1965年5月

小田実・ふつうの市民のできること(毎7)

小田実・世界へひらく運動を(読新17)

いだもも・多色的な平和を(日本のこえ25)

開高健・歴史の流れには勝てぬ(週朝21)

井上明・平和のために歩こう(現理)

上田耕一郎・「ベトナムに平和を」のスローガンについて――大衆の平和の願いを逆用する修正主義者の企図(赤11)

ただ1つ、ベトナムに平和を!(読人17)

霜田正次・「ベトナムに平和を!」への疑問(赤23)

蔵原惟人・ベトナム問題と知識人・文化人のたたかい(赤21)

 

1965年6月

桑原武夫・ベトナムについての感想(展)

開高健・ベトコンはなぜ強いかなど(中公)

久野収・〈インタ〉市民運動の論理と行動(読新14)

西勝・「ベトナムに平和を」のデモに参加して(思科)

いいだもも・水不足の夏を前にして(声)

和泉あき・「ヴェトナムに平和を」をめぐって(わだつみの声)

新村猛ほか・〈座〉岐路に立つ日本の平和運動(現眼)

井上明・千万人のはがき運動の提案(現理)

河合秀和・“ベトナム”をどう把えたか、投書に見る国民の意識(世・臨増)

大橋周治・ベトナム戦争反対行動の統1点は?(現理)

ベトナム戦争と「国民行動の日」(朝ジ20)

 

1965年7月

久野収・日米共同デモの意味(思想)(のち『思想の言葉 1』《岩波書店 2001年3月》に採録)

小田実・戦争と平和のあいだのアメリカ人(中公)

開高健・ベトナム戦争反対の広告(文芸)

吉川勇一・ベトナム戦争と平和の組織(新世界)

鶴見俊輔、内藤知周ほか・〈座〉平和運動における“市民的なもの”と“政治的なもの”(マルクス主義)

ヴェトナムをめぐる日本の世論(世・世界の潮)

新たな行動様式をえた平和運動(現眼)

ヴェ平連のアメリカ・日本共同行動(労問)

不破哲三・アメリカ帝国主義のベトナム侵略と「無条件停戦」論――雑誌「世界」の共同討議への批判(前衛)

 

1965年8月

いいだもも・六月九日の国民行動日(世)

藤田省三・〈インタ〉ヴェトナム侵略反対運動の一つの自己認識(世)

日高六郎・大衆運動の新しい形式(現理)

藤田省三、武井昭夫・〈対〉六・九共同行動の意味(新日文)

石田郁夫・デモの卒伍からの報告(新日文)

六・九ベトナム侵略反対統一行動日、地方からの報告(現理)

小田実、安東仁兵衛ほか・〈シンポ〉ベトナム戦争への対応と運動のあり方(現理)

前野良・ベトナムをめぐる反戦平和運動の構造(新世界)

豊田四郎・前野良の「平和運動」論の方向(赤7)

開高健・金ある人は金を、知恵ある人は知恵を(東28)

いいだもも・八・一五“ティーチ・イン”顛末記(図新28)

八時間の大喧嘩テレビ討論会(ア芸29)

中曽根代議土を怒らせた徹夜討論会(平パ30)

 

1965年9月

いいだもも・市民民主主義運動の論理と心理(現眼)

鶴見良行・アメリカからの手紙(思科)

桑原武夫、小田実ほか・戦争と平和を考える八・一五記念徹夜討論集会議事録全文(文芸・臨増)

開高健・東京からの忠告(朝ジ19)

開高健・ベトナム知識人の幻滅(展)

開高健・福田恒存氏への反論(文芸)

 

1965年10月

木下順二・〈ルポ〉一九六五年八月十五日の思想(世)

寺井美奈子・徹夜集会裏方話(思科)

佐藤忠男、渡辺喜蔵、山田宗睦、森秀人・八・一五徹夜集会(思科)

稲葉三千男・徹夜集会はどう終ったか(展)

渡辺一衛ほか・ヴェトナム間題と私(三文評論)

いいだもも・ TV時評65(新婦人)(いいだもも『我ら、未知なる時代へ』三一書房 1967年刊にも掲載)

いいだもも・ベトナム戦争と日本人(全電通2)

君本昌久・神戸“ベトナムに平和を”徹夜デモ(声)

三分の二ページは買えるんやが……(週朝22)

 

1965年11月

桑原武夫・北爆停止の訴え、NYTへの広告(朝16夕)

開高健・ベトナム反戦広告の決算(東18)

開高健・根を下ろすか一粒の麦(朝25夕)

“ベトナム反戦”を米紙で訴える(読人22)

オーティス・ケーリ・(投)広告よりも米国紙に投書を(朝23)

鶴見良行・アメリカのなかの反戦運動の姿勢(朝ジ7)

小田実一沖縄を知らないことについて(展)

 

1965年12月

寺井美奈子・常識に勝利を(思科)

深作光貞・世界に呼応した討論会(声)

佐々木とき・はしめてのデモ(声)

武藤一羊・今ベトナムについて何をすべきか(声)

注目される反戦広告の影響(平パ3)

開高健・〈インタ〉地下水の役割ははたせる(サ毎5)

渡辺敏・「べ平連広告」の効果(朝ジ5)

鶴見良行・アメリカに観るベトナム戦争(世)