567. 憲法学者
、星野安三郎さん死去。(2010/04/16掲載)
憲法学者の星野安三郎さん(東京学芸大名誉教授、立正大名誉教授・憲法学)が3月13日死去されました。88歳でした。葬儀は近親者で行なったとのことです。連絡先は、神奈川県小田原市城内1の13の新名学園私学教育研究所(0465・23・ 3787)。
星野さんは,ベ平連の発足から加わり、1966年夏の「ベトナムに平和を!日米市民会議」でも、日本代表の一人として参加しとほか、さまざまなベ平連活動に熱心に活動され、護憲運動、自衛隊の存在否定、市民的権利の主張などが中心でした。哀悼の意を表します。
以下には、鶴見俊輔監修の『平和人物大事典』(2006年)に出されている星野さんの紹介です。
星野安三郎 ほしの・やすさぶろう 1921−(大正10〜)
憲法学者。栃木県生まれ。東北帝国大学に入学した2カ月後に学徒動員で入隊。敗戦後、復学して東北大を卒業。東京学芸大学教授を経て、立教大学教授を務め後に名誉教授。初めて平和的生存権を提唱し、憲法学者たちが研究を始めるきっかけをつくった。日本国憲法では9条によって平和的生存権が制度的に保障されているとする。天皇制問題などについても多く発言し、護憲的憲法学者の代表的存在の一人。また日本戦没学生記念会(わだつみ会)や軍事問題研究会にも参加し、護憲運動や平和運動にも積極的にかかわる。
【著訳書】日本国憲法史考劉(共編、1962)『憲法に生きる』(1968)、『法と平和』(編、1973)、『平和に生きる権利』(1974)、『われら平和憲法人』(1984)、日本国憲法平和的共有権への道』(共著、1997)(同大事典 490ページ)
以下には、1969年に刊行された『週刊アンポ』の第0号(69年6月)に掲載された星野さんの文章です。
安保――この日本”租界” 星野安三郎
安保は諸悪の根元だ。在日米軍は、暴力団さながら、わがもの顔にふるまっているのに、日本政府は、それを取り締ろうとしないぱかりか逆に暴力団の保護に汲々たるありさまである。 |