92 「鶴見和子さんを偲ぶ会」に参加して (吉川勇一) 2006.11.23掲載)

 11月20日に行なわれた「鶴見和子さんを偲ぶ会」に参加しました。この会の報告はすでに「ニュース」欄 No.441 に出ていますので、ここでは個人的な感想を記します。
 第一部での10人のパネリストによる話は、みな鶴見和子さんの生き方を見事に伝えるいいお話ばかりでした。それらを聞いて、あらためて和子さんの学問や生き方を学びなおしたいと痛感しました。鶴見さんの仕事のなかの中心的な労作や和歌は、藤原書店から出ている『鶴見和子曼荼羅』全9巻にまとめられていることは知っていましたが、何しろ全部で5万円以上もする定価です。私自身も同書店から1冊6,800円もする翻訳書を出しているので(D・デリンジャー『アメリカが知らないアメリカ』)、あまり大声では言えないのですが、この書店から出る本はみな、なかなか 容易には手の出ない値段なのです。でも、今回セット特価で5万円だいうので、思い切って申し込み、今日、ズシリとそれが宅急便で届きました。
 余談になりますが、昨年から今年にかけて鶴見さんがお出しになられた対談の本は、和子さんからつぎつぎと贈呈されていました。そのなかの『曼荼羅の思想』は、仏教やインド古代思想にまったく無知な私にはむつかして理解できないところも多く、それを鶴見俊輔さんにこぼしたところ、「あれがわからないとは困った ことですね、曼荼羅とは、吉川さんたち市民運動のことをいうんですよ」とたしなめられてびっくりしました。それで、「今年の春以来、曼荼羅やインド思想の入門書などを買い集めて勉強を始めてきたところでした。ですが、その途中で、たまたま送られてきた通信販売のカタログに、2000ピーシズもある曼荼羅のジグソーパズルの案内を見つけ、申し込んでしまいました。この組み合わせの作業を楽しみながら、曼荼羅の勉強をしてみようかな、などと思ったからでした。これまで800ピーシズというのはつくったことがあるのですが、2000というのは大変だと予想していたものの、いざ取り掛かってみると、これは容易ではない仕事(?)です。今日現在、外枠2列の250ピーシズほどは繋げたのですが、それから先がなかなか進みません。完成までに半年以上、 場合によると1年近くかかって、私の寿命のほうが先にきてしまうかもしれないな、などと思ってもいます。閑話休題。
 第二部でも感動的なお話しは多くあったのですが、人数が多いため、一人5分程度に、という司会者からの依頼でした。ところがそれを守る人はほとんどおらず、とくに学者の人の話はどれも長いものでした。中には5分というのに、35分もしゃべった人がいたのには呆れました。まるで大学でのつまらぬ授業のように、 手元の原稿を延々と朗読するだけで、会場の人たちや、他の話す予定者のことなどまったく考慮に入っていない様子の人もいました。個が全体と繋がっており、それが全体の一部なのだという鶴見和子さんの思想など、ちっともわかっていないんだな、という思いがしました。おかげで、そのあと話す私などの時間は、一人2分というひどいことになってしまいました。でも、それを守ったのは「私と吉川さんだけだったわよ」と、会が終わったとき、写真家の大石芳野さんから言われました。というわけで、私の話はずいぶん縮めて、言いたかったこともあまり言えずに終わりました。それで、削った部分も補って、私の個人ホームページの「最近文献」欄に載せましたので、お時間のある方は覗いてみてくだされば幸甚です。
 なお、また余談ですが、この演壇には、「皇后陛下」という札のついた生花も飾られていました。私はそれを背にして話したことになります。こんなことは初めてのことでした。その花は和子さんの写真の隣の位置におかれてあり、多くの人は、その写真に一礼してから話し始められたのでしたが、私は、皇后からの花にもお辞儀をするようにもなるのが嫌で、礼をせずに話し始めました。
 ところで、この会に、旧ベ平連の関係者は、初代事務局長の久保圭之介さんはじめ、かなり多くの方が見えていたのですが、しかし、それは当時のいわゆる「おとな」組ばかりで、 その頃の若者たち――今の団塊の世代のグループの顔ぶれはまったく見かけられませんでした。鶴見和子さんの思想に、その世代の人たちが関心を寄せていないのだとしたら、寂しい、残念なことだという思いがし ます。鶴見さんは、「ひとりの人間の生命はちりひじのように、かすかでみじかい。ひとりの人間の生涯に、その志は実現し難い。自分より若い生命に、そしてこれから生まれてくる生命に、志を託すよりほかない。……」とのべておられるのですから。(2006/11/23)

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