ATTACニュースレター日本版2002年第36

Sand in the wheels

Weekly newsletter - n°145 – Wednesday 18 September 2002.

 

コペンハーゲンでASEMサミット

A Summit in Copenhagen

 

「サンドインザホイール」(週刊)

2002918日号(通巻145)号


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目次

○お知らせ:11610日にフロレンスで開催される欧州社会フォーラムでは、ボランティア通訳募集中。詳細・申込書はwww.fse-esf.org/babel/babelen.rtf もしくは www.fse-esf.org/babel/babel-en.zip にあります。

1.市場の権力と無力Power and helplessness of the market

グローバリゼーションを「世界中のサービス、労働、技術、資本の移動の増加」と捉える人もいる。グローバリゼーションは今に始まったことではないが、その速度は特に電気通信の分野での新技術の到来により加速されている(1500)

2.アジア欧州ビジネスフォーラムAsia Europe Business Forum

92324日に、デンマーク政府は同国が欧州連合(EU)の議長国を務める期間中に開催される数少ない国際サミットの1つを主宰する。ASEM(アジア欧州会議)は1996年から2年に一度開催されてきた。同会議にはEU加盟国以外にアジア10カ国(中国、日本、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ブルネイ、韓国、タイ)が含まれる。91922日にATTACデンマークは「欧州とアジアの運動の連合」および「人々のASEM4におけるNGO」に参加する。これは企業支配に対して闘う4日間となる。www.asem4people.dk(1377)

3持続可能性へのカギとなるつのステップThree Key Steps to Sustainability

ヨハネスブルグ・サミットが達成できたことは非常に少ない。重要な決定を下す人々が社会・環境より経済的ゴールを優先させることを考えたからだ。しかし「成長という幻想(The Growth Illusion)」の著者Richard Douthwaiteは、国内および国際通貨システムに3つの大きな変更を加えれば、将来人々と地球を優先させることが可能になると話す(6598)

4.持続可能な世界は可能で、必要で、緊急を要するA sustainable world is possible, necessary and urgent

・・・だから私たち世界議会フォーラムは、「リオ+10」に10の要求を提案し、議会活動の中でそれを擁護・支持する。経済成長は持続可能な開発のゴールの達成に貢献する可能性はあるが、持続可能な開発の目的は経済成長そのものではない。目的は、人々の進歩、尊厳、生活の質向上、社会的な内部化と環境保護である(1498)


[要約版]

市場の権力と無力

Power and helplessness of the market

ヘアート・ロフィンク(Geert Lovink

 

グローバリゼーションを「世界中のサービス、労働、技術、資本の移動の増加」と捉える人もいる。グローバリゼーションは今に始まったことではないが、その速度は特に電気通信の分野での新技術の到来により加速されている。90年代始め、「グローバリゼーション」という表現を聞いたことがある人はわずかだったが、23年で冷戦後を説明するのに最も頻繁に使われる言葉となった。この言葉は、グローバリゼーションを1つの過程として表す。それは固定した信仰のシステムやイデオロギーと見られるのを嫌う。グローバリゼーションは、私たちがその輝かしさとスピードを賞賛することを好む。カール・マルクスはすでに19世紀に資本主義のダイナミックな性質を「堅固なものが全て泡と消える」と表現している。この流れに逆らうのは難しい。一片のテクノロジーの中に凝固している企業資本主義の要素を認識するのは困難な課題である。Francis Fukuyamaの「歴史の終焉(The end of History)」は自由市場経済+代表制民主主義が無敵で揺るぎないシステムの勝利であることを表現している。見かけは劇的だが実際は「新自由主義」政策の蓄積を説明しているだけだ。Corpwatchのウェブサイトには、グローバリゼーションに関するポイントが並べられている。市場ルール、社会サービス用の公共予算の削減、貧困層のセーフティネットの縮小、規制緩和、民営化、「公共のもの」や「コミュニティ」というコンセプトの撲滅、これらコンセプトの「個人の責任」への置き換え。新自由主義は世界中で、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、米大陸のための開発銀行などの強権な金融機関を通して進められてきた。その最悪の影響はメキシコでも見られた。NAFTAの自由貿易協定後、最初の年に生活費が80%も増加、収入が4050%も縮小した。2万の中小企業が閉鎖、1000の公共事業が民営化された。

この言葉(グローバリゼーション)はまた、(見知らぬ人間による)権力の執行に対する恐怖を表現するのに使われている。だからフランス人は国内映画産業について心配し、日本人は日本のコメ生産者を保護する。富裕な西の国々では、第二次世界大戦以降発展した福祉国家モデルの下での社会的・文化的一体性を喪失し始めた中流階級によって、グローバリゼーションが議論されている。多くの「反グローバリゼーション」活動家は国民的課題を掲げるが、近い将来に国家の権力が復活する可能性はほとんどなさそうだから、その多くは達成できないだろう。

 過去に災害をもたらした国粋主義に戻ることは前代未聞の後退だ。多くの学術的な研究、またそれを加工する新聞・雑誌は、国家に資金援助された企業の新自由主義によって放たれたグローバルな展開の多様さと複雑さを追うという困難な役割を負わされた。グローバリゼーションに関する研究は、国際貿易の管理制度、地球温暖化、移民の移動パターン、グローバル都市の出現、AIDSの拡散、労働条件、環境破壊、技術利用の調査、コンピュータネットワークと変化していった。歴史を振り返り国際的資本主義の起源を辿る人もいれば(Immanuel Wallersteinの「世界システム理論(World System Theory)」)、現実の労働者の労働条件とインドの地域本来の姿を集中して調べる人もいる(Vandana Shiva)。グローバリゼーションの理論の多くでは、新自由主義的グローバリゼーションへの抗議行動もそのプロセスの一部だという。

 Thomas L. Friedmanは、その著書「レクサスとオリーブの木(The Lexus and the olive Tree)」でこのシステムへの反発を描く。彼は国際的資本主義が抑圧的で人間性を喪失させ、あまりにも多くの人にとって不公正であること(そうであるがゆえに常にそれを正当化する論理が持ち出されてきたこと)に気づいていた。「進歩」により被害を受けた人による「抵抗」は、Friedmanらにとって理解できた。これまで保守的自由主義者らは「善良な」市民階級の不確かさを無視してきた。Friedmanは勝利した言説の移行、つまり「不可避のステップ」という鉄の論理をふりかざす議論から、メディアを使った、より戦略的で慎重な議論-賛成・反対という言語-への移行を体現した。年老いたFriedmanは「台湾は買い、イタリアは所有し、フランスは売る(Taiwan buy, hold Italy, France sells)」(anno 1999)で、もはやIMFWTO(世界貿易機関)の「黄金の強制力を持つ背広」が歴史的必要性を失ったことを祝った。その代わり、911後ブッシュの教義を売る信徒となった米国は、保護主義と一国主義的政策が90年代のグローバリゼーションのレトリックと矛盾するため、困難に陥っている。昔ならEUの農業補助金を批判するのは容易だった。ブッシュは農民と鉄鋼所に何百万、何十億ドルもの補助金を与える決定を下している。Friedmanの「レクサスとオリーブの木」の「合理的な富裕(rational abundance)」の章では、「ドットコムマニア」の出現と、エンロン、アンダーソン、グローバルクロッシング、ワールドコムの崩壊、それに続く米株式市場の下落に、米国のビジネスジャーナリストとビジネス作家がどう関わったかを明記している。Friedmanや多くの近代の解説者にとって、市場は拡大するしかなく、危機も景気後退もなく、可能性は減少しない。しかしこのようなシナリオはグローバリゼーションにはなかった。富裕への近道という公式は全ての人に適用するはずだったが、富裕な人はより富裕になり貧困な人はより貧困になる世界的な統計の現実は、新自由主義の従者が持つ世界の展望とは違った。市場は社会を公平にするシステムとしては完全に失敗した。権力と収入の再分配はない。ロシア、中国、インド、東南アジアに見るように、新たな腐敗エリートができるだけだ。市場の勝利の物語の代わりに、暗い現実主義であるRobert D. Kaplanの「到来するアナーキー」を読むほうがためになる。戦時には、疑い深い現実主義者に従う方がよい。グローバリゼーションは理想的なヘーゲル派哲学の信奉者の構造物であることが多すぎる。

 Kaplanは、冷戦後の時代が全ての人々に民主主義と幸福をもたらすとの考えを否定した。「私たちの勝利は生存競争の新たな戦いへと道を開く。そこでは第一次、第二次世界大戦後と同様、悪魔が新しい仮面を被っている」と彼は書く。彼が批判しているのは、世界を中立的な専門家と呼ばれる人々(技術者、法律家、社会学者など)が乗っ取ることだ。彼は、世界は完全に政治的で、「技術的専門家」によって統治されることはできないと考える。Samuel Huntingtonsの「文明の衝突(clash of cultures)」は正反対の主張だ。この近代文化主義者にとってのバイブルは鋭い政治的分析に欠けた間抜けな保守主義だ。911は世界を「平和という危険」から守った、とKaplanは振り返る。彼が1999年に執筆した「到来するアナーキー」からは、FriedmanFukuyamaや、他の市場人民主義の世界リーダーからよりも、911後の世界を理解するための多くの要素を読むことができる。市場主義的ポピュリストたちは、なぜ経済的合理主義がパレスチナ問題、イスラム原理主義、反企業の抗議行動をもっと前に解決できなかったのか不思議に思うことしかできない。[筆者は、メディア理論家、ネットワーク批評家]




アジア欧州ビジネスフォーラム

Asia Europe Business Forum

by Kenneth Haar

 

A.コペンハーゲンでのASEMサミットの議題の一つはWTO

92324日に、デンマーク政府は同国が欧州連合(EU)の議長国を務める期間中に開催される数少ない国際サミットの1つを主宰する。ASEM(アジア欧州会議)は1996年から2年に一度開催されてきた。同会議にはEU加盟国以外にアジア10カ国(中国、日本、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ブルネイ、韓国、タイ)が含まれる。同会議は対話のためのフォーラムであり、貿易分野の長い合意をしたためるフォーラムであるべきではない。2000年にソウルで開催された前回のサミットでは、南北朝鮮の関係が大きな位置を占めた。コペンハーゲンでは、対テロの闘いがある。しかしASEMの原点はEU・アジア10カ国間のさらなる経済協力である。ASEMプロジェクトの最初の段階でのアジア10カ国に対するEUの関心は、経済的な意味でEUの「弱い足」を強めることだった。アジアは90年代に多国籍企業の投資の磁石だったが、欧州の国々は出遅れていた。欧州委員会全体としては将来重要なのはアジアだとの意見だが、いまだ南米への投資がアジアへの投資より多い。このためASEMでの最も重要な議論は、アジアの外国投資家の扱い、両サイドの企業間の協力、関連した経済的課題などになるだろう。

 

B.東南アジアの金融危機

1996年には東南アジアは外国投資家にとって非常に魅力的だった。「虎」の経済であるタイ、韓国、インドネシア、マレーシアは想像を絶する可能性を提供するかに見えた。その夢は1997年秋の金融危機で吹き飛んだ。このため翌年のロンドンのASEMサミットの大きなテーマは、協力によってこの危機にどう対処するかだった。EUは、IMFの改革プログラムが危機を悪化させ、最貧困層に打撃を与える改革の実行を求めたことで厳しく批判されていたにも拘わらず、同4カ国をこのプログラムに追従させることに全力を注いだ。200010月のソウルのASEM会議は、WTO交渉の瓦解の陰で行われた。シアトルでのWTOサミットでEUは、他国と並んで欧州の国々が他国に投資しやすくする投資自由化の合意を主張した。多くの途上国はこの動きが外国投資家の行動に対する規制を減らすと考え反対した。マレーシアなどアジアの国々も反対した。そのためEUはマレーシアに圧力をかけるためにASEMを利用しようとしたが失敗した。

 

C.締め付け

WTOはコペンハーゲンのASEMでもテーマとなる。WTOの状況は、EUが勝利を半分手にした200111月のドーハのサミットで変わった。EUは、EUWTOの権限下に置きたがっている投資、競争政策、公共投資の分野について交渉をすぐに開始したいのだ。EUの目的は非常にストレートである。要するに、EUは外国投資家に対して今後適用できないようにするべき規制のリストと、収益率を保護するための「投資保護」措置のリストが欲しいのだ。EUはドーハでその全てを得ることはなかった。加盟国間でコンセンサスが取れたら、次期WTOサミットで交渉のガイドラインを作成することだけが決まった。コンセンサスに達する方法の一つとして採られる「途上国への締め付け」は、批判的な目撃者がよく目にするものである。だから、全ての国が次期WTOラウンドで提出される交渉手順についての提案に対して、合意を文書で表現しなければならないという取決めは意味がある。投資政策はEUにとって非常に高い優先事項だから、EUはやきもきしている。EU1998年にMAI(多国間投資協定)合意が頓挫した時から、投資自由化を勝ち取ろうと闘ってきた。欧州委員会はドーハのアジェンダが、メキシコのカンクンの次期WTO閣僚会議後にこの分野の交渉開始を約束したかのように振舞っている。しかし舞台裏では、マレーシアのような国が交渉を阻止する可能性が、EUの戦略の中の大きな位置を占めているに違いない。

 

D.コペンハーゲンでのサミット

外務大臣によると、コペンハーゲンでのサミットでWTOについて話し合われることは不可避だという。最近の欧州委員会のASEMに関する調査報告書では、WTO下で議論中の議題として、投資自由化が触れられている。またEUWTOASEMのアジアのパートナーと密に協力しようとしている。もしEUASEMで足並みをそろえられれば、WTOが世界的な多国籍企業の利益拡大に資する役割を強める日は遠くないだろう。

 

E.多国籍企業は傍聴から積極的介入へ

23日前、ASEM国首脳がコペンハーゲンのホテル・マリオットでアジア欧州ビジネスフォーラム(AEBF)を開催し、ここには91820日に欧州委員のパスカル・ラミー、WTO事務局長のスパチャイ・パニチャパック、デンマーク統合省のBertel Haarderなどが訪れる。AEBFは公式の場で設置された、ASEM国の多国籍企業のリーダーを集める場で、ASEMプロセスの一部である。ASEM国政府から金銭的、政治的サポートを受けている。諮問機関として公認されており、例えばASEM国の経済相間の会議に参加でき、これによって国の首脳によるASEM会議のアジェンダに影響を与えることができる。AEBFのメンバーはこの取りはからいに不満で、最近は首脳会議に直接参加できないことに苦情を言っている。EUにとって、ASEMプロセスに産業界を統合させることは非常に重要である。例えば最近の欧州委員会の調査報告書では「ビジネスが活動の原動力となるよう、また産業からより焦点を絞った実践的な勧告を得ることができるよう、ASEMの経済対話の調査グループから閣僚レベルまで全てのレベルで双方向のフィードバックに」経済の担い手がより積極的に参加するよう促すことが必要だと述べている。政治的リーダーが産業からの財政的有力者に積極的に働きかける様子は、社会的対話や社会的側面を求める声(ICFTU:国際自由労連)に対する対応とは対照的だ。ASEMとの6年間の交渉の末、NGOと社会運動はASEM国の政府高官との非公式な会議を期待できるくらいで、またICFTUからは23人の代表がAEBFに参加できるくらいだ。

Kanneth Haar91922日にATTACデンマークは「欧州とアジアの運動の連合」および「人々のASEM4におけるNGO」に参加する。ATTACデンマークの企業支配に対して闘う4日間の詳細は、www.asem4people.dkへ。】




持続可能性へのカギとなる3つのステップ

Three Key Steps to Sustainability

リチャード・ドゥースウエート(Richard Douthwaite

 

 持続可能性は二つの時間的枠組みの中で達成される必要がある。一つ目は短期的、経済的な持続可能性。今夜の食事、労働者の週末の賃金、半年後の金利の支払いが確保される必要がある。二つ目はそれほど緊急ではないが必要性は変わらない。自然環境の保護、資本設備、建築物、インフラの維持、家族、友人関係、隣人関係などの社会的構造の保持が必要である。残念ながら、短期的な持続可能性の達成が、長期的なそれを犠牲にすることが多い。理由の一つは、長期的な持続可能性が私たちに寛容すぎるため、自身が非常に傷ついてからやっと私たちに振り返って経済的な妨害を与える。私たちは彼らの忍耐力を利用して、なるだけ彼らを無視し、生活スタイル、経済、会社、政治を、彼らを無視するように組み立てている。危機が起きてからやっと習慣を変えようとするがもう遅いかもしれない。これは歴史にも見られる。メソポタミアでは、環境(インダス渓谷とメソアメリカの森林)を破壊したため文明が崩壊した。ソビエトもローマ帝国も同様だ。イースター島の人々はカヌー用の木を全て切ったため常食の魚の代替品を求めて人食に至った。ニュージーランドのマオリ族は飛ばない12種のモア鳥を絶滅させたため人食に至った。今日と過去の違いは、それが地域やその一部ではなく世界中に影響を与えることだ。コメンテーターの中には人口の劇的な縮小を警告している人もいる。人々が大災害の警告を聞き、その回避のために生活スタイルを変えたという歴史を思い当たるのは難しい。しかし今度こそ、短期的な持続可能性と長期的な持続可能性を達成するための資源・意志を維持できる経済システムに改革する方法を見つけ、生活を変えるチャンスを増すことができるだろうか。

現在政府は、経済成長率、国際収支、財政の健全さ、インフレ率という4つの短期的な指標に従い経済の持続可能性を維持しようとしている。これらがなぜそれほど重要なのかを考えてみよう。そうすれば、これら指標をそれほど重視しなくてもいい方法があるかどうかを知ることができる。世界で最も広く使われる経済持続可能性の指標は国の収入増である。これは、国の経済のうちお金を介した取引の量が増加した割合で、普通年単位で表すものだが、それ以上の意味がある。その経済の中での増収を見るのに最適なため、投資家にとって魅力がある経済かどうかを見る指標になる。その年に成長がなければ、前年の投資は利益を生まなかったことになる。それどころか投資の資金調達のために借金した場合利子を支払う必要があるため、前年に比べ減収となるのだ。減収と、前年の投資が使いこなされなかったことで、企業は次年の投資を控える。これは深刻な結果をもたらす。OECD国の経済では普通、GNPのうち16%(スウェーデン)〜27%(日本)が投資され、次年に経済成長すると期待されるプロジェクトでは同様の割合の労働者が雇用される。予想された成長が達成できず次の投資が取り消されれば、多くて国の4分の1の労働者が職を失う。貯金か社会保険に頼るこれら新たな失業者は消費を大幅に減らさざるを得なくなるため、他の労働者の仕事がなくなる。一連の仕事の喪失が他の仕事の喪失を導き、経済は下向きの螺旋に陥る。政府はこの状況を恐れ社会・環境破壊はともあれ経済成長を続けるよう産業界と行動を密にする。

政府が経済成長を今ほど考えず、長期的な持続不可能性の問題に取り組む必要がある。では成長と雇用の間の繋がりをどう断ち切れるか。どうしたら政治家と一般の人々が成長率を気にしないで済むか。結局、無限の成長は有限の世界では不可能で、経済システムが持続可能と言うためには崩壊する前に成長を止める能力を持つ必要がある。とはいえ、投資の停止により経済が内破する主な理由は、仕事の喪失でも消費の低迷でもない。よく機能した市場経済では余剰資源は他分野に自動的に再配置されるはずである。しかしこのことは現在の経済システム下では起きていない。投資の減少に従い資金供給が縮小し、その経済の他分野の取引も以前のレベルで行なわなくなり、新たな余剰労働者を雇用することができないからだ。つまり、状況が厳しくなれば消えてしまうお金よりも、安定した貯金が必要なのだ。

 お金が消えるのは、私たちが使うほとんど全てのお金が、銀行が与えるローンを個人や企業が使ったときにだけ手に入るからだ。ローンを使ったときに借り手はお金を生み、ローンを支払い終わるとお金は消える。その結果、人々が新たに使うローンの価値の合計より多くの価値を返金すると、投資された国の収入の割合が減ったときと同様に、循環しているお金の量が減る。するとビジネスを行うことが難しくし、余剰労働者が解雇され、さらなる借金に必要な楽観志向が崩壊する。例えば、十分な人口がローンを組むのを躊躇したり、家の値段が下がりそうだから住宅ローンを今組む必要はないと考えたら、それは集合的には現実になる。借金を引き伸ばすと、循環に入るお金の量が減り、住宅市場の買気が下がり、結局その物件をすぐ抑える必要はなかったことになる。ビジネスでも同様で、十分な数の企業が将来の展望を疑い、拡大のための借金をしたくないと考えれば、その判断は正しかったことになり、実際追加設備の投入の必要はない状況になる。このメカニズムは逆にも働く。人々が楽観的で借金を増やせば、彼らが投入した追加のお金がビジネスの量を増加させる。企業は自社の容量に制約を感じるし、年末収支では増収に気づく。循環に投入された追加のお金がシェアされたからだ。そこで拡大のためにお金を借り、それが他の企業の仕事を生み、その企業も最大生産量に達して拡大のためにお金を借りる。

 このような貨幣システムの作用により、近代の経済は常にバブルとその崩壊を行き来している。心地よい「中間」は非常に短期間だ。バブルのときは借金がさらなる利益を生み、また借金するという好循環が生まれ、危険はインフレだけである。バブルの崩壊では、縮小がさらなる縮小を呼び悪循環となる。政府がバブルによる過度のインフレ誘発を防ぐのは非常に難しい。借金を阻止するための金利の引き上げは、経済に大きな打撃を与えるため非常に乱暴なツールだ。しかも経済が上昇しているとき、大口の仕事を急く顧客を持つ企業が12%の金利の上昇をどれほど気にするだろうか。つまり効果を上げるためには金利の大幅な引き上げが必要になる。特に5%のインフレがあれば、その分金利の効果は下がる。しかし中央銀行が金利を上げすぎれば、多くの潜在的な借り手を怖がらせて経済を急降下に陥れることになる。経済が下降しているとき金利の効果はさらに下がる。すでに自社工場に余剰の容量があるとき、市場が転換してすぐバブルが到来するという自信がない限り、金利が低いという理由だけで拡大する必要があるだろうか。金利はマイナスにはならないから借金を促す方法としては限度がある。状況が悪化して2001年の日本のように商品とサービスの価格が下がれば、実質の金利を押し上げる。この場合、企業は大規模な補助金を与えられ投資を促される。またはケインズ学派の政策のように、政府は自ら投資(借金して費やす)する。日本政府は90年代始めに土地と株式のバブルがはじけた後これを試みたがほとんど効果はなかった。2001年には、多くの使われない道路、橋、港、空港が建設され、国の収入に対する借金の割合が膨張し、信用格付け会社が日本政府の債務をボツワナより低く格付けした2002年には、さらなる国債の見通しは制限された。景気後退から経済を引き上げることが非常に難しいため、各国政府は環境や社会への所得の分配に与える打撃に拘わらず、経済成長の維持のために何でもする。エドワード・ヒース元英首相は、「拡大に代わって到来するのは草原を平和に走る電車で繋がった市場町のあるイングランドではなく、スラム、危険な道路、古い工場、窮屈な学校、苦難な生活だ」と述べた。

■ステップ1 借金ベースのお金の君臨を止める:現在の銀行による借金ベースの時間制限を持つ貨幣を、永続的なお金の貯蓄に置き換えれば、経済が下降し人々が借りる自信をなくしても売買の方法を失わずに済む。お金の貯蓄は一定のレベルに保たれ、潜在的な購買力を保つことができる。これが下降を制限し、回復を容易にする。永続的なお金はどのような形態を取るか。金貨や銀貨は過去に永続的なお金の貯蓄を提供したが、昔に戻る必要はない。借金ベースのお金では、人々の口座の負債の総合計がローンの合計と同じになる。つまり永続的なお金の貯蓄を達成するには、単に対応する借金を生み出さずにローンを生み出せればいいのだ。James RobertsonJoseph Huberは著書「新しいお金の創造(Creating New Money)」(2000年)でその方法を提案している。商業銀行に裏書きされたお金を、政府が循環の中に支出していくお金に少しずつ置き換えるというものだ。これにより、政府がお金の貯蓄の規模を容易にコントロールすることができる。成長を確保するために投資を促す必要はなくなる。失業が問題になり始めたら、政府は支出を少し増やせばいい。価格が過度に上昇したら、支出を抑えるか増税してシステムの循環からお金を引き揚げればいい。このシステムは成長を強制する必要をなくし経済的安定をもたらすが、さらにもう一つプラス面がある。成長経済では、減税と高い公共サービスは両立しない。しかし、19981月〜19991月に、イギリスで商業銀行に裏書きされたお金の供給は526億ポンドだったのだが、政府が銀行の借り手の代わりにこれを作って支出すれば、15%以上の減税が可能だったはずだ。HuberRobertsonは、政府が循環の中にお金を支出し始めれば、銀行はその権限をローンの仲介業者だけに制限されるべきだと提案している。つまり一連の顧客からお金を得て他の顧客に貸すだけだ。これにより銀行がお金の創造の裏書き業務のために得る巨額の補助金を止めることができる。RobertsonHuberは、1998年〜1999年にイギリスの銀行がこのために得た補助金は210億ポンド、米国では370億ドル、ドイツでは300億マルクだと見積もる。この金額は、銀行の費用負担を国が引き取ることで銀行に異常な利益を与え、各国経済の機能を歪めている。

 現在のお金を生み出すシステムの深刻な欠点のいくつかは以下の通りだ。▼1.このシステムは成長を強制し、各国が安定した持続可能な経済を作るのを不可能にする 2.このシステムは非常に不安定でインフレのバブルからデフレのバブル崩壊へと振れる傾向にある 3.これら急激な変化はコントロールするのが非常に難しい ▼4.銀行業務システムは巨額の補助金により利益を得ており、これは資源の間違った再分配を導く。▼5.税金が必要以上に高い ▼6.現在の通貨システム機能を維持するためには銀行による巨額の貸し付けが必要なため、銀行が経済の発展の仕方を決める。強いキャッシュフローを持つか大きな担保を持つ者に都合のよい基準に則って、誰が何の目的で借りることができるかを銀行が決める。結果として、現在のシステムは富裕な人々や多国籍企業に都合がよく、小企業やより貧しい個人を排除する。だから、永続的なお金の貯蓄を循環に入れることは、持続可能で公平な経済システムを作るためのカギとなる最初のステップである。これにより成長率が重要ではなくなり、商業投資の継続的な流れを確保するためには何でもするという目標を超えた、他の目標を政府が自ら立てることができる。

 他の3つの短期的な経済持続可能性を見る指標は、成長に影響を与える要素に追随しているため、成長を達成する道標として使われているが、成長の達成が重要ではなくなったからといってこれらが無視されるわけではない。これら一つ一つを見ていく必要がある。

 まず、国際収支。ある国が輸出よりも多くの価値の商品・サービスを輸入する傾向にあると、この国はこの状況に2つの方法で対処できる。一つは、貿易相手国の通貨に対して自国の為替相場を下げることで輸入が減り(自国の市民がより多く支払う必要が出るから)、輸出が増える(相手国にとって輸入がより有利になるから)。これによりアンバランスを正すことができる。もう一つは、その国が外国投資を誘致するか外貨を借りて過剰の輸入を買い取ること。この場合、為替相場を調整する必要はなく、これは貯金している人にとっては、インフレで貯金が減る心配がないため都合がよい。しかし為替相場が外国資本の流入によって高く保たれることは、他の人には望ましくない影響を与える。例えば、その国の輸出業者が稼いだ外貨を両替するとき得られる自国通貨が減るため利益は減少し、業者によっては貿易業務全体の停止に追いやられる。自国市場への供給企業も安い輸入品に苦しむ。これは国家の自国への信頼を減らす。つまり外貨が手に入りやすくなると企業に打撃を与え雇用が減る。だから、一部の利益を優先する場合以外、国が二つ目の方法を取る状況は理解しがたい。結局、国が外国資本を入れれば、そのお金の配当金か利子を支払うためにいつかは輸出が輸入を上回る状況に自国を置かなければならない。そうしなければ外貨の供給者は、より安全な租税回避地として他の債務の少ない国を選び、その国への資金供給を減らすだろう。すると結局先延ばしにしていた為替相場の調整が必要になる。この調整により、やっと外国の商品がより高価になり、また輸出が有利になる。しかしこの場合、早くに為替相場の調整をした場合より国が貧しくなる可能性が高い。その理由の一つは、巨額の対外債務に対する利子と配当金の支払いが蓄積され、でなければ国の人々のために使われたはずの資源を使うことが必要になるからだ。その国が同様の罠に陥った他の瀕死の国と競争して資源を売らなければならないため、必要な輸出を生み出すためには資源(土、森林、漁業、人々)の間違った使い方をしがちだ。つまりどのような対外債務もその国の持続可能性を脅かす。

 正味の外国資本流入が利益になる状況を想像するのは難しいが、正味の資本流出も同様に悪い。為替相場が下がった直後は、輸出業者は輸出した商品に対して得る自国通貨が増える。しかし、彼らが雇用を増やそうとすると、販売量も増やす必要がある。そのため新しい顧客を得るために商品の価格を下げる。しかしライバル供給者も、自分の顧客を取られないように商品の価格を下げる。このことが価格の大幅な下落を導いたら、この輸出業者が提供できる追加的な利益と雇用は非常に少なくなる。世界のより貧しい国が輸出するほとんどの商品の販売量は、価格が下がってもそれほど上がらない。国内生産者がもっと多くの雇用を提供することについてはどうか。すべての輸入品の価格が割高になっても、地域の生産者はいくつかの代替品しか提供できない。消費者は、自国通貨で支払われる収入が上がらず、輸入品の購入により多くのお金を払わなくてはならないため、地域の商品を買う力が弱くなる。追加の雇用は、消費者が輸入業者からの購入を地域の供給者からに切り替えた分だけ生まれるかもしれないが、代替品を提供できる範囲が限られていれば、地域全体の雇用機会は減るかもしれない。

 つまり、資本が国に流入すると、現存する輸出業者と国内生産者に打撃を与え、外国市場で勝ったり将来輸出品が去った後に立場を取り戻したりすることができない弱い立場に追いやる。資本が逆方向に流れると、高い輸入品の代替品が地域に少ないために地域経済は縮小する可能性がある。


■ステップ2:経常勘定と資本勘定のお金のフローを分ける。

 上記のことから、正味の資本フローがあるべきではない。経営の利便性から、投資のお金の動きを輸出入から来る動きと一つにすべきではない。政府、銀行、企業、個人は自由に資本を外国に移動してもよいが、輸出業者や旅行業で稼がれた外国為替を買って自国の通貨を外貨に換えるべきではない。その代わり、逆方向に資本を移動させたい人から外国為替を買うべきである。資本を国外に移動したい人が国内に移動したい人を上回れば、経常(輸出入)のフローに影響を与えずに、資本フローのための為替相場はこの事実を反映して調整される。つまり二つの違った為替相場があり、互いに独立して資本と経常がそれぞれ常にバランスを保つように調整されるのだ。国への正味の資本流入、流出はなく、また輸入の価値は常に輸出の価値と同じになる。このシステムは当時のポンド地域で、19795月にイギリスが為替管理法を通した際に使われた。同地域から資本を移動したい人は二つの為替相場の差額である通称「ドル・プレミアム」を支払わなければならなかった。類似した2輪通貨システムが19859月〜19953月に南アフリカで使われた。資本の通貨は金融ランドと呼ばれた。「金融ランドシステムは同国が経済的に孤立していた間はうまく機能した。」南アの経済相であるC. F. Liebenburgは、外国投資を敬遠するという理由から同システムの廃止を発表するときこう話した。正味の外国投資を0にすると同時に、資本の流入と流出は同じにされていた。

 資本目的と通常の売買目的を持つ二つの通貨が、各々為替相場を持って運営されることによる利点は、現状を恐れてお金を国外に持ち出そうとする投資家によって持続可能性を推進する政策が曲げられないことだ。1994年にメキシコ政府は、経常勘定の8%の赤字を修正するためにペソの価値を13%下げた。この赤字は外国投資家が「台頭し始めた市場」に短期的によい利率で貸すか、株式に投資するかして同国にお金を移動させたため起きた。しかし誰もこの通貨引き下げが十分だとは見ず、外国・地域の投資家は次の引き下げが実施される前にお金を同国から引き揚げた。多くの人がパニックに陥ったため、翌日に新しいレートは撤回され、ペソの自由な変動が許され、その結果以前より40%近く価値が下がった。輸入品の価格上昇はインフレを引き起こし、中央銀行はそれを抑えるために金利を上げた。このことは多くの企業を破壊し、19951月の1カ月間で25万人が失業した。企業の崩壊で不良貸付けが残り、地域の銀行が崩壊した。「ほとんどの地域銀行がぐらつく中、国内で操業する8つの外国銀行がこの機会を利用するため素早く動いている」とWill Huttonはガーディアン紙(The Guardian)に書いている。「非常に大きな動揺を与える結果を残して(資本の)フローが随意に切られてしまう。」2輪為替システムならこの危機を防止できただろう。同システム下では、政府は国際投資家ではなく人々に合った政策をつくる自由を得ただろう。インテルが同国にチップ工場を建設することなどまったく問題ではなかっただろう。巨額の投資流入は、メキシコ人が資本を外国に移動することを魅力的にするという影響しか与えないのだから。このため持続可能性への二つ目のカギとなるステップは、資本のフローを完全に経常勘定と分けることだ。

残りの既存の経済持続可能性を示す2つの指標はインフレ率と財政の健全さだ。政府が追加的なお金を循環の中に支出する経済では、過度のインフレは大臣が無責任な行動を取り追加的なお金を多くつぎ込んで不足した資源を多く得ようとした場合にだけ起こる。つまり治療薬は彼らの手にある。財政の管理に関しては、国がお金を借りる必要はまったくない。経済が速度を落せば、政府が追加的なお金を支出して追加的に需要を生み出すことができるため、借金は必要ない。経済が過剰に上昇して急激なインフレが起きたら、税金を上げて循環に入れたお金を引き揚げ、全体の需要の勢いを削ぐ。つまりこれら2つの指標を監視する必要はあるが、その管理は非常に簡単である。


■ステップ3 最も不足している資源へのお金の供給を制限する。

 上記2つのステップにより政府が短期的な経済持続可能性に気を使わずに他の目的を追求することが容易になったが、そうするように政府を強制する必要がある。このステップ3がなければ、ステップ1と2は借金の強制・景気後退・不況という政府の拡大を妨げる要素から解放して経済システムの運営を容易にするだけで、政府がもっと破壊的になる可能性がある。だから最後のステップは、世界のお金の供給を最も不足している世界的な環境資源の入手可能性と連動させて、世界経済が自動的にその資源の設定する制約内で機能してこの二つが常に互いに矛盾しないようにすることだ。つまり現在のように貯金が他の人の雇用を奪うのではなく、人々が貯金するとき自動的に世界的な環境の最も不足した資源の部分への圧力を最小限に抑えることになるのだ。

 私の意見では、最も不足している環境資源とは、人間の経済活動によって排出された温室効果ガスを吸収する地球の能力である。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、地球温暖化の放置に起因する大災害のリスクを減らすには温室効果ガスの排出を早急に6080%削減する必要があると見ている。ロンドンの世界コモンズ研究所(Global Commons Institute)が作成した温室効果ガス排出削減の計画「縮小と収束(Contraction and ConvergenceC&C)」は、世界の多くの国々の支持を得たもので、温室効果ガス排出を吸収または分解する地球の限りある能力と世界通貨をリンクさせる方法を提供している。C&Cのアプローチでは、国際社会は主要な温室効果ガスであるCO2濃度がどれだけ上がることが許されるかについて合意する。これに関してはかなり不確実で、EUは産業化以前レベルの倍の550ppmにするのが安全だと考えるが、IPCCの元議長のBert Bolinは上限が450ppmだと考えるべきだと提案している。しかし濃度の上昇と気候変動には時間差があるため、現在のレベルである約360ppmでさえ高すぎることが証明されている。実際、時間差を考えると、氷河の溶解、乾燥した夏、荒れた海、より頻繁な嵐といった悪影響がすでに起きていることは懸念すべきことだ。最終的に選ばれたCO2濃度に沿って、世界が自動的にガスを吸収する地球の能力に合うようになるまで現在の排出を年間どの割合で削減するかを決める。これがC&Cの中に含意された縮小の道筋である。いったん年間の世界排出制限が設定されたら、ある年の一定の燃料を燃やす権利は、合意された年(例えば1990年)の各国の人口をベースに各国に分配される。縮小プロセスの最初の段階では、ある国が排出権より排出量が少なく、またある国の排出量が多い場合、前者が後者に権利を売ることができる。これは世界の最も貧しい国に健全な収入を生み出し、彼らに省エネを伴った発展の道を進むインセンティブを与える。最終的に、ほとんどの国の一人当たりの化石燃料消費が同じくらいになる。

 過剰に消費している国が余分なCO2排出許可を買うのに、どの通貨を使うべきか。ドル、スターリン、ユーロのような予備通貨を使うことを許されたら、これらのお金の多くは世界中での投資と貿易で得たものだから、彼らはタダで追加のエネルギーを使う権利を得てしまう。このため、ダブリンに本部を置く持続可能性経済学のための財団(Foundation for the Economics of SustainabilityFeasta)は調査の末、新たな国際組織である発行当局(Issuing Authority)が特別排出権(Special Emission RightsSER。決まった量の温室効果ガスを排出する権利、つまり化石燃料を燃やす権利)をC&Cの公式に基づいて各国政府に毎月指定する、という計画を作った。SERは定額のクーポンで、電力会社などの大規模ユーザーと石油・石炭商人などの流通業者が化石燃料の生産企業に現金とともに渡す。国際的な視察団がその販売量と受け取ったSERの量が同じかどうか化石エネルギー生産者をモニターする。人が大気に排出したCO2となったもののうち化石燃料からのCO280%近くは、炭素ベースの燃料生産者のたった122社に由来するから、これは簡単である。使用済みのSERは破棄される。これを実施する展望は夢物語ではない。CO2排出権に関する国際的な貿易システムの開発に向けた多くの調査・実践が、米国では理論レベルでも実際にもなされている。ここでは、排出許可の取引きによりその保持者が大気中にSO2を排出することを許されるため、可能な限りの最も低い価格で排出の削減が進んでいる。

 SERの一方で、発行当局は政府に新たなお金を供給する。これは「エネルギーに裏書きされた通貨単位(ebcu)」で、同じく一人当たりをベースにしている。発行当局は、特定の量のebcuを提出した人に、追加のSERを提供する。これによりebcuの価値は、ある温室効果ガス排出の量、つまり化石エネルギーの使用との関係において固定される。ebcu通貨は、システムを開始するために一度だけ発行される。もし売人がより多くの化石エネルギーを燃やそうと追加のSERを発行当局から買うためにebcuを使ったとしても、国際的に循環するebcuの量はその損失を埋めるために増刷されない。発行当局に支払われたebcuはただ無効となり、世界はより少量のebcuの循環で我慢しなければならない。このことは世界貿易の量を減らし、結果として世界の化石エネルギー消費が減る。つまり国際貿易レベルは常にCO2濃度の目標の達成と互換性があることになる。自然エネルギーの生産の増加や化石エネルギー利用の効率の上昇により、世界貿易は増加することができる。政府は発行当局が割り当てるSERを国内で主要なエネルギー利用者と流通者を相手に競売にかけ、そこで得た自国通貨の全てか一部を基本所得として市民に分配してもいい。またはebcuと引き換えに外国にSERを売ってもいい。この2種類の販売によって設定された価格は自国通貨のebcuとの関係においての為替相場を設定することになり、これはつまり他国の通貨との為替相場を設定することになる。自国通貨の国際貿易での使用を段階的になくし、ebcuだけが参加国間での貿易で使われ、システムに参加しなかった国に対しては関税障壁を高くする。多くの債務国は最初に分配されるebcuにより対外債務を返済することができるだろう。次の年には、彼らは資本プロジェクトのための設備をSERの販売から得た収入で輸入することができるだろう。

 このシステムの主な利点は、不誠実な骨董品ディーラーのグループが競売の前に作る同盟と同様に、このシステムが化石燃料の購入のためのディーラーの同盟を確立することだ。同盟の中のディーラーは、それぞれの物を誰が最高いくらで競り落とすかを決め、後で自分達だけで競売を行い実際に誰が何を得るかを決める。この策略のポイントは、ディーラーが最初の競売において本気で競売していれば商人の手に渡ったであろう余分なお金が、ディーラーのグループの中に止まり、市民に不必要に流れ出ないことだ。需要を制限することで、ebcuSERシステムは資源が不足しているときに余分なお金が化石燃料生産者に行くのを防ぎ、また世界を経済不況に投げ込むのを防ぐ。代わりに、お金は貧しい国が余分なSERを競売にかけることでその国の手に渡る。このお金はエネルギー生産者の手に渡った場合のように世界経済に戻される必要はない。このお金は「化石エネルギーを集中的に使い過ぎている経済」が作ることのできる多くの物を、それをすぐに必要としている人が買うのに使われる。そのため債務が増えるのではなく、需要が伸びる。このときの制約はエネルギーの入手可能性だけだ。例えば排出を毎年5%削減することが決定されたとすると、IPCCが主張する80%削減が30年で達成できる。これは私たちが気候変動が起こす突然の大災害を避けるチャンスを得るために取り入れるべき目標である。化石エネルギー供給をこの速さで削減するということは、商品とサービスを世界経済が供給する能力も毎年5%縮小するということだ。この5%からは、エネルギーの節約が可能になった率と自然エネルギー供給が導入された率が引かれる。最初は、省エネルギーが縮小の厳しさのほとんどを和らげてくれるだろう――現在のエネルギー消費の仕方には多くの脂肪がついているから。そして省エネをする部分を見つけるのがどんどん難しくなると、世界的な生産が大きく落ちるのを防ぐために自然エネルギー設置を増加させなくてはならなくなる。

 このようなシステムが創り出す世界経済は、次の二つの理由から現在のシステムに比べてバブルとバブル崩壊の輪に陥りにくい。一つは、全ての国の経済の形が急速に変わっているので、多くの投資の機会がある。もう一つは、もはや借金が世界や国内の通貨のベースとして使われないため、世界のお金の供給(ebcu)と、各国の通貨は、もはや上下に振れて産業の環境の変化を誇大化することはなくなる。すべての人々は(化石燃料の生産者でさえ)このような取り決めにより利益を得る。私が知る限りでは、公平で排出削減の目標が合うことを補償する方法でこの問題に取り組むことができる道筋は他に提案されていない。誘導のないままの世界市場の動きは、気候変動の危機を避けるのに充分なほどの速度で確実に化石エネルギーの使用を削減して自然エネルギー供給に急速に切り換えるとは考えにくい。

 つまり、世界の持続可能性への道を容易にするために必要な3つの主な通貨に関する変更は以下の通り。▼借金ベースの国内通貨を永続的な循環の中に政府が支出する通貨に置きかえる。▼外国為替市場の資本フローと経常勘定フローを分ける。▼世界貿易において主要な国の通貨の使用を止め、世界の経済活動の全体のレベルが持続可能な世界と両立する程度に減らされるように循環に入れられ、それを供給する人々がコントロールされている適切な世界通貨に置き換える。

 もちろん、他にも持続可能性のためになる多くの変化はある。例えば他にも通貨を変える方法がある。国(もしくはユーロの場合多国籍)の通貨が外から流入する量に拘わらず地域経済が発展し盛んになるように、地域通貨を導入することだ。しかし上記3つの変更は必要不可欠だ。これらなしでは、短期的な経済の持続可能性はいつも優先されなければならず、長期的な持続可能性は非現実的な夢になってしまう。




持続可能な世界は可能で、必要で、緊急を要する

A sustainable world is possible, necessary and urgent

世界議会フォーラム(World Parliamentary Forum

 

リオプラス10サミット声明、2002826日〜94日、ヨハネスブルグ

 1992年、最初の地球サミットがブラジルのリオデジャネイロで開催され、世界での持続不可能な形態の生産と消費を転換する必要性に対する意識が高まった。10年後、ヨハネスブルグでの2度目の地球サミットは、この目的に向かって達成された成果を評価し、世界の主要な問題に取り組むための新たなイニシアチブに合意するはずだった。実際には、UNEPの世界環境見通しN3を見ると、悲惨な結果に終わっている――世界の状況は今までになく悪くなっている。今までより多くの人々が貧困、飢餓、環境の荒廃、戦争、抑圧に苦しんでいる。ヨハネスブルグの地球サミットには政治リーダーと市民グループの代表、産業その他のセクターが世界中の社会から集まる。

 多くのことが危機下にある。政府、特に産業国政府のコミットメントの欠落により同サミットの具体的な結果は、開発への資金提供に関するモンテレイとバリの会議と同じくらい弱いものになり、また貿易のアジェンダが開発と環境のアジェンダをしのぐ危険がある。多国籍企業はヨハネスブルグで決定される行動の提案が彼らの経済利害を反映したものにするために努力している。再度、企業の権力が民主的な意思決定とコントロールを転覆しようとしている。私たちは持続可能性をビジネスの問題にする試みに強く反対する。私たちはリオプラス10をリオマイナス10にしたくない。ヨハネスブルグでの敗北はすべての人々にとっての安全で公正な世界のための闘いにおける敗北である。世界は全ての人々にとっての持続可能な開発、健康、一定水準の生活を勝ち取ることで平和への闘いをも勝ち取るのだ。これがヨハネスブルグでの結果が非常に決定的である理由だ。

だから私たち世界議会フォーラムは、議会活動の中で保護し支持するリオプラス1010の要求を提案する。経済成長は持続可能な開発のゴールを達成するのに貢献する可能性はあるが、持続可能な開発の目的は経済成長そのものではない。目的は、人々の進歩、尊厳、生活の質向上、社会的な内部化と環境保護である。だから、私たちには明確なビジョンと目的、目標、スケジュールが必要である。この目的に達するためには次のことが必要である。

1.貧困の原因を止める:世界の全ての人々の生活状況の改善は政治的・経済的活動の総合的目的とする。この目的の大きな部分として、教育を推進する。議会では、私たちは公共のものを民営化するどのようなイニシアチブにも反対する。公共のものへの自由なアクセスが保障されるべきだ。公共サービスは売り物ではなく、保護され社会的権利と並んで推進されるべきだ。食の安全保障は人権だが、種子の所有権の民営化とは両立しない。国際資本移動に対するトビン型税とその他の国際税(CO2排出に対する炭素税など)は極貧をなくす、また途上国において持続可能な方法ですべての人々が公共のものにアクセスできるようにする基金を集めるために、実施されるべきだ。世界的な富の再分配なくして持続可能なグローバリゼーションはありえない。

2.環境の荒廃の原因を止める:すべての国際的な環境および開発のための合意とリオサミット以来決められたコミットメントを批准し、実行する。人災を今まで以上に導いた土地とエネルギーの無責任な濫用とともに始まった「成長の理論」を止めるべきだ。コントロールされていない伐採、農薬の使用、住宅と道路の建設は地球の生存を聞きにさらしている。汚染する者が支払うという原則と予防原則を、すべての規則の基礎とすべきだ。気候変動(京都議定書)、生物多様性、バイオセーフティ、漁業に関する協定はもっと早くに施行されるべきだった。だから、私たちは米国のように署名するのを嫌がったり署名を取り消したりする政府に圧力をかけることに貢献する。ヨハネスブルグサミットはODAGDPに占める割合を0.7%とするという国連の目標を採択するべきだ。

3.債務を終わらせ、金融投機を抑制する:途上国の年間の債務に対する利子はODA4倍の2000USドルである。だから現実には、南が北に資金提供をしている。国全体を債務の罠に落す現在のシステムを、それが与える悪質な影響とともに、止める必要がある。まず貧しい国に対する債務帳消しから始めるべきだ。それに加えて、トビン税のような手段と租税回避地の抑制は投機的な資本のフローを止めるのに役立つ。

4.企業に説明責任を持たせる:私たちは、国の法律と国際法に定められた主な労働と環境の基準に民間の投資家が沿うように求めた企業の説明責任と義務に関する法的拘束力のある国際的枠組みと、それに対する独立した検証のメカニズムを求める声を支持する。このことに向けた最初の一歩は、社会と環境のパフォーマンスについての報告の義務づけと多国籍企業に対する既存のガイドラインの強化である。さらに、すべての多国間環境協定は国の資源利用と投資に対するコントロールに関連した規定を入れるべきだ。任意の慣例は市民とコミュニティの権利と、企業の義務を保障するのに充分ではない。ヨハネスブルグはこのような国際的枠組みの合意に関する交渉を開始する場所であるべきだ。

5WTOを縮小する:WTOに新たな権限を与える代わりに、その機能は徹底的に検討され改革されるべきだ。WTOは投資、政府調達、競争政策、公共サービス(特に保健と教育)などの新たな分野に権威を与えられるべきではない。権力を持ちすぎているWTOの紛争解決メカニズムは社会、環境、人権を取り扱う他の多国間機関の決定より下位に置かれるべきだ。WTOが他の多国間環境協定を上回らないように、新たな国際的枠組みと、国連機関の管理下の新たな国際ルールの序列が認識される必要がある。貿易は社会的な目的のために働き、国際社会の環境と保健の優先事項を尊重すべきで、その逆であってはならない。例外なく生物は商品となるべきではない。

6.ジェンダーの公正と少数派の権利を生む:男女間の公正はいまだ認識されるには程遠い。少数民族の権利を改善する必要もある。これは開発政策の大きな部分を占めるべきだ。開発がジェンダー間の格差を狭めるのに貢献するのを確かにするためジェンダー影響評価はすべての国際協定において義務づけられるべきだ。

7.戦争と軍事化を止める:テロリストの脅威は現実であり闘われなくてはならない。しかし答えは反テロの名の下に進められる軍事化と国内の自由の制限ではない。暴力的な紛争により引き裂かれた地域での持続可能な開発は、持続可能な平和のための条件が設置され、不公正が抑えられ、民主的権利が強められて初めて可能になる。「軍事化のグローバリゼーション」の理論はこれらの本質的な目的に対する適当な反応ではない。国際社会は国連の指導の下、安全保障理事会の決議を尊重して、紛争の政治的な決議を支持しなければならない。抑圧された人々を防護するために仲裁する権利は、国際刑事裁判所により制限され規制されるべきだ。兵器と軍事援助もまた制限されるべきである。

▼文化と言語の権利を保障する:全ての人々にとっての遺産と人間の尊厳を尊重することなしに自己開発への道はありえない。生物多様性と同様に、文化と言語の多様性は地球規模で保護されるべきだ。今日、世界で話されている6000程の言語の約半分が危機にさらされている。過去3世紀の間に、特に米大陸とオーストラリアで言語は劇的に、加速的に絶滅しつつある。世界で少なくとも3000言語が深刻な危機下にあるか絶滅しつつある。

9.水への自由なアクセスを保障する:新鮮な水へのアクセスは最も基本的な人間の必需品の一つである。しかし気候条件が不利な南の国だけでなく、地下水と河川の汚染が深刻化している北の国でも、アクセスがますます不安定になるか高価になっている。このような条件下での水もしくは水配給の民営化は特に人々に打撃を与える結果をもたらす。新鮮な水は基本的な必需品であり商品ではない。私たちは水と水配給の民営化に反対する。

▼持続可能な開発は民営化できない:公共・民間パートナーシップまたは「タイプIIプロポーザル」は持続可能な開発問題の解決策ではない。リオプラス10サミットは政府間のスケジュールと行動計画を伴った政治的合意への強いコミットメントをもって終了すべきである。これが私たちの未来を保障する唯一の道だ。私たちは企業のための持続可能な利益ではなく持続可能なコミュニティを必要としているのである。