402 ソウルで武藤一羊さんの半世紀の業績をめぐるシンポジウム開催(05/08/31掲載)

 今年の7月22日、韓国ソウルの芸術大学で、武藤一羊さんの55年間の業績をめぐる国際シンポジウムが開催されました。この概要について、ピープルズプラン研究所運営委員、JCNネグロス駐在連絡員の大橋成子さんが、最近発行されたPP研究所の『Newsletter』No.11に書かれています。以下にそれを転載、ご紹介します。

ソウルで「ムトウ」を語った


大橋 成子(PP研運営委員、JCNCネグロス駐在連絡員)

「MUTO PANEL:民衆運動にかけた50年のロングマーチ(長征)を記念して」という会議が7月22日、ソウルの芸術大学で開催された。これは、IACS(Inter−Asia Cultural Studies)国際会議初日のセッションで、「越境する民主主義」「希望の連合」「戦後日本国家」の分析、「国際連帯運動」など、武藤一半さんが50年間(ご本人は55年間だ!と主催者に訂正していたが)の運動の過程で提起してきた課題をめぐって、彼と所縁の深い7人の仲間がパネラーとしてそれぞれの「ムトウ」を語った。
『PP研究』に登場した米国の社会運動家ジェレミ一・ブレッカー、香港嶺南大学のラオ・キンチとフイ・ポーケン文化研究者、メキシコで地域通貨運動を通してオルタ社会を追求するルイス・ロペツェーラ、インドの建築家で社会運動に関わるジャイ・セン、そして日本からは天野恵一さんと大橋成子。
 私は、1978年から1991年まで、アジア太平洋資料センターで武藤さんと一緒に仕事をした。今回のセッションのために、私は当時発行していた『世界から』のバックナンバーを久しぶりに読んだ。毎号続いた武藤さんの巻頭言は、その時期、世界大で起こった民衆の動き、その背景を鋭く分析しながら、日本の運動への斬新な問題提起を時には「過激に」時には「ジワー」っと迫っている。
 当時、武藤提起はいつも現場の運動に身をおく人々にとっては、その意味を理解するのに2、3年くらい早すぎることが多かった。それでも彼は常に、アジア・第3世界の人々のリアルタイムの視点から日本の運動に変革を問い続けた。
 17年前、「トータル・ビジョン」をもつ運動、日本列島住民の「オルタナティブ」をつくるというピープルズ・プラン提案を武藤さんが書いた時、まず最初にラテンアメリカやアジアの仲間から「そうだ!」というビビッドな反応が返ってきたが、日本国内の運動の現場で議論された時は考え方のすり合わせにずいぶん時間がかかったことを覚えている。
 それが今「もうひとつの世界は可能か」という新しい合言葉が世界で語られ出している。「オルタナティブ」を語らずには生存できないところまで世界はきている。「ムトウ パネル」では、武藤さんのこれまでの提起を自分たちの思想やビジョンに内実化して語った人がほとんどだった。
 「この会議のタイトルを聞いたとき、最初はジョークかと思った」とスピーチを切り出した武藤さんは、舞台の真ん中に座って始めは居心地悪そうだったが、最後は「このままではだめだ」とすっかりいつもの武藤節になり参加者に大いにハッパをかけていた。
 日本の右傾化がとんでもない方向に向かっている今、武藤一羊の半世紀の仕事をたたえたこの会議が韓国で開かれ、主催者の中心を担ったのが中国や韓国の仲間であったことに、私はとても感銘を受けた。
PS このパネルが終わった日の暑い暑いソウルの夜、小倉・青山両代表、天野御大に笠原光ちゃん、木下ちがや君と私は路上の屋台で「武藤抜き」のムトウ・セッション第2弾ですっかり盛り上がってしまった。焼酎とホルモン焼きがおいしかった!

※この国際会議の全体像については、季刊誌31号の交流欄に青山薫さんが報告しています。(事)

 なお、ピープルズ・プラン研究所は、9月12日から新しい事務所に移ります。新事務所は 162-0042 東京都新宿区早稲田町75 日研ビル2F 電話とFAXは同じで03-5273-8362です。最寄の駅は地下鉄東西線「早稲田駅」1番出口です。

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