<ATTACニュースレター日本語版2002年第17号/転載歓迎>
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ATTACニュースレター「サンド・イン・ザ・ホイール」(週刊)
     2002年5月1日号(通巻第126号)
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          Sand in the wheel
 Weekly newsletter - n°126 - Wednesday 01 May 2002.
     DESTRUCTIVE COMPETITION(破壊的競争)
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《attac‐jインフォメーション》

◆首都圏/第5回WTO・NGO戦略会議:5月18日(土)シンポジウム<医療制度改革、郵便制度の規制緩和とWTOなど>/午後2時−7時/渋谷区勤労福祉会館(JR・地下鉄「渋谷駅」下車7分)/5月19日(日)戦略会議<WTO第5回閣僚会議に向けての取組など>/午前9時−12時/早稲田奉仕園セミナーハウス・和室

《 も く じ 》

1−第2千年紀から第3千年紀に残された課題

(A third millennium challenged by the second)

 このデジタルの時代に中国ではまだ200もの工場でそろばんが作られている。

 「ニューエコノミー」はブラジルの北東部における奴隷労働を廃止できなかった。コンピューターによって人間の遺伝子が完全に解析されたのは偉業ではある。その一方で前の千年紀から、解決されないまま残された問題がある。非常に単純な問題だが、まだ解決を必要としている。未来にのしかかっている世界規模の健康の問題である

(1490語)。

2−エンロン・スキャンダルの労働組合版:組合幹部がインサイダ

 ー取引で利益

(Labor's Enron. Union Officials Profited from Shady Stock Deal)

 近頃ワシントンでは'ノーコメント'ばかりである。組合委員長が会社役員となって金儲けをするというのは、そんなおいしい話はなかったのかもしれない(1365語)。

3−エンロンとアーサー・アンダーソンは例外ではない

(Enron and Arthur Andersen are not aberrations)

 エンロン社とアーサー・アンダーソン会計事務所は例外ではないという証拠が、オーストラリアで見つかった。裁判所はBritish American Tabacco(BAT)が同社に対する喫煙家・元喫煙家による訴訟を妨げるため大規模な書類の廃棄を行ったことを認めた(913語)。

4−オクスファムの貿易拡大キャンペーンへの疑問

(What's Wrong With the Oxfam Trade Campaign)

 オクスファム・インターナショナルは最近、発展途上国製品の北の諸国における市場アクセスの拡大を促進するための国際的なキャンペーンを開始した。私はオクスファムの活動を高く評価しているし、オクスファムのレポートに書かれている多くのことに賛成している。しかし、このキャンペーンは、この重要な時期において企業主導のグローバリゼーションに反対する運動の焦点をずらし、運動を間違った方向へ導くと感じる(922語)。

5−ルペンは企業主導のグローバル化の主要な受益者だ

(Le Pen is Chief Beneficiary of Corporate Globalisation)

 ヨーロッパおよび他の地域における極右の台頭――フランス大統領選挙におけるル・ペン氏の進出はそのもっとも新しい、もっとも華々しい例である――は、予想された通り、ヨーロッパのメインストリームの政治家たちの憤激と強烈な政治的反応を呼んだ。イギリスのトニー・ブレアー首相はル・ペンの国民戦線の政策に不快感を表し、ジャック・シラク氏は憎悪と不寛容を前にして妥協や論争は不可能であるという理由でル・ペンとのテレビ討論を拒否した(1997語)。

6−政治的対応の変化か?(A Shift in Police Attitudes?)

The anti-corporate globalization movement criminalization is

a problem in the US. At certain levels of government it has

intensified since Sept 11. But I think that there has also

been a positive shift in the attitude of the public and of

local police. Certainly the press is more educated. Enron has

been a great help to us(648語)。

7-世界のアタックの会合(省略)

《 要 約 版 》

●第2千年紀から第3千年紀に残された課題

A third millennium challenged by the second

 カルロス・モンテロ

 (Correo Informativo 135号より)

 このデジタルの時代に中国ではまだ200もの工場でそろばんが作られている。

 「ニューエコノミー」はブラジルの北東部における奴隷労働を廃止できなかった。コンピューターによって人間の遺伝子が完全に解析されたのは偉業ではある。その一方で前の千年紀から、解決されないまま残された問題がある。非常に単純な問題だが、まだ解決を必要としている。未来にのしかかっている世界規模の健康の問題である。国連は3月22日を国連水の日、4月7日を世界保健デーと定めた。これは、こうしたテーマに関連する情報交換や研究、議論を促して、全人類の世界的な課題を私たちに気づかせる格好の機会であるかのように見える。 人間の「生活の質」を維持するには以下の条件が必要だろう:(1)医療研究によって開発されたすべての製品が十分に手に入ること(これには国際商工会議所が反対している)、(2)科学の進歩や新技術への一般アクセス(これには国際知的所有権機構が反対している)、(3)生態系の保全(そのためには京都議定書をめぐって議論された環境汚染の浄化と工業による汚染の削減のために公共および民間の資金が拠出される必要がある)、(4)増加する食料およびエネルギー需要に対応する新しい資源。

 1988年[訳注:「世界保健デー」が定められた年]に、ある人が「もっとも政治的なことは、生活そのものである」と言った。これは政治にとって大衆の関心が重要であることを示唆している。どのコミュニティーでも、それが生活を左右する。健康と水は国連ミレニアムサミットで、また、ブラジル・フォルタレサで2002年3月まで開催された米州開発銀行首脳会議で、最重要の議題となった。

 このように、15年経った今「もっとも経済的なことは、生活そのものである」と言えるだろう。

 私たちの未来の生活の発展についてこの20年間に行われてきた政治的、経済的、社会的論争で明らかになったのは、20世紀を代表するインテリであるかのように振舞ってきた知識人・学者たちの誤った問題設定あるいは予言だった。90年代に米国やヨーロッパでインテリたちは余暇の過ごし方について議論した。今日に至ってもなお、失業の増加、"マック・ジョブ"[ファーストフード・チェーンなどの低賃金・不安定雇用のこと]、能力を生かせる仕事がない、移住労働者、頭脳流出、奴隷労働、児童労働の搾取などについて議論されていない。

−80年代ラテンアメリカに民主化の波が押し寄せ、軍事独裁体制の終焉が宣言され、市民権利の拡大と市民政治そして最後の体制委譲が行われた。現在ではあちこちで政治腐敗がおこり、ペルー、エクアドル、パラグアイ、アルゼンチンなどでは再選挙、大統領による政体の変更、後継者問題、それから国民の不満と政情不安などがささやかれる。

−90年代にはベルリンの壁そして、ソビエト連邦の崩壊によって政治体制の二極化が終わりを告げた。北半球では冷戦構造の終結と共にフランシス・フクヤマの言う歴史が終わったという議論がなされた。西側の民主主義と資本主義は世界に広がるのだろうか?今日でもさまざまな対立について議論がなされる。バルカン半島のナショナリズム、ルワンダとブルンディの民族同士の対立による大量殺戮、文明の衝突(サミュエル・ハンチントン)、ブッシュ対ビンラデンのテロと闘い、一つの中国と二つの体制(資本主義的マルクス独裁主義)、世界の六割が民主主義ではないなどという論争。歴史は現在もまだ生き続いているのである。

 ラテンアメリカの90年代はマクロ経済改革により、規制緩和や民営化がまた市場開放と統合が進められた。ミレニアムラウンドに基づき全ての分野で経済開放のために関税障壁が撤廃され、商業主導のメカニズムが作動し始めた。1999年シアトルでの失敗の後、ドーハ(カタール)でWTO閣僚会議が開かれ、「発展途上国」は、強力な保護主義を示した。

−2000年「ニューエコノミー」が米国に巨額の富をもたらした。新規企業はテクノロジー関連株の高騰により多額のキャッシュフローを呼び込んだ。良いアイデアさえあれば消費者がいなくても億万長者になれる、ただ株式を公開するだけでよいのである。ナスダックでは250%落ち込んだ。かつて成功したウェブサイトは終わりを告げた。多国籍企業は人員を大幅に削減。ウォール街の牛はアーサーアンダーソン会計事務所がエンロンのバランスシートを粉飾し損失を隠そうとすると、風邪を引いたのだった。

<グローバルな側面>

 WHOはこの20年間、単に病気を治療することから、病気の予防と食糧援助、教育、住宅環境、そして環境問題など、生活の質の維持に関心を向けてきた。

 1999年のミレニアムサミットで掲げられた2015年までに人々に基本的な保健サービスを行うという目標は野心的なものであったが、93もの国で予定が遅れ、20億もの人々がペニシリンなどの安価な薬も手に入れられない。ユニセフが後援するスェーデンのストックホルムにある「青少年の健康と発達に関する国際評議会」によると、毎年 1100万の子供たちの命を奪う伝染病の広がりを抑えるのに3300億米ドルが必要である。

 WHOのGro Harlem Brundtlanは貧困が死の原因になっているという。これらほとんどの病気の場合1ドルにも満たないお金で治療が出来る。しかし、彼らにはその余裕がなく、また単に一般に薬が出回らない。「ワクチン・免疫のための世界連合」は50%の子供たちがジフテリア、百日咳、破傷風、ポリオ、麻疹を患っているという報告をまとめた。

 20世紀終わりに、米国における死亡原因の上位は(順に)、心臓病、ガン、脳血管の破裂、肺の病気、事故、肺炎、インフルエンザ、糖尿病、エイズ、自殺そして慢性的な内部腺の障害となっている。100年前は、肺炎、インフルエンザ、結核、下痢、そして腸の病気、心臓病、脳出血、肺病、事故、ガン、老衰そしてジフテリアであった。WHOによると、2001年1月で発展途上国での主な死因は心臓病(382万)、呼吸器感染(335万)、喘息(324万)、エイズ(290万)、出生異常(234万)、肺病(210万)、下痢 (209万)、結核(158万)、マラリア(108万)である。 早くて安い長距離旅行や貿易などで世界が結びついている今日、これらの病気は国際的な課題となっている。

 米州保健機構の設立から100年、第三の千年紀に入り、私たちはまだ病気、貧困の脅威に打ち勝つことができていない。実際には、このプロセス[病気や貧困を増大させるプロセス]を止め、逆転させるメカニズムがないため、状況は悪化している(そのようなメカニズムは米国や汚染源となっている大企業が受け入れなければ機能しない)。世界貿易によってもたらされる食物に対する衛生上、植物衛生上の脅威(口蹄疫、BSEなど)を前に、私たちは煙草会社、遺伝子研究所、医療そしてバイオ研究所と闘っていかないといけない。特許化により、彼らは情報アクセスに規制をかけ世界の人々のための有益な使い道を阻害している。

●エンロン・スキャンダルの労働組合版:組合幹部がインサイダー 取引で利益

Labor's Enron. Union Officials Profited from Shady Stock Deal

 By Jane Slaughter

 近頃ワシントンでは'ノーコメント'ばかりである。組合委員長が会社役員となって金儲けをするというのは、そんなおいしい話はなかったのかもしれない。

 「ビジネスウィーク」と「ウォールストリートジャーナル」はいくつかの組合の組合委員長たちが保険金融会社であるULLICOの役員に名を連ね、ULLICOの不正な株価情報により、ぼろ儲けをしたということをすっぱ抜いた。彼らは、ULLICOのCEOである Robert Georgine(以前はAFL−CIOの建設産業部門の責任者だった)にそそのかされたという。

 連邦大陪審はこの事件を調査、労働省もこれらの組合リーダーたちが労働法に違反しているか調べた。

 ジョン・スゥイーニー(AFL−CIO委員長)もULLICOの役員のひとりであるが、不正には関与していない。彼はGeorgineに、ULLICO独自でもこの件を調査するように依頼したが2週間してもGeorgeneからの回答はなかった。これに関与した役員たちはコメントを拒んだ。

<不正の仕組み>

 ULLICOは1925年に、組合員に死亡保険金を支払うために設立された。これは株式非公開の企業であり、公開企業に関する規則は適応されない。株式を購入できるのは組合

とULLICOの役員だけである。

 1990年代にULLICOはGlobal Crossingという電話会社への投資で巨利を得た。この Global Crossing乱高下の激しい利益によって、ULLICO株も急上昇しそして落ちた。しかし、ULLICOの株はどちらにしろ、役員が儲けられるように出来ているのである。

 ULLICOは毎年12月31日に翌年度の株価を決定する。1999年12月17日にGeorgineは役員たちに、ULLICOの株式を1人あたり4000株、一株54ドルで購入するよう誘いかけた。

 この株はGlobal Crossingの成功により二週間後には一株146ドルぐらいまで上がることが既に分かっていた。役員一人当たり368,000ドルの儲けである。

<役員会全体に責任>

 ULLICOの株価が下がった場合でも、役員は利益を得られる仕組みになっている。2000年12月31日の株価設定の前に、ULLICOは一部の株式を買い戻すことを提案した。すべての株主(組合や組合の年金基金を含む)は持分の一部を売ることができたが、持ち株が10,000株以下の者(そのほとんどは役員)は全株式を売ることができた。株価は一株146ドルから75ドルに下がったが、役員たちは持株の大部分を一株146ドルで売ることができた。

 ULLICOの役員には、この特典を利用した者と利用しなかった者がいる。しかし、このようなやり方を決めたのは役員会全体である。

 「ビジネスウィーク」は疑問を投げかけた。このやり方は組合役員を優遇し、組合や年金基金に損を与えたのではないか?

付記:

<AFL-CIOのダブルスタンダード(二重基準)>

 AFL-CIOがエンロン疑惑に関連して企業改革のためのキャンペーンを行っているのは皮肉である。AFL-CIOの執行委員会(ULLICOの役員と重なっている)は、エンロンのコーポレート・ガバナンスの構造について「役員と企業内部者を守り、投資家、労働者、一般の人々を多大なリスクにさらした」と非難した。

 同執行委員会はエンロンについて「役員は企業内部からのみ選ぶのではなく、いろいろな有資格の候補者から選ぶ」ことを要求し、「エンロンの役員が他の20社の役員から降りる」ことを求めている。

 この要求をULLICOにあてはめれば、ULLICOの役員は組合と年金基金の役員を辞めるべきである。

 AFL−CIOの関係者は「レーバーノーツ」誌に対して、ULLICOの恥ずべき行為が明るみになったからといって、AFL-CIOがエンロンに関するキャンペーンを止めることはないと述べた。しかし、一部の関係者はAFL-COのインサイダー取引への反対を撤回し、一つの基準に統一するべきだと考えている。

<1つの至上の基準>

 多くの組合幹部にとって、'一つの基準'とは、私腹を肥やすために企業役員のように考え、行動するということである。

 組合官僚の世界では、高給、高級料理、リゾートでの会議、組合が支払う車、多額の年金はあたりまえである。チームスターだけでも、199人の役員が年間100,000ドルは稼ぐ。組合幹部が組合員のおかげで合法的においしい思いをし、少しぐらいの倫理を婉曲しても彼らにとっては普通なのである。

 組合幹部は企業役員のような生活をし、企業幹部のような疑わしい株取引を行う。役員たちは企業役員がやることと同じことをしている

のである。

<必要な行動>

 組合員は自分たちの委員長のULLICOへの関与について調査するべきである。本部に連絡をとり、回答を要求するのだ。ローカル(支部)で決議を上げ、委員長に釈明を求めよう。地域規模の会議や大会で問題にしよう。

 ULLICOには多くの労働者の年金基金が投資されている。ULLICOを本来の使命、すなわち労働者のための事業に戻すため、徹底的な改革をしなければならない。そして、組合員に対してもっと透明な体質を作るべきである。

 個人で5百万ドル以上を儲けたと言われるCEOのGeorgineは、独立的な調査委員会を指名した後に、辞任するべきである。組合幹部たちは儲けた金を組合の年金基金に寄付し、辞任するべきである(協力:「レイバーノーツ」)

●エンロンとアーサー・アンダーソンは例外ではない

Enron and Arthur Andersen are not aberrations

 By Russell Mokhiber and Robert Weissman

 エンロン社とアーサー・アンダーソン会計事務所は例外ではないという証拠が、オーストラリアで見つかった。

 British American Tabacco(BAT)は同社に対する訴訟を妨げるため大規模な書類の廃棄を行った。判事はこの書類の廃棄は深刻なもので原告である51歳のオーストラリア人女性、Rolah Ann McCabeさんの訴えを認めた。

 判事のGeoffrey Eamesは判決文の中で詳細な会社ぐるみの書類廃棄について述べている。

 判事は、「当初の書類廃棄の目的は裁判で原告に有利となる情報を隠滅することにあった、それらは特に被告のタバコの害、中毒性とそれに対する被告の見識についての知識をしめすものであった」。

 同社は1990年から1998年の間、いくつかの訴訟の被告であり、その間は書類の破棄は行っていないとしているが、判事はそこにも疑いがあるとしている。

 1996年の2月Phyllis Cremonaはオーストラリアの裁判所でBATに対し訴えを起こしている。訴訟の中でBATの子会社は30,000もの書類が証拠書類である可能性をみとめた。BATは一部を除いてほとんどの書類を電子化し保存した。同社の弁護士は実質全ての書類にインデックスをつけてまとめた。弁護士は書類を訴訟で同社にいかなる損害を与えるか5段階にランクを付けた。

 およそ200の書類がCremonaのケースで原告より要求された。

 Cremonaのケースを終え係争中の訴訟がなくなると、BATの顧問により書類廃棄の命令が出された。

 そして30,000ある中の幾千もの書類と電子化された書類が処分された。

 判事は「書類のリストや記録の廃棄は証拠隠滅のためになされたと受け取れる」とした。

 2001年にはMaCabeの訴訟が始まり、原告の弁護人はCremonaのケースの後処分された書類を含む証拠の提出を求めた。

 BATの弁護人は書類の廃棄を認めるより、裁判を混乱させ、遅らせる手法をとった。裁判と原告の弁護人は混乱したが、繰り返される質問の中で書類廃棄の計画が明るみになった。

 BATは将来あるかもしれない訴訟のために、同社は相手側の有利になるような書類を保管しておく義務はないとし、Cremonaのケースの後、係争中の訴訟がないので、書類の処分は適当であると主張。

 しかし、裁判官は、企業は無期限に書類を保管する義務はないが、将来起こりうる訴訟に対してそれらを自由に処分することはできないとし、BATのケースで同社とその弁護人は将来訴訟が実質的におこると予見できたはずであり、「どのような場合においても、方針を決める責任者は将来の訴訟をありえるものと見るのではなく、あるものとしなければならない」そして、「従って、この場合訴訟の終了による書類の廃棄はなされるべきものではない」とした。

 判事は、判決の決め手になったかもしれない一枚の書類を故意に処分したことで原告のMcCabeが被った不利益の程度はわからないが、非常に重大であった可能性があるとして、BAT側に反論の機会を与えず、McCabeの勝訴の判決を下した。

 陪審員は350,000ドル以上の賠償金の支払いを宣告した。McCabeの弁護人は依頼人の死期が近づいており、裁判を早く終わらせるため訴訟の始まる前に損害賠償請求をしないことに合意していた。

 これを不服としBATは上訴するとした。

 この判決の意味合いは大きなものである。判事のEamesの判決は将来起こるケースに拘束力を持たないが、他の裁判でこれと同じようなケースがある場合、Eamesの例が引用されることになる。BATはオーストラリアで将来に次から次へと同じような訴訟に直面する可能性があるが、防御策はない。

 判決はまた米国においても影響を与えそうである。判決によると、米国BATの弁護人はこの書類廃棄の指示に重要な役割を果たしていた。

●オクスファムの貿易拡大キャンペーンへの疑問

What's Wrong With the Oxfam Trade Campaign

 ワルデン・ベロ

 オクスファム・インターナショナルは最近、発展途上国製品の北の諸国における市場アクセスの拡大を促進するための国際的なキャンペーンを開始した。私はオクスファムの活動を高く評価しているし、オクスファムのレポートに書かれている多くのことに賛成している。しかし、このキャンペーンは、この重要な時期において企業主導のグローバリゼーションに反対する運動の焦点をずらし、運動を間違った方向へ導くと感じる。

1)市場アクセスに焦点を当てることは、世界貿易システムの中心的な問題が北の諸国の市場へのアクセスであるかのような誤った印象を与える。実際にはWTOが容赦なく進めようとしている自由貿易こそが問題の中心である。

2)市場アクセスに焦点を当てることはまた、「フードファースト」が指摘しているように、輸出指向型経済成長を助長する。これはとくに、南の諸国の農民運動が目指してきた方向と反対である。

3)市場アクセスが世界貿易システムの改革の中心問題だとするのは、発展途上国の考え方ではない。

(「フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス」に掲載されたレポ

ート)

●ルペンは企業主導のグローバル化の主要な受益者だ

(Le Pen is Chief Beneficiary of Corporate Globalisation)

 ジョン・バンズル

 ヨーロッパおよび他の地域における極右の台頭−−フランス大統領選挙におけるル・ペン氏の進出はそのもっとも新しい、もっとも華々しい例である−−は、予想された通り、ヨーロッパのメインストリームの政治家たちの憤激と強烈な政治的反応を呼んだ。イギリスのトニー・ブレアー首相はル・ペンの国民戦線の政策に不快感を表し、ジャック・シラク氏は憎悪と不寛容を前にして妥協や論争は不可能であるという理由でル・ペンとのテレビ討論を拒否した。ブレアーはさらに、民主主義を信奉し、人種差別とナショナリズムを憎む人々はあらゆるレベルでこれと闘うべきだと呼びかけた。こうして政治家たちはふたたび、人々に投票場に行き、より積極的に政治に参加するよう訴えている。

 しかし、もしブレアーが自分の言辞に忠実であるなら、なぜフランスの内外で一般の人々が犯罪や移民の増加を憂慮しているのかと自問するはずだ。なぜ、人々がこれほど怯えており、メインストリームの政治家たちは解決策を提示できないのか。もしル・ペンへの支持の大半が、(言われているように)単なる既存の政治への抗議なのであれば、それはメインストリームの政治家たちが貧しい人、失業者、弱い立場にいる人たち、周辺化されている人たちの利益を代表できていないからにほかならない。それはフランスやヨーロッパだけの現象ではないし、単なる選挙制度の問題ではない。人々の中に政治的無関心がフランス、ヨーロッパの国境を越えて蔓延している。

 しかし、この政治家たちにとっても、その気になって探せば、有利な条件もある。政治的無関心−−単純で極右的な解決策を求めることで抵抗の意思を表明した周辺化された人々−−と、シアトルやジェノバでデモを行った左翼の間には深い関係がある。なぜか?それは、真の民主主義が存在するとは言いがたい社会の中で、こうした社会的層が誰によっても代表されていないというごく単純な理由である。要するにこの人たちは、選挙権を剥奪されているのに等しいのである。

 政治家たち――そして多くの読者――は、即座に、そのような言説はばかげていると思うだろう。自由で公正な選挙があるではないか、と。それはそうかもしれない。しかし、それが真の民主主義だろうか?民主主義は単に自由で公正な選挙を意味するだけでなく、さまざまな政党が自由に政策を選び、選挙によって選ばれた場合にはその政策を実施できるということを意味する。一見当然のように思えることだが、もっと深く検討してみる必要がある−−政治的無関心と左翼のデモという2つの形の抵抗の根底にあるものが何であるのかを探求するためには。

<グローバルな競争の非民主主義的性格>

 問題の答は、今日のグローバル経済における激烈な競争の中で、政権についた政党が選択できる政策オプションが非常に限られているという点にある。

 今日、私たちは資本や企業が自由に動き回るグローバル経済の時代に生きている。どの政党が政権に参加しようが、雇用機会の流出を恐れて、企業に高い税や規制をかけることはない。また、政府が環境保護、労働者保護を強化したり、失業者や恵まれない人たちを助けるために企業に高い税金をかけたりすると、グローバルな金融市場では競争に耐えられず、即座に通貨切り下げなどのペナルティーを受け、資本流出、インフレ、失業を招く。瞬時に世界を駆け巡る資本は、よりビジネスに有利な地域へ流出する。

 民主主義は政党が自由に代表を決め、いろいろな人々の意見を反映して政策を実行することができるものである。しかし、競争の激しいグローバルマーケットは、邪悪な、反民主主義的な力を代表している。自由な資本の流れと企業の動きが国民国家を自国の経済と企業を守るために競争に巻き込んでいく。しかし、国際競争力を維持するのに社会と環境の保護を手薄にする一方で民営化の推進、公共事業の削減、減税など経済環境をビジネス優先に整えている。その結果環境を悪化させ、貧富の差を広げ、社会的関心を無くし、ル・ペン率いる極右政党が支持されるようになる。

 それゆえ、貧富の差が最大である時、雇用の保証がもっとも弱い時、そして世界中の中道左派政府が貧しい人や周辺化されている人たちの関心にもっともよく対応できるはずである時に、自由な資本経済による競争が、構造的に必要とされる富の再分配や社会保障、環境保護といった政策の妨げとなる。そして世界の伝統的な中道左派政党が自らのスタンスを右寄りに変えたとしても驚くことではない。ブレアーやシュレーダーのようなメインストリームの政治家たちが同じような市場主義政策をとり、フランスの左派政党が国民に中道右派のジャック・シラクに投票を呼びかけるようなおかしな事態に陥るのだ。

<国境を越えて移動する資本が極右にスポットライトを当てている> 民主主義は政治家と政党が出演する演劇みたいなものである。舞台の上を右から左までいっぱいに広がっている。真の民主主義の条件の下では、観客(有権者)に分かるように舞台いっぱいにスポットライトが当たる。しかし、現在では、国境を越えて移動する資本と企業による国家間の熾烈な戦いが舞台照明に干渉する。

 舞台の右半分を照らし、左側は暗闇となり、役者の姿が見えなくなる。役者は闇に包まれ、有権者は光の映し出す所だけを見る。知らないうちにそして必然的に彼らのスタンスは変わり、映し出されているステージの右側に目が行く。伝統的に中央から左よりの政党が右に向かうその場しのぎの政策に見える一方で、私たちは反民主主義の力が作用しているのに気づく。

 生活の危機にさらされている失業者や貧困者、中道左派の有権者は政治意思や民主主義の権利さえも奪われている。彼らがデモをしたとしても、ル・ペンが台頭するこの世を嘆いても何ら変わっていることでもない。どの政党に投票してもグローバル経済のこの世の中で結果は同じであるのに、有権者が投票しないからと言ってなんらおかしいことはあろうか?

 政治家は国民に民主主義を守れというが政治家自身が世界市場を駆け回る資本に隷属し中身がないのにそれは偽善の極みと言うしかない。もし誰かに極右の台頭についての責任を負わせるとすれば、それは、ブレアー、シュレーダーなどの世界市場の規制緩和を進める、メインストリームの政治家たちだ。今こそ人々は声をあげて、政治家たちに対して、私たちの民主主義は市場と企業が支配する偽の民主主義とは別のものであると宣言するべき時だ。この破壊的なグローバル競争のゲームの中では温暖化や極右の台頭が示すように、勝者はいないのである。

<悪循環を断ち切る道>

 もし政治家たちが極右の台頭を食い止め、流れを逆転し、真の民主主義の原則に従って指導力を発揮したいのなら、多国籍資本および企業の非民主主義的な勢力を武装解除し、現在世界および地域が直面している問題を解決するための政策の実施を妨げている激しい国際競争を抑制しなければならない。

 しかし、激しいグローバル競争の中で、どうやってそのような目標を実現できるのか? どうやって破壊的競争を止めて、相互に有益な協力に向かうことができるのか?資本や企業の流出のリスクを回避しながら目的を実現するために、協力の基礎をどのように確立できるのか?政治家、拡大する市民社会の組織、社会的に排除された人たち、政治に無関心な有権者たちが結集してこれらの答えを見つけ出そうとする、全く新しい、しかも現実的なアイデアが姿を現わしつつある。そのような提案の1つが SP(Simultaneous Policy、「同時的政策」)である。それは新しく実現可能なやり方で恐れと破壊的な競争を取り除く提案である。詳しくはhttp://www.simpol.org (英語)を参照されたい。

●政治的対応の変化か?

A Shift in Police Attitudes?

 By Kate Showers

 米国において企業主導のグローバル化に反対する運動を犯罪とみなす動きは問題である。政府の部局によっては、9月11日よりもそれが強化されている場合もある。しかし一般市民とローカルの警察の中には、好ましい変化もある。

 米国憲法は集会と表現の自由を保障している。これは権力が踏み越えてはならない線であり、ここを踏み越えた場合には法廷で裁かれることになる。

 シアトルのデモ以降、弁護士協会が警察と市民の衝突を監視、また、全米市民権連合も協力している。デモごとに法的支援の体制が洗練されつつある。

 ヨーロッパと同様、デモの前に行われる警察との間の交渉で、許可条件の詳細が決められる。弁護士は警察のバリケードや、特定の機器を使っての規制に対し差し止めを請求できる。

 シアトル・デモの後から9月11日まで、市の警察と連邦治安当局はデモを阻止しようとし、多くの人を逮捕した。

<9・11以後>

 ブッシュ政権は政府に反対する者には愛国心がないと言ったが、この宣伝は失敗に終わった。政府への批判は、大衆の感情(恐怖が怒りとして表現された)によって沈黙させられたが、今では増大しつつある。政府への批判を犯罪とみなすことは米国憲法に違反する。

 9月に予定されていた世界銀行に対する大規模な抗議行動は中止された。

 ニューヨーク市で行われたWEF(世界経済フォーラム)に反対するデモは興味深いものだった。警察に威圧感はなく、デモ隊はあらかじめ決められたルールを守っていれば問題は起きなかった。ニューヨーク市ではテロのトラウマが強く、デモをお祭りのようにしたかったのだろう。

 警察は覆面や棒のようなものを身に付けないことに固執したが、当局の中ではデモは脅威ではないという空気があり、交通整理の対象程度に考えられていた。木製以外のバックパックや人形などは許可された。

 エンロンが倒産した直後ということもあり、多くの警察官は私たちの主張を支持していたようだった。彼らは、笑いかけ、応援してくれた。そして、企業の態度に怒りを覚えていたようだ。もちろん、以前のように敵対心を剥き出しにする警察はいたが、それは、当局の一部であり、集団ヒステリーはなかった。

<先週末のワシントンDCでのデモ>

 頑固な警察当局のせいで事前の交渉はもつれたが、当局はついに平和的行進を認めた。世界銀行の建物の前で、警察の一部は緊張し準備を整えていたが、行進が終わりを迎えるに従って、彼らは笑いかけ友好的な態度になった。

 参加者として見ると、最近の行進は9月11日以前に比べると敵対的な空気がない。当局は落ち着いており、裁判所や国会にいるようである。この国には極端な行動を規制する法律があり、それが活用されてきた歴史がある。感情や大衆的なヒステリーが高まっている間は時間がかかるかもしれないが、それはアピール力がある。

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