京都府反戦市民運動グループ一覧

(あいうえお順)

1

宇治Mアンポ社

1970/05 (N) No.57

2

宇治から基地をなくす会

 

3

桂基地を考える会

 

・機関紙――『かつら瓦版』1973/05に第2号 73/12に号外

4

北地区反戦市民の会

1970/011973/05 (資) p.270, (N) No.94

・定例学集会――毎週土曜日 600pm 同志社大学生会館会議室 (ア)8-5

・機関紙――『おなら 1974/04に第49号発行 

5

京都アンポ社

1970/04 連絡先=京都市左京区吉田中大路町17 鈴木正穂気付

1969/09 (資) p.151 

6

京都高校生ベ平連

 

7

京都反戦反安保市民行動委員会

1970 連絡先=京都市左京区北白川山田町 飯沼二郎気付 (ア)11-4

・定例会議=四条寺町 労働会館会議室 (ア)8-5

8

京都府立大ベ平連

1966/11 (N) No.16

9

京都ベ平連

1965/05/  〜1973/ 京都の各べ平連グループの連合体(代表=飯沼二郎、事務局長=北沢恒彦)。

・定例デモ――毎月第1月曜日 6:00 pm 市役所前から丸山公園まで

・機関紙――『ベトナム通信』 (月刊)タイプ 6頁 1967/02/01創刊、1973/07に終刊号、1974/10にエピローグ号(合本あり)

10

自衛隊市民反戦共闘

・機関紙――『ヘイタイ・ススムナ 1970/10/11に第3号発行 ☆

11

同志社ベ平連*

同志社大学学生会館1階にベ平連BOXがあり、同志社大生だけでなく同志社高校などもよく出入りしていた。反戦自衛官連帯委員会や京都水俣病を告発する会も同じBOXを利用して活動していた。少なくとも1972年〜76年の間。(談話室69次田)(談話室89次田)

 同志社大学でのべ平連活動は私とあと2名での3名でスタートしました。鶴見先生とは当初は全く関りを持っていませんでした。西門でベトナム反戦のビラをまいてるうちに何人か集まり、明徳館ウラの読書室に集まっていました。学生会館の別館がBOXになったのは、大学の全学封鎖以後で、高校生や浪人生なんかも何人かこのBOXに来ていました。

(談話室104岡本敏雄

12

同志社大学教職員べ平連

 

・機関紙――『べ平連パンチ 1970/06/12に第7号発行 ☆

13

橋の下大学

定例行動――三条大橋下 (ア)11-4

14

反戦もみじ連合

1969/01 (資) p.508

15

仏大ベ平連

1969年に存在。活動としては、1970年の沖縄デーに学内で集会を行ったあと京都べ平連のデモに参加。

大学の公式表記は「彿教大学」(彿大)だが、当時は「仏教大学」(仏大)という表記が一般的だったようで、当大学の組織も「仏大ベ平連」と記されてあった。(佛大の学生新聞:S45発行に記載)。(「談話室」106現役生)

16

ベトナムに平和を!伏見の会  (伏見べ平連)

1970 連絡先=京都市伏見区深草西伊達町1-45 里地方 (ア)11-73

・機関紙――『ベトナムに平和を!伏見の会 1970/08/08に第29号発行 ☆ 1968/101973/05 (N) No.38, 93

17

べ平連きょうと

「京都べ平連」の中にあったグループで、三菱重工の反戦株主活動など次田哲治氏よりのメールによる情報)

18

ほびっと友の会・京都

・機関紙――『ほびっと友の会通信』

19

堀川高校『べ平連』連絡会議*

 

・定例デモ――京都べ平連と同じ*

・機関紙――『堀川べ平連ニュース』 (不定期)*

20

南ベトナムの政治犯を釈放するための運動・京都

代表=飯沼二郎、

・機関紙――『政治犯通信』(50円、次田哲治、寺田勇文氏らが編集) 1974/04/25に第2号発行。(次田哲治氏よりのメールによる情報)

21

立命館べ平連*

 

22

竜谷大べ平連*

1969/01 (N) No.40

( 出典:* 印は、19691月末の調査リストにある情報、☆印は、19711月の調査による情報、(N)は『べ平連ニュース』 (資)は、河出書房新社刊の『資料・「べ平連」運動』3巻、(脱)は、『脱走兵通信』が、(ア)は『週刊アンポ』が出典であることを示す。京都の場合は、『復刻版 ベトナム通信』が情報豊富。)

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