日本民間労組会議(全民労)結成。

24 小田実・玄順恵結婚式。神戸・相楽園。

◎この年、『日本国憲法』(小学館)ベストセラーに入る。

 

1983

1983年1月

17 中曽根首相訪米。「日米は運命共同体」と談話。(1月19日には「不沈空母」発言)

26 ロッキード裁判で田中角栄有罪判決。

 

1983年2月

10 横浜で中学生がホームレスを襲撃、殺害。

12 国分一太郎 死去。(73歳)

20 中野好夫 死去。(81歳)

24 米議会の「日系市民の戦時強制収容問題委員会」戦時中の日系人強制収容を不当と結論。

 

1983年3月

27 三里塚図空港反対同盟、北原派と熱田派に分裂。

 

1983年6月

8 羽仁五郎 死去。(82歳)

 

1983年7月

24 岡村昭彦 死去。(56歳)

 

1983年10月

15 古屋能子 死去。(63歳)furuyahoshiko.jpg (10971 バイト)右の写真をクリックすると大きな写真が見られます。戻るには上部のツールバーの「戻る」を netscape では「ジャンプ」の中の「戻る」を押してください。)

 

1984年

 

1984年1月

5 中曽根首相、現職首相としては戦後初の靖国神社参拝。

◎ この月、反天皇制運動連絡会(反天連)結成。

 

1984年2月

◎この月、鶴見俊輔著『戦後日本の大衆文化史』(岩波書店)、夏堀正元著(小説)『木製の飛行機』(実業の日本社)刊行。

 

1984年3月

7 橋本峰雄 死去。(59歳)

◎この月、岩瀬成子著(小説)『額の中の街』(理論社)刊行。

 

1984年5月

◎この月、高嶺朝一著『知られざる沖縄の米兵』(高文研)刊行。

 

1984年6月

22 山西英一 死去。(85歳)

 

1984年9月

15 青地 死去。(75歳)

 

1984年11月

6 米、レーガン大統領再選。

11 逗子市で、米軍住宅建設反対派の富野候補が市長に当選。

 

1984年12月

◎この月、古屋能子著『新宿は、女の街である。』(第三書館)刊行。

 

1985

1985年1月

9 藤井日達 死去。(99歳)

 

1985年5月

17 男女雇用機会均等法成立。

 

1985年6月

6 自民党、国家秘密法国会上程。(12月20日廃案。)

 

1985年7月

◎ この月、なだいなだ著(小説)『影の部分』(毎日新聞社)刊行。

 

1985年8月

12 日航機、群馬県御巣鷹山に墜落事故。

◎この月、清水知久著『ベトナム戦争の時代――戦車の闇・花の光』(有斐閣新書)刊行。なお小田実批判の河邑重光著『反共市民主義批判』(新日本出版社)も。