Sand in the Wheels 
 N° 165 - Wednesday 05 March 2003              3

ここまで来た
HERE WE ARE

「サンド・イン・ザ・ホイール」日本語版2003年第7号2003年3月5日号(通巻165号)
 ホームへ

目次

1. 反戦運動は抗議の段階から戦争阻止の段階へOrganizers of Antiwar Movement Plan to Go Beyond Protests)
3月2日にロンドンで、反戦運動の戦略に関する会議が開かれ、28カ国から集まった120人の活動家が、予想される米国主導の対イラク戦争に抗議するだけでなく、戦争が起こるのを阻止するための計画を話し合った。ブッシュ政権の最も緊密な同盟者である英国、イタリア、スペインの指導者たちへの政治的圧力を強化し、支持を撤回させ、米国がもし戦争を選択するならば単独でそうしなければならないようにする。また、全ヨーロッパで米軍基地や補給施設、軍事輸送に対する市民的不服従の行動を通じて戦争計画をさらに混乱させる・・・(1424)

2. 戦争を形容する語( Mercenary adjectives)
「戦争」という名詞につく形容詞は「平和への裏切り」だ。この言葉はあまりに過酷な意味を持っているがゆえに、常に剥き出しの形で表現されなければならない。その本質を隠すような語を並べるべきではない。戦争を形容する語は戦争に寄り添い、それを違った姿に見せかける。どのようにして? あたかも戦争が空気をきれいにするかのように、あるいは外科手術であり、人道的であり、正確であり、迅速であり、予防的であるかのように描くことによってである。こうした形容詞は「戦争」という言葉よりも強く発音され、戦争に寄り添っていたはずの形容詞が戦争を率いるようになる(2130)

3. 共通の出発点A single starting point)
「この世界には2つの超大国が存在する。1つは米国であり、もう1つは街頭に溢れ出た世論である」--これは「ニューヨークタイムズ」紙2003218日付けの記事のヘッドラインである。215日に全世界の700以上の都市で1100万人以上がデモに参加したことにより、新自由主義的グローバリゼーションに反対する運動が、全地球レベルにおいて歴史上前例のない量的および数的広がりをもって大衆動員を鼓舞する世界的な問題であることが初めて確認された。(473)

4. 公正なグローバリゼーションをMaking Globalization equitable
[ATTACドイツ、ドイツ労働総同盟(DGB)、ドイツ開発NGO連合(VENRO)の共同声明]
この宣言は、新しいドイツ連邦政府と新たに選出された連邦議会が、より民主的で、社会的にもエコロジー的に、より公正な世界秩序のために一層の関与を行うことを要求する。この宣言は、この2年間、グローバリゼーションの政治的課題をめぐって行われてきた集中的な議論の結論である。同時に、DGBVENRO および ATTAC はこの宣言によって、それぞれの加盟団体が、社会的行動の分野の違いにも関わらず、このプロセスを市民社会の能動的一員として積極的に支持し、協力して構想を練っていくことを希望していることを明らかにする。Forum Umwelt und EntwicklungForum Menschenrechte、およびSocial Watch Deutschland-Forum Welt-sozialgipfel の各代表もこの宣言の基本的目的に賛同し、この宣言の起草に参加した(3961)



反戦運動は抗議の段階から戦争阻止の段階へ
Organizers of Antiwar Movement Plan to Go Beyond Protests
By Glenn Frankel (「ワシントンポスト」外信部)

3月2日にロンドンで、反戦運動の戦略に関する会議が開かれ、28カ国から集まった120人の活動家が、予想される米国主導の対イラク戦争に抗議するだけでなく、戦争が起こるのを阻止するための計画を話し合った。ブッシュ政権の最も緊密な同盟者である英国、イタリア、スペインの指導者たちへの政治的圧力を強化し、支持を撤回させ、米国がもし戦争を選択するならば単独でそうしなければならないようにする。また、全ヨーロッパで米軍基地や補給施設、軍事輸送に対する市民的不服従の行動を通じて戦争計画をさらに混乱させる・・・

抗議行動を組織する団体は、ほとんどの場合小規模である。ロンドンに拠点を置く2.15抗議行動の中心となった組織はコンピューターがたった4台しかない2つの小部屋で、数台の電話と数人の有給スタッフで活動を行っている。しかし、彼らはインターネット、携帯電話そして労働組合や地方自治体との結びつきを利用して、世界中の他の組織と協調するのである。彼らのプランは大げさに見えるかもしれないが、かれらが二週間前に約75カ国で軍事行動反対の抗議行動に600万から1200万人を集め他に類を見ない抗議行動を成功させたのである。

あの日ローマ、ロンドン、マドリッド、ベルリン、パリそしてニューヨークの街に大勢の人々が抗議行動に参加した背景にはアメリカの軍事力に対する嫌悪、そして政治的急進派から教会、組合そして一般の人々の起こりうる戦争に対しての嫌悪の反映がある。ところでこの抗議行動は反グローバル運動と平和グループなどの左翼思想を持つ小さな活動家のネットワークによりほとんどの場合組織されている。何年にもおよび彼らはピケ・ラインの先頭にたち、多くの人々の支持を得られるように抗議行動を行ってきたのである。しかし、日々高まる戦争への可能性は世界中の世論を反映した結果となった。

当初、活動家達は215日の抗議行動はヨーロッパにあるいくつか都市に限定されるだろうと思っていた。しかし、12月にコペンハーゲンで行われた会議でアメリカとフィリピンの平和グループの代表者がこの215日を支持する事を約束した。同じ月にカイロでは中東とアジアの各国から400人の代表が集まり、イラク人とパレスチナ人の支援をする宣言に調印し、前アルジェリア大統領のベンベラが先頭に立ち調整委員会を組織、2月の抗議行動の参加を約束した。また1月下旬にはブラジルのポルト・アレグレで行われた世界社会フォーラムに活動家達が集結、2.15の抗議行動に参加する国が当初30カ国だったのが74ヶ国になった。

アメリカ軍を混乱させるキャンペーンも続いている。アメリカの攻撃に対して自ら「人間の壁」になるためにバグダッドにはいっている者がいる一方で、9人のオランダ反戦活動家がロッテルダム郊外の米軍基地の門に自らをくくりつけ逮捕されるという事件が起きた。イタリアでは何百もの抗議者が米軍の物資の輸送を遅らせる目的で、駅と線路を一週間にわたり占拠した。1月にはアイルランドのシャノン空港で抗議者達が周辺のフェンスを破り米軍機に損害を与え他の米軍機の来航を阻止、他で燃料補給をさせるようにした。イタリアとフランスでは労働組合が、戦争が起こった場合仕事の妨害とゼネストをする事を決めた。

運動のオルガナイザーたちは、この新しい情熱と行動性を世界規模の政治運動に転化するための方法を模索しているという。しかし、運動に参加する人たちの多様性のために、そのような試みは不可能ではないが困難である。

イギリスの代表委員の一人Andrew Burginは言う。「これは社会の力で引き起こされた。それは組織が作り出したものではないのだ。彼らが私達の手の中にいるのではない。あなたがこのような運動を導くのではなく、運動があなたを導いていくのである。

 


戦争を形容する語

Mercenary adjectives
By Ma Angeles Maeso

「戦争」という名詞につく形容詞は「平和への裏切り」だ。この言葉はあまりに過酷な意味を持っているがゆえに、常に剥き出しの形で表現されなければならない。その本質を隠すような語を並べるべきではない。戦争を形容する語は戦争に寄り添い、それを違った姿に見せかける。どのようにして? あたかも戦争が空気をきれいにするかのように、あるいは外科手術であり、人道的であり、正確であり、迅速であり、予防的であるかのように描くことによってである。こうした形容詞は「戦争」という言葉よりも強く発音され、戦争に寄り添っていたはずの形容詞が戦争を率いるようになる。

「戦争」「爆弾」「自由」そして「正義」これらの言葉は、はっきりと正確にそれらが持つ意味のインパクトを与えられるように伝わらないとならない。どうして戦争と言う言葉に予防的であるとか、爆弾と言う言葉に環境的なとか、また正義に無限であるとか自由に恒久と言う言葉が結びつくのか。どうしてこのような形容詞を付け加えるのか?ウィドブロは次のように警鐘を鳴らしている:「形容詞は生命を与えるのか、生命を奪うのか、そのどちらかである」。これらの形容詞は、ここに列挙した強い意味の名詞に命を注ぎ込んだのか?

「予防戦争」「限りなき自由」「無限の正義」「エコ爆弾」これらの恐ろしい単語の組み合わせを訝しくおもわない人はいるだろうか?これらの矛盾した言葉の組み合わせは受け入れられるのもなのだろうか?言葉に意味は必要ないのだろうか?

言葉、全ての言葉は意味を持つ。しかし、これらの言葉の組み合わせは意味をもつのであろうか?これらの名詞の意味はわかる。個々の名詞、そして形容詞の意味もわかっている。しかしこれらの組み合わせに違和感があるのはなぜだろう?

「無限の正義」、「限りなき自由」:無限と言う言葉は正義と言う言葉のインパクトを過度に弱める。もし「無限の正義」というのが束の間のモットーに過ぎなければ、なぜならそれは響きがとても傲慢であるからだろう。「無限の正義」は「限りなき自由」と言う言葉に取って代わられる。自由と言う言葉に条件は必要ない。限りなきと言う言葉は一体どのようにその意味をなすのか?自由に限りなきを付け加える事で、自由が持つ言葉の力が損なわれる。私達は、条件付の自由を話しているのだろうか?

「予防戦争」「エコ爆弾」:これは「燃える氷」や「冷たい火」といったような矛盾語法で表しているのか?いや、そうではない。矛盾語法は二つの対立する言葉や表現が同じシンタックスで新しく意味を作り出すものである。「予防戦争」はどういう意味を増幅させているのか?「予防戦争」に矛盾語法にあるような意味を増幅させるような効果はない。「エコ爆弾」も「人道的カタストロフィー」も同様である。意味がまったく欠落している。・・・

戦争になると意味のない戦争用の言葉(ウォー・トーク)を作り出す。これらの矛盾する意味を持たない表現では、一つの言葉が他の言葉に勝る。「エコ・爆弾」「人道的・カタストロフィー」「予防・戦争」これらの個々の言葉は同時に使う事が出来ない。おのおのがそれぞれ敵同士(相反する言葉)なのである。・・・

ヒトラーがよく使っていた言葉、「新・秩序」この二つの魅惑的な言葉は最も愚かな理由に使われた。これらの言葉を引きつけるのと同様の力が新しいステレオタイプの基となっている。これらの表現の潜在的な意味の欠落がステレオタイプを作り出す戦争の為のプロパガンダだと言う事は周知の通りである。私達は自分自身をこれらのステレオタイプの中に投影しているのではなく、自らの意見を違った方向へ転換しているのである。その方向とは真実を見えなくさせる方向である。

戦争を防止したいと言う私達の望みがとても強いので、もしそれを実現できるのであれば皆が結束する。こういった願望はステレオタイプによる扇動が根底にある。戦争を回避する事を望み戦争をやるものはいない。戦争の準備をするものは戦争を語るとき平和への願望を訴えて人々に賛同を求める。こうして言葉の本来の意味を失わせプロパガンダやスローガンへを作り出すのである。

・・・私達はまた、「クリーンな戦争」また「外科的戦争」と言うものが存在しないと言う事を知っている。しかしこれらの言葉は1991年のイラク攻撃の際に使われた。そのとき目に飛び込んできたのはオイルまみれの鳥だった。その鳥の写真がでっち上げであったと言う事は数年後明らかにされた。イラクいじめは完結せずに、二つ目の戦争には、「予防」と言う形容詞が使われる。それはある国家が攻撃の準備をしているとして相手の国家をたたく事である。

人道的支援はNATOによって行われる支援でなければ余分でないかもしれない。人道的介入の目的は専制政治による犠牲者を助ける事であり、更なる犠牲者を生み出す事ではない。「人道的」を利用して人を殺すのは起こりうる最も卑劣で、冷たいそして皮肉な行動である。

言葉を発する時、暴力的な言葉を使うよりも、相反する意味を用いて表現するほどやりやすい方法はない。現実が残酷になればなるほど、それを隠す事は難しくなる。戦争を起こす者、それを回避する者、隠すもの、彼らは暴力的な言葉が危険であると言うことを承知している。ウォー・トークは戦争を呼び起こす。戦争と言う言葉は最初の犠牲者であり、真実は言葉の死である。

私達が言葉の原点すなわち孤立に向かうそれらの暴力的な意味に帰れば、鳥は再び蘇るであろう。戦争反対、それだけでいいのである。戦争の形容詞は必要ないのだ。

 


共通の出発点

A single starting point)A single starting point
By Marco Bersani (National Council, ATTAC Italy)

「この世界には2つの超大国が存在する。1つは米国であり、もう1つは街頭に溢れ出た世論である」--これは「ニューヨークタイムズ」紙2003218日付けの記事のヘッドラインである。215日に全世界の700以上の都市で1100万人以上がデモに参加したことにより、新自由主義的グローバリゼーションに反対する運動が、全地球レベルにおいて歴史上前例のない量的および数的広がりをもって大衆動員を鼓舞する世界的な問題であることが初めて確認された。

周知の2つの抵抗を打ち破ることの現実性が再び実証された:a)十数年に及ぶ市場至上主義とその極端化が、統一への希望と合意の拡大のための条件を生み出した、b)疑問を投げかけるだけの運動や「現実主義」的な政治的回答ではなく、自治と政治的課題に強調を置く運動が、最高の制度的、地球的レベルにまで矛盾を広げている。
・・・
「諸運動の運動」にとって、抵抗の強化から「可能なもう1つの世界」に向けた戦略の確立へと進むことが課題である。共同の作業の中で、独裁主義(権威主義)の危険と闘わなければならない。それは、すでに社会経済的にコンセンサスの危機が構造化している新自由主義的モデルの最後の切り札である。

 


公正なグローバリゼーションを

Making Globalization equitable
ATTACドイツ、ドイツ労働総同盟(DGB)、ドイツ開発NGO連合(VENRO)の共同声明

世界市場は企業の利益や国家の利益ではなく、人間性のあふれる発展と公共の福祉に重点をおいた世界的規制や制度の上に成り立たなくてはならない。国家の利益だけを考えた政策に戻ることは望ましい選択ではない。

世界経済のグローバル化についてドイツの下院は世界の貧富の格差がどんどん広がっていると言う指摘をした。過去20年の間に途上国や新興工業国が世界の貿易でシェアを拡大していったが、世界の所得を上げたのはほんの数カ国に過ぎなかった。一方で最貧途上国は現実には世界の市場から締め出されているのである。いっそうの貿易自由化の動きと多国籍企業の活動は経済や社会的権利に多大な損害を与えている。また多くの国で市民と政治の権利が重大な制限を受けている事は日々の議題に上る。グローバルな競争が拡大すなわち熾烈になるのはそれが政治的に行われているからである。そしてその決定的な推進力となっているのは企業だけでなく、アメリカ、日本そしてEU諸国である。彼らは市場の自由化の礎を築き一方で公益事業を減らしている。

グローバル化には社会的そして民主的顔が必要であり、それは単にグローバル化を避ける事ではなく、政治的に形作っていく事である。

1.貧困との闘い
 世界中で起きている極度の貧困と闘う事は連帯の原則であり、人権に関わる義務でもある。20009月のミレニアム・サミットで国連は世界で極度の貧困状態にある人の数を(現在大体12億人)2015年までに半分に削減する決議をした。この目標を達成する為、国連ミレニアム宣言では地球規模の構造改革が必要なほか、世界の開発支援を(現在50billion ユーロ)2倍にすることを盛り込んだ。ドイツは世界一豊かな国の一つとして国際的にこれまで以上に重要な役割を担わなければならないのだ。貧困と闘い持続可能な開発を行うため全ての政策をより一貫したものにすることは重要である。

2. 持続可能な発展と環境保護
 過去2世紀にわたり工業化と広範な土壌の使用は多大な自然資源の消費の拡大に寄与し、ゆえに世界規模の環境問題を生み出した。地球環境政策は貧困との闘いに深く関わっており、主に地球環境問題を生み出す工業国はその政策実行に着手しなければならない。

3. 国際金融制度の改革
現在の世界金融市場の規制緩和構造は過去10年間の不安定な経済と金融危機を引き起こしている。金融市場危機は被害国の多額の被害費用へとつながり世界の経済と社会的不均衡拡大に寄与してきた。現在の世界経済の脆弱性を考えると、経済政策の国際協力が信じられないほど不十分である。特に為替政策ではG3(アメリカ、ユーロランドと日本)の協調性がなくマイナス影響が出ている。金融市場の潜在的に有益な機能が持続可能な経済開発を効果的にするためかなりの改革が必要となります。

金融市場には投機を制限し違法な融資を取り締まる為のしっかりとした制度的フレームワークが必要なのです。

4. 社会的世界貿易のために
 DGB(ドイツ労働総同盟)とその組合員、ドイツのNGOと 環境運動は、世界の貿易と国際的な社会経済政策への途上国の参加を提言する。

5. サービス市場の無制限の自由化に反対
国際的に取引が行われるサービスは世界の中で新しい分野である。この分野は急成長を遂げているのだ。特にサービス市場の自由化は将来の市場そして世界の労働市場の社会秩序にも影響を及ぼす。とりわけ出稼ぎ労働者は労働組合を結成する機会を与えられなくてはならないし、労働協約のための団体交渉権も必要である。また特にサービス市場の規制が貿易障壁とみなされることは許されない。EU法を無力化し、各国が高い水準のサービスを維持する権利を「競争を阻害する」として制限することは許されない。

6. 多国籍企業への規制
 グローバル化を進める過程での政治改革には多国籍企業の活動を取り締まる拘束力のある規制が必要である。多国籍企業は社会、環境、人権に対して責任と義務を有する事を認識してこれらをよく念頭におきながら活動をしなければならない。自主的な基準作りや規範作りはもちろん重要な始めの一歩であるが、それだけでは十分でない。目標は構造的に効果的な規制と制裁を与えられる法的拘束力のある国際的な法律作りである。

◆海外直接投資の国際ルール策定に関する問題
 私達は根本的なところでこのようなルール作りを反対しているのではない。多角的投資の枠組みは発展と雇用の為の直接投資またより高度な社会作りと環境基準の為に役立つかもしれない。
 ドーハで行われたWTOの閣僚会議で投資と競争の問題がWTOの次の2年にわたる課題として取り上げられた。
しかし、WTOはこれらの課題を行う上で適切な枠組みでない。WTOの中での投資交渉を支持する各政府の目的は国家の投資制度を自由化し既に制限されている国家の規制力を限定することにある。また、一般的なWTOの理念を当てはめることは開発政策の目的を阻害することになる。

多くの政府は、投資を引き付けるために、企業への減税を競ってきた。これは国家の基礎的な歳入を脅かし、賃金労働者や消費者に不利な作用を及ぼしてきた。
ゆえに私達は連邦政府が、法人税の引き下げのための不当な国際競争を制限し、国際的に適用される企業への最低限の税率を設定することを求める。

7. グローバリゼーションの過程の民主化

この宣言に署名した各団体は、グローバル化の過程の中で更なる民主化が必要であるということを認めている。新自由主義的なグローバル化が国家、地域(ヨーロッパ)、ひいては国際的なレベルまでに拡大されたので、それぞれのレベルで民主主義の必要性が高まった。発展する取引の自由化への速やかな移行が連邦首都のベルリンやEUの首都があるベルギーまたWTOの本部が置かれているジュネーブで進められている。しかしながら、これらの都市で組合、NGO、民主運動などの市民社会グループは産業のロビーと比べると情報の接触が少ない。効果的な参加というのはそれぞれが平等な情報をえられるだけではなく、重要な国際経済政策の決定過程においてヒアリングの権利と市民社会アクターの早期段階での参加が必要とされる。

しかし、グローバル化プロセスを民主的にするには途上国代表者と国際的制度において市民社会の質の向上が求められる。多くの場合これにはこれらの国で民主的な構造作りと十分な能力が必要となる。忘れてならないのは、民主主義には当事者性が必要だということである。効果的な政治参加に求められるのは、決定ができる限り当事者に近いところで行われ、必要に応じて国際的に行われることである。