ATTAC日本版2002年第15号
Sand in
the wheels
Weekly newsletter - n°124 –
Wednesday 17 April 2002.
秘密主義を打ち破る
KILL THE SECRECY
目次
1- 情報の爆弾でGATSをふっ飛ばそう(Use the dynamite to blow GATS out of the water)
情報はダイナマイトだ。だからこそ欧州委員会は、GATS(サービス貿易に関する一般協定)の意思決定の透明化という要求を拒絶したのである。リークされた「リクエスト」は、GATS が多くの公共サービスと零細ビジネスを破壊することを証明した。とりわけ「リクエスト」の相手とされている国の政府など、広範な人々に情報を伝えよう(218語)。
2- パレスチナ西岸:現場からの報告(The West Bank: a first-hand account)
土曜日には、アラブとユダヤ人がジェニンの難民キャンプ入り口前でデモを行いイスラエルの全国から3千人が集まった。先頭は家族との再会を切望する若いアラブ人、続いて平和運動活動家、さまざまな左派グループが続いた(3420語)。
3- 新たな奴隷(New Slaves)
彼ら・彼女らは労働許可証を持っていないが、労働することを拒否されているわけではない。彼ら・彼女らは労働者であり、メキシコ政府が言うような怠け者でもテロリストでも、悪の権化でもない。しかし米国最高裁の判決は、人権の保障がないまま引き続き雇用される21世紀の新しい奴隷形態を生み出したのだ(706語)。
4- ロシアの教員組合から(From
Russia with Unions).
モスクワ郊外の状況は最悪で、若い活動的な教員は別の仕事につき年金給与者など、教員の高齢化が進んでいます。最近、85歳のロシア人教員が誕生日を迎えました。若い人の流出は、賃金が低いためで、残業をせざるを得ず私の場合は月約70ドルです(1127語)。
5- 「2つ、3つ、もっと多くのバルセロナを!」(More Europe, More Barcelona)
バルセロナで開催された春のEU評議会が終わり、「資本家と戦争のヨーロッパに反対!」を掲げたデモの余韻がまだ残っている中で、今回のサミットの政治的な収支の決算を行うことは意味がある。アスナール首相が言うように、サミットは成功だったのだろうか? 改革(デモに参加した大多数の人々が反対した)に向けた戻ることのない前進だったのだろうか? バルセロナ・サミットは、ヨーロッパの寡頭支配者の民主的代表たちが行った決定によってではなく、街頭のデモによって語り継がれるだろう。(3005語)。
6.世界のATTACの会合(省略)
■フランス大統領選挙第1回投票の結果について
[要約版]
情報の爆弾でGATSをふっ飛ばそう
Use the dynamite to blow GATS out of the water
[ヨーロッパ委員会がWTOのGATS交渉に向けて準備していた機密文書が4月16日、GATSwatch のウェブサイトに掲載された。<http://www.gatswatch.org/requests-offers.html>を参照(英語)。この文書は、ヨーロッパ委員会が29の加盟国を対象に行おうとしている「リクエスト」を含んでいる。]
欧州委員会の隠蔽策にかかわらず、同協定の「リクエスト‐オファー」の過程において、欧州連合(EU)からいわゆるグループ1(金持ちで強大な国)の国々に対する最初の詳細な「リクエスト」を入手した。4月末までには、同様グループ2の国々に向けた「リクエスト」が入手されるだろう。
情報はダイナマイトだ。だからこそ欧州委員会は、GATS(サービス貿易に関する一般協定)の意思決定の透明化という要求を拒絶したのである。リークされた「リクエスト」は、GATS が多くの公共サービスと零細ビジネスを破壊することを証明した。とりわけ「リクエスト」の相手とされている国の政府など、広範な人々に情報を伝えよう。このダイナマイト(=情報)を使って、GATSを吹っ飛ばそう。
「リクエスト」の相手国:アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、カナダ、チリ、中国、コロンビア、エジプト、中国香港、インド、インドネシア、イスラエル、日本、韓国、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、パナマ、パキスタン、パラグアイ、フィリピン、シンガポール、南アフリカ、スイス、台湾、タイ、米国、ウルグアイ、ベネズエラ。
欧州委員会‐133委員会
「加盟国は、リクエストの内容が公とされず政府関係者内部のみで閲覧されるようにしなくてはならない」
詳しい情報は、下記を参照されたい
http://attac.org/fra/orga/doc/ue4en.htm
[注:ドーハ閣僚会議の合意によって、GATSの交渉スケジュールは次のように決められている:第1回貿易交渉委員会、2002年1月28日。初期リクエスト(相手国に対する自由化の要望事項の提示)、2002年6月30日まで。初期オファー(相手国からのリクエストに対する自由化の回答)、2003年3月31日まで。第5回閣僚会議:2003年(時期未定)。交渉終結:2005年1月1日まで]
パレスチナ西岸:現場からの報告The West Bank: a first-hand account
By Christophe Aguiton
Translation: Chris Arden coorditrad@attac.org volunteer translator
group
心からの悲しみ。先週、パリからテルアビブに発ち、イスラエルとパレスチナの対立を現場で目撃して私を襲った感情はそれしかない。
国際視察団
今回のパレスチナ訪問は、一昨日、ヨーロッパ、アメリカ、アジアのチームにブラジルの人々が加わりポルトアグレ世界社会フォーラム国際評議会の訪問団が強化されたのを受けて急遽決まった。自発的な国際連帯運動に参加するチャンスとなった。
昨年のクリスマス前後には、毎週400人の訪問団がフランスから派遣され、イスラエルのパレスチナ都市部攻撃が激化した時期には約600人が現地を訪れるなど、ここ数ヶ月間に様々な国で連帯活動が組織されている。
ジョゼ・ボベ氏がPLO本部に入ろうとしたシーンはテレビでお馴染みとなったが、彼に同行した人々について情報は限られている。同行した人の中には、土地なき人々運動のマリオ・リル氏。バスク人の反グローバリゼーション活動家のポール・ニコルソン。またATTACのメンバーでいまもPLO本部に残っている人たちもいる。
ベツレヘムが襲撃された時、同都市には連帯を示す多数のアメリカ人もいた。彼らは「白旗」を降り、パレスチナの救急車や難民キャンプがイスラエルの標的となることを防ぐことに力を注いだ。
またベツレヘムに「参戦」しているロンドンで商業弁護士を務めるロリー(30歳)は、新しい国際連帯の新しい活動家の形を示している。弁護士顧問契約の期間は年間のうち半年に過ぎないため残りの時間を有益に使おうというのが当初の動機だ。しかし経験としては、債務帳消し運動に短期間関わったほどであるが、特にエドワード・サイ−ド氏の国際連帯運動への呼びかけなどに感動して出発わずか2日前にパレスチナ訪問を決めた。
出発前には、小型デジタルカメラを買い、現地についてからは報道機関に連絡を取り、いまは主要なスコットランド紙の一面を書き、BBC、CNNなどとも定期的な連絡を取っている。
シアトル以来の反グローバリゼーション運動が、反戦運動につながるのは自然の流れであり、抵抗のためたたかう人々に連帯するが、あくまで平和的に現場の証言者となり、民主主義の空間を創りだし、軍事被害を少なくする努力を続けているのだ。
イスラエルで
イスラエルの税関で引っかからなかったのは、現地在住の友人がおりその住所を示したから。これまで、部隊を組んで到着した国際連帯の訪問団は即座に送り返された。その日の夜、反シオニストのイスラエル人であるマイケル・Warshawsky氏と会い事情を聞くことができた。
彼によると今年1月、ポルトアグレの世界社会フォーラムで、パレスチナとイスラエルの反戦活動家、ならびにビア・カンペシーナ(農村の道)が協議した結果、「地球の日」にパレスチナ占領地の地方の労働者と連絡を取るため訪問団を送ることが可能になった。
そのほか、イスラエル国内の状況を伝えてもらった。非常に状況は悪い。特にメディアの自主規制は、自爆テロ犠牲者の葬儀などを広範に伝える一方、西岸の報道は欠落しイスラエル人に完全な偏見を植え付けている。
問題はキャンプ・デービッドとターバの会議の失敗の解釈にある。アラファト議長はガザと西岸だけでの独立国家を拒否したと言われている。加えてイスラエルの中心部での自爆テロから判断して、パレスチナの真の目的はイスラエルの破壊である、という嘘が少なくともイスラエル国内ではまかり通っていることだ。特に労働党も政権にとどまっていることから、こうした理論が「説得力」を高めている。
ジェニン
どこでも紛争地帯には、ジャーナリスト、政治家、リーダーなどが集まり情報交換の場となる特定のホテルが存在する。今回は、ニューインペリアル、キングデービッド、アメリカンコロニー、アンバサダーホテルの各ホテルが拠点となった。
そこで私は木曜の朝、ATTAC オーストリアの友人でありジャーナリストのLeo Gabriel 氏と合流し、ジェニンへ車で向かった。
西岸北部にあるジェニンには、48年以来アラブの村から人々が移民している。西岸に来て驚くことの一つは、少しでも知り合いがあれば、占領地の中央を横切っていつでもイスラエル・パレスチナ間を行き来できることだ。
二つ目に驚かされるのが、パレスチナ人同士の深い連帯だ。私たちは、ことあるごとにチェックポイントで検査を受け、またイスラエル軍が来ていないか通り抜けることが可能か、地元の人たちはチェックに余念がない。前に止まったタクシーは、携帯電話で、狙撃者はいなかいか、軍事妨害はないか、仲間と情報を交換していた。
私たちは、1万3千人以上が定住しているジェニンの難民キャンプに入ることはできず、発砲の音を聞くばかりだが、伝わる情報は恐ろしい内容だ。しかしTaybehや Rumanah にたどり着いた難民の話を聞くと、ヘリコプターや戦車から発射されたミサイルで多くの住居が破壊され、ほとんどの男は逮捕された。今でもその後が残るほどきつく手首を縛られ、目隠しをされ、トイレにいかせないなど厳しく屈辱的な条件で拘留所に2〜3日、拘留させられた。
Rumanahの15歳の少年はイスラエル軍による残虐行為を証言。街頭での大量処刑と道端に放置された多くの死体を目の当たりにしてきたという。4人の子供の父親である38歳のTaybeh, Kassim Salah氏は、イスラエル軍人の弾除けとして盾に使われ、白旗を振って進んでいた4人の若いパレスチナ人が殺害されたことを証言した。
ラマラ
金曜日には、世界社会フォーラムの代表団が一緒になった。ブラジル労働党のMilton Temer議員や、米英各一人の女性メンバー(国際連帯運動)、ベルギーのチームなどと合流しラマラ訪問や、PLO本部の活動家と可能であれば会うことを決めた。
負傷者と会ったラマラの病院では、スタッフが中庭に掘らざるを得なかった墓地も紹介された。
テレビ局から3人が随行しており、パウエルがイスラエルに到着した時期であることも見計らい、リスクをかけずにデモを行うことを決めた。
私たちは白旗を持ち、平和的にゆっくり歩き、センターにたどり着いた。センターで愕然とした。完全な廃墟とも見えるが、私たちは住民すべてが鉄のシャッターを弾除けに下げ、影に隠れえていることを知っている。先着組のオルタナティブ運動に参加するカナダ人の証言から、住民は2週間以上も、軍の攻撃を恐れ家の中に閉じ込められていたことになる。
戦車に占拠された中央広場で、軍人数人は私たちに銃口を向けたが、恐怖心を乗り越えさらに1マイル歩き続けた。しかし戦車に追いつかれ、友人と話す機会を交渉したが、らちはあかずそこから引き戻るしかなかった。
イスラエルの平和運動活動家と
土曜日には、アラブとユダヤ人がジェニンの難民キャンプ入り口前でデモを行いイスラエルの様々村から3千人が集まった。先頭は家族との再会を切望する若いアラブ人、続いて平和運動活動家、さまざまな左派グループが続いた。十代の小さなグループは、黄色の星とパレスチナ人と書かれたTシャツを着て参加。1週間程前に外国からの参加者がラマラを危険を顧みず行進したこをきっかけに十代グループは行動を起こすことを決めたという。
ジープと軍人数人はデモを止めようとしたが、私たちの決意と行進をくつがえすことはできなかった。パレスチナ人がまだ拘留されている軍キャンプを通り過ぎる時の事件は、イスラエルの軍隊の本来の性格を明らかにした。デモ隊が「汚い占領」「兵役拒否をした兵隊(refuznicks)はヒーロー」とシュプレヒコールを挙げた途端、軍人の一人が飛んだりはねたりした後、腕を振って完全な支持を表明したのだ。直後に監督軍人が彼に大目玉をくらわしたのではあるが。数分後には別の軍人が怒りを露にしてデモ隊を侮辱、攻撃しようとしたところ同様上司になだめられた。なぜ軍人がジャーナリストを狙い打ちにし、またどのように残虐行為が行われるかを説明するものだ。
その後、ジェニン前のチェックポイントで立ち往生を食らい、デモを解散するならドラックを通すということで軍人側と妥協した。しかし翌日、実際ジェニンに入れるのはわずか6人に限られることを知った。
日曜の午前中にはテルアビブの『インディメディア』誌の平和活動家と会い、占領撤退のための情報交換で意見を交わし、昼のエルサレムにおける記者会見を経て、午後に7人のイスラエルを追放された市民運動家とともにパリに戻った。
新たな奴隷
New Slaves
By Carlos Montemayor
今年3月27日、米国最高裁はすべての「違法」労働者に適用される判決をくだした。グローバリゼーションの時代に、新たな奴隷の形態を定式化したのだ。
「違法」という烙印を押された数千の労働者は、何の権利も認められないまま製造、農業、旅行など米国各セクターで利用されている。合法性は否定されたがその労働を利用されるこれらの労働者は、非行者でもテロリストでもメキシコ政府が最近認めたように癌でもないのである。しかし米国最高裁の判決は、人権の保障がないまま引き続き雇用される21世紀の新しい奴隷形態を生み出したのだ。
したがって解雇されたり懲罰を加えられた「違法」労働者に人権を主張をすることは許されず、メキシコ人労働者であるジョゼ・カストロ氏らが89年、カルフォル二アでホフマン・プラスチックを解雇された場合も同様であった。地元紙は、米国労使管理局がカストロ氏の賃金支払いと解雇撤回を命じたと報じたが、米国最高裁は意に介さなかった。
80年代以来の経済政策は、富の一極集中と貧困の無限の増大を生んだ。資本と商品は自由に流通したが労働はそうではなかった。国境は、投資のためオープンしたが、移民のため閉ざされた。それでもアジアとメキシコから米国へ、アジアからヨーロッパへ、サハラ、マグリブ(アフリカ北西部)からスペインへ、ナイジェリアとアルジェリアからフランスへ、クルドからドイツへ移民が続いた。
移民はグローバリゼーションの既存のモデルから一脱したマイノリティーとして差別の対象となった。トルコ人、黒人、アジア人、スペイン系移民などに対する暴力が増加している。
米国で新たな奴隷の様な形態が復活したことは、法律適用の近代化をメキシコや貧困国に問い掛けている。しかし実際には、「合法」「違法」の労働を問わず軒並み労働コストを削減することに眼目があることが明らかとなった。メキシコ政府はなぜキューバだけに人権破壊のホコ先を向けるのであろうか。なぜメキシコの新外交政策は、パレスチナ侵略とメキシコ移民の奴隷化を支持するのか。
これがメキシコの近代化なのか?
ロシアの教員組合から
From Russia with Unions
By David Mandel (Canada), Carine Clément, Denis Paillard (France)
-"ユニオン・メッセンジャー"
ロシア教員自由組合の委員長であるUmida Borodina氏のインタビュー
‐どちらで仕事をされていますか。
Umida Borodina:現在、モスクワ郊外の学校で歴史を教えています。教員組合の連合体であるSotsprof組合連盟で委員長をつとめています。
‐これらの組合は誰を代表していますか?
UB:1996年に統合されたオルターナティブな組合連合は、その後、分裂を経て再び息を吹き返した2001年10月の別の会議で委員長に選ばれました。この連盟は、ロシア労働連合、全労働者連合、Urals, Siberia,
Voronezhなどの地域組合と提携している。
‐FNPRとの関係は何ですか?
UB:私たちは全員、FNPR を出てきたのですが、FNPR の指導部は破壊的で時に動員の妨害すら行います。しかし彼らに対して、礼儀を示し運動に立ち上がるよう働きかけています。
‐具体的に参加した運動をあげていただけますか?
UB:モスクワに来る前にPenza で1998年9月にストライキを打ちましたが、FNPR の指導部は政府当局から譲歩を取ったとの理由で1日前に中止を打ち出しました。しかし教員はそれでもストを断行し選挙委員会を選出しました。スト後に無払い労働に対する裁判闘争を行い98の案件を訴え勝利し、FNPR も我々のリーダーシップに従わざるを得なくなりました。例えば私の学校では、生徒数減少を理由に毎年、3〜4人が解雇されることに対して、私たちが反対の姿勢を貫いたことに対して、FNPRも態度を変え同調するようになりました。
‐あなたの学校のいまの状況はどうですか?
UB:モスクワ郊外の状況は最悪で、若い活動的な教員は別の仕事につき年金給与者など、教員の高齢化が進んでいます。一重に賃金が低いためで、残業をせざるを得ず私の場合は月約70ドルです。
−政府の教員給与引上げをどう思いますか。
UB:実質的な意味はありません。私たちSotsprofは、政府がFNPR 以外を交渉相手に選ばないことに対して、最高裁に訴えました。私たちが望むことは、実質的な賃金引上げのため団結した戦闘的な組合を立ち上げ大きくすることです。
−賃金のほかに要求は?
UB:第一に無払い労働とたたかわなくてはなりません。また地方政府は予算欠乏を理由に挙げていますが、低賃金を背景に中央政府をゆすり蓄財している状況にストを打たなければなりません。
教育改革に対しては民営化に反対し、生徒の異なる出身地域や貧困な家庭による差別をなくすため公教育の役割を見直し、学校の改革に教員が参加できることを要求します。
−海外の組合とのつながりは?
UB: いまはほとんどありません。しかし国際書記局に加盟するつもりです。
記事問合せ先;
「2つ、3つ、もっと多くのバルセロナを!」
More
Europe, More Barcelona
By G. Buster
バルセロナで開催された春のEU評議会が終わり、「資本家と戦争のヨーロッパに反対!」を掲げたデモの余韻がまだ残っている中で、今回のサミットの政治的な収支の決算を行うことは意味がある。アスナール首相が言うように、サミットは成功だったのだろうか? 改革(デモに参加した大多数の人々が反対した)に向けた戻ることのない前進だったのだろうか? バルセロナ・サミットは、ヨーロッパの寡頭支配者の民主的代表たちが行った決定によってではなく、街頭のデモによって語り継がれるだろう。
しかし、加盟15カ国が、バルセロナで達した結論は何か。
1-経済:安定と成長協定の防衛
景気回復のため民間需要は不可欠だが、企業は雇用とその他の支出を削減し、新技術に投資の意向はない。所得税と製造部門の重要セクターが弱くネックとなっている。
今年の成長予測も米国の1.7%に対してヨーロッパは1.2%ヨーロッパと引き続き景気後退の懸念が続いているのだ。
米国連邦準備制度理事会(FRB)が今年3月に金利を1.7%に切下げたのに対し、ヨーロッパ中央銀行は昨年11月、3.25%以下に下げない方針を打ち出した。これはドイツなど財政赤字に対してユーロの価値を維持するためだったが不景気に拍車をかけた。
バルセロナ会議の前に新自由主義の「悪の凶軸」たるブレア‐ベルルスコーニ‐アスナ―ルの支持を受けた欧州委員会は、ドイツの社会民主政党、ポルトガルの社会党などを批判。社会的の支出の削減を主張し組合の支持基盤に冷水を浴びせた。
こうした結果は、安定と成長協定及びユーロの通貨統合が、失業増、競争激化、さらに金融の利益を守るための新自由主義政策を推進する道具であることを示している。
2-社会的課題:完全雇用の約束-
フランスの「多様な左翼」からなる政府とドイツの「レッド・グリーン」からなる政府は、「社会的ヨーロッパモデル」を守る政策を打ち出した。しかしこれは、新自由主義的改革を「均等化」させるための取引でもあった。この「人間の顔をした新自由主義」の妥協のすえの合意に、アスナ―ルも関わっていたことが疑われている。
その結果、例えば年金基金は改革により2010年までの間に退職年齢は5年間引上げられる。
教育の民営化も推進し、3歳以上の学校にあがる前の子供の90%、さらにそれ以下の子供の最低33%は民営化教育の市場にさらされる。
結論:バルセロナのサミットで実質的な前進を見るのは難しいとアスニ−ルは懸念したが、メディアは結果は予想を超えた成功であると称えた。しかし実際に日の目を見たのは、安定と成長協定、労働市場の自由化、エネルギー自由化協定など問題を含むものばかりであった。
アスニ−ルはブレアとベルスコー二との同盟関係の下に、ポルトガル、フランス、ドイツなど社会民主主義的な政府の足下をすくうイデオロギー上の拠点にバルセロナがなることを当初より想定していた。ヨーロッパの同盟関係の真の黒幕はブレアであり、アスニ‐ルとベルスコー二が忠実なしもべとなった。
とりわけ9月11日を受けたブッシュ政権が発動した政策の下、ヨーロッパの同盟は、加盟15カ国中12カ国に広がった社会民主党や緑の党の政権(現在残っているのは6ヶ国)擁立の動きにつながった95年のフランスのストを契機とする話し合いに終止符を打とうとしている。
社会民主政党や緑の党の新自由主義的政策に対する妥協の結論が、労働組合など社会的支持基盤を失うリスクを負いながら、バルセロナでうたわれた「人間の顔をした新自由主義」なのだ。一方対応を迫られた労働組合はこうした動きに対して、ドイツの鉄鋼業者組合であるIGMは賃上げスト、イタリアの同CGILはベルスコー二の労働市場改革に対してゼネストを呼びかけた。
「ヨーロッパ社会モデル」の神話は通念のままである。 それは本来、第二次大戦中のレジスタンス運動やフランス・イタリアなどの68年5月のストに照合するが、80〜90年代の労働市場改革など新自由主義的政策の下で組織的に掘り崩されていった。今日の右翼の目的は、この神話に終止符を打ち労働組合の自主的な団結権を奪うことだ。
一方、バルセロナは、若い人にも影響を与え社会民主主義的な意志を示す場となった。独立した運動は社会的抗議として、強い反資本家のファクターを取り込み、緩慢だが確実に「左翼の中の左翼」として政治的オルタナティブの台頭を準備するだろう。
フランス大統領選挙・第1回投票の結果
ジャック・シラク(共和国連合)
19.88%
ジャンマリー・ルペン(国民戦線)
16.86%
リオネル・ジョスパン(社会党)
16.18%
フランソワ・ベイルー(仏民主連合)
6.84%
アルレット・ラギエ(労働者の闘争派)
5.72%
ジャンピエール・シュヴェンヌマン(市民運動)
5.33%
ノエル・マメール(緑)
5.25%
オリビエ・ブザンスノー(LCR)
4.25%
ジャン・サン・ジョス(狩猟・漁労・自然・伝統党)
4.23%
アラン・マドラン(自由民主党)
3.91%
ロベール・ユー(共産党)
3.37%
ブルーノ・メグレ(全国共和国運動、極右)
2.34%
クリスチャン・トービラ(左翼急進党)
2.32%
コリンヌ・ルパージュ(Cap21、右翼エコロジスト)1.88%
クリスティーヌ・ブータン(社会共和フォーラム)
1.19%
グリュックシュタン(労働者党、ランベール派)
0.47%
第1回フランス大統領選挙後の状況
クリストフ・アギトン(ATTAC France 国際部)報告
第1回大統領選挙は気分の悪い驚きだった。極右の台頭である。極右政党「国民戦線」の党首、ジャン・マリエ・ルペンが、右派の共和国連合(RPR)のジャック・シラク現大統領に次ぐ得票を獲得して、決選投票に残ることになった。この結果は政治への激震であり、直ちにフランス全土で抗議行動が起きた。選挙日の翌日、4月22日(月)には、自然発生的にあちこちで極右に反対するデモが行われ、約10万人が参加した。さらに翌日23日も同規模のデモが行われ、とくに高校生や大学生が多く参加した。
新自由主義政策の拒否
この結果を、フランスの政治が右旋回していて、民主主義勢力や社会運動が後退していることを示している兆候であると見ることは誤りであろう。また、より一般的に、1980年代初頭にサッチャーやレーガンが登場し、勢力関係が逆転して、労働組合運動が長期にわたって低迷し、経済自由主義が推進されたが、最近の欧州の選挙で見られた一連の右シフト(イタリア、デンマーク、ポルトガル、そして今回フランス)をこうしたサッチャーやレーガンの勝利になぞらえるのは誤りであろう。
イタリアの状況は実際の力関係を明確に説明している。ベルルスコーニが勝利したが、3月22日のデモや4月16日のゼネストなどに見られるように、ジェノバ・サミット後、若者の間で大規模かつ広範囲な決起がある。
第1回フランス大統領選挙で投じられた得票数から見ると、結果を右翼と極右の間の競走として要約することはできない。1995年の前回の第1回大統領選挙では、革命派を含む左派勢力は全体で1,235万7,000票を獲得したが、今回の2002年選挙でも左派勢力は同じレベルの得票数、1,220万票を獲得した。一方、今回の選挙で、極右を含む右派勢力は全体で200万票減らし、1,802万2,000票から1,628万2,000票になった。またこの得票数には、右派勢力の一部である動物愛護政党(狩猟・漁労・自然・伝統党)が獲得した4%の120万票も含まれている。
この選挙から学ぶべき最大の教訓は政権党の弱体化であるが、しかし、それは左右両方の政党に言えることである。左翼政府(社会党、共産党、緑の党)は150万票を失い、1,071万1,000票から924万6,000票に減少した。この数字には、約1年前に内務省を辞めて、治安問題を焦点に据えた選挙戦を展開したジャン・ピエル・シュベンヌマンの党(市民運動)への得票、151万8,000票(5.4%)も含まれている。また議会右派は約400万票を失い、得票数は1,345万票から960万4,000票に減少した。このような、政権についている政党の後退は、人々が不誠実なシステムや、ジャック・シラクを筆頭とする不誠実な政治的リーダーたちに明らかに拒否をつきつけたことを示している。それは、とりわけ、近年、右翼政府から左翼政府に至るまで様々な政権が採用してきた新自由主義的政策への拒否である。
棄権票が21%から28%に増え、意識的な無効票も100万(3.4%)を超えた。革命派(3候補)は140万票増やし、297万4,000票(10.6%)を獲得した(前回選挙では161万6,000票(5.3%))。また極右勢力(2候補)は100万票増やし、547万2,000票(20%)を獲得した(前回選挙では457万1,000票(15%))。
労働者階級に根ざしていた極右
極右の成長は全く衝撃であった。ほとんどの人が、極右は永久に弱体化したと見ていたからである。極右は1997年総選挙と2001年地方選挙で敗北した後、大分裂があった。第1回大統領選挙期間中の論争にはそうした状況が反映されている。
犯罪の問題を焦点化して、シラクとジョスパンは、伝統的に極右が掲げてきた問題を取り上げた。一方、ルペンはむしろいつもより「穏やか」であり、移民問題を強調せずに、社会問題に焦点をあて、労働者と一般市民を守ると主張する選挙戦を繰り広げた。
出口調査は、このターゲット戦略がいかに成功したかを示している。
ルペンは失業者から30%、工場労働者から23%の支持を獲得したが、シラクは工場労働者からわずか16%、ジョスパンは11%の支持しか得られなかった。現在職についている全有権者の投票行動を見ると、ルペンへの支持はトップ(19%)であり、以下、シラク(17%)、ジョスパン(16%)と続く。
労働者階級における極右の成功は、最低賃金の引き上げや基本的な社会的権利を拒否して、人員整理による解雇や失業率の上昇に対して措置を講じなかったジョスパンに対する痛烈な非難である。しかし、それは、自由主義的グローバリゼーションと闘い、1995年の11月〜12月のストライキからシアトル後の大規模なデモに至る数々の闘争や動員によって極右を社会の隅に追いやることができたと考えたATTACなどの運動体や労働組合の問題でもある。
労働組合が挑戦すべきことは、失業者など社会で最も弱い者たちの権利要求を支持し、民間部門の労働者たちを結集させることである。またATTACなどの運動体は労働者階級とつながるための手段を見つけることである。
動員
日曜日の夜、フランス全土で直ちにデモが開始され、翌日には高校生や大学生が街頭に出た。この自然発生的な抗議行動は、アソシエーションや左翼政党が動員計画を練るときの原点になるものである。
まず最初の合意事項はルペンと闘うことである。
決戦投票は5月5日に行われる。疑うことなくシラクが勝利するであろうが、ルペンの高得票率によってあとで反動が生じるだろう。よって、スローガンは、ATTACフランスが発表した宣言にある「ルペンが可能な限り最小の票しか得られないようにしよう」、「街頭で、投票箱で、思想を持ってルペンを打ち負かそう」か、または様々なアソシエーションや労働組合が発表した立場表明宣言の中にあるATTACフランスと同趣旨のスローガンである。
5月5日に向けて4月27日と5月1日に大規模な統一デモが行われる。
しかし、ATTACをはじめとしてほとんどの人が、国民戦線に抗議する大衆動員だけでは不十分であり、労働者階級の権利を防衛して、自由主義グローバリゼーションと闘うべきだとし、それこそが問題の根源ならびに極右の台頭原因と闘うための唯一の方法であると考えている。
様々なアソシエーションと労働組合の間で会議が開かれた。上述した権利要求を主張し、動員と討論をするためのアリーナ(場)を作るという構想が進展している。それは、活動家のほとんどが求めていることである。木曜日の午後、パリで初の大会議が開かれる。そこには誰でも参加できる。
4月23日パリ