140. 2001年春の忍野パーティご報告 (01/05/25

 恒例の「忍野パーティ」01年春の集まりは,5月19日(土)〜20日(日)、いつもと同じく忍野村の吉田和加子さん宅、および庭先で開かれ、約30人が参加しました。主催者の一人,戸井十月さんはアフリカ縦断のバイク旅行の最中で欠席でしたが,もう一人の主催者、吉岡忍さんの司会で、乾杯。ビールやワイン、そして盛大に燃える焚き火とバーベキューを囲んで、いろいろな話題に花が咲きました。今回は,福冨節男さんが二日もかけていろいろなスパイスを加えたてつくったチキンカレーが大きな鍋で担ぎこまれたり、地元の方から作りたての草餅がどっさり届けられたりなど、豪華なメニュー。参加者は、以上に上げた吉田、吉岡、福冨さんのほか、福生の遠藤洋一さん、浦和の東一邦さん、京都の関谷滋さん、大泉の佐伯昌平さん、そして川崎通紀、互井幸枝、引地茂、関口一喜、滝沢夫妻、中村鈴子、守屋和子、桐生英明、佐藤彰、加藤久美子、佐野彰治、川勝なおみ、川勝泰輔さんら(順不同)の顔ぶれ。

 話題は,人工透析で身障者手帳1級の保持者,遠藤洋一さんが、同じ治療を続ける仲間たちと組んで出かけたベトナム・ツアーの報告から始まりました。透析のため、バンコックの病院まで行かねばならぬため,ホーチミン市には一泊二日しか滞在できなかったのですが,それでも1975年の4月30日に解放軍の戦車が突入したあの元南ベトナム政府大統領官邸や、戦争証跡博物館、クチの地下壕などを見学できとのこと。おりから、ベトナム労働党の全国大会の時期と重なったため,街はいたるところにベトナム国旗がかかげられ、華やかな雰囲気だったそうです。

 ついで、吉川勇一さんから、その戦争証跡博物館に日本からの反戦運動の資料、とくにベ平連など反戦市民運動の資料を送ろうという提案がされました。実は、偶然ですが、小田実さんのところと、ベ平連のホームページ宛に、日本の市民運動の展示資料が少ないので、それをこの博物館に送るよう努力してほしいという要請のメールが、横浜市で同博物館の展示資料の翻訳を手伝っている貿易商の人と、ホーチミン市の大学で日本語を教えている若い日本人教授とから、ほぼ同時に届いたのでした。同博物館の館長の署名入りの博物館拡張計画書も届けられました。F川さんは、この呼びかけに応えて、ぜひ、写真、ポスター、グッヅ、ビデオ、英文機関誌、英文ビラなど、博物館の展示にふさわしい材料を収集し、ベトナムに送る行動を起こそうという提案をしたのでした。いろいろ建設的な意見が出され、資料は、ホーチミン市だけでなく、ハノイ、フエの博物館にも送るため、3組を用意すること、写真などはすぐ展示できるよう、引き伸ばして額に入れたものにして送ることなどが決められ、できれば、来年2月7日、北爆開始から37周年にあたる日に、何人かの代表団を組んでそれを届けに行きたい、という案まで出されました。

 とりあえず、「ベトナムの博物館に日本の反戦市民運動の資料を送る会」(仮称)を発足させ、一口1万円の賛同費を募って必要経費をまかなうことが決まりました。いずれ、その呼びかけ文ができましたら、この欄でもご案内いたします。

 次の話題は、吉岡さんから、「個人情報保護法案」の危険な実態と、その影響をもろに受けるはずのマスコミの関係者(大新聞のベテラン記者まで含む)が、いかにそれに無知であり、無関心であるかということ、また、今の代表的作家たちも多くが政治的・社会的関心を失い、社会的発言や行動に関しては退嬰的になっているか、という寂しい状況が報告され、今、大マスコミではない、フリーランスの筆者やルポライターなどが、この法案による表現の自由、取材の自由の危機を訴える行動を起こそうとしていることが話されました。

 そのほか、話題は故吉田泰三君の思い出、コンピューターのこと、IT革命、介護保険、健康問題などさまざまに飛びましたが、とても紹介しきれません。楽しいだべりと飲食の会です。旧ベ平連関係者はもちろんですが、それ以外の方でも大歓迎です。次回10月20〜21日の集まりには、ぜひもっと多数の方が参加くださいますよう、お誘いします。

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