これはかつて「週刊アンポ社」(ベ平連が作った有限会社)が発行していた『週刊アンポ』に掲載された支持者からの小説です。すべて、原稿料無料で『週刊アンポ』のために提供されたものです。

(『週刊アンポ』 第8号 1970年2月23日号)

好きになるということはの日記

   深沢七郎    (挿絵:粟津潔)    fukazawa-awadu.jpg (23089 バイト)        

  私には嫌いな人物は多いが好きな人物はほとんどわずかしかいない。とくに日本歴史に出て来る人物はほとんど嫌いだ。まず、武将だが、これは、ナポレオンでもヒットラーでも土地欲と、権力欲で戦争をやったようなものだから武将とは土地の奪い合い喧嘩の商売人だと思っている。次に政治家だが、これも武将と同じようなものだと思っている。次に宗教家だが、これがまたとんでもない人たちだと思う。宗教家はまず自説を拡げながら建物をたてる。つまり儲かる商売のようである。戦国時代の一向宗など戦争と政治に介入したのも信仰と儲けがついて廻っていたからのようである。現代でも新興宗教だとか、政治介入だとか言われているようだが、それはどの宗教でも同じだと思う。どんな宗教でも始めは新興宗教のはずではないだろうか。私が宗教家が嫌いなのは儲けが上手なので建物をたてたり、時の権力家にとり入って権力を持ったりするからだ。そして武将だとか、宗教家だとかを歴史は偉人というような立場に置いてしまうからではないだろうか。

 特に、私が、よく感じるのは芸術家にも妙に金儲けの上手なのがいて、それらは商人のような儲け方法ではなく、威張っていて金を持って来させるようなシステムで儲けるからである。これを私は「持ってこい偉人」と呼んでいる。例を茶道にとってみるとその方法が上手にできているのがわかる。おそらく、千利休が、そんなシステムに仕度をしたのだと思われるが、例えば、あなたが茶道を習うとしよう。行為をするには習わなければならないからである。独学とか、本では習えない仕組になっている。茶道は10年習いに行っても、本当には上手にはならないそうである。何故だろう。茶道は踊りの種類だから本当のわずかな身振りで、三味線の節で習えば1週間ぐらいで覚えることが出来るはずである。ところが、茶道を習いに行くと、先生が、まず覚えられては困るという教えかたをしているのをおおかたの女性は気がつかないようである。1週間に1回で、1回しかやらない。だから次の週に行くときはほとんど忘れている。本当にわずかな身振りだが、もし、覚えそうになる生徒があると先生は教えるのを止めてしまう。「今日は、お茶を立てる側ではなく、客になったほうをやりましょう」そういうことになって、そっちとまぜこぜになって、無理にわからなくしてしまうのである。わずかの踊りの身振りなのだから、どうせ毎日習いに行くのだから、20回も30回も教えたらよさそうなものだがそれでは覚えられてしまうのである。3カ年ぐらいではまだ身撮りの順序も覚えられない生徒があるそうである。先生は威張っていて叱りつけるような、馬鹿にするような教えかただそうである。中途で止めれば悪口を言われるそうである。1度入学するとヘビに見込まれたカエルと同じ、だそうである。ほかに名をもらうとか、場所へ出されるとかで月謝のほかに金をださせる。中元だ、お歳暮だとか威張っていて「持って来い持って来い」という仕組になっている。こんなうまい方法を考えた人、している人が偉人なのだそうである。花を生ける、琴、三昧線も威張られて金を出さされる。とにかく日本人で嫌いな人物ばかりである。歴史の人物では私は西行法師が好きだけである。現存する人物ではO氏だけである。言うこと、やること、好きになるとその人物や発声まで好きになるから妙である。好きになるということ、それは、その人物は芸術作品だと私は思う。                        (おわり)

(『週刊アンポ』 第8号 1990年2月23日号)

『週刊アンポ』の索引のページにもどる

placardhome.gif (1513 バイト)