186. 劇作家の高戸(高堂)要さん(ベ平連設立の呼びかけ人、世話人)が逝去。02/01/19掲載)

 ベ平連設立の際の呼びかけ人の一人であり、キリスト者平和の会の代表としてベ平連の世話人でもあった高戸(高堂)要さんが、昨2001年12月21日、下喉頭がんのため逝去され、26日、葬儀が行われた。享年69歳。ベ平連発足以来、高戸さんは、集会やデモに数多く参加され、また、脱走兵の援助にも力を注がれた。 (高戸さんは、その著書『酔っぱらいマルメラードフ 高堂要戯曲集』のなかの「年譜」に、「1965年4月(24日)、「“ベトナムに平和を”市民文化団体連合」初のデモに小田実、開高健、武藤一羊らと参加。清水谷公園から新橋・土橋まで歩く。(鶴見俊輔、笠原芳光からの呼びかけによる)。その後「ベ平連」で、小中陽太郎、鶴見良行、吉川勇一、いいだももらに出会う。」と記している。
 高戸さんは、日本基督教団出版局長やキリスト教関係の出版社「教文社」の社長なども務められた敬虔なクリスチャンだった。
 高戸さんは、昨年3月1日には、いわゆる「日韓併合」90年、「三・一独立運動」81周年を期して、李盤(イバン)の書いた堤岩里(チエアムリ)事件の演劇を韓国YMCAで上演し、プロデューサーを務めた。高戸さんは、それを「到底、償いきれない戦争責任、侵略責任をいささかでも背負いたい、南北朝鮮統一のために何ごとかつくしたいという、ささやかな試みのひとつである。」と書いている(『酔っぱらいマルメラードフ 高堂要戯曲集』あとがき)。
 高戸さんの著書には、一昨年出版された『酔っぱらいマルメラードフ 高堂要戯曲集』(花神社刊 国際ドストエフスキー演劇祭特別賞「酔っぱらいマルメラードフ」池袋演劇祭最優秀賞「陰府がえりのお七」など11篇を収録。6500円+税)をはじめ、『物・魂・ごっこ』(1975年、日本基督教団出版局刊)などがある。
 以下に、『キリスト新聞』2002年1月19日号に載った葬儀の模様を転載する。

 希有のキリスト者劇作家
  高堂要さんが逝去   早稲田・スコットホールに約500人

 編集者及び希有のキリスト者劇作家として日本のキリスト教界に大きな足跡を残し、昨年12月21日に下喉頭がんのため69歳で亡くなった高戸(高堂)要さんの葬儀が12月26日午後1時、東京・西早稲田の日基教団早稲田教会・スコットホールで行われ、関係者約500人が参列した。
 葬儀式は加藤久幸牧師(日基数団三鷹教会)の司式、飯靖子さんの奏楽で、聖書(ローマ14・7ー9)の朗読、高戸さんの愛唱歌(311番「血しおしたたる」)の賛美の 後、牧師で作家の三枝禮三さんが「主のもの」と題して説教した。
 三枝牧師は初めに、高戸さんからの12月5日付の手紙の結びに、「『一日の苦労は一日にて足れり』のみことばに感謝しつつ一日一日を生きています。お祈り下さい」と書いてあったと紹介し、彼にならって聖書のみことばに耳を傾けることこそふさわしいと前置きし、ローマ書の「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」について語り、高戸さんの劇作について語った。
 そして、「劇作家の心を(ドストエフスキー作品の登場人物)マルメラードフに結びつけたのは『(どこへでもいっさい行くところがなくても)人間だれだって行くところがなくてはやりきれない』というせりふだった。絶対にたどり着けない不可能な壁を乗り越えさせられて彼は今、主にあって平和のうちにある」としめくくった。
 葬儀式後、小中陽太郎(作家・評論家)、李盤(劇作家、韓国・崇實大学教授)、本村利春(日基教団出版局次長)の各氏が弔辞を述べ、柴崎聰さんが追悼・詩(2面に全文掲載)を朗読。長男の悟さんが、「父の作品には、平和、遊び、キリストが必ず入っていた。これから深くゆっくり読みたい」と感謝を述べた。(『キリスト新聞』2002年1月19日号)
 

 ニュース欄先頭へ   ホームページ先頭へ