54 ベトナム戦争で戦犯裁判は行われたのでしょうか。 ( Y.Y.) (2003.03.14掲載)

 埼玉県川口市在住のY.Y.と申します。
先日「東京裁判」のビデオを見ました。
勝者が敗者を裁き、敗者にのみに判決が出された。
しかしベトナム戦争においてこのような国際裁判が行われたのでしょうか?
アメリカは虐殺、枯れ葉剤による非道な戦争をしていながら、私の知る限りアメリカは「東京裁判」のような国際裁判の中で裁かれていないように思っていますが、この事は事実でしょうか?
もし裁判が行われていないとするとどうして行われなかったのでしょうか?
その理由が知りたいのですが、教えてください。
今からでも今後の平和な世界構築の為、全てを明らかにして、責任者の処罰が必要と思います。
御返事よろしくお願いいたします。 Y.Y. (送信日時:  2003年 3月 13日(木曜) 16:28:27)

(ご返事) 東京裁判やニュールンベルグ裁判のような戦勝国による戦敗国の戦争責任者裁判は、ベトナム戦争の場合は行われておりません。
 その理由は、対独戦争のような終結(首都ベルリンの陥落、ドイツの最高指導者の自殺、ドイツ軍の全面崩壊)や対日戦争の終結(無条件降伏の受け入れ)とは違って、ベトナム戦争は、1973年のパリ和平協定による停戦合意(1973年1月27日、パリで、アメリカ、ベトナム共和国、ベトナム民主共和国、南ベトナム臨時革命政府の代表が、戦争終結と平和回復のための合意文書に署名)による米軍の撤退、その後、戦闘を続けたサイゴン政権軍の崩壊(1975年4月30日、サイゴン陥落)によって終結したものでした。アメリカに重大な戦争責任、人道に対する責任があることは当然ですが、その責任問題はパリ協定には含まれてはいませんでした。責任どころか、賠償もなければ、今なおたいへんな被害をもたらし続けている枯葉剤(ダイオキシン)被害への保障もアメリカはしておりません。ベトナム側も、それをアメリカに強制する力を持ってはいませんでした。アメリカは世界の世論から道徳的に糾弾されましたが、国家としては一切それに答えていません。ベトナムでの敗北から、アメリカの政府・軍部の指導者は、学ぶべきことを学んでいないのです。だから、アフガニスタンに対しても、また今、イラクに対しても、ベトナムで犯したのと同様な犯罪的「戦争」をやろうとしているだと言えると思います。(ただし、東京裁判のように、勝者が一方的に敗者を裁く裁判が適切であったかどうかは別な問題です。天皇の責任をまったく問わなかったなど、東京裁判には、多くの問題点があります。)
 一方、非政府レベルでは、いろいろな試みがされています。戦争中に、すでに、イギリスの哲学者、バートランド・ラッセルらの提唱によって、ベトナム戦犯裁判(1966年11月設立)がストックホルム(1967年4月)やコペンハーゲン(67年11月)などで開催され、数々の具体的証拠を挙げて、アメリカの有罪を判決しています。ただし、これは、被告が出席しない民衆による裁判でした。また、これに呼応して、日本でも1967年8月に「ベトナム戦争犯罪東京法廷」が3日間にわたり開催されました。また、1972年7月には「ベトナムにおけるアメリカの戦争犯罪と日本の協力・加担を告発する東京集会」が開催されるなどしました。
 こうした動きのついては、森川金壽著『ベトナムにおけるアメリカ戦争犯罪の記録』(三一書房 1977年)をご覧下さい。詳しい年表や参考文献集も載っています。また、図書館か古書店以外では手にとることが難しいと思いますが、日本アジア・アフリカ連帯委員会編『ベトナム黒書』(労働旬報社 1966年刊)、日本平和委員会編『日本の黒書』(労働旬報社,1967年刊)、ベトナムにおける戦争犯罪調査日本委員会編『ジェノサイド(民族みなごろし戦争)』(青木書店 1967年刊)もご覧下さい。最後に挙げた本は「東京法廷」の記録です。
 また、ベトナム戦争当時、国防長官を務めたロバート・S・マクナマラが、戦後、ごく部分的にアメリカの誤りを認めた『マクナマラ回顧録』(仲晃訳、共同通信社 1997年)、および、そのマクナマラが、戦争当時の軍人や外交官、学者などを連れてベトナムを訪問、ベトナム側とベトナム戦争について対話をした記録も注目していいものでしょう。この対話の記録も英文では発行されていますが、進行中と伝えられる日本語訳はまだ出ておりません。しかし、この対話の模様は、NHKのテレビで編集、放映されましたし、そのテレビのプロデューサーだった東大作氏がまとめた『我々はなぜ戦争をしたのか』という書物(岩波書店 2000年刊)で知ることが出来、とくに、この東氏の本はお勧めです。
 しかし、それを見てもわかるように、この対話に出席したアメリカ側参加者も、ベトナム戦争についてまだまだ理解不足で、戦争責任を痛感するなどはしていないことがわかります。
 という経過で、ベトナム戦争の戦争責任を国家レベルで問題にする国際法廷は開かれておりませんが、ダイオキシン被害の実相が次第に明らかになるにつれ、その責任問題はあらためて注目されるようになって来ています。アメリカ国内の民衆レベルでも、この責任を問う運動体や個人(たとえばラムゼー・クラーク元司法長官)などの行動は続いています。
 昨年、ベトナムを2回訪問した元ベ平連活動家などのグループは、ホーチミン市にある「戦争証跡博物館」の展示を東京など、日本で開催できるような努力を始めようとしています。これが実現できれば、あらためて、アメリカや日本の戦争責任を問い直す新たな機会になるだろうと考えています。しかし、現実のイラク反戦のための行動などが忙しくて、なかなか、この準備が進展していないのも事実で、悩んでいるところです。
 以上、とりあえずのお答えといたします。なお、これをご覧くださった他の方がたのコメント、追加・批判などの意見などが寄せられることを期待します。(吉川勇一記)

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