123. 「非核市民宣言運動・ヨコスカ」(元「ヨコスカ市民グループ」)の反基地デモ、300回!(01/02/06

 横須賀の反戦市民グループ、「非核市民宣言運動/ヨコスカ」(元「ヨコスカ市民グループ」)が毎月1回続けてきた月例デモが、1月28日で第300回目を迎えた。1997年1月に500回目のデモを行なった「安保をつぶせ!武蔵野・三鷹ちょうちんデモの会」の記録に次いで、これは容易ではない活動の継続だ。以下に、当日のことを報道した『朝日新聞』横浜版の記事と、『神奈川新聞』の記事を紹介する。

反基地訴えデモ300回
 
  
月1回25年「今後も続ける]   横須賀の市民団体

                                                            
 毎月最終日曜日の夕方、反基地を訴える横断幕を掲げ、歌を歌いながら横須賀市の中心部を練り歩く市民グループがいる。横須賀の風物詩にもなった、この小さなデモが二十八日、三百回目を迎えた。一九七六年から二十五年間休みなく、「基地のないまち」を訴えてきた。記念のこの日、約三十人の参加者たちは「よく続いた。でも、基地は存在している」と、いつも通りに街を歩いた。
 グループは「非核市民宣言運動・ヨコスカ」。平均二、三十人が参加する。
 デモはJR横須賀駅近くの公園から出発し、海上自衛隊横須賀地方総監部と米海軍横須賀基地の正門前を通る約二キロの道のりを、一時間ほどかけて歩く。
 数人はギターやパンジョーを演奏し、古いアンプと拡声磯を積んだリヤカーを転がしながら、反核や平和を訴える自作の歌を歌う。周囲には「もうやめよう空母の母港」「子供たちに基地のない町を」といったプラカード。基地前では、英語で平和を呼びかける。
 空母ミッドウェーの母港化反対がきっかけで始めたデモを、七六年から毎月恒例にした。労組などが動員した数万人が参加する集会やデモがなくなり、基地反対運動が下火になった時代だった。中心メンバーの新倉裕史さん(五二)によると、当初は参加者が一けただった。湾岸戦争や核兵器持ち込み疑惑などが浮上すると、参加者は増えた。
 二十五年たったが、基地機能はむしろ強化された。横須賀を事実上の母港とする米空母は三代目になった。国道の一車線をふさぐデモには批判もある。少人数のデモがかえって市民の無関心を象徴しているのではないか、との声もある。
 「デモに意味があるのか、疑問がないわけではない。でも、やめてしまっていいのか。声は出さないが、同じ気持ちをもった人はたくさんいる。何かしたいときに、機会を提供する場になれば」と、新倉さんは話す。
 一方で、市民の励ましや飛び入り参加もある。「みんな心のどこかで、こういうものがなくなってはまずいと思っているのでは」と、メンバーの広沢努さん(四六)は話す。「参加しなくても、デモを見て基地のことを考えてくれるだけでいい」 「高い理想を持たず、とりあえず続ける」が、モットーだ。基地がなくなり、デモをしなくていい日を目指し、デモを続けるという。
(『朝日新聞』横浜版1月29日号)

デモ300回 「非核市民宣言運動・ヨコスカ」

反基地訴え25年

 横須賀の反基地市民団体「非核市民宣言運動・ヨコスカ」が二十五年前から毎月一回続けてきた月例デモが二十八日、三百回を迎えた。毎回、米海軍横須賀基地前で「基地はいらない」と声を張り上げ、道行く市民らには「軍事力で平和はつくれない」と訴え続けてきた。メンバーらは「三百回といっても、とくに感慨はない。単なる通過点だ」と口をそろえる。その言葉の裏には、月例デモを始めたころよりも横須賀基地は機能を強化して、今も横須賀の町に存在し続けるという現実が横たわっている。
 三百回となったデモ行進には、メンバーら約三十人が参加。「基地のない町へ」という横断幕を先頭に、「もうやめよう空母の母港」「基地はいらない、どこにも」などと書いたプラカードを手に横領賀基地周辺を練り歩いた。
 同会が反基地デモを始めたのは」九七六年二月。横須賀基地に空母ミッドウエーが配備された七三年を頂点に、それまで盛り上がっていた反基地運動が潮が引くようになくなっていったころだったという。
 「デモはもっともシンプルな直接民主主最的手法で、世界共通語でもある」と話す同会メンバーの新倉裕史さん(五二)は、「横須賀に空母があることが、市民の間で日常になってしまっていた。そんな中で、毎月最後の日曜を基地撤去への意思を示す暦にしようと、デモを月例化して続けていくことにした」と振り返る。以来、毎月のデモは二十五年間欠かしたことがない。
 当初は、デモ行進の参加者が一ケタという状態が続いた。だが、八一年のライシャワー元駐日大使のいわゆる「核持ち込み発言」に反応し、デモ参加者は月平均三十五人前後に増加。九一年には、空母インディペンデンスヘの交代配備や湾岸戦争に伴う反基地・反戦感情の高まりを受け、参加者は平均約六十人に増えた。
 そして、迎えた三百回。夕暮れ時の横須賀の町に、基地撤去と平和への願いを込めて作られたオリジナル曲がデモ行進とともに流さ
れた。
 基地がそこにある限り、「三百回」は一つの節目でしかない。新倉さんは「よく続いたという思いはあるが、ちっともめでたくない。デモをしなくていい、そういう日を待ち望んでいるんです」と力を込めた。
                                 (構須賀支社・石川修巳)
(写真は略、以下は写真説明)
300回目を迎えたデモ行進で、「基地のない町」の実現を訴えるメンバーら
(『神奈川新聞』1月29日号)

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