劇映画 『サマー・ソルジャー』  (以下は勅使河原プロ制作のパンフレットによる)

1972年、勅使河原プロダクション製作

  監督=勅使河原宏   脚本=ジョン・ネースン   音楽=武満徹   主演=キース・サイクス、李礼仙、小沢昭一、 観世栄夫、中村玉緒、黒柳徴子、井川比佐志、北村和夫、田中邦南

 米軍脱走兵の動機と日本での逃亡生活の中に「現代の虚構」の象徴を見た勅使河原監督は、かねてから親交のあった日本文学研究家でありプリンストン大学・ハーバード大学に教職を持つジョン・ネースンにシナリオ執筆を依頼し、71年4月より脚本の製作は開始された。
 ベトナム反戦、沖縄聞争など、流動する現実世界で、闘い悩む人びと、自己の生を主張しさすらう人びと。そして、生々しい題材取材に奔走した後、実在の二人の脱走兵をモデルとし、脱走兵を匿った協力家庭で起こった実際の出来事を基礎として、ドラマが完成する。
 同時に、主役の脱走兵ジムには、知人紹介、大学掲示、新聞広告等、あらゆる手段を通して集められ た二百余名の在日アメリカ人のオーディションの中にイメージに合った人材を見出せず、監督がニュー ヨークに出向き、ようやく発堀したケンタッキー出身の新進フォーク歌手キース・サイクス(ヴアンガー ド・レコード)、シナリオ全体のビス的役割を果たす もう一人の脱走兵ジョーには、オフ・オフ・ブロー ドウェイ・カフェ・ラ・ママで演技指導をしていたグレッグ・アントナッティを抜擢。他に留学生、米軍基地のGIなど多数が出演。また、日本人役には、李礼仙、小沢昭一、黒柳徹子、井川比佐志、中村玉緒ら異色キャストを組む。
  三分の二以上ズプの素人を起用したこのキャスティ ングは、さりげない日常描写の再現に強力な役割を 果たしている。
 撮影実数60日、岩国・東京・京都・神戸など、 オール・ロケーション撮影。カメラは、人びとが実際生活している家庭の中に入り込み、日常生活の臭いをドキュメンタリーに捉えた。完成は70年12月末。

●あらすじ  戦乱のインドシナから遠く離れた沖縄、そして日本本土には米兵たちの補給休養基地が散在している。
 戦争の長期化と泥沼化は米兵たちに厭戦気分を植えつけ、ようやくこの愚かな悲劇の空しさを気づかせ始めている。
 岩国――本土内で最大、核すら装備されている噂のある米軍基地の町。沖縄同様、基地周辺に屯(たむろ)する歓楽街に勤める礼子のアパートには、店で知合った若いGIのジムが転がり込んでもう3週間。片言の日本語も喋れぬジムを溺愛する礼子は甲斐甲斐しく世話をする。
  しかしジムは、志願して派遣されたベトナムで数多くの死を目撃、自らも負傷して送還され、療養中に2度と軍隊に戻るまいと決意した脱走兵だった。
  礼子の部屋に隠れ、隣り近所、警察の目を気づかう焦燥と不安の生活。
  礼子はジムの安全、ひいては自分の幸せを願って日本人による脱走兵援助組織に頼る。
  組織に身柄を引き渡されたジムの逃亡生活が始まる。組織に協力する一般家庭を一軒ごとに転々とするジムは、見知らぬ夜の大海をさまよう盲の魚だった。アパートや邸宅、夫婦や子持の家庭での借り猫のような生活。でもジムは得意のギターを奏でて日本人の心との触合いを求め、協力者の経営する自動車修理工場で、工員たちと一緒に働く生活を送る。 そして逃げ回るうちに「私の任務は、今、この戦争の悪をあらゆる方法で世界にアピールすることだ」 と考えるようになった。
  組織には他に何人もの脱走兵が身を寄せてくる。 しかし「イントレピッドの4人」がスウェーデンに脱出したあと、潜入スパイの手で国外逃亡ルートは破壊され、脱走兵たちは出口なしの逃亡生活に苦悶する。
 街で日本人の女の子に振られ、酒に酔ったあげく協力家庭の主婦に挑みかかり、追い出されたダリル。 毎日黙々とマラソンを続け、懸命に精神と肉体の堕落をくいとめるジョー。ジョーはいつか世界が解放される日を夢見て待ち続けているのだ。
  逃げ続けるGIたち、匿い続ける日本人たち、両者の絆(きずな)はいったい何なのか。反戦? 同情? 善意? ――? ジムは、その「絆」が何であるのかわからず、ある日、面会に釆た礼子と、協力家庭か らも脱走する。
  礼子の里に着いたジムは、貧しい彼女の家庭で冷 たいマナザシを受ける。そこからも脱走するジム。
  長距離トラックに便乗して、京都、神戸とさまよう中で、唯一自分を取り戻せたのは、脱走兵の身分を証さない時だけだった。
  しかし、ジムは追われる身、逃げる身。
  再び岩国、組織の米人カウンセラー、ビートの説得もあって、自分に貼られた脱走兵の烙印を、軍隊に投げ返し、軍隊自体への闘いを挑むために基地へ戻る決意をする。
  今日もジョーは街を走り続ける。ダリルの行方は依然としてわからない。

● シナリオ作者の横顛
 
1940年生まれ。62年より4年間在日、東京大学に学ぶ。帰米後、数多くの日本文学の翻訳紹介に努める。

●監督の横顔・動機
 1927
七年に生まれ、敗戦を徴兵適齢期で迎える。 「混乱の悲劇の柊わりの時、徹兵忌避に走った数少ない人びとの存在を知った。」 その衝撃の記憶は、映画作家に身を定めて以降も潜伏し続ける。安部公房原作の一連の作品テーマ「人間の自由と連帯」をまさぐる勅使河原の冷たく乾いた映画眼が、次いでとらえたもの。それは、国家の絶対意志から身を翻して別世界へ跳躍を果たそうとする脱走兵の「決断の姿」であった。

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