231.  今野求さんを偲ぶ会のご案内(02/07/30掲載)

 2001年の「ニュース」欄 No.155,156 でお知らせしたように今野求さんが亡くなられ、その1周忌が近づいてきています。このほど、その仲間たちによって、「今野求さんを偲ぶ会」が企画され、以下のようなご案内が出されました。今野さんとお付き合いのあった方々のご参加を期待したします。


今野求さんを偲ぶ会のご案内

 早いもので、今野求さんが亡くなって一年になります。
 世界貿易センターに航空機が突っ込むテレビ報道のその時、今野さんは六五歳でこの世を去りました。
 今野さんは一九五五年、東北大学に入り、学生運動に関わり、五七年には全学連の中執になり、勤評闘争、警職法聞争を経る中で労働運動に加わり総評オルグになり、また一方で政治活動に積極的に加わっていきました。
 政治グループの代表も勤めながら、けっしてセクト主義ではなく常に全体の運動を意識する活動スタイルで、六〇年代末、全国反戦の代表として、べ平連などの反戦市民団体や全共闘、新左翼諸党派によるベトナム反戦の共同行動を組織したのです。
 三里塚闘争と戸村一作さんの参議院選挙では、実質的には事務局長を勤め、以後一貫して労働運動に関わり、「労働情報」の発刊以来、事務局で財政も含め最後まで支えてきました。
 その間に、総評三顧間による「労研センター」発足にともない、市川誠事務所より事務局に入り、全労協の発足に当たっては長期政策委員として、シンクタンクの役割を果たしました。
 労働運動の後退局面の中にあっても政治運動との関わりを主張、社会党の解体に当たっては故山川暁夫さんらと、護憲派と労働運動・市民運動との国政選挙共同戦線として「平和・市民」を立ち上げ、参議院選挙を闘う推進力としての役割を果たしたのです。
 全国反戦の代表の一人として、まとめ役に徹した六〇年代中期以来、彼の運動姿勢は一貫していました。
 今の時代こそ、彼の果たす役割が目の前にある時、私たちの前から姿を消しました。
 そんな彼を偲ぶ会を開催したいと思います。
 是非、皆様の出席を要請致します。

       二〇〇二年七月二十三日

     呼びかけ 

足立実 石田精一、井邑義一 江藤正修 遠藤一郎 小島昌光 小寺山康男 
酒井与七 佐々木力 塩川喜信 武建一 西村卓司 樋口篤三 藤崎良三  
前田裕晤 吉川勇一 吉原節矢 波辺勉(あいうえお順)

                                                                                                       .

●日時 二〇〇二年九月十二日(木)午後六時半
●場所 日本教育会館9階「喜山」(地下鉄半蔵門線・三田線・新宿線 神保町駅下車)
●会費 七千円
●連絡先・共同センター労働情報/東京都台東区上野1-1-12 新広小路ビル4階
     TEL:03-3837-2542 FAX:03-3837-2544

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