ATTACニュースレター日本版2002年第32

Sand in the wheels

Weekly newsletter - n°141 – Wednesday 21 August 2002.

 

逆転した論理

UPSIDE DOWN LOGIC

 

「サンドインザホイール」(週刊)

2002821日号(通巻141)号

 

index

目次

新自由主義を超えて超国家プロジェクトとしての市民社会Beyond Neoliberalism: Civil Society as a Transnational Project

最も一般的な意味では、「市民社会」とは自治の原則に基づき自律的に組織された大衆と、多様な形態での市民による自発的な行動を表す。東ヨーロッパの市民権運動の中では、この用語は反体制派の運動を特徴付けていた。この運動の独立的なメディアは、集会・表現・結社の自由という一般的な要求を支持していた(1863)

2-新自由主義経済の本末転倒した世界The upside down world of neo-liberal economics

本末転倒した新自由主義経済の世界においては、現実を理論モデルに一致させることが要求される。したがって、問題となるのは何がその方法に適合するかであって、世界で起こっていることのいくつかの面について何が興味深いかではない。アイデアや数量化できない値が幅をきかせ、危機や不安定などの問題はモデルになかなか反映されない。それらは、問うことが許されない問題なのである。本稿では、この論理(ピエール・ブリュデューはこれを「惑星の方言」と呼んだ)がどのように作用するのかを説明する(1866)

3-労働組合のヨハネスブルグ・サミットへの提案:地球環境ファシリティーの焦点を明確に(Trade Unions Call on Summit to Refocus Global Environmental Facility Funds)

32の資金拠出国がグローバル環境ファシリティー(GEF)に約30億ドルの拠出を約束した--これは、これまでにない金額であり、ヨハネスブルグ・サミットに向けた大きな弾みとなる--という前向きなニュースを受けて、労働組合は今日、「持続可能な開発に関する世界サミット」(WSSD)に出席する政府交渉担当者との話し合いに入った(761)

4-国連環境プログラムが世界の有力裁判官の会議をよびかけ、環境法の適用強化へ(Top Judges to Fortify Environmental Law Enforcement)

世界の多くの地域で犯罪者たちが、不法に伐採された木材や、絶滅に瀕している生物種、危険な廃棄物などの貿易を堂々と続けている。これは主に、こうした問題やその他の環境犯罪に関わる国内法・国際法の適用、実施が厳格でないことの結果である(567)

5-企業支配に終止符を! IMFと世銀を検疫しよう(End Corporate Rule! Quarantine the IMF & World Bank)

企業によって運営される世界、利益が唯一の正当な動機であり、ビジネスが唯一の正当な職業であるとみなすような世界を考え出した夢想家たちが今秋、傲慢さを露わに、大挙してワシントンに集まる(1287)


[要約版]
#top

新自由主義を超えて:超国家プロジェクトとしての市民社会

Beyond Neoliberalism: Civil Society as a Transnational Project

By Soenke Zehle

 

最も一般的な意味では、「市民社会」とは自治の原則に基づき自律的に組織された大衆と、多様な形態での市民による自発的な行動を表す。東ヨーロッパの市民権運動の中では、この用語は反体制派の運動を特徴付けていた。この運動の独立的なメディアは、集会・表現・結社の自由という一般的な要求を支持していた。「国際市民社会」という用語もしばしば使われる。これは国境を超えた行動を通じて環境問題、人権、国際金融機関の構造、世界政治などについて問題を提起する多様な非政府の主体を表す。

 

市民社会と自己組織のエートス(精神)

 

「市民社会」のような概念は多くの場合、国民(国家)という脈絡の中で語られる。例えば最近のドイツ連邦議会の報告書「将来の市民参加」では、「市民」社会は、国家・経済・家族の外にあって、種々の慈善活動を行う自主的に組織された結社のネットワークと定義されている。

この報告書では、種々の形態の「自主的組織」の分析が行われているが、この分析の最終的な目的は、国家と経済と社会の間の新しい分業である。報告書のキー概念から伺えることは、そのような新しい社会秩序の中で、「授権型国家」(権限を自治体等に広く付与するタイプの国家)の役割は「基本的な責任」に限定されるということだ。行政の効率を改善するための措置は、自主的組織を高く評価することと結び付けられている。また、企業は「企業市民」としての責任を引き受けるよう促されている。

伝統的な文化的適応と社会的統合のメカニズム(教会・学校・政党・労組など)の外で、新しい形態の運動と組織が登場している。報告書が示している「市民社会」のビジョンは、こうした多様化・不均質化が進む市民社会の中での相互主義と連帯を形成する新しいメカニズムを規定しようとしている。報告書はまた、「社会資本」という概念を導入している。これは協力と責任の体制についての知識と、共通性と相互主義についての経験を表現する概念として用いられている。「社会資本」は、もはや過度の公的サポートをあてにできない「市民」社会にとって、最も重要な資源とされている。

 

市民社会−新自由主義を超えて

 

「小さい国家」や「授権型国家」というビジョンと自主的組織化による相互支援の力学は、一般的に「新自由主義」と呼ばれているものの一環である。自動調整メカニズムを持つとされている市場と同様に、現在登場している自主的に組織された市民社会は、現在福祉国家によって担われている仕事の大部分を引き受けようとする。こうして、「市民」社会の概念についての議論は、福祉国家の転換を正当化する議論でもある。

哲学者のアントニオ・グラムシによると、自主的組織のとくにブルジョア的形態としての市民社会は文化的ヘゲモニーの確立に寄与する。「市民」あるいは市民社会の概念そのものが社会的対立と反ヘゲモニーの闘争の場となる。問題は、「市民」あるいは市民社会の概念を、新自由主義的な意味合いから、もっとラディカルな政治の奪還に転換できるかどうかである。市民社会の構造的役割に関わる政治的議論ははじまったばかりである。

 

超国家プロジェクトとしての市民社会

 

国内的ビジョンである自己管理された国民経済と自己組織化された市民社会の協調は、一方で、超国家的なグローバリゼーションのダイナミズムを押し隠してしまう。国家は、国内レベルの規制緩和を相殺する超国家レベルの効果的なメカニズムを確立していない。そうした隙間は、企業のための機関であり世界のビジネスエリートによって支えられるWTOや世界経済フォーラムによって埋められている。企業責任や紛争の非軍事的解決など国際市民社会が抱える課題は、さらに新自由主義的グローバリゼーションの問題へと移行したが、EUにおいてさえもいかなる連邦制と支援のシステムが市民および人権の向上に有効か、明確なビジョンが打ち出せずにいる。これら国際議論で交わされる問題に解答を見出すことに成功しているのは、実際に運動を起こしている活動家のみだ。

 

ネットワーク社会としての超国家的市民社会

 

米国国防総省とも関係を持つシンクタンクであるランド・コーポレーションは98年、「社会ネット戦争」が従来の安全保障の枠組みでは理解できない新しい脅威となり得ると警鐘を発した。同社はメキシコのサバティスタ国民解放軍が、国際市民社会の支持を勝ち取り、国内政府に圧力をかけた新たな運動に脅威を見たのである。「ネットワーク社会」は一方で、新たなコミュニティ及び組織の非領土化を可能にした。公共の電子空間に掲げられたビジョンは、非領土化の「デモ」を示すことと、主権の再分配を提唱することが期待されている。

 

世界政治の私有化

 

世界政治に占める非政府部門の多数はNGOによって代表され、その存在は国際市民社会の中で多様性を示しているが、その定義はいささか曖昧な点もある。「世界の良心」と言われるグリーンピースとアムネスティにしても、民主的要求を法制化する力は彼らの批判対象である国際機関ほど強くないのだ。観測者は、「NGO革命」とまでうたわれた初期のブームから覚めて、「世界政治の私有化」という現象をより批判的に見ている。このことは新たに、「グローバルな非政府部門」であるNGOが、責任と管理の新たなメカニズムをつくり出すべきか否かという問題を再びつきつけている。

 

超国家主義と市民権の改革

 

市民の役割に対する問いかけは、それを規定する国家に対する問いでもあり、市民の関係をめぐる議論は、超国家組織の市民が国境を超えて、政治的プロセスにより介入の度を強めている点を明らかにしなくてはならない。こうした展開は、市民社会が関わる国内・国際問題の垣根にとどまらず、伝統的な市民権と主権の概念の限界をも指摘している。究極的には、非領土化を実現した民衆によるオルタナティブな自己組織を創造する可能性を含めて議論していかなくてはならない。

 


新自由主義経済の本末転倒

The upside down world of neo-liberal economics

By Jamie Morgan

 

私的な言語、公的なボキャブラリー

 

新自由主義の立場のエコノミストは、一般の人には理解しがたい極めて複雑な自分たちだけの言語を話し、批判に対しても特有な言語による逃げ口が用意されている。新自由主義経済の私的言語は、数学の方法を用いる。ジョン・ガルブレイス氏が述べた通り、経済学者は差別的な序列で組織され、最下層に混合経済学、最上層に新自由主義経済学、さらにその頂点に数学的に特化した新自由主義経済学が君臨している。実際、経済学の大学院教育を担うアメリカン・コミッションは、この私的言語を流暢に操れることが、特権と昇進へのパスポートであるとうたっている。

経済学の数学化の傾向は、すべての経済関連行為は数量化でき、かつ、わずかの原理で説明ができるものでなくてはならず、その反面、微積分や回帰分析は複雑さの度合い極めるのだ。新自由主義はGordon Gecko氏の「貪欲は良いことである」とする法則を先取りする。市場に存在するすべての人々が、共に貪欲であれば、結果的に自発的で理想的な秩序が現れるというのだ。この私的言語である計測可能で動態性のある数量経済学は、すべてが均衡に向かうという自然法則を背景にしている。資源のある範囲内で貪欲な要求を可能な限り満たすことを「最適の社会福祉」と定義している。その結果、新自由主義経済学は、歴史・地理学などを軽視するというより、さらに本末を転倒させるのである。人々は、場所・時間・組織において固有の考え方を持つが、そうした個人の発想は新自由主義の経済学モデルの下では計測上の障害となる。しかし数量化へ矮小化できない貧困・飢餓・不平等などに対する考え方はどうなるのか。また世界的な平等、公正、人権、動物の権利、環境などに対する考え方は?新自由主義の経済的論理の下では、それらの考え方は利己心により保証されている自然均衡を妨げるものであり、理論をゆがめるものとして最悪の敵とされる。理論で現実を説明しようとせずに、現実を理論に一致させようとする新自由主義の経済学は本末が転倒しており、歴史を壊し、場所を一元化し、組織の概念をつぶすものだ。Heikki Patomaki 氏はOECDリポートの新自由主義的枠組みは、危機と外国為替市場の不安定性を捉えきれないと批判したが、人々の考えを受けつけない新自由主義のエコノミストは、生徒なしにより効率的な経営を意図する校長先生と同じである。例えばトービン税などの発想は、非行動、不介入、撤退を合言葉にする新自由主義経済にとって憎悪の対象だ。新自由主義エコノミストにとって、国家の目的は貪欲な要求の競争の結果もたらされる調和であり、私たちの存在は不要なのである。システムへの疑問を持つ個人は拒絶され、群集の経済行動としてのみ人々は数量的に捉えられ、疑問を持つ者は、シアトルやバルセロナのフェンスの向こう側へ排除され、少なくとも理論上の存在は認められない。

 

惑星の方言

 

それでも市民は、世銀・IMFWTO、さらに最も発達した資本主義国の共通言語である新自由主義経済学の影響を受けざるを得ない。例えば著者は今夏、勤務先で学生の国際貿易のAクラス試験で約四百本の答案を採点したが、労働組合は市場をゆがめること、また低開発国が幼稚産業の保護に走るのは世界経済の競争効率にマイナスであること――なども「正解」に含まれるのだ。米国や英国のマスメディアは、反資本主義のデモを、抗議行動に出る幼稚な若者と「不可避性」を受け止めた経験者・専門熟練者との対決の構図としてしか描くことができない。その場合、「不可避性」とは言うまでもなく新自由主義にほかならない。

 

経済成長は何のため?

 

新自由主義の下で、分配が問題視されるのは、生産総価値を高めるためだけだ。新自由主義を信望するエコノミストたちは、世界経済が均衡調和に導く偉大なマシーンであると信じているため、人々の生活に大きな影響を与え得る金融危機なども不安材料とはならないのだ。したがって彼らが経済成長の目的に答えがだせないのは当然だ。本来であれば、私たちの生活の目的を経済学は説明しなくてはならないのであるが、それは私たちが生活の糧を得ている経済学とは違うのである。

 


労働組合のヨハネスブルグ・サミットへの提案:地球環境ファシリティーの焦点を明確に

Trade Unions Call on Summit to Refocus Global Environmental Facility Funds

By Lucien Royer

 

32の資金拠出国が地球環境ファシリティー(GEF)に約30億ドルの拠出を約束した--これは、これまでにない金額であり、ヨハネスブルグ・サミットに向けた大きな弾みとなる--という前向きなニュースを受けて、労働組合は今日、「持続可能な開発に関する世界サミット」(WSSD)に出席する政府交渉担当者との話し合いに入った。労働組合側は、この拠出の意義を評価しながらも、GEFのプログラムが持続可能な開発の社会・経済側面を組み込むことに失敗したリオ92の誤りを繰り返す可能性について警告している。

[GEFは、世銀等のイニシアチブで設立され、運営されている基金で、発展途上国における環境プロジェクトへの無償援助を行っている。詳細については、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/kikan/gbl_env.htmlを参照されたい]

労働組合は、WSSD出席の政府交渉者を招き、先の6月、インドネシア会議で合意したアクションプランや、貧困問題の教育、持続的成長を阻害した貧富の格差拡大などを説明した。労働組合の代表者メンバーは、国際自由労働組合連盟(ICFTU)OECD労組諮問委員会(TUAC)、グローバル・ユニオン(GUF)などで構成。新規のGEFファンドは貧困問題解決へ具体的方法の提唱が欠けていると批判した。

労働組合代表は以下のように主張した:

■社会的側面にかかわる問題解決ではILOへの適切なリンクが必要である。経済及び環境問題に関しては実施状況を監視する政府間の組織があるにかかわらず、もう1つの柱である社会問題のついては実施状況を監視する組織的保証がないため、WSSD参加の各労組は「グローバリゼーションに伴う社会問題の世界委員会」をWSSD枠内で設立し、今後10年間に渡り持続的成長に向けて各プログラムの統合を見守るよう各政府代表に提案した。

■さらに貧困・健康・環境の問題の性格上、ILO, UNEP, WHO, GEFの戦略的提携の強化が財政支援を含め必要となっている。三つのプログラムの統合・実施に向け、これら機関への権限付与を認めるべきである。雇用、職場の戦略、社会的実施の課題はGEF のネットワークで推進すべきだ。主要な環境問題とともに、女性・若年・老年各層の雇用や貧困の問題を提唱すべきだ。

 

WSSD政治宣言に対する提案

労働組合はGEFの数十億ドルの新規ファンドが『三本の柱』の戦略に再び焦点を当てるよう、WSSD各国交渉担当者に要求する2002810日パリにて)

 

労働組合は最終的なWSSD政治宣言に以下の文言を含めることを提案する。

「私たちはこれら合意をエコシステム管理の統合アプローチとして推進し国際的連帯を強化する。持続的発展の社会的側面に関しては、特にILOや他の政府機関で採用された社会的不平等、貧困、資源・サービス・雇用へのアクセスの欠如などの問題を提起した合意済みの国際文書をすべての政府が批准・完全実施するよう呼びかける。私たちはまた、グローバリゼーションがもたらす社会的問題に関する世界委員会と協力し、WSSDの結論の社会的側面の実施を進める」。

 

[国際自由労連盟、OECD労組諮問委員会、グローバル・ユニオンの提言「新しいニューディールの構想(Fashioning A New Deal)」.pdfファイル)が下記から入手できるhttp://www.icftu.org/www/pdf/reportsouthafricaenglish.pdf(英語)]

 


国連環境プログラムが世界の有力裁判官の会議をよびかけ、環境法の適用強化へ

Top Judges to Fortify Environmental Law Enforcement

By Environment News Service (ENS)

 

ヨハネスブルグ−南ア8月16日−世界の様々な犯罪者は内外法律の抜け穴を利用して、木材・希少動物・危険廃棄物などの違法取引を行っている。こうした状況を憂慮した国連環境プログラム(UNEP)は、WSSDに先駆け三日前から世界の上級判事をヨハネスブルグに招集した。北米・アフリカ・アジア・ヨーロッパ・南米・国際法廷の判事は一堂に会しシンポジウムを開催し、環境法の弱点として、途上国・旧ソ連などで実施の状況が深刻であることが明らかにされた。主催したUNEPは、国際条約を国内法に転換することが困難であること、自覚の欠如、経済的後進性が裁判に至るまでの過程を困難にしている点などを指摘した。話し合いのカギとなる部分は、情報へのアクセス、市民の参加、「92リオ」10原則などだ。招待された各判事は、環境問題の意志決定に市民参加を促すグローバルまた地域的方法を検討する。  UNEP代表理事のToepfer氏は「この問題は、権利を否定された数十億の人々に関わる地域的・世界的な関心事項だ」と憂慮を表明。「WSSDの直前に集まる上級判事たちの知恵と人徳は、途上国のみならず世界のすべての国の環境法が抱える問題改善へのアクションプランをもたらすだろうと確認している」と語った。

[本稿は”One World Special Reports: Earth Summit 2http://www.oneworld.net/specialreports/earthsummit2/との協力による]

 

 


企業支配に終止符を!IMFと世界銀行を検疫しよう--「企業支配の世界」というビジョンがこれ以上人々に伝染しないように!

End Corporate Rule! Quarantine the IMF & World Bank

(so their infectiouos vision of a world controlled by corporations can't infect more people)!

 

2002年9月、ワシントンでの行動のよびかけ

+企業支配と強欲な企業家の背後にある力と対決しよう!

+米国議会に真の変革を要求しよう

 

ターゲット

CEO (最高経営責任者)サミット:925-27日、ワシントン、リッツカールトン・ホテル

IMF/世界銀行年次総会、928-29日、IMF本部

 

企業は遠隔の土地・社会を襲いつづけ、米国・カナダ・ヨーロッパに資金を還流させている。

企業によって運営される世界、利益が唯一の正当な動機であり、ビジネスが唯一の正当な職業であるとみなすような世界を考え出した夢想家たちが今秋、傲慢さを露わに、大挙してワシントンに集まる。会議では希望観測的な統計を示しマイナーな修正を行い、メディアはすでにわかりきっている結論を書きたてるだろう。「米国経済と世界経済のファンダメンタルズは安定しており、短期にも繁栄に向けた回復を示すだろう」と。

                               もう誰も彼らを信じない。彼らはワシントンを去るべきだ!

獰猛な連中を検疫しよう!

慎重に社会的な症状を検査した結果、次のことが明らかになった。

私たちの資源を収奪し、ある時は巧妙、ある時は暴力的な手段で、公的資金への市民のアクセスを阻み、すでに立法化した法律をくつがえす方法を発明し、彼らの処方箋を無理に飲ませ、私たちの生死よりも彼らの贅沢を続けられることの方が心配事であることを彼らはあからさまにしている。

参加者は、主催機関のIMFIFCMIGAWTOに対して、次の言葉をつきつけるであろう。

道義的に破産

倫理的に低開発

深刻な汚染

来る秋の会議は、汚染されたウィルスを一掃する好機である。北米やその他の国から来た人々を含め私たちは、各主催機関が検疫を行い、貪欲なウィルスから地球を守ることを要求する。グローバルに公正を求める運動は、特に1999年末、シアトルのWTO閣僚会議以来、メディアの注目を集めるようになった。しかし911事件後、多くの人々が運動から去ったが、実際のところグローバルな経済・政治の傾向は何一つ事件後も変わっていないのだ。日々私たちの運動の正当性がさらに証明されている。世銀の元チーフ・エコノミストのジョセフ・スティグリッツ氏は、新著の中でIMFがいかに組織的・意図的に世界の人々を貧困に追いやったかを分析した。また東欧とロシアに対する「ショック療法」を開発したJeffrey Sachs氏は、貧困化に追い込まれた国の債務帳消しを訴えている。さらにマサーチッツ工科大学の経済学の教授であるPaul Krugman 氏は、8月12日、これまで長期に推進してきた「民営化」策と企業によるグローバリゼーション策をとりわけ南米諸国から見直すよう要求されたことをニューヨークタイムズに寄稿した。

IMFの優等生であったアルゼンチンは、緊縮策の強要によりいまや30年代以来、最悪の経済状態に追い込まれ、IMFのプログラムを受け入れてきたトルコは、債務の水準が過去最高レベルまで上昇した。ほかにも南米で健康・教育部門を含む「民営化」にしたがったペルー、コロンビア、エクアドル、パラグアイ、ボリビアは、大型の抗議行動が引き起こされ、政府の撤回と公共部門の回復が要求されている。世界で最も貧しい国であるサハラ以南のアフリカ諸国は、IMF・世銀の政策により、健康医療制度が深刻な打撃を受け結局、「民営化」された。 しかも複雑な特許法により、すでに百万人の命を奪うなど伝染病の拡散が500年来、最悪の状況下に公共の健康医療制度が奪われたのである。

米国企業は、デリバティブなどの金融商品を駆使して経済のカジノ化を横行させる一方、一生で使い切れない資金を持つ者のため一般の解雇者は年金が十分降りない状況にある。アフリカの農民は、グローバル市場が収穫に見合う支払いを行わないことに気づき、改善をもたらすと推進された「民営化」を受けた南米の労働者は、月収の25%を水道代に取られ、収益性の低い地域では、電話サービスの差し止めが脅かされ、さらに電力の供給システムは、利益を全面的に保証された外国企業に抑えられている。 汚職はあまりにも深くなった。私たちは、いますぐ検疫し、さらに命が奪われることを防がなくてはならない。