372 元「ベ平連相模原」千田俊秋(あだ名「ケガニン」)さん逝去 (05/01/07掲載)

 山口幸夫さんから、元「ベ平連相模原」の活動家、千田俊秋さん(「ケガニン」というあだ名でご存知の方も多いと思いますが)が昨年9月に亡くなられたとのお知らせをいただきました。三里塚の労農合宿所から移住された生地の北海道で、9月15日午後逝去、享年54歳でした。以下、山口さんからのお便りをもとに、お知らせいたします。
 千田さんは、1950年8月9日、北海道生まれ。1972年の戦車搬出阻止闘争の直前から、相模原で暮らすようになり、早川幸男さんとともに「ベ平連相模原」(「ベッペイソウ」と呼ばれていました)を結成、鳶(トビ)の仕事などをしながら、戦車搬出阻止闘争の中で重要な役割を果しました。機動隊に殴られて怪我をしたところから「ケガニン」というあだ名もつけられました。相模原闘争が一段落した後、千田さんは三里塚の労農合宿所に移りました。几帳面で、なにごとも徹底的にやらないと気がすまない性格、合宿所では、ほかの人が嫌がるような仕事も進んで引き受け、仲間たちからは「せんちゃん」と呼ばれて慕われていたそうです。「三里塚瓢鰻亭」の故前田俊彦さんの世話もよくし、前田さんからも愛されていたとのことです。
 合宿所に支援で来ていた鯉淵洋子さんと結婚、合宿所を出てからは、東峰の共同出荷場の斜め前の一軒家で二人目のお子さんが生まれるまで暮らし、ワンパックの養鶏係をしていました。その後、北海道に移住されました。お子さんは、男児2人、女児1人。
 お子さんの鯉淵滋さん(大学4年)が、俊秋さんの死後、相模原を訪ねた際、会った人びとはみな、「オー、ケガニンじゃないか」と叫んだほど、顔つき、話し方、挙措が亡き俊秋さんと瓜二つだったそうです。(写真は、昨年11月24日、相模原での集会に参加し、小田実さんから色紙を貰ったときの鯉淵さん 。左は山口幸夫さん)

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