357 故前川美智代さんのことについて(04/09/05掲載)

 本「ニュース」欄No.348、350でお知らせしました元名古屋ベ平連の創立者の前川美智代(魚住けい)さんの沖縄での葬儀には、「旧ベ平連有志」の名で生花をお送りしたのですが、このほど、葬儀の喪主である家中茂さん(前川さんのお連れ合い)と「お別れの会」実行委員長の夏目ちえさん(これまで前川さんが社長をされていた京都の有限会社「真南風」の新社長)から、以下のようなご挨拶状が届きましたので、ご紹介いたします。

魚住けい(本名・前川美智代)は、六月二十六甘永眠いたしました(享年六十オ)。
京都自宅での密葬の際も、また七月十一日那覇で執り行いました「お別れの会」においても、多くの方々にお心をお寄せいただき、真にありがとうございぎした。なかでも彼女があれほどに愛した沖縄の方々に温かく見送られ、さぞかし幸せなことであったろうと思わずにいられません。
十代の「ベ平連」の活動からはじまって、金武湾、白保、マーシャル、スリランカとつながる彼女の活動の軌跡のなかから生まれ、その祈りと願いを形にした「沖縄手ヌ花・食と工芸 真南風」。それは、「設立趣意書」にございますように、まだ見ぬこれから出会う人々への信頼を礎に、尊い農作業の成果を送り届けることをとおして、社会に根を張り、大地大海と生きることを希求した、精神の運動でありました。
病床において過ごした最後の日々も、いま在ることへの感謝に満ちたものでした。そうした感謝の念から、「こんどまた生まれてくるなら、天使になりたい」と、天空から静かに降り注ぐ光のように、この世の至るところに働いていたいと願っておりました。
京都に暮らすようになって二十年余り、なにかにつけご相談しご支援いただいてきた、嵯峨小倉山・常寂光寺・長尾憲彰様、憲佑様のお世話になって、「志縁廟」に祀っていただくことになりました。どうぞお近くにいらした時は、この縁深く美しいお寺にお立ち寄りくださればと思います。
生前のみなさまのご厚情に、心から感謝申L上げます。
平成十六年八月

喪   主         家中  茂 
「お別れの会」実行委員長   夏目 ちえ

 また、家中さんからは、写真家の嶋田興生さん(ブンブンプロジェクト)の発行しているニュースレターに載せられた前川さんについての文章も送られてきました。前川さんの生前の様子がわかりますので、転載いたします。

魚住けいのこと
                                                     家中  茂

 ブンブンプロジェクト京都事務局の魚住けい(本名・前川美智代)は、6月26日に58才の生涯をとじました。1983年夏にマーシャルに旅したときのことは『ブンブン通信』No.10に、「そこで見たものは、島の人たちの絶望。深い絶望、その中でも人はやはり生きなければならないから、生きる希望が欲しい、具体的な日々の生活の中には喜怒哀楽がある。そういうもの、島の表情というか。それがマーシャルから戻ってきてとにかく船を送りたいと発作的に思ったときに、思い返すマーシャルというのはだんだん彫りが深くなっていった」と述べています。その後、彼女はその深い絶望から目をそらすことなく、もういちど沖縄で、人々の暮らしに恵みを授けつづけてきた、生きている海に出会い、その白保のサンゴ礁の海に希望を託して(そのときから彼女は「願をかけて」、魚住けい、と名のるようになります)、やがて1995年に「沖縄手ヌ花・食と工芸 真南風」を設立します。以来10年間、彼女は沖縄の島々の個性豊かな産物を、その産物が育まれる島々の土地と人が健やかであることを願って、全国の自然食有機農産物のマーケットに送り届けることを仕事とします。いまでは女性スタッフ10名ほどがこの仕事をささえ、新たにスリランカとのフェアトレードも手がけたところでした。中村尚司さんは、彼女の真南風の仕事のことを、有無相通ずるだけのありきたりの商業ではなく、双方の文化を豊かにする互恵的な品性の高い交易、「聖なる市場」とよんで下さいました。
 彼女との出会いは、砂田明さん(故人)の水俣一人芝居・現代夢幻能『天の魚』の舞台監督を私がつとめていたことからでしたが、その原作者の石牟礼道子さんが書かれた文章のなかに「悶え神」という言葉があります。人は自分いちにんの悲しみさえ救うことはできぬのだが、それでもその無力さの無自覚なまでの自覚に立って、他の人の悲しみを自分の悲しみとして受けとめて悶える人のことを、水俣では「悶え神」とよぶのだそうです。「悶えてなりと加勢する」、彼女はそういう心性を備えた人であり、生まれ育った境遇や出会い経験した時代状況に向ぎあい、おのれを偽らず、生きました。彼女をささえていたのは、まだ見ぬこれから出会う人々への信頼であり、島々は海でつながっており、わけても生命がサンゴ礁の海に生まれ育まれるというイメージの喚起力でした。先の『ブンブン通信』に彼女はつぎのように続けています。
「さまざまな人の協力があってブンブンプロジェクトはマーシャルへ船を一艘送ることができた。……これはもう、支援とか運動とかいうレベルの話でなくて、もっとこう、私たちが困っているときに助け合う、隣の人につい手を差し伸べてしまうというような、人間としての痛みを分かち合う、そして喜びも分かち合う、そういう普遍的な人間の営みの一つであるというふうに思う」。(さいごに彼女自身の言葉で)「島の人々と、ブンブンプロジェクトに加わり御支援くださっている皆さまに心から感謝いたします」

 

 

 

ニュース欄先頭へ   ホームページ先頭へ