408 飯沼二郎さんを偲ぶ会の模様ご報告(05/11/07掲載)

 「飯沼二郎さんを偲ぶ会」は、11月5日(土)の午後6時から、京都の京大会館で開催され、仙台や千葉、東京、長崎などから駆けつけた人を含め、140人が参加しました。以下に、ごく簡単に、その模様の一部をご報告します。
 会場正面には、白い花に囲まれて、飯沼さんの大きな写真とともに、夫人の文さんが描かれたごく若い頃の飯沼さんの絵が飾られていました。
 冒頭、追悼の辞をのべた鶴見俊輔さんは、記憶を持続させる期間の短さとしてはアメリカ人も相当に早いほうだが、しかし日本の大学教授のそれは世界一ではないだろうか、だが飯沼二郎さんは、東京の両国に生まれて関東大震災を体験し、そしてそのときの朝鮮人虐殺についての記憶を持続して最後までもちつづけ、かつそれを深めた人で、日本では稀有な人だった、という話をされました。
 献杯の挨拶をされたのは、千葉から参加されたクリスチャンの大島孝一さんでした。
 東京ベ平連だった吉川勇一さんは、飯沼さんが市民運動の原理を作り出していく上で欠くことのできない存在だったと強調し、最近発表された鹿児島大学の平井一臣さんの歴研集会での報告を紹介して、その中でも京都の飯沼さんの主張がいくつも引用されていると指摘しながら、これまでのベ平連運動への評価や研究がもっぱら東京のベ平連のまとめたものや、鶴見俊輔、小田実といった指導的メンバーの思想を中心に語られたものが多かったが、これからは、京都ベ平連をはじめ、それぞれの地域レベルでの個々のベ平連運動に視点をあてた総括、まとめが必要であり、それがこれからの運動に継承されるよう努力する必要があるという話しをしました。
 以下、飯沼さんと同年輩の方々や、飯沼さんとともに、反戦運動、在日朝鮮人と連帯する運動、あるいは日の丸・君が代訴訟を闘ったずっと若い人びとまで、さまざまな職業や経歴を持つ多くの人びとが飯沼さんへの思い、飯沼さんから教えられたこと、あるいは飯沼さんへの謝辞をつぎつぎと語りました。この集まりと続けて開かれた二次会での中のいくつかの話を以下に簡単にご紹介します。
 自己の信ずるところは、どのように批判され、非難されても絶対に曲げない飯沼さんの芯の強さが、運動の中では、ときに仲間を辟易させるような局面もあったという発言もいくつかありましたが、それに続けて、自分と意見の異なる人であっても、権力から抑圧されている場合には、断固としてその人を擁護するという、飯沼さんの人びとへの広い愛についてが語られるのでした。京都ベ平連が活動していた頃、全共闘運動に加わっていて、飯沼さんのデモへの態度を生ぬるく、力がないと批判的だった人が、後に君が代訴訟をともにする中で、飯沼さんの生き方に触れてひたすら敬服する以外になかった、というような思い出がつぎつぎと紹介されました。
 1984年の「原爆の図展」運動がが終了して、幕を引く際に、飯沼さんは、それまでつくってきた賛同者、参加者の名簿カード3,000枚を、その個々人にすべて送り返すと強く主張されたとき、実務を担っていたメンバーは、そのかなりな手間と送料の額の膨大さを考えて賛成しなかったそうですが、飯沼さんは絶対に自説を変えず、運動は私物化してはならない、一つの目的を掲げた運動が終了するときはすべて白紙に戻し、新たな運動が必要になったときは、また新たな努力をして賛同者を開拓してゆけばいいのだと主張されたそうです。そして、運動を私物化しない、運動を目的の違うことに流用したり、利用したりしないという市民運動の原則は、こうして作られていった、ということも紹介されました。
 在日朝鮮人で、手話でしか意思疎通の出来ない障害者の人が、飯沼さんに助けられ、教えられて、奪われていた権利をつぎつぎと回復し、獲得していった話とともに飯沼さんへの心からの謝辞を述べられた手話による話は、実に感動的でした。
 研究者の槌田劭さんは、優れた市民運動の実践者としての飯沼さん以外に、研究者としての飯沼さんの優れた実績を強調しました。「自分は教科書など、クソクラエ!と思っている人間だが、農民とその伝統に学ぶという姿勢を貫いた飯沼さんの農学者としての偉大さ、人権とつながる農業という視点を持ち続けて研究をされた飯沼さんには、とてもクソクラエ!などと言えるものではなかった、歴史に学び、これまでの人間をとことん愛して学問のかたちを築いていった飯沼さんには本当に教えられることが多かった、と話されました。
 栢下芳郎さんは、飯沼さんが文革時代の後期に訪中されたとき、×字に木を打ちつけられて閉鎖されている教会を目にし、それでも私は日曜礼拝をやめないといって、礼拝されたというエピソードを紹介し、飯沼さんが、反権力運動の中にあっても権力の支配を認めず許さない、絶対の反権力主義者だった、と話しました。
 この集まりと、二次会(30人ほど参加)での話は、こうして報告していくと膨大になります。いずれ、主催者側からの報告もあるかと思いますが、とりあえずの報告とします。(YY)

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