Sand in the Wheels
N° 171 - Wednesday 16 April 2003
3

写真が作るイメージ
ONCE UPON A PHOTO
「サンドインザホイール」日本版2003年第13号(英語版171号、4月16日発行)

 ホームへ

目次
 

1. 世界統治の失敗モデルG8: Failing Model of Global Governance
世界統治の中心と自負するG8は、その代表性と正当性の危うさに悩まされている(2755)

2.イラク侵略後の平和運動(The Peace Movement After the Invasion of Iraq)
 私達が何ヶ月間も多くの力と時間をつぎ込んだにも拘らず、平和運動はこの戦争勃発を止められなかった。疲れ切って「戦争阻止」という目標と残酷な現実を比べると、平和運動は失敗し時間の無駄だったと考えるかもしれない。しかしその結論は間違っている(2377)

3.より良い労働条件と尊厳を求めてイェールで5日間のストライキFive-day Strike at Yale Seeks Better Working Condition and Respect)
イェール大学とその病院は地域の労働者の4人に1人を雇うニューヘーヴンで唯一最大の雇用者だ。今回のイェールキャンパスでのストは労働組合の歴史60年間のうち12回目。以前の労働闘争の経験者によると、今回のアクションの参加者の多さは先例がない(589)

4. WTO停滞:目標を下げて犠牲を探すWTO Gridlock: Lowering Expectation and Looking for Scapegoats)
イラク戦争が始まって2週間、ジャーナリストと政治家はすでに大西洋両岸の関係崩壊とWTOの停滞の間に都合のいい結びつきを見出した。タイミングは完璧:カンクンまで5ヶ月、まったく進まない議事予定、その間の長い夏休み。目標を下げて犠牲を探すのはいい考えだ(991)

5.大規模な報道操作?Is This Media Manipulation on a grand scale?)
この出来事全てがベルリンの壁崩壊と同様に歓呼して迎えられた・・・しかし別の長いビデオカメラのショットをちょっと見ただけでも、これがテレビカメラ用に仕立てられた慎重に造られた報道用シーンではないかと見える(275)
 



世界統治の失敗モデル

G8: Failing Model of Global Governance
By Tom BarryTom Barrythe Interhemispheric Research Centerの上級アナリストで、Foreign Policy in Focusのコーディネーター】

ジェノバで大規模な街頭デモを引き起こした2001年のG8サミットは、その正当性と価値について新たな疑問を突きつけた。2002年のサミットは、反グローバリゼーション運動との衝突を避けてカナダの孤立した町カナナスキスで開催された。同サミットでは世界のリーダーらが国際協力の改善の方法について議論した。主な協議事項は、「アフリカ開発、対テロの闘い、停滞する世界経済」だった。G8リーダーらはまた、前回の会議の主な協議事項である「世界的な初等教育推進、HIVエイズなどの感染症対策、デジタルデバイドの改善、債務軽減」などの進捗状況を検討する予定だった。しかし2002年サミットへの期待は薄かった。米国の単独主義が大西洋・太平洋両岸の連合に亀裂を作り、「米国の帝国主義を弱め多国的な世界のリーダーシップを確立する」というサミットの元々の動機の一つを崩した。1990年代中盤から、同サミットは社会問題と途上国の利害に関係の深い問題を議題に含めたが、これらを進展させることはできなかった。G8はまた、世界経済統治に失敗した「新自由主義モデル」を放棄するリーダーシップも発揮できなかった。非効率な同サミットへの批判が強まった。

 1970年代初頭にブレトンウッズ通貨体制が崩れ、世界がOPECに起因する石油危機に直面した際の経済の混迷が、G8/G7の起源である。同時に第二次世界大戦後の米国の帝国主義が、非連合国運動、新国際経済秩序の支持者、キューバやベトナムなどの第三世界の反乱勢力によって非難されていた。米国による統治は、国際市場で米国と競争し始めた他の産業国にも非難されていた。米国内は、ベトナム戦争と1947年以来の貿易赤字、景気低迷下のインフレに苦しんでいた。1971年にニクソン大統領は金とドルを切り離し、それにより広く使われていた通貨システムを単独で崩壊させた。このシステムの下では、加盟国は自国の為替と金の固定量を釘付けにしていた。ほとんど米国だけが実際にその金額で他の国の中央銀行の需要に応じて金を売っていた。他国が持つ余剰のドルと引き換えに金を売ることをやめると宣言したことで、米国政府は「米国が世界の資本主義経済の安定を確保する国として信頼できる国ではない」とのメッセージを放ったのだ。

 1973年4月、米国、西ドイツ、フランス、イギリスの財政担当相がホワイトハウスの書斎に集まり動揺する国際経済秩序の状況について話し合った。この「書斎グループ」が急速に定期的な閣僚会議と最も権力を持つ資本主義国のリーダーの年次サミットに進化した。1975年に日本とイタリアを含めたG6として始まり、1976年には米国の意思でカナダを含めG7となった。これら産業国は浮遊した為替相場を持つ新しい通貨システムを安定化させることを自分達の役割だと想定した。

 しかしすぐにG7リーダー(皆、冷戦の連合である)は政治・安全保障問題を議論するようになり、例えば1979年にソ連によるアフガン侵略を非難したりした。1980年代には、G7はウルグアイ・ラウンドの貿易会議の推進と、南米の債務危機に取り組む多国間戦略の確立に深く関わった。G7はソ連崩壊後の1991年サミットの後の会議にロシアを招いた。1998年にロシアは正式に加盟を果たし、サミットはG8となった。ロシア政府がIMF資金調達を依存していたこと、資本主義と代表制民主主義への不安定な移行期間にあったことを理由に、G7はロシアを招かない会議も開催していたため、「G8G7」という分裂病的な呼称がつけられる。  G8G7はその集合的な経済・軍事・外交の権力と影響力によって、世界統治の多国間機関に対して多大な影響力を持った。つまり、国連安全保障理事会、世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、経済協力開発機構(OECD)の政策、プログラム、意思決定に大きな影響力をもったのだ。G8G7がこれら機関と違い、専従スタッフ、本部、運営を統治するルール、正式で合法な権限を持たないにも拘らずである。G8G7が推進した政策の悪影響を受けた人々、排除された国々は、世界統治におけるG8G7の非合法的な役割に憤慨し、非難した。 

 G8/G7サミットは、最も裕福な国々のリーダーによる非公式会談から始まって、 虚栄と儀式に彩られた国際フォーラムとなった。彼らの声明は国際問題に対する世界で最も権力を持つ国々の合意を示すものとなった。G8G7は、ひとりよがりな基準でその成果を評価している。「初期の協議は国際通貨システムの安定化に成功した」。レーガン大統領は「資本主義に有益となった冷戦の平和的終結は、G7権力が共に動いたからだ」と評価した。「G7はウルグアイ・ラウンドの結果と紛争解決メカニズムを持つWTOの創設に主要な役割を果たした」。「G8G7は産業国間の信頼と自由市場の民主主義の領域を広げるのに主要な役割を果たした」…。

 しかしG8/G7が、経済、政治、安全保障、多国間問題を解決することに失敗したのは明らかだ。経済に関して言えば、貧困、開発、健康の問題にますます関心が高まっているのにも拘らず、G8は新自由主義の企業主導のグローバリゼーションモデルの失敗に注意を向けることができなかった。「繁栄が広く共有されること」「グローバリゼーションに人間らしい顔を」といった弁論は弁論以上に発展しなかった。G8は主要な援助国として「債務軽減、世界的な公衆衛生プログラム、全ての人への教育」を議論したが、約束を果たすことはできず、逆に援助と構造調整プログラムをリンクさせることで問題をさらに作り出している。

 G8はテロ関連の資金洗浄の阻止を含めた対テロ政策を推進している。ブッシュ政権が「対テロ戦争」を新たな軍事介入と高圧的な外交姿勢の理由として使うことに懸念が広がっているため、ここでは米国政府の「対テロ戦争」論理は使われず、国際犯罪としてのテロが取り扱われている。しかしこの問題に関して公式に欧州加盟国が米国に異議を申し立てることはなさそうだ。

 G8G7が、現在では「世界統治の協議事項の設定」という役割をひとりよがりに担っているため、選挙民を代表していないとの批判を浴びている。こんなエリートクラブがどうして世界中の人々と国々に影響を与える協議事項を公正に設定できるだろうか。G8G71999年に、金融政策改革を検討中の新興国から成るG20を設立したが、G20G7政策の共鳴版としてしか機能していない。

 G8G7の問題はG8G7の存在ではない。G8/G7が自分達を世界統治の中心的役割を果たすグループとしてアピールし、その過程で国連の影響力を削いでいることが問題なのだ。

 米国とG8/G7の加盟国は第二次世界大戦の余波の下、多政府機関を通して平和を保全し、繁栄を促進するために、国連を始めとする世界統治の構想システムを創った。これらの機関は、内戦勃発、金融危機の広がりの阻止、多国籍企業の統制など新たな世界的難題に対応するには非効率であることが分かってきた。WTO、世界銀行、IMF、国連がこれらの難題に対応するには、構造改革が必要である。またその他の世界的な問題に対応するには、世界統治の新たな構想と機関が必要である。G8/G7は、深刻化する世界統治危機への対応に、リーダーシップを発揮できないでいる。それどころか国連を通した解決策や公共福祉より、多国籍企業に有利な解決策を支持することで、問題の深刻化に加担している。911以降の世界統治に関する難題といえば、米国の独断的な覇権に対して、日本、ロシア、欧州各国が異議を申し立てられなかったことだろう。

 以下に、新しい外国政策に向けての提案を示す。

 ▼G8/G7は、自分達が責任を負うべき重要な安全保障・経済・環境問題に取り組むべきだ。
 ▼
G8/G7は、世界統治の意思決定機関に実質的な改革が必要であることを認識させるのに、主要な役割を果たすことができる。 ▼中心に強力な意思決定機関を置き、周辺に非公式な協議グループを置く世界統治システムを確立できる政策が必要だ。

 世界統治が暗礁に乗り上げているにも拘らず、世界の最も有力な政治的リーダーらが既存の機関を改革したり新たな機関を創設したりする気配はない。

 米国は、その強力な経済、先進的な情報技術、競争相手のいない軍備によって、全世界に覇権を広げている。米国政府と他のG8/G7加盟国はその代表性と正当性に関する批判をもっと真剣に受け止めることから始めるといい。目的を同じくする国が集まったG8/G7のようなグループにも建設的な役割はあるはずだ。G8/G7は、年次サミット、閣僚会議、協議事項の設定を行う合意プロセスを持つ。共通の利害と関心を持つ国々から成るグループが、国際的な政策の協議事項を設定するための、プロセスを確立したわけだ。しかし、世界に同じくらい強力なグループ(特に途上国の)が存在せず、民主的に設定された多国間機関がない中で、G8/G7は不健全なほどの権力を肩代わりしてしまっている。

 途上国や貧しい国も、南や移行段階の国々との戦略会議を行う権利があるべきだが、米国は、米国が統治できないそのようなグループを潰してきた。例えば米国は、1970年代に国連に支持された「新国際経済秩序」の機能を壊した。20004月にG77が再開したことは建設的な展開ではあるが、より小さい途上国グループであるG24はより重視されるべきである。

 世界秩序の中心には、国連から創られた効率的で選挙民を代表した政府間機関が必要だ。G8/G7の正当性の問題は国連が悩まされている代表性と構造的な問題を議論することなしに解決できない。強い意思決定機関とその周辺に協議グループを置くシステムを確立する政策が必要だ。G8/G7の政治家は、責任ある世界リーダーとして、そのような世界統治システムを育成するという協議事項を設定するべきだ。1975年に述べられた「民主主義社会を全ての地域で進める」という目標に向かって、以下のような政策を提案すべきだ。

▼巨大で投機的な資本フローの問題に焦点を当てられるよう、「国際金融構造を改革する」という、アジア金融危機の際に表明した約束を進める。
▼経済援助を少なくとも国連目標である「援助国の
GDP07%」とすることを約束する。
1999年のケルンサミットで約束されたIMF・世界銀行の債務軽減プログラムを拡大し、最貧困国の二国間・多国間債務を100%帳消しする。
CO2排出削減を(途上国に同じ約束をさせることなく)少なくとも京都議定書で求められたレベルまで行うことを約束する。
▼国際テロ対策にリーダーシップを発揮する上では、多国間行動を中心とし、人権尊重を維持し、テロを誘発するイスラエル・パレスチナ紛争などの危機に取り組む。

 産業国間のマクロ経済政策の調整というG8G7の当初の目的に関して言えば、世界経済の安定を危機に陥れる可能性のある自らの経済の構造的問題に取り組むことを提案すべきだろう。まずは持続不可能な貿易赤字と個人債務を抱えた米国の経済を再考すべきだ。G8G7は、マクロ経済政策の調整について、ワシントン、ブリュッセル、東京間で、3つの為替相場の揮発性を軽減するために、為替相場に上限、下限を設けることに合意する努力をすべきだ。投機を減らす方策(例えば為替取引き税)を採るべきだ。

 G8/G7は「自由貿易のイデオロギーへの信奉」から距離を置くことで、世界リーダーの重要なフォーラムとしての信頼を回復する一歩を踏むことができるだろう。同時にG7リーダーは、富裕な国々が最も責任を負うべき安全保障(武器の拡散)、経済(社会的両極化と周辺化)、環境問題(気候変動)などの重大な世界的危機に焦点を当てなおす必要がある。【この記事に関する問い合わせ:tom@irc-online.org

 

イラク侵略後の平和運動
The Peace Movement After the Invasion of Iraq
By Felix Kolb and Alcia Swords

2003319日は歴史的な日になる。この日ブッシュ政権は正当な理由のない「予防的な戦争」を通して近東全体への帝国統治を強要し始めたのだ。戦争の結果がどうであれ、私達はこの戦争が違法で、不必要で、国際法と国連憲章を侵すものだということを忘れてはならない。米国企業メディアのプロパガンダは効果的に米国民の世論を操作し、イラク戦争の反対者さえ未だにイラクから大量破壊兵器が見つかっていないことに驚いている。ミシガン大学の武装解除専門家スーザン・ライト氏は言う。「これは幻想によって正当化された歴史上初めての戦争かもしれない」

 米英人によるイラク侵略に憤激した抗議者らが、アンマン、ベルリン、ダマスカス、パリ、メキシコシティ、ロンドン、シドニー、ニューヨーク、サンフランシスコ、ワシントンで、戦争に抗議した。米国で継続して展開された抗議行動はコメンテーターを驚かせた。米国での長期に渡るデモは、一般的に戦争が始まるとすぐに終わると見られていた。確かに世論調査では戦争が始まった直後に戦争支持者が増えた。しかし過去の戦争と違い、多くの少数派のアメリカ人がこれに耐えた。これは、先例のない強さを持つ世界的平和運動が重要な成功と意義を達成していることの表れである。

 私達の多くが何ヶ月間も力と時間をつぎ込んだにも拘らず、平和運動はこの戦争勃発を止めることができなかった。疲れ切って、「戦争阻止」というこの運動のゴールと、残酷な現実を見比べると、「平和運動は失敗し時間の無駄だった」と考えるかもしれない。しかしこの結論は間違っている。

 私達は、まず「この平和運動がなかったらイラク紛争がどう展開していたか」を想像する必要がある。次に、「平和運動が与えた長期的な影響」がどんなものかを自問する必要がある。

 世界的平和運動がなかった場合どうなったかをいくつか提示する。まずブッシュは国連の信任を取ろうとせず、それは国連の武器査察団の報告に道を開かなかったろう。この間に平和運動は組織化し、人々を動員しつづける重要な時間を得た。世界的にイラク戦争に対する拒否が広がったことで、ブッシュ政権の望みである「国連の決議を通すために他国を買収して国際的な正当性を得る」というシナリオは打ち砕かれた。特にドイツとフランスの平和運動の圧力がなかったら、シュレーダーとシラクは妥協して、イラク戦争が国連の信任を得てしまった可能性がある。国連安全保障理事会の、メキシコ、パキスタン、チリなどの不確定要素に関しても同じことがいえただろう。

 抗議行動の長期的影響を正確に測ることはできないが、あなどれない。平和運動の長期的影響の歴史的な例を見てみよう。▼第一次世界大戦を阻止するために活動家が努力した10年後に、国際連盟が創設された。▼1950年代後半、1960年代最初の大規模な反核デモの後、1970年に米ソの核兵器縮小交渉が始まった。▼ベトナム戦争反対の大規模な抗議行動の後、米国は(軍事介入を嫌がる)「ベトナム症候群」に悩んだ。

 今回の世界的平和運動は将来の軍事介入への敷居をかなり引き上げた。私達はこのことがホワイトハウスのネオコン(新保守主義)強硬論者の計画を阻むことを望んでいる。4月始めに英外務大臣ジャック・ストローはシリアとイランへの軍事行動に英国は「何の関係もない」と述べた。ホセ・マリア・アスナールスペイン首相は91%の人々が戦争に反対する中ブッシュ大統領を支持したために、来年の選挙で負ける可能性が高い。そのため次の侵略を支持したがらないだろう。

 私達はそれでもブッシュ政権がシリア、イラン、北朝鮮に次の「予防的」攻撃を始めるのを止めるほど強くないだろう。しかし次の戦争に対する国際的支持はさらに小さくなり、それは米国の平和運動を強めるだろう。Institute of Policy Studiesによると、「(強要された連合に対して)自発的な連合」を選んだ国は国連191加盟国のうち46カ国だけで、これは世界人口のたった19%である。この46カ国でさえ国民の世論は圧倒的にイラク戦争に反対した。ワシントンの次の攻撃目標がシリアである可能性は高い。戦争は、燦々たる米国の経済状況と、「アフガンとイラクでの米国式自由の確立」という問題から、アメリカ国民の目をそらす効果がある可能性がある。つまり米国経済が2ヶ月のうちに回復しなければ、新たな戦争が2004年の選挙結果を確保する唯一の道になりそうなのだ。

 更なる戦争を防ぐには、平和運動の成果を想起するだけでは足りない。私達はなぜ平和運動がイラク戦争を阻止できなかったのか、この経験から学ぶことは何かを考える必要がある。これには以下のようないくつかの根本的な理由があり、短期間に変えることはできないだろう。

▼主戦論者は戦争を弁護するのに不正な証拠を躊躇なく使った。その一つはイラクが500トンの酸化ウランをニジェールから購入したというCIAが得た情報だ。後に国際原子力機関に偽造されたと分かったこの書類は、上院が戦争決議を承認した2日前に米議会上院外交委員会メンバーに提示された。

▼企業所有のマスコミはブッシュ政権のプロパガンダと嘘を広く視聴者に広めた。 ポール・クルーグマンは「米国民の戦争支持の世論は米メディアに影響された結果だ」と指摘した。71%の米国民は「サダム・フセインが911の同時多発テロに関与していた」と信じており、大多数がハイジャック犯にイラク人がいないことを知らなかった。
▼戦争となると、米国には野党がいない。民主党は国家安全保障問題に関してブッシュに反対できないと感じている。民主党は対外・国家安全保障政策の代替的な構想を持っていない。大統領の対外政策に関する権力が増したことも状況を悪化させている。
▼多くの人が民主主義の意味とその達成の仕方について混乱している。米国の対外政策は、近東の資源に対するコントロールと戦略的影響を強めるために、介入する言い訳として「民主主義の推進」を使っている。その一方で、米国は米国の利害と一致している国の独裁者(クウェート、サウジアラビア、ウズベキスタンなど)を支持している。米国民の多くがこの偽善に気づいておらず、「民主主義の推進」を支持している。

 これらの問題は、米国の政治システムとマスコミの政治経済に深く根ざしているため、長期的解決策なしには根本的な変化はもたらせない。長期的には、私達は選挙運動の資金調達と選挙システムを変えて、民主党と第三政党の支持が打ち消しあわないようにするべきだ。オルタナティブな主流メディアも必要だ。ネオコンに対抗して、米国民に「民主主義の推進」が人殺しを正当化するべきものではないと説得するために、より多くのシンクタンクと首尾一貫した対外政策の概念が必要だ。「戦争を防ぐ世界行動」は、政治的に平和を実行する義務を推進するための長期的戦略としてはいいが、より短期的な提案も必要だ。草案として私達は以下を提案する。

▼市民不服従行動は気をつけて行う。非合法的な戦争に対する市民不服従行動が、倫理的であり、戦略的に使われることもあるし、必要なときもある。しかしそれが今使う最適の戦略だとは限らない。大多数の米国民は戦争を支持しているため、市民的不服従行動が私達の目標を支持する可能性のある層を敬遠しているという指摘もある。

▼明確なメッセージを持つ。平和運動が市民の注目を得ても、長く複雑なメッセージを伝えることはできない。様々な批判と平和をリンクさせて訴えても、メディアはそれを「明確なメッセージを持たない運動」として描くだろう。

▼肯定的な協議事項に取り組み始める。長期的には戦争に反対するだけでは十分でない。平和運動は、「非暴力的に紛争を解決する方法」と、「戦争の原因を解決する方法」にフォーカスを当てる必要がある。世界的公正運動が後者に取り組むことができるから、平和運動は「戦争を防ぐ世界行動」としてそのイニシアチブを支持するべきだろう。

▼境界を越えてつながる。戦争は一握りのエリートだけに利益を与えるため、米国で伝統的に分断していたグループを一つにできる可能性がある。距離、人種、階層、民族を越えて強い運動を確立できる可能性があるのだ。一つの戦略としては、人々を教育し戦争に対する民衆の抵抗を作り上げるために、「ピース・サマー」を支持することだ。

▼早くから取り組む。今回の平和運動は、開戦のずいぶん前から無視できない勢力をつけることに成功した。今度はもっと早くから取り組むべきだ。私達がもし今、新たな戦争に対する決議に関して議会に働きかければ、米国で大きな影響力を持つだろう。「再度他国を攻撃することが無残な結果を生む」という私達のメッセージを議員に伝えるため、私達は早くから彼らに働きかけるべきだ。

▼メディアになる。企業メディアは主要な3つのネットワークに集中しており、これらネットワークは戦争から利益を得る企業に所有されている。現在の運動はインターネットを利用しているが、私達のオルタナティブなメディアを、インターネットを利用しない一般大衆にも届ける必要がある。今まで到達できなかった人達に広げるには、リーフレットを配ったり一軒一軒を訪ねたりといった昔からの方法を使うことも効果的だろう。

▼国際的に動く。2月15日のデモは最も影響力があったが、それはデモ参加者が多かったからだけではなく、世界中の600以上の町でデモが行われたからだ。

▼イラクの人々を忘れない。平和運動は米国がイラクで植民地的権力を振るうのを防ぎ、イラクの人々がアフガンの人々のように裏切られ忘れられないようにするべきだ。安定と民主主義が最終的にイラクに定着すれば、少なくとも米英軍を国連平和維持軍に置き換えることができ、国連がシリア、イラン、トルコなどの近隣諸国との同意の下に解決策を探ることができる。これはブッシュ政権がイラクを「夢の経済」に転換するのを阻止することにもなる。「夢の経済」とは「完全民営化され、外国に所有され、企業に開かれた国」だ。イラクの人々が自分の政府を選ぶ前に、経済に関する主要な意思決定が占領軍に行われるなど法外な話だ。

▼感情的な部分に関するケアが必要であることを認識する。私達は、私達の活動の大部分が主要メディアが放つ攻撃によって絶望に打ち砕かれたことを認識する必要がある。「恐怖」は戦争で利益を得る層にとっての最強の武器だ。だから、人々が集まる場を作り、一人ではないことを認識してもらい、互いの恐怖と疑念を聞き合い、どのように一緒に活動できるか明確に考えることは、平和運動の仕事の一つなのだ。
【この記事に関する問い合わせ:f.kolb@attac.org

 

より良い労働条件と尊厳を求めてイェールで5日間のストライキ
Five-day Strike at Yale Seeks Better Working Condition and Respect
By Debra Chernoff

ブッシュ大統領の母校イェール大学で何千人もの労働者が、一定水準の給与、よりよい退職金、研修、昇進の機会、職の保障を求めて、33日から5日間のストを始めた。契約更新の交渉を1年以上続けた後、HEREの事務職・技術職、サービス・メンテナンスのメンバー4000人、150人の食事関連労働者、イェールの大学病院の1199NE/SEIUメンバーが、共にストを決行した。学士卒業生労働者と学生組織も、組織化の権利保障を求めてストに加わった。イェール大学キャンパスを歩くピケは豪雨と華氏0度の寒さという最悪の天候に負けなかった。「これは4つの労働組合が共に行動することの強さを示した、異例のストだ」と労働者の一人は言う。ストは日によって違うテーマにスポットを当てた。著名なジョン・スウィーニィやジェシー・ジャクソンなどが参加し参加者にスピーチをした。「イェールはこれほど労働者を貧しくしておくには裕福すぎる」

 イェール大学は地域の労働者の4人に1人がその大学か病院で働くという、ニューヘーヴンで唯一最大の雇用者だ。今回のイェールキャンパスでのストはイェール労働者の労働組合の歴史60年間のうち12回目。以前の労働闘争の経験者によると、今回のアクションの参加者の多さは先例がない。「こんなに多くの人が一緒になり、人種、階層、男女を越えて情熱を持って権力に真実を訴えることは今までなかった。」両者は交渉のテーブルに再度ついた。労働組合メンバーはイェール大学が重要な問題の全てにおいて譲歩しなければ再度ピケを組織するとしている。
【この記事に関する問い合わせ:Marsha Niemeijer marsha@labornotes.org  この記事はレイバー・ノートとのコラボレーションで発行された】

 

WTO停滞:目標を下げて犠牲を探す
WTO Gridlock: Lowering Expectation and Looking for Scapegoats
By Nicola Bullard

 イラク戦争が始まって2週間、ジャーナリストと政治家はすでに大西洋両岸の関係崩壊とWTOの停滞の間に都合のいい結びつきを見出した。タイミングは完璧:カンクンまで5ヶ月、まったく進まない議事予定、その間の長い夏休み。目標を下げて犠牲を探すのはいい考えだ。3月末のWTOの状況はこうだ:農業交渉をどう進めるか合意がない。特別かつ差異のある待遇の実施問題に進歩はない。TRIPS(知的所有権の貿易の側面に関する協定)と、ドーハで途上国が得た最大の成果と言われる「公衆衛生宣言」の適用についての決議がない。協議事項は完全に止まり前に進む気配がない。

 エコノミスト(2003..1)は農業交渉を交渉停滞の原因として指摘し、「この戦線は対イラク政策の確執を思い出させる。シラク大統領はシューレーダー首相と取引してEU共通農業政策(CAP)の保護を取り付けた。それでもCAP改革の努力が進んでいるが、これが失敗すれば進展のチャンスは薄れるだろう」としている。「ドーハ開発ラウンド」の熱烈な支持者でイギリスの国際開発大臣のクレア・ショートも、失速した対話がCAP改革に抵抗する加盟国のせいだと言う。同氏は「彼らの意見が勝てば、EUのせいでドーハラウンドの成功への展望は非常に小さくなる」と言う。フィナンシャルタイムズ(2003.3.30)もCAP改革を進められないEUを責め、その理由を「フランスなどの加盟国が同意するかどうか不明だから」だと指摘する。

 これらのコメントから、英米のWTO推進派が何を考えているかを見ることができる。まず、カンクンの会議がよろめきつまずいたものであるとの認識が広がっている。次に、非難の的が大陸欧州(つまりドイツとフランス)に集中している。さらに、他の129の加盟国がこの状況分析に出てこない。ショートは「開発ラウンド」の成功を心から願っている割には、途上国の交渉の立場に興味がないらしい。得にその立場が彼女の考える「途上国にとっていいこと」に反する場合は。(彼女は途上国が必要とするのは、TRIPSと衛生の妥協的合意、更なる市場の自由化、外国投資、第一世界へ低技術労働者をもっと送ることだと考えている。)さらに途上国の存在が無視されている事実は、WTOの主な機能を浮き彫りにしている。その機能とは「大西洋両岸の貿易関係のバランスを取ること」だ。だからシアトルで見られたように、それがだめになればWTOもだめになる。最後に、ジョージ・W・ブッシュによる「我々の側につくか反対するか」という「9・11後のヒステリー」を再利用しようとする企みが見られる。ショート氏は9・11を使ったハデな議論を展開する。「9・11の余波は、ドーハにおいて、私達になぜ貿易と開発が重要かに焦点を当てさせた。私達は現在の苦痛と世界の分断を越えるため公正な世界秩序へのコミットメントを深める必要がある。私達には開発ラウンドを成功させるより強い決意が必要なのだ。」

 

大規模な報道操作?
Is This Media Manipulation on a grand scale?
By Information Clearing House

 4月6日:イラク国民会議(INC)の創設者アフマド・チャラビは米国防総省によりイラクの町ナシリアに連れてこられた。チャラビは彼の「イラク解放軍」の700人の戦士と共に4機の巨大なC17軍機で空輸された。米国政府はチャラビとINCをイラクの新政府のリーダーとして肩入れしている。チャラビと戦士らはナシリアに着いた際写真を撮られている。

 4月9日:米軍がサダム・フセインの像をフィルドス広場で倒した時「この戦争で最も忘れられない画像」が創られた。おかしなことにチャラビの戦士に異常なほど似た男が写真に写っている。彼はフィルドス広場の近くで海軍を歓迎している。フセインの像が倒されたとき広場には何人のアメリカ好きイラク解放軍メンバーがいたのだろうか? 

 フセイン像が壊されるビデオが大規模な民衆蜂起の証拠として世界中のテレビに映し出された。しかしロイター通信により撮られたフィルドス広場周りの長いショットには、米海軍、インターナショナル・プレス、少数のイラク人しかいない閑散としたフィルドス広場が映っていた。多くとも200人程度の人しかいない。海軍が広場を閉鎖し戦車で防御していた。米軍の装備された車がフセイン像を引き倒すのに使われた。

 この出来事全てがベルリンの壁崩壊と同様に歓呼して迎えられた…。しかしロイターによるビデオカメラの長いショットをちょっと見ただけでも、あの出来事がテレビカメラ用に仕立てられた慎重に造られた報道用シーンではないかと見えてくる。