125. 三里塚の小泉英政さんの勝利和解についての見解(01/02/10

  本「ニュース」欄の前号でお知らせした、故大木よねさんの土地と住居の強制接収についての訴訟の和解について、小泉英政(ベ平連時代の旧姓は松浦さん)は、2月5日、次のような意見を記した文書を発表、知人等に発送しました。それを以下に全文転載します。

「小泉よね問題」の真の解決を求めて


 本日、最高裁において、上告中だった緊急裁決処分等取消訴訟の和解が成立しました。                          ′
  1971年の田んぼと宅地に対する強制代執行から30年、1977年の畑に対する土地明け渡しの断行の仮処分から24年目にして、やっと国側が非を認め、こちら側の主張が通りました。
 真実には人を動かすカがあり、真実が通る時代がやってきたんだと実感しました。
 昨年12月28日、運輸省の深谷憲一航空局長と新東京国際空港公団の中村徹総裁が「小泉よね問題」の謝罪の為に我が家を訪れました。その時、私はお二人に次のように話しました。「私はこの謝罪を受けますが、小泉よねは永遠に、あの代執行を許すことはないでしょう。なぜならば、小泉よねは、無念のうちに息をひきとった、そのところで時間がとまっているのですから。これで問題が解決したとは思わないで下さい」と。
 暴力的な空港建設により、生活の一切合切を破壊され、それを前後する精神的、肉体均ストレスにより病いに伏し、命を失った小泉よねの、魂の安らぐ時は来るのでしょうか。

 奪われた命と土地は、二度ともどってはきません。せめて、土葬となったよねのなきがらが眠る東峰の村が、ジェット機の轟音や排気ガスの地獄から解放され、平和な農村こもどることができたなら、その時こそ、よねの魂の安息があるのだと思います。 
 暫定滑走路エ事が村をぐるりと取り囲んで、連日おこなわれている現在、その日が来ることは奇跡に近いものです。しかし、私はわずかな可能性にかけて、東峰部落の人々とともに、この地で生き続けたいと思います。
 生まれたこの土地で、育んできたこの土で、人々の為に健康な野菜を作りたいんだという農民に道理があります。あくまでもどかなければ、上空40mにジェット機を飛ばすというのには、無理があるのではないでしょうか。
 21世紀に人類は、食糧危機に直面せざるを得ないと言われています。国に食糧を依存している日本の将来は、とても危ういものです。空港を利用し、遠くに出かけるのも時にはいいでしょう。しかし、身近に。ある荒廃した田や畑、里山を再生し、自分の食いぶちは自分で作るという方向に、この国が向いていかなければいけないのではないでしょうか。
 その時、理不尽な国の圧力に耐え、農業を守り抜いてきた東峰という村の存在は、大きいものです。この村をつぶしてはいげない、私はそう思います。
 本日、和解が成立したわけですが、「小泉よね問題の解決は、まだ入り口にさしかかった段階です。30年も仮補償のまま放置されている状態を、どう社会的に解決するのか、そこに生活権の補償という考えをどう定着させるのか。また小泉よねの権利を無視して奪われた畑を、どこに回復させるのか等、今後、詰めなければならない問題があります。私は、お金の額で解決しようとは毛頭思っておりません。小泉よねの魂が安らげるような世界をつくる方向で解決をはかるよう、国に求めていきたいと思っています。
 最後に、長い裁判闘争を担っていただいた2つの訴訟の弁蓮士の皆様、そして、「小泉よね問題」の解決に向けて尽力して下さった東峰部落の方々をはじめ大勢の皆様方に感謝し、お礼を申しのべたいと思います。

           2001年 2月 5日       小泉 英政

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