19 ブッシュ大統領の戦争ドクトリン (現地時間 2003年3月18日 20:37:439発 日本時間 19日 23:18:22受信)

 昨夜の8時(東海岸時間)のブッシュ大統領の演説は、あえて聴きませんでした。しかし今朝のニューヨーク・タイムス(National Edition)を読むと、一面トップ記事は、A new Doctrine for Warという、昨夜の演説に関してのもので、結局その演説からは逃げられない、そこにブッシュ大統領の演説の以下のような言葉が引用されています。

In an age of unseen enemies who make no formal declarations of war, waiting to act after America's foes "have struck first is not self-defense, it is suicide."
 公式の宣戦布告をしない見えない敵がいくつもいる時代において、それらアメリカの敵どもが先制攻撃を仕掛けてくるのを待って、それに対して行動するのは、自己防衛でないばかりか、自殺行為である。
 私は意味論学者の息子でした。子供の時、いつも父親から、意味論の「講義」を受けていました。その訓練がとっさに働き、この文章を何度も読み返しました。そして私の理解が正しいのか、これも何度も考えました。以下にこの文章の私の理解です。

「公式の宣戦布告をしない見えない敵がいくつもいる」という「事実」がまず言われます。「見えない」のだとしたら、見えない敵の内実、その輪郭はどうやって見るのでしょうか。ブッシュ大統領の意味するところは、「見えない」のだが、私には見える、ということでしょう。だが「見えない」のだから、それが敵であるということの証拠はあきらかにできず、証明もできない。しかし、私には見えるということです。
  次に言われることは、そうの見えないアメリカの敵どもが、先制攻撃をしてくるのを待って、それに対して行動を起こすのは、自己防衛ではない。自殺行為だ。ということです。待っていてそれに行動を起こすのが、自己防衛でないとしたら、何が自己防衛になるのか。この文章ではそのことは明らかにされていません。しかしこの文脈で考えれば、こちらかの先制攻撃が、自己防衛である、という意味が、ここには含まれています。
  それらのことを組み合わせると、ひとつ。敵は見えない。ふたつ。しかし私には見える。みっつ。しかし実際には見えないのだから、証拠はあきらかにできない。よっつ。敵たちが攻撃をしかけてくるのを待って、それに対して行動を起こすのは、自己防衛ではない。いつつ。私には見える「見えない敵」に対して先制攻撃をすることが、アメリカの自己防衛である。
 となります。これが新しい戦争ドクトリンで、それが許されるのなら、アメリカはその軍事力をありとあらゆるところで使うことができます。その最初のケースが、数日うちにはじまるイラクに対する攻撃になります。ともかく、大変な時代です。

室謙二

室謙二のアメリカ通信」目次に戻る  placarhome.gif (1375 バイト)