ATTACニュースレター日本版2002年第47

Sand in the wheels

Weekly newsletter  n°156 – Wednesday 11 December 2002.

 

12月20日は鍋を叩いてデモを

CACEROLAZOS

「サンドインザホイール」(週刊)

20021211日号(通巻156)号

 

1220日アルゼンチン民衆に連帯するグローバル・アクション・デー

アルゼンチン危機は、1976年以降の軍事独裁政権とその後の各政権が実施してきた新自由主義政策の失敗を全世界に明らかにした。昨年(2001)1219-20日、アルゼンチンの人々は「もうたくさんだ」と叫んで街頭に出た。人々が非常事態宣言に抗して立ち上がり、大規模な反乱によって政府を倒した日から1年後、Attac アルゼンチンは他の諸個人、グループ、協同組合、社会運動と協力して、この闘争が孤立していないことを示し、私たちの世界の未来を取り戻すために、このグローバル・アクション・デーへの参加を呼びかけている。全世界のさまざまな都市で、アルゼンチンの状況を知らせるために、「フライパン・デモ」、街頭封鎖、民衆集会、映画の上映などのアクションを計画している。

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目次

1 除草剤耐性イネの開発、モンサントが日本で挫折Monsanto failed halfway in developing herbicide tolerant rice in Japan)

・・・これは、過去10ヶ月にわたって日本各地の消費者運動と有機農産物生産者の団体(148団体)による粘り強い戦いの勝利である(417)

2 WTO事務局は別の惑星に住んでいるIn need of therapy

WTO事務局は別の惑星に住んでいることがはっきりした。冗談が嫌いな人はこの記事を削除して、次のレポートに進んでいただきたい・・・(676)

3 富める者と貧しいもの(The Rich and The Poor)

所得と富の不平等な再配分について語るとき、私達はこの格差がますます広がっているという経験的事実を強調し、その理由を説明し、その行き着く先について考え、そして何よりも、遠吠えが好きな学者たちがそのような不平等を正当化するために考え出したデタラメなイデオロギーに反駁することを忘れがちである。私達の多くが、不平等は、どんな指標を取ってみても、世界規模でも地域的規模でも(貧しい国の中でも、金持ち国の中でも)際限なく拡大しているという事実を見過ごしている。(1524)

4 シアトル、ジェノバ、そしてフィレンチェSeattle, Genoa ... and now Florence)

反グローバル化運動の力学は弱まることがない。フィレンツェで116日から9日の間に行なわれた第1回ヨーロッパ社会フォーラムはこのことを非常に印象的に確認させた。50万人を越えるデモ--それはグローバル化を批判する運動の歴史の中で最大のデモだった--とともに、フィレンツェは将来、シアトル、ジェノバと同様に語り継がれるだろう。(1994)


[要約版]



除草剤耐性イネの開発、モンサントが日本で挫折

河田昌東(遺伝子組換え情報室)

 

本日、12月5日午後の愛知県議会で、愛知県総合農業試験場がモンサント社と共同開発してきたラウンドアップ耐性イネの開発に関する中村友美議員の質問に対し、愛知県農林水産部長は以下のように答弁した。「6年間の研究の結果、除草剤抵抗性遺伝子を導入した有望な系統を作出出来る見通しがたったので、平成15年(2003年)3月末日をもってモンサント社との共同研究を終了する。作出した遺伝子組換えイネについては、消費者に不安感もあり、商品化に必要な厚生労働省への安全性審査の申請は行わない」と。これは、過去10ヶ月にわたって日本各地の消費者運動と有機農産物生産者の団体(148団体)による粘り強い戦いの勝利である。日本の消費者は7月と11月、愛知県の名古屋で「遺伝子組換えイネの開発反対集会」を成功させ、短期間に全国から58万名の反対署名を集め、愛知県に提出していた。

 今日の県議会では、この運動に同調した中村友美議員の質問に、県当局がどう答えるかが焦点になっていた。

 この6年間、モンサント社は愛知県総合農業試験場に働きかけ、技術と研究費を提供して愛知県が従来の交配法で開発した「祭り晴れ」という品種にラウンドアップ耐性遺伝子を導入し、新たな遺伝子組換えイネを日本で開発し、大きな市場を獲得することを狙っていた。

これに対し、各地の消費者は日本人の主食であるコメに遺伝子組換えが行われることに強く反対し、協力して署名活動を展開してきた。

モンサントの除草剤耐性大豆はすでにアメリカで75%のシェアを占めるほどに拡大されてきたが、モンサントの次の標的は「コメ」と「小麦」である。どちらも世界で年間6億トンずつ生産され、アジアやヨーロッパの人々の主食である。この両者の遺伝子組換えは開発企業にとって第一世代遺伝子組換え作物の最終目標であり、開発に成功すれば莫大な利益が見込まれる。日本国内で最も開発の進んでいた愛知県における開発中止はモンサント社にとって大きな挫折である。この決定によって日本国内での他の企業や研究機関による遺伝子組換えコメの開発にも大きなブレーキがかかると予想される。

また、このニュースはアジアやヨーロッパで遺伝子組換えコメや小麦の開発に反対している人々にとっても大きな朗報である。

 



WTO
事務局は別の惑星に住んでいる

In need of therapy

By Peter Hardstaff

 

WTO事務局は別の惑星に住んでいることがはっきりした。冗談が嫌いな人はこの記事を削除して、次のレポートに進んでいただきたい。

数日前、WTO事務局はザンビアの通商政策に関するレポートを発表した。これを読むと、啓発されると同時に苛立ちを感じる。その中身を紹介する前に、ザンビアについていくつかの事実と数字を示しておこう。

ザンビアでは1992年から1997年の間に、最高関税レベルが100%から25%に引き下げられ、輸出入のライセンスと数量に関する一切の制限が廃止された。この期間に、工場の正規雇用の労働者は40%減った。

1990年から1997年の間のGDP成長はわずか1%で、人口増を考慮すれば1人当たり国民所得は2.4%の減となった。

1990年から2000年の間に、モノとサービスの輸入は37%から46%に増加、一方で輸出は36%から31%に減少した。

これらの事実を念頭において次を見てもらいたい。

まず、WTOのプレス・リリースから。

WTO加盟国は、20021023日と25日にザンビアの通商政策を検討した結果、ザンビアがさまざまな困難にもかかわらず貿易の自由化の努力を継続することを提言する」

・・・そのような政策の結果仕事を失った人たちにとって何と慰めになる提言であることか。

サマリー・レポートも同じ調子で書かれている。その冒頭はこうである。

1996年のTPR(通商政策検討)以降、ザンビアは1991年に始めた経済改革を継続してきた。近年、1990年代全体を通して改革によって自由化を進める強い努力がなされてきた。」

ザンビアはWTOからすばらしい信任を受けたわけだが、このレポートでは貧困について何の言及もない。レポートはつづけて「一般的に改革は、経済成長を誘導する環境を作り出し・・・」と述べているが、10年間ほとんど経済成長が見られなかったのに経済成長の土台を作ったと言えるのだろうか? ザンビアは「幸いにも」IMFの破滅的な処方箋に忠実に従い、債務援助を受ける資格を得る事ができた。しかし、レポートは「ザンビアのマクロ経済パフォーマンスは良くない」と述べる。徐々に、言いたい事は分かってきたが、パフォーマンスが悪いとはどういうことだ?そしてレポートは、「このパフォーマンスの悪さが、貧困を助長してきた。ザンビアの一人当たりの所得は2000年で302米ドルそして貧困ラインよりも低いところで生活する人々が91年に70%だった事に対し、最近では75%に達している。」「ザンビアの貿易体制の大幅な自由化に関わらず、探鉱、採石部門の業績不振と金融の問題のため、商品の貿易量の対GDP比は1995年の62%から2000年には54%に下がった(2001年には59%に上がると予測されている)」。

結論として、WTO事務局は次のように言う。「ザンビアは多国間におけるモノとサービスの貿易が低いレベルにあり、それを改善することによって、貿易体制が安定し、改革への信頼性が増すだろう。民営化を含む構造改革の継続、そしてさらなる関税の合理化がより資源配分に役立つ事となるだろう。このような努力がザンビアに投資をひきつける要因となるのである。」

ここではっきりさせておきたい。過去10年間の大幅な貿易の自由化は1人当たり国民所得の減少の要因となり、貿易の業績を悪化させ、そして貧困を助長した。

WTOにものごとの「原因と結果」を理解させるには、セラピーが必要だ。

 



富める者と貧しいもの

The Rich and The Poor

By Daniel Raventos and Andres de Francisco

 

所得と富の不平等な再配分について語るとき、私達はこの格差がますます広がっているという経験的事実を強調し、その理由を説明し、その行き着く先について考え、そして何よりも、遠吠えが好きな学者たちがそのような不平等を正当化するために考え出したデタラメなイデオロギーに反駁することを忘れがちである。私達の多くが、不平等は、どんな指標を取ってみても、世界規模でも地域的規模でも(貧しい国の中でも、金持ち国の中でも)際限なく拡大しているという事実を見過ごしている。極端な格差は世界を不安定で、受容できない恐ろしい場所に変えてしまう。

 

1998年、ディズニー会長のMichael Eisner57600万ドルを稼いだ。これは同社で働く労働者の平均賃金の25070倍にも及ぶ。同年、ビル・ゲイツは米国の45%の世帯の合計を上回る可処分資産を保有していた。

今日、米国で主要な購買力となる5%の家庭は国家歳入の50%を占める。また、同時に80カ国の歳入は10年前よりも低くなった。世界の半数は一日2ドルにもみたない生活をし、そのうち13億人は一ドルにも満たない。米国の経済学者ロバート・フランクは「人口の1%を占める金持ちが70年代中盤から生産された歳入の70%を保有する。」と言っている。歴史上これほどまでに、ほんの一握りの人たちがお金を持ち、これほどたくさんの人が貧困で苦しんでいる時は一度もなかった。

 

貧富差がもたらす影響

まず、この現状は人々を不安定な状態に置く。人々はそれぞれの程度において不安定な状態に置かれる。そして低い階級層がどんどん拡大する。この不安定は依存を生み出す。この依存によって自由が失われていく。それぞれの割合で自由が失われていくと、隷属的な状況を生み出し、やがては自尊心を失う事に繋がるのである。

次に、強大な富や権力が少数の者たちの手中に入るようになると、自分達の都合のいいように利益を得るように政治に影響力をもてるようになる。これは民主主義の希望を失わせ、市民社会の基礎的考えである、政治的平等を否定する事に繋がる。

最後に、極端な金持ちと貧困の格差は社会を分断する。そして仲間のつながりや敬意を喪失させる。

 

しかし、不平等を正当化する論拠はいくらでもある。まず、人は得られるものを得る権利がある。だから金持ちは富を享受する権利がある。貧しいものは適正や努力の欠如によって、社会的に金持ちと逆の運命を辿る。忠実で有能な労働者は仕事を続ける権利があり、仕事を失うものは失業と言う教訓を受ける。失業者が仕事を探す努力を怠り、柔軟性がなければ失業者のままである。それらを探す機会は五万とある。・・・こうした「能力」の観点からの正当化は、嘘であり、デマである。

不平等を正当化するための2つ目の論拠は、それが自由の代償であるということである。自由市場の法則によってコントロールされ、選択の自由は侵すことの出来ない原理として守られている世界の中で、再分配と平等化を強制することは個人の自由を制限し、選択の幅を縮めるというのである。しかし、不平等とはもっと奥深く、劇的なものである。決定すること、行動する事、そして拒絶する事などの自由を失うということは、明日をも分からない、不安定な仕事を持ち自らの収入で生活する事が困難な労働者が体験するものである。それはまた、夫から抑圧されたり、暮らしの中で機会を奪われる女性であったり、失業者であったり、慈悲を受けながら生活する貧困者であったり、ボスのいのままに使われる自由を奪われた従業員であったり、枚挙に暇がない。現代社会は根深い問題を抱える。自由の損失。なぜなら、資源や富が残酷に、不平等な形で分配されるからである。

不平等を正当化する3つめの論拠は、政府の責任を問題にする。政府の野心的な政策は個人の発展の機会を阻害する。例えば、社会的不平等の大きな原因である失業は、労働市場の規制緩和と雇用者が設備を増やす事で防げるかもしれない。雇って、首にする。もし政府が表向きに生産性と、税の削減や、交際費の削減、民営化またゼロ債務予算政策など、企業の競争を促せば雇用を創出し、富を増やす機会はあると思われるかもしれない。しかし、政府が労働市場の規制緩和政策をより促進し、財政上のインセンティブをより行なえば、より不平等を助長すると言う事が真実であるように、この不平等の正当化はデマである。

不平等格差の背景とはなんであろうか?不平等格差の原因はいろいろ挙げられるが、疑いの余地なく、その本当の理由は実際にある資本主義モデルの成長と開発、そして現在の反社会的私的財産モデルであろう。資本主義は生産方法の一つであり、不平等格差を広げ、労働と資本の不均衡を助長する。そしてそれは、経済と社会権力の巨大な集中を意味し、民主主義的コントロールを超えるだけでなく、特権や一部の利益のためにある制度と政治を行なう為のものである。これに代替する方法が必要である。ある人はゆっくりとした資本主義化と言うかもしれない。その代替案は社会共和的なモデルがいいのではないだろうか。代替案は、経済政策に対する社会の民主主義を復活させ、また多くの個人が自らの生活を取り戻すことができる、自治が必要なのである。

 



シアトル、ジェノバ、そしてフィレンチェ

Seattle, Genoa ... and now Florence

By Peter Wahl(ATTACドイツ)

 

反グローバル化運動の力学は弱まることがない。フィレンツェで116日から9日の間に行なわれた第1回ヨーロッパ社会フォーラムはこのことを非常に印象的に確認させた。50万人を越えるデモ--それはグローバル化を批判する運動の歴史の中で最大のデモだった--とともに、フィレンツェは将来、シアトル、ジェノバと同様に語り継がれるだろう。参加者の約三分の二は若い世代であった。

フォーラムだけで当初2万人の参加が見込まれていた。しかし、2日目には既にこの2倍の人が、そして最終的には6万人が参加することとなった。

しかしながら、ESFがすごいイベントとなったのは数だけの事ではない。まず、運動が暴力による混乱を克服し、戦争と平和のテーマに対する橋が見事にかけられ、政治的多元性と広がりが大きくなった。しかし、一方で、ESFは反グローバル化運動の問題と欠陥を浮き彫りにする形となった。

 

暴力をめぐる混乱を克服

ジェノバ会議以来、運動が暴力の影から表出してきたが、フィレンツェのフォーラムは国家による挑発でもなく、小さなグループにより暴力の機会を狙われたと言うものでもなく、どのようなときに多くの人々が結集するか今一度示している。

ベルスコーニ政府は、ESFが開催される前に、混乱を挑発するためにあらゆる手段を取った。国内の政治問題から目をそらさせるためには、「ジェノバの再現」は絶好のチャンスだった。ベルスコーニはルネッサンスの都市の芸術作品がタリバンのような暴徒によって破壊されると宣伝し、ESFの禁止を口にしていた。しかし、デモは「ブラックブロック」のようなグループの介入もなく、好戦的な傾向があるグループも規律ある態度でデモを行なった。フィレンツェは、暴力を通してしかメディアの注目を受けられないという議論を崩した。

 

戦争反対

ESFの最大のテーマは戦争についてであった。一般的な武装反対の外交政策と特にイラク問題に関しては全会一致であった。この方針は重要で正しいものだと言えるが、ただリスクを伴うものである。例えば、戦争という対立の影にネオ・リベラルの方針が隠れてしまい、批判的な声が完全に消えてしまう。これはまさに武力の社会政治的影響であり、敵のイメージを作り出し、また他の脅威となるシナリオを描く事で国内の問題から注意をそらすのだ。その典型が米国である。

一方、ネオ・リベラルなグローバル化の危機を受け入れる事は、本質的な機能危機へとなっていく。株式市場の崩壊、新経済の終焉、巨大企業の会計スキャンダル、アルゼンチン危機でIMFがとった消極政策、そして多くの地域経済のデフレ的開発などは氷山の一角である。ゆえに、反グローバル運動と平和運動がそれぞれ対立するものと考えず、むしろその両者の関係を明確にすることが重要である。

 

複数主義と幅広い結集

こうした運動が増加しているという事は、政治的多元主義が進んでいると言う事である。地域社会フォーラムにはATTACを始め、労働組合、平和運動、NGO、多様なグループ、グリンピース、PCI、アムネスティー、ゲイ・レズビアン、カトリック・ナン、イタリアのグリーン、キリスト教ボーイスカウト、共産主義再建派の代表や、フィレンツェ市長などが集まった。

共産主義再建派は約100000人のメンバーを擁し、このフォーラムとデモの準備と実現に中心的役割を果たしたが、一度も他者に地位的圧力をかけることはなかった。社会運動を政党の政治的道具として使用せず、自制を持っておこなったことが成功の秘訣となったのは明らかであろう。

 

民営化とGATSに対する闘い

二つ目の重要なテーマは教育から保健、年金に水道、エネルギーと交通と言った、公共サービスの民営化である。この問題はEU全体でもますます深刻になっている。WTOGATS)で行なわれるサービスの自由化についての協議はこれに深く繋がっている。ベルギーを中心にイニシアチブを取るヨーロッパ・キャンペーンを始める事が決められ、まず20033月末にアクションを起こすことになる。それまでにWTOは、各国が自由化のオファーと要求を提出し、協議の段階は終わっていることになるだろう。

 

ドイツからの参加

500から700人の参加者がドイツから集結した。そのほとんどがATTACに所属している。VER.DIの旗も見られ、またIGMetalも代表として参加した。その他、NGO、社民党系の団体、グリーン等も参加した。

社会運動と政党の関係について言及する為フォーラムに参加した、Christian Strobeleは、自らの政党を非難し、グリーンと社会運動の協力関係を抗弁した。VER.DI議長のBsirskeは保健制度改革に関る事業の為直前にキャンセルした。しかし、今後の参加に意欲があることを明らかにした。要するにドイツからの参加は少なく、準備段階でも大きな取り組みが行われていない。・・・国のイメージが問題なのではない。ドイツにおけるグローバル化批判の運動はEU最大の社会運動を国際的な運動に統合する責任があると言うことである。

 

問題

全体的な進展はポジティブであるが、見過ごせない問題や欠陥も浮き彫りになっている。ネオリベラリズムに対して代替コンセプトを発展させる力がフィレンツェで現れてこないのである。穏健な改革の実現をめざす個別課題的アプローチと、価値観を前面に押し出した全般的アプローチが並存している。その典型がジュビリー・キャンペーンである。それは、貧困国の債務の削減を探るものと、一方で、債務の完全そして無条件の取り消しを求めるものである。しかし、どちらもアルゼンチン危機の時、解決策として取られなかった。

新しい活動が主に若い人たちによってなされたことは、一つの大きな力となりうる。しかし、産業国の統計学に立ち、若い人が構成要素のマイノリティーであると言う事を忘れてはならない。この運動を若い人たちだけのものに限ってしまってはならないのである。

若い人が先導する運動はよく言葉が攻撃的になりやすい傾向があり、歴史的な社会運動でも評判が良くない。確かに現在の問題は伝統的な考え方から見る必要もある。ネオリベラリズムの危機は問題に深く触れる代替案を必要とする。必要なのは社会批判の革新的な答である。「解決策は1つしかない、革命である」という、使い古されたスローガンは何ももたらさない。逆に、セクト主義に陥りやすいのだ。

最後に私達はフィレンツェとイタリアの成功をそのまま他の国に波及させようとすることには慎重でなければならない。フィレンツェの成功は特にイタリア国内の条件に負うところが大きい。とくに、次のような条件である

 イタリアの左翼は他のヨーロッパ諸国のそれらと比べて一般的にとても強力である。

 ベルスコーニとの闘いが一定期間続いており、すでにゼネストに向かっていた。

ベルスコーニの親米的な姿勢が、左翼という枠組みに留まらない広範な反発を呼んでいる。

フォーラムの前日に、ベルスコーニは議会に、裁判官選択の自由の法案を提出し、保守派でさえもこれを拒絶した。

・ 「ジェノバの再現」という宣伝を通じた心理戦が、反発を招いた。

これらの条件が全て、他の国にも当てはまるわけではない。だから、「ドイツ社会フォーラム」というのは、まだ時期尚早である。政治的条件が整っていない。