Sand in the Wheels 
  N° 166 - Wednesday 12 March 2003             3

「サンド・イン・ザ・ホイール」日本語版2003年第82003年3月12日号(通巻166号)

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目次

1.労働組合は戦争に反対する( Unions Against War)
 ETUC(欧州労連)がイラク戦争反対を示すために3月14日にストライキを呼びかけたことは、ヨーロッパの労働組合からの幅広い支持を得られるだろう。ETUC書記局が集約している報告によると、現時点ではドイツ、オーストリア、ギリシャ、スイス、ベルギー、ルクセンブルグ、フランス、イタリア、スペイン、デンマーク、ノルウェー、ポルトガル、イギリス、チェコで強力な動員が計画されている(285)

2.国連大使らは「サバイバー」になれるか?(Can UN Ambassadors be "Survivors"?)
 「サバイバー(生存者)」、「億万長者と結婚しよう」などの「リアリティーTV」系の番組に夢中になっている国民は、国連安保理で起きている本当のドラマにチャンネルを変えてみる必要がある。対イラク戦争決議をめぐる論争は、これらのショーと共通点がある。陰謀、かつての友への背信、陰険な名指し、復讐の誓い、それに視聴者の監視まである(763)

3.世界水フォーラム−反対意見を水割りにするのか?World Water Forum - Diluting Dissent?
 31623日、8000人が京都での第三回世界水フォーラムに参加する。3年に1度の同フォーラムは、世界の水危機に関する国際的論争のカギとなってきた。国連の会議ではないが、フォーラムごとにハイレベルの政府高官が参加する閣僚会議も行われる。主催者は同フォーラムがオープンで「全ての利害関係者」を包含したものだと言うが、批判者らはエリート主義で、非民主主義で、企業の利害に強く傾いていると言う(1527)

4.声をあげよう!( Speak up!)
 42527日、アンジェー(フランス)での「環境のためのGワールド」に参加しよう! 来れないなら、手紙やEmailで寄稿しよう。何でもOK。提案、批判、個人的活動、詩、アート! これら全てポスターや劇の台本などの形でこのイベントに使われます。これらの寄稿の便覧と論議のサマリーが出版されます(369)

5.デジタル情報が民主主義と経済を乱すときWhen Digital Information Disturbs Democracy and the Economy
 序列的で管理された伝統的な情報の散布方法は、インターネットにより変わった。無料またはオープンソースのソフトは、知的所有権の概念に挑戦状を突きつけている。情報技術が経済や政治の分野に亀裂を作っている例を多く見ることができる(3374)

 


労働組合は戦争に反対する

 Unions Against War
By ETUC

 戦争ではなく平和的方法で武装解除を。
 ETUC(ヨーロッパ労働組合連盟)の執行委員会は拙速なイラク戦争開始は正当化されず、フセイン政権の武装解除という国際社会の目標は他の方法で国連の枠組みの中で効果的に遂行できると考える。国連査察団は最初の具体的結果を持ち帰った。査察団にはイラクが持つ大量破壊兵器を完全に破壊するための財源と時間を与えるべきだ。査察に対して、イラクは国連決議に従って迅速で制限のない協力をすべきだ。EU(欧州連合)と政府は欧州の市民が広く共有している「戦争は不可避ではなく、人々の苦しみと必然的に伴う荒廃を避ける全ての可能な手立てを尽くすべきだ」という信念の下、共に行動すべきだ。この荒廃は欧州が最も避けたい経済への悪影響を含む。

 このメッセージを伝えるため、執行委員会は全てのETUCの加盟団体に314日正午に職場放棄を行うこと、また315日の欧州各地で行う大規模デモへの参加を呼びかける。戦争が始まれば、次のアクションに向けて執行委員会は再召集される。

 


国連大使らは「サバイバー」になれるか?

Can UN Ambassadors be "Survivors"?
By Sarah Anderson

※著者サラ・アンダーソンはthe Institute for Policy Studiesの研究員、報告書「Coalition of the willing or Coalition of the Coerced」の共著者。

 「サバイバー(生存者)」、「億万長者と結婚しよう」などの「リアリティーTV」系の番組に夢中になっている国民は、国連安保理で起きている本当のドラマにチャンネルを変えてみる必要がある。対イラク戦争決議をめぐる論争は、これらのショーと共通点がある。陰謀、かつての友への背信、陰険な名指し、復讐の誓い、それに視聴者の監視まである

 オブザーバー紙に漏れた米国高官の覚書によると、安全保障理事国に選ばれた国の大使の家と事務所を監視することが先月計画された。イラク戦争を承認する国連決議への投票を操作するのに使える情報を掴むため米国スパイが彼らの個人的会話を盗聴している。主なターゲットはアンゴラ、カメルーン、チリ、ブルガリア、ギニア、パキスタン。メキシコは盗聴リストに載る代わりに公衆の面前で屈辱を受けた。ブッシュがメキシコと緊密な結束をしたのは遠い昔。ブッシュは突然古い友人メキシコに使節を派遣し、もしイラク戦争を承認する国連決議に反対票を入れれば移民や貿易関連の米国との問題で辛い立場に追い込まれるぞとあけすけな脅しをかけた。昨年12月に米国はチリの代表と、チリに10年前に約束されていた貿易取引をやっと締結した。この月はチリが安全保障理事国となった月だ。チリの戦争支持と引き換えだった。

 米国の汚さは世界中の人々の怒りに火をつけた。米国ではブッシュの連合「買収」をジョークにしている。しかしこのブッシュの大暴れは米国民にとって娯楽ゲーム以上のものであるべきなのだ。ブッシュ政権の目標はこの戦争が多国間共同の政策だという幻影を作ることだ。ほとんどの世論調査で米国民の多くは単独で戦争に突入したくないことが分かっている。米国民は億万長者のお金と同じくらいインチキな「大多数の意見」に誘惑されて、憤慨すべきなのだ。ブッシュはもし国連がイラク戦争を承認しなければ「国連は的外れの道を歩んでいる」と言うが、もし決議が収賄、いじめ、盗聴の結果だとすればこの組織はどれほど的が当たっているというのか? ブッシュ政権が決議を通すのに成功しても、腕づくのキャンペーンが決議をジョークにするのは間違いない。

 実話に基づくショー(「リアリティーTV」)は制作費が安いがブッシュの戦争は戦争支持を買うために莫大な納税者のお金を使う。トルコ政府から戦争支持と米軍によるトルコ軍事基地使用許可を得るために米政権は60億ドルの援助を申し出た。トルコ政府がNOと言い続ければ、米政権は国内のお金で繋がったコミュニティ(うち120名が先制攻撃に反対した)の支持を買うのにこのお金を使うだろう。

 安全保障理事国の国連大使と国のリーダーらは米国の猛襲によく耐えている。この強さは国内外の人々による圧倒的な戦争反対に支えられている。ドラマが最終投票に近づく中、米国民は大統領に「サバイバー」のずる賢い勝者以上のものを求めていることを表明する必要がある。本当の多国間共同政策と本当の民主主義を求めているのだ。米国が本当の世界的リーダーになるためには他に道はない。

 


世界水フォーラム−
反対意見を水割りにするのか

World Water Forum - Diluting Dissent?
By Corporate Europe Observatory

 31623日、8000人が京都での第三回世界水フォーラムに参加する。3年に1度の同フォーラムは、世界の水危機に関する国際的論争のカギとなってきた。国連の会議ではないが、フォーラムごとにハイレベルの政府高官が参加する閣僚会議も行われる。主催者は同フォーラムがオープンで「全ての利害関係者」を包含したものだと言うが、批判者らはエリート主義で、非民主主義で、企業の利害に強く傾いていると言う。

 過度に高い入場料,特に南からの草の根グループの参加がないことがフォーラムの正当性を崩している。フォーラムの裏では新自由主義的で、企業の関心でもある水政策の世界的コンセンサスを作るため、水管理における誇張された民間セクターの役割を推進するために、巧妙なキャンペーンが行われた。フォーラムの主催者は1996年設立のマルセーユに基盤を置く世界水会議(WWC)で、自らを「世界の水政策のシンクタンク」と呼ぶ。メンバーは研究機関、政府機関、国連機関、主流NGOを含むが、世界銀行と世界有数の巨大水企業に占領されている。

 前回の世界水フォーラムでは、「水危機の解決策に関する世界的合意」とされる「世界水ビジョン」が発表された。これは民営化推進の宣言書で、活動家のグループに糾弾された。この企業アジェンダに対して抵抗が世界中で強まったが、第三回世界水フォーラムでは、主催者は「議論から行動へ」移る時が来たと言い、世界水ビジョンの実践に焦点を当てるとした。この現実の歪んだ解釈を固めようとWWCは水管理の改善のため世界中で取られているアクションの概略「世界水アクション」を発表。うち多く(汚染緩和、自然保護、地域ベースの水供給、水質管理など)は効果的かもしれないが、その他が悪質なのは明らかだ。悪名高い組織が運営するプロジェクトの他に、WWCはチャド、ポルトガル、タイ、セントルシア、ウルグアイなどでの民営化計画も滑り込ませている。

 WWCはこれらの世界水アクションの影響を受ける人々と協議する努力をほとんどしていない。ウルグアイで世界銀行に計画された飲料水の民営化案は、同国の社会運動に激しく反対された。ウルグアイが南米で最も優れた公共水供給システムを持つことからも、世界銀行の民営化計画がイデオロギーに基づくものだと分かる。ウルグアイでは憲法を変えて水の民営化を禁止するための国民投票を行う強いキャンペーンが展開されている。南ア、ボリビア、ニカラグアその他世界中の多くの国で行われている水の民営化に反対する民衆の闘いも、民営化の代替案として効力があると証明されているコミュニティ管理の水供給モデルも、世界水アクションでは無視されている。世界水アクションは水危機の唯一の解決策は水民間企業の役割の増加だという「不正な合意」を演出するのに役立っている。

 前回の水フォーラムと同様、企業の水アジェンダを快諾している多くの主流NGOWWFIUCN、利害関係者フォーラムなど)が今回のフォーラムでも活発な役割を果たす。京都会議に向けてWWCは水の民営化に反対するNGOに共催にパネル論争を呼びかけるなど攻勢を仕掛けている。NGOがフォーラムの正当性と企業のバイアスを会議内、対抗サミット両方において突いた2000年のハーグ会議での決まりの悪さを避けたかったのだ。「公共と民間の論争を避ける」ために第三回フォーラムでは「公共−民間パートナーシップ(PPP)を促進する」という。だがPPPが実際には「企業が水供給を運営し政府(または自治体)が投資に補助金を与え、政治的リスクをカバーして企業の利益を保障する」ものだから、水の民営化に反対する勢力がPPPになびくシナリオは考えにくい。

 重要なキャンペーングループのいくつかは世界水フォーラムに参加して水の民営化に関する論争に勝つか間違った合意の演出を崩す戦略を取る。若者のグループは会議の外で反民営化のカラフルなアクションを予定。京都会議に平行してフィレンツェ、サンパウロ、ニューヨークなどでオルタナティブなフォーラムが開催される。

 世界水フォーラムのない間にも、WWCPPPという言葉を使って多国籍企業に水供給を任せることが唯一の解決策だという幻想を推進している。ここ10年の経験からこれら営利目的の企業が世界の最も貧しい人々に水を提供できないことが明らかになっているのに。例えばドイツのボンで200112月に開催された国連淡水会議では、WWC副会長のルネ・クーロンはスエズ、ヴィヴェンディなど主要な水企業からの発言者と共に、世界中の水市場に民間企業が拡大する際の障害を取り除く方法を考えるワークショップを開催した。クーロンはスエズの前会長だ。また2002年にWWCは新たな水のインフラの資金調達に関する国際的な特別調査団を結成。同調査団の議長はIMF(国際通貨基金)の元会長で、水やその他の基本的サービスの民営化を含め破壊的な構造調整プログラム(SAP)を多くの南の国々に強要した人物だ。他に、多国籍企業の代表、世界の最も貧しい人々が水にアクセスする際の大きな障害になっている債務危機をもたらした共謀者である国際金融機関や投資銀行もいる。彼らの水フォーラムへの提言は民間水企業の役割の拡大に集中するだろう。

 


声をあげよう!

 Speak up!
By G-World Environment

 もしあなたが「世界は売り物ではない」と思うなら、今回が声をあげるチャンスだ!
 G8(世界で最も富裕な7カ国とロシア)が何の正当性もないままに事実上の世界政府のように振舞っている。世界の人々から権限を与えられていないのに、世界の「進歩」のための選択と方向を押し付ける。新自由主義的な政策は、一握りの人々の利益に世界の資本を集中させ、大多数の人々の仕事と生活を危険にさらし、これが文化的排除と環境破壊を生んでいる。これらの権力者に言いたいことを言わせておくな! 私達が選ばれていないG8に平衡できる民主的なGワールドを組織するのは今だ。

 G8の環境大臣らが200342527日にフランスのアンジェーで次のサミットを開催する。このサミットをオルタナティブな環境の世界的な展望図を探索し推進するサミットで再現する。このフォーラムは人々と地球のニーズのバランスが達成できる公正で公平な世界を願う全ての人に開かれている。展示、ワークショップ、討論、会議が「Gワールド環境村」でこの3日間行われる。アンジェーでは426日にピースマーチが行われる。音楽と劇場イベントで締めくくられる。私達にはオルタナティブな社会が必要だ。一緒に作り上げよう。
 「環境のためのGワールド」に参加しよう!参加できないなら、手紙やEmailで寄稿しよう。何でもOK。提案、批判、個人的活動、詩、アート。これら全てポスターや劇の台本などの形でこのイベントに使われる。これらの寄稿の便覧と論議のサマリーが出版される。寄稿はparoles@gmonde-env.orgへ。名前と住所を忘れずに。詳細:www.gmonde-env.org

 


デジタル情報が民主主義と経済を乱すとき

When Digital Information Disturbs Democracy and the Economy
By Veronica Kleck and Valerie Peugeot

 序列的で管理された伝統的な情報の散布方法は、インターネットにより変わった。無料またはオープンソースのソフトは、知的所有権の概念に挑戦状を突きつけている。情報技術が経済や政治の分野に亀裂を作っている例を多く見ることができる。

 1989年以降、未来は予測できなくなった。冷戦の二極性は私達が違った未来を想像するのを妨げた。二項対立からの脱出のための想像力を人類が失ったかのように。多文化で多極性に富む世界の複雑さが共に生き生産する新たな方法が生まれるのを妨げたかのように。こんな陰気な状況下でも、デジタル情報が私達を大胆にさせた。「経済」の煙幕が消された今、情報革命は本当の色を見せ始めた。政治的・経済的なこの「色」は私達の生活に滑り込んだ。10年以上、私達は発生し始めた代表制民主主義の危機への反応として参加型民主主義を夢見てきた。この考えはあまりに良くできておりきちんとした考慮のないままに広く受け入れられた。国粋主義と安全保障の波に逆らい、私達の民主主義の移行は始まっている。

 民主主義の質の基盤となる「透明性」が不可避になっている。5年間で、公衆が自由に使えるツールが技術的に簡単になり、情報共有を妨げる議論が一つずつ切り崩されている。「共有」は民主的価値を含有すると同時に「権力」の概念を揺るがす。だから問題は文化的・政治的だ。私達の代表者は「技術」でなく「これらツールの応用」を適用する必要がある。

 この運動が制度化するのを待たずに、多くのグループが透明性を新たに取り入れている。ブリタニーでは、インターネット上で海上汚染を政治的に監視する市民のネットワーク「ラジオ・ファロス(灯台)」がある。アキテーヌには地域計画と公共交通機関の管理のためのツールを開発する「メディアス・サイト協会」がある。今は誰でも事実上どんな情報も共有でき様々な情報への集合的欲求を創ることができる。これは活発な公衆の政治運動を妨げない。トップダウン、序列的で管理された伝統的な情報散布の従事者は、少しずつ隔離されていく。「多数派のルール」に占領された西の社会ではめずらしいことに、私達は周辺からの揺さぶりに参加している。インディメディアの存在は伝統的なメディアの世界を変えはしないが、メディアの力が挑戦状を突きつけられることを示し、経済要素に反応する少数のメディアグループに管理された情報に私達が追い込まれることがないことを示した。結局、独立したオンラインのメディアの増加しか伝統的メディアの慣行を覆すことができない。

 技術は特に公衆の領域での民主主義プロセスを豊かにした。一方通行のマスコミから双方向のコミュニケーションに移行することに社会の関心が移った。個人が公表したソフトの普及が公衆の領域での個人の立場を大きく変えなかったか?その人は情報の消費者から内容のクリエーターになった。市役所がウェブサイトに直接管理をしないスペースを地域の団体に与えたとき、それは地域コミュニティの豊かさを見せ、公共のスペースを広く開いた。市役所は伝統的な意味での権力の一部(情報の管理)を手放したが、質の高い民主的論議の手法を手に入れた。選挙の時期だけに論議を制限する代わりに、投票の源流に民主主義プロセスを還したのだ。代表制民主主義の過度の単純化により、私達はときどき政治運動の監査役になる権限しか与えられないことから、これらの手法は生まれた。ぼろ屋地区の住民が自分達のオンライン新聞を創ったとき、「声のない」人々が公衆の領域に足場を見つけた。市民が基本的な権力の一部を回復したのだ。技術的な点からいうと、私達はまだ有史前にいる。政党や社会運動による政治的提議の草案が、闘争慣れした少数の活動家が午前3時に一部屋で創るのではなく、オンラインでその場で瞬時に地域の活動家やこのようなことに慣れていない人々が対話して創るようになれば、それは大きな民主主義の跳躍となる。

 しかし2つの幻想に捕まらないようにしよう。これらツールはそれだけでは意味がない。基本的な民主主義に対する大志をもってのみ、これらツールは効果を持つ。ポルトアレグレのような参加型予算が参加型の伝統のない町に接木されても、それは政治的突破口というよりでたらめでしかない。これらのツールは本当に権力を共有する欲求があってこそ意味がある。もう一つの幻想は民主主義の楽観主義だ。技術と社会の相互作用は革新主義の論理に基づく。抵抗に技術が追いついた。しかしこれは不可抗力の運動からは程遠い。だから活動家が彼らの政党、協会、生活共同体内部で、この「技術−民主主義」相互作用を実践に移すよう活動するか否かにかかっている。インターネットの活動家、市民が直接もしくは研究員やデベロッパーを動かしてこの民主主義の大志に応えるツールの発明をするかどうかにかかっている。

 経済の分野でも情報・通信技術は亀裂を創っている。とりわけ「仕事、資本、所有権」がデジタルとネットワークの時代に入り取り残されている。理解と知識が富の主な源となる社会に移行したことが、連続した結果を生んでいる。「労働者」が自分のツール(自分の頭脳)の所有者となり、彼は経済的見返りだけでない見返りに納得した時だけそれを使える。雇用者と被雇用者の関係は完全に変化した。生産がますます物質的でなくデジタル形式の知力となるにつれ、所有権の問題は完全に変化した。創造という行為に付随する知的所有権の問題が問われる。

 オープンソースのソフトの防御者は、挑戦状を突きつけるだけでなく本当にオルタナティブだ。その経済モデルは混合したシステムに支えられる。創造と提供の経済である。普通、初期開発のコストはプロジェクトを始めた情報技術者が持つ。ソフトの改善は世界中にいるソフトの潜在的利用者で、自分のニーズに対応するツールを得られる、または単にその地位を認識されたいという理由で時間を割く人々によって導かれる。その結果できたソフトは、免許の必要はなく、使用に関しては人類の共有の製品となる。「資本」の概念の価値が減じたことになる。

 デジタル創造の分野において、物質的資本(機械、道具)はほとんど価値がない。大体の企業家はコンピュータを得ることができる。だから重心は(よく知られた大難である)金融資本から、人的資本に移る。ある意味環は閉じている。「労働者」は彼の生産の枠組みを再交渉できるだけでなく、資本の持ち主という地位も得るのだ。

 しかし私達はまだよちよち歩きの段階におり、メディアは「システムへの抵抗」の声を聞かない。NapsterによるMP3を通した音楽の無料配布を妨げる処置、自費製作にも拘らず無料のソフトを公表するのを阻んだ当局、ソフトの特許化を防御する多くのロビー団体。私達のシステムの基盤全てが問われているだけに論争は激しい。しかしそれだけでは少数の活動家は実験するのを止めない。無料ソフトサービスのグループでビジネス的な「イースター・エッグ」は、その意味で称賛に値する。協同組合形式(最低資本を労働者全てがメンバーの協会が持つ)設立され、そのビジネスは投票システム(一人の労働者に1票)で運営される。彼らが公言する目的とは、単純に「資本」の概念をなくすこと。「情報革新」という言葉がよく使われるが、私達は今その言葉の深さと強さに触れ始めた所なのだ。

 200312月に「情報社会に関する世界サミット」がジュネーブで開催される。2005年にはチュニスで開催される。これはこのテーマが国連の関心の最前線に置かれた最初のサミットだ。また政府、市民社会、企業の3分野からの3つの事務局に先導される国連で初めてのサミットなのだ。この手法の変更はサミットのテーマに関係している。情報技術の分野は実験の場を含有している。「情報・通信社会という分野」と「古典的代表制の論理から離れた手法」は、互いに共感し得る部分があるため、このサミットは私達が国際の場での民主主義プロセスを考え直す機会を与えてくれる。しかしそれでもこのことに対する集合的認識とそれに向けた真摯な目的意識がないといけない。準備の最初の段階でいい前兆は見られない。ある段階での市民社会の参加が阻まれた。個々の企業として、またその協会として、企業が二重にサミットに応募していた。NGOと活動すると主張する地域のリーダー、大学、議員などが「市民社会」の定義を出し抜いた。閉鎖的な政府間の会議。市民社会の活動家が参加する物質的方法の欠如など。

 今しばらくこの種の行動の古典的な方法を見てみよう。最近ではヨハネスブルグがその例だ。専門家が意見を求められ、大使館事務局が交渉し、国のリーダーがメディアに声明を出し、企業がロビーイストを雇い、NGOが不満を表明する。NGOは対抗サミットを開催し(その会議場所は政府の会議場所からなるべく遠い場所に追いやられ)嘘をつかずに「自分達の声が聞かれなかった」と言える。つまり全員が自分の権力もしくは対抗勢力の地位を持つ代表制民主主義の世界で、全ては問題ないということだ。正当に選ばれた政府が決定し、経済的に裕福な企業が少しずつ影響力を強め、経済的に貧しいが動員力のある市民社会は権力のバランスを創る。この体制は政府や企業といった見かけ優勢な関係者だけでなく、「市民社会は協議を受けていない」と叫ぶ組織を含む多くのNGOや任意のセクターからも擁護されている。

 ここで問題となっているのは、国際舞台のための、またネットワーク社会の時代のためのもう一つの民主主義手法の発明なのである。参加型民主主義を通した民主主義の再生という考えは地域事情の中では出てきていても、国際舞台は「民主主義的な統治」を発明できないでいるのだ。「単なる政府間の関係」の代替として提案された体制は、超国家的なモデルへの移行だった。このEUの創出に対する多大な努力のように、私達は世界的民主主義を発明するのに同じ位の努力をする必要があるのではないか? なのに私達は市民社会の活動家の視点に基づいた様々な場所における「統治」の論議を耳にする。「協議」をしている例も多く聞くがそれは本物の相互の意見交換プロセスというよりメディアの解釈でしかない。

 しかし遅々として進まない理由は課題の複雑さによって説明できる。それは地域のコミュニティ、任意団体、社会運動の中の論議で上がっている強い疑問である。多くの活動家は、民間セクターに有益に働くように公共の役割が減っていること、つまり個人の経済的利害に有益に働くよう全体の利害が軽視されていることを糾弾している。ここで、「他の正当性に有益に働くように国家の正当性を相対化する」というパンドラの箱を開けることが不可能なことが明らかになってきたわけだ。例えば、公共サービスの計画・開発の責任者を多様化することを推進する一方で、人々のニーズを満たす公共サービスを求めることができるだろうか。すでにうまく機能していない代表制民主主義を解体することなしにより参加型の民主主義の構想を練ることができるだろうか。多くの活動家はこの問題にぶつかり、人々の生活の中で結果が直接測定ができる方を優先させている。超自由主義的な政策が人々に与えるコストは正確に測定できる。民主的な国際的アクションがないことの総合的コストは測定できない。どうしたらこの袋小路から抜けられるだろうか? まずは難しくてもこの議論に取り組まなければならない。もしその結果が「権力vs.対抗勢力」モデルを再び肯定することだったなら、他のモデルを探索するマネはやめよう。しかしもし政府が人類の歴史の複雑さという問題に日々ますます圧倒されてきており、単純な市場の法の支配と闘士による外交に依存しているとしたら、私達は共に新たな民主主義の方法を発明しなければならない。このことは「情報社会に関する世界サミット」から離れた議論に見えるかもしれないが、実はこの議題の真髄に私達はいるのだ。もしネットワーク社会が新たなタイプの組織権力に対する影響力を持つとしたら、それは技術的進化の結果ではなく政治的社会の成熟を示している。ネットワーク社会には二つの「指標」がある。一つは権力の基礎となる面である「知識」が放散し、流動し、共有できる。創造のプロセスは、オープンソース・ソフトに見られるように、協同の論究の結果として生まれる。社会運動の中で私達は、情報時代の変化に適応しそれを利用するために組織的形態が置き換えられていく状況を目の当たりにしている。市民の対専門家の動きの中で違う運動が起きている。情報の生産と伝達に関わり活動家の新たな機能が見られる。国際的な運動において膨大な情報・通信技術が使われる。国際的な規模で集合的・異文化間でのアイデアを集結した組織ができている。メディアが「敵対者」間の対話の新たな場を提供している。新たな地域の民主主義形態の実験が行われている。

 これらの民主主義に関わる問題への取り組みという経験から学ぼう。いくつかの組織や町によって用意された議論のスペースが私達を前進させてくれると願おう。私達がこのサミットの準備プロセスを新たな架空の領域を開く集合的な機会として利用できれば、サミットそのものが失敗しても深刻な話ではない。