ATTAC日本版2002年第26

Sand in the wheels

Weekly newsletter - n°135 – Wednesday 03 July 2002.

 

世界銀行の新戦略

THE WORLD AND ITS BANK

 

ATTACニュースレター「サンドインザホイール」(週刊)

200273日号(通巻135)号

目次

1.[トービン税論争] 実行可能なトービン税の確立を:「正統派経済学」を信じてはいけない!(Debate. Making a Workable Tobin Tax: Don't believe in the economic orthodoxy!

新古典派経済学は、一連の比較的単純な仮説を基礎にしている。それによると、すべての経済発展は市場の需要と供給によって分析される。正統派経済学の標準的な原理は、価格(開放市場で自由に決定される)が需要と供給の調整を最適に保証するというものだ。この調整は専門用語では「均衡」と呼ばれる(これはニュートン力学から借用した用語である)。この学説が主張するところでは、開放・自由市場における均衡は経済効率と社会(単に、効用と消費を最大化しようとする快楽主義的個人の総和として考えられている)の全体的な福祉を最大化する(2145)

2・[トービン税論争] トービン税は導入可能か?(Debate. Could a Tobin Tax Be implemented?

トービン税が世界規模で実施されないなら、投機活動は非課税の地域へ移動するだろう。良い例は、スウェーデンにおける株式・債権取引税である。他の金融取引や実物取引もトービン税を回避する手段を与えるだろう。たとえば、異なる通貨での石油やその他の商品の売買契約を相互に交換するという方法もある。しかし、外国為替取引のコストが高騰し、非生産的な金融工学に、より多くの資源が割り当てられることになるだろう(734)

3.新自由主義にはマフィアがお似合いNeoliberalism suits the mafia well

カパーチ事件[1992523日にイタリア・ミラノ郊外で、元バレルモ地検検事のジョバンニ・ファルコーネがマフィアによって暗殺された]の10周年にあたって、この10年間にどれだけのことが達成されたか(プラスもマイナスも含めて)、また、ヨーロッパ規模で新自由主義的な思考と行動が支配する歴史的時期に何かを成すことがいかに困難であるかを想起してみよう(1142)

4.水:世銀の新戦略Water : the World Bank's New Strategies

環境と開発に関するリオ宣言は、開かれた意思決定プロセスに人々が参加する権利を増進している。世界中の市民団体が2002年8月の「持続可能な発展に関する世界サミット」(WSSD)あるいは「リオ+10」に向けて準備している時、これらの市民団体は水に関する条項について、国内でボトムアップ方式の意思決定を求めて団結するべきだ。民主的手続きを省略して、公共的水道サービスの提供のオプションを除外するようなやり方を非難するべきだ。世銀の新戦略は「民営化万能論」に基づくものであり、民主的協議について嫌悪感を示している(1878)

5.世銀の政策と労働者の権利World Bank policies and labour rights

労働組合と労働者の権利のための闘争は、文化的な社会を発展させるためには決定的に重要だ。しかし、もっと良い労働基準を実現するには、まず、労働組合の権利が侵食されつつあるのはなぜか、現在世界の大部分の地域で労働条件が過酷になっているのはなぜかを分析する必要がある(1721)



 

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要約版]


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トービン税論争]

実行可能なトービン税の確立を

「正統派経済学」を信じてはいけない!

Debate. Making a Workable Tobin Tax:

Don't believe in the economic orthodoxy!

By Heikki Patomäki

 

この論考は、前号で紹介されているOECDのレポート「トービン税―本当にできるのか?」(Debate. Tobin Tax: Could it Work[2002OECD報告書「為替市場の揮発性と証券取引税」所収]への反論である。

 

新古典派経済学は、一連の比較的単純な仮説を基礎にしている。それによると、すべての経済発展は市場の需要と供給によって分析される。正統派経済学の標準的な原理は、価格(開放市場で自由に決定される)が需要と供給の調整を最適に保証するというものだ。この調整は専門用語では「均衡」と呼ばれる(これはニュートン力学から借用した用語である)。この学説が主張するところでは、開放・自由市場における均衡は経済効率と社会(単に、効用と消費を最大化しようとする快楽主義的個人の総和として考えられている)の全体的な福祉を最大化する。

OECDの「為替市場の揮発性と証券取引税」の冒頭に、「外国為替市場は世界経済が機能するのに欠くことが出来ない。しかし、時には過度に不安定となり、時にはその動きは破壊的な影響を及ぼす」とある。トービン税が持ちうる効果について特別の検討がなされている。

たとえば、トービン税について次のように論じられている。トービン税は「流動性と情報を提供することによって市場を安定させる取引」と、「市場を混乱させるノイズ取引」を区別することなく、頻繁に行われる取引にペナルティーを科す。新古典派の考え方では、流動性取引は合理的であり、したがって市場の効率を高めるが、一部の取引は単なる「ノイズ」である。この議論は「パレート均衡」という概念を前提としており、それを基準に取引が合理的かノイズかを判断する。しかし、このような実効的均衡は単なる理論的概念であり、想像上のものだ。実際には、均衡理論の論者たちはどのような「実効的均衡」が実社会で機能しているのかを知らない。

また、参加者間の「実効的均衡」が経済全体の効率を高めるというのも、新古典派経済学の典型的な仮説である。こうしてトービン税の効果は、為替市場の参加者にとっての費用効果という観点からのみ分析されている。この観点からOECD報告は、その効果は両面があると述べている。つまり、「トービン税が揮発性を減少させると、ヘッジ商品の価格が大幅に下落する。一方、コスト面から見ると、流動性の間接的効果により、揮発性が高まり、トービン税は低コストのヘッジを可能にする取引に大きな影響を及ぼす」。

その後の議論の多くは、信用・証券・通貨市場は経済のファンダメンタル(実勢)を正確に反映するという仮説に基づいている。OECD報告書は、「1カ月単位での外国為替市場の揮発性は、経済のファンダメンタルの変動では説明できない」ことを認めている。しかし、重要なことは、この問題をどのように概念化するかということだ。OECD報告書は、公的な情報と私的情報の区別によって、取引量と揮発性の相関関係が説明できるとしている。「揮発性の多くの部分は私的な情報と関連していると考えられる。ただし、これは必ずしも私的な情報がファンダメンタルに関係していないことを意味するものではない」。

正統派の経済学説を信用してはいけない。「効用と消費を最大化しようとする快楽主義的個人の総和」からなる社会というもっともらしい仮説を離れれば、新古典派の経済学の理論は何の役にも立たない。標準的な需要と供給の曲線は誤りであり、誤った結論へ導くものだ。「効率的な金融市場」という理論の前提となっている仮説も根拠がない。金融取引の参加者たちは、開放的なシステムの中で取引を行っており、将来について同じ、正しい予想を持って行動するということはありえない。ところが、これが「実効的均衡をもたらす合理的取引」の前提になっているのだ。・・・

(ケインズの影響を受けた)トービンは当初、過剰流動性をもつ「効率的」な金融というのは、短期的効果しか見ない考え方であり、非合理的な投資であると論じていた。これは国家が自主的に経済政策を決めることを不可能にし、資金の誤った配分に導く。・・・グローバルな相互依存関係のため、金融の変動は金融活動に関与していない人々や意志決定に参加していない人々にも大きな影響を及ぼす。つまり、何百万人もの人々が、繰り返される金融危機の影響を受け、何の罪も犯していないのに罰せられるのである。責任をとるべき多くの者が救済され、過ちを犯しても罰を受けることはない。それどころかその特権を活用することになる。「利益は個人に、リスクは社会に」という原理は公正ではない。

公正という観点からのより一般的な議論は、グローバル金融市場が地球規模の格差拡大に責任を負っているという主張から出発する。・・・この観点から、トービン税はより公正なグローバル・ガバナンス(地球規模の統治)に向けた重要なステップである。トービン税は為替市場の金融投資家から歳入を得て、公共的な資金を生み出す。

別の観点から言うと、トービン税に関する論議は、民主主義という共通の理想を出発点とすることもできるだろう。実際、先に触れたような論議は、ごく簡単に民主主義についての論議に発展する。たとえば、トービンが国家の経済政策の自立性を擁護しているのは、経済政策の民主的自己決定を擁護する議論である。・・・トービン税は世界規模の民主主義についての議論の出発点になると考えられる。

最大限に一般化すれば、トービン税を擁護する議論は、人間解放の視点から展開できる。現在の国際金融の組織的編成は自然なものであり、もっとも効率的なものであるというのは間違っている。しかし、こうした間違った前提が、金融活動やそれに関連する力関係の維持のために必要とされるのである。トービン税は世界金融市場による災禍に対する万能薬ではないが、ある程度は望むべき結果をもたらすだろう。したがって、トービン税は「人々が望まない、不必要かつ抑圧的な状況から、人々が望み、必要とし、しかも人々を力づけ、発展を助ける状況への移行」という意味において、解放への1つのステップとなる。

要約すれば、OECDの「為替市場の揮発性と証券取引税」の問題は、その議論の多くが誤った理論構成を前提としているということだけではない。同じぐらい重要な問題は、通貨取引税を経済効率の問題としてのみ取り上げていることである。トービン税には、それ以外の多くの重要な価値-力関係、自治、民主主義、公正、人間解放など-が関わっている。



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トービン税論争]

トービン税は導入可能か?

Debate. Could a Tobin Tax Be implemented?

By OECD

 

トービン税が世界規模で実施されないなら、投機活動は非課税の地域へ移動するだろう。良い例は、スウェーデンにおける株式・債権取引税である。他の金融取引や実物取引もトービン税を回避する手段を与えるだろう。たとえば、異なる通貨での石油やその他の商品の売買契約を相互に交換するという方法もある。しかし、外国為替取引のコストが高騰し、非生産的な金融工学に、より多くの資源が割り当てられることになるだろう

最近のトービン税擁護論では、トービン税によって多くの収入が得られ、開発援助などに使うことができることが主張されている。2001年に(国際決済銀行の調査によると)、1日あたりの取引額は1兆2500億ドルである。税率0.5%(トービン税の上限と考えられる)では、約1兆5000億ドルの税収が得られる。これは現在の海外開発援助に使われている金額とは桁違いの金額である。

トービン税は、実施上の問題を別にしても、この税の導入によってこの税収の基盤そのものが縮小するという問題がある。・・・

もう1つの問題は、「トービン税」が海外援助のための資金調達の最善の方法かどうかである。経済的観点からは、目的税は最も効果的な方法ではない。そのような援助を行うことに価値があるとしても、歪みが少なく、確実に収入のある方法で資金調達することが最良の方法。これがトービン税で達成されるとは思われない。「トービン税」の人気は、この税が比較的金持ちの人たちが支払うものであるという印象によるものだが、実際には税というものは価格や賃金の変化へと転化されるのであり、トービン税の負担が援助を受ける側の国の人々に負わされることもありうる。最後に、トービン税を海外援助とリンクすることは、そのような資金移転の増加が好ましいものかどうかという問題から政治的関心をそらせることになる。



新自由主義にはマフィアがお似合い

Neoliberalism suits the mafia well

 

カパーチ事件[1992523日にイタリア・ミラノ郊外で、元バレルモ地検検事のジョバンニ・ファルコーネがマフィアによって暗殺された]の10周年にあたって、この10年間にどれだけのことが達成されたか(プラスもマイナスも含めて)、また、ヨーロッパ規模で新自由主義的な思考と行動が支配する歴史的時期に何かを成すことがいかに困難であるかを想起してみよう。

80年代以来、ファルコーネ、ボルセッリーノなどの有能な人々のおかげで、マフィアに対する司法による追及が行われてきた。この追及は軍事部門やグレイゾーン(協力者)に対する追及では効果があったが、政治の領域ではほとんど成功していない。この領域では、本人の言説よりも証言を信頼するという司法の原則が放棄されている。

結果として、マフィアはより大きな力を持つようになった。Anti-Racket commission(マフィアによる恐喝行為について調査している委員会)のタノ・グラッソ氏による報告に掲げられている統計は、マフィアによる恐喝・横領行為の実態について明らかにしているが、現政府は即座にこの統計を握りつぶした。

いずれにせよ、司法による追及は、マフィアの不可侵性を脅かし、反マフィアの社会的運動に弾みをかけた。

1994年の選挙でのベルルスコーニーの勝利は、政治とマフィアのブロックを再び強化した。

利害の多数決と政治に関する法律は、新自由主義とマフィアロビーに「希望」を与えた。それは労働組合から公立学校に至るまで労働者たちの権利を攻撃することになったからだ。

多数決によって制定された法律(その多くは中道左派政党が責任を負っている)は、労働組合の権利や公立学校に入る権利などへの攻撃に道を開くことを通じて、新自由主義とマフィア・ロビーに希望を回復させた。犯罪組織は選挙への影響力を取り戻した。その一方で、多くの議席を獲得することを通じて、ベルルスコーニーの政府は絶大な権力を手にした。

これに対して、反マフィアの運動を含む左翼からの反撃が発展しなければならない。

私たちが望むのは、マフィアの取締りが緩むのを非難している政治リーダー、判事、大学教授たちが、住む家と水の権利、移民者の権利のために闘っている人々の側に付くことだ。ベルルスコーニーの新自由主義政策はマフィアの権力を支えるものであり、この政策に反対する闘いなくしては、マフィアと戦う方法はない。



水:世銀の新戦略

Water : the World Bank's New Strategies

By Asbjørn Wahl.

 

1992年にリオデジャネイロで開かれた「国連環境と発展に関する会議」で採択されたアジェンダ21では、水は経済財でなく、社会財であると述べられている。・・・世銀はこの宣言をあざ笑うかのうような、以下に述べる3つの水関連の戦略に資金を拠出しようとしている。

世銀の政策は、世界の貧しい人々の大部分が生活している農村に安全な水を供給する必要があることに注目していない。水関連の「ミレニアム開発目標」(MDG)の実現のために、世界銀行は貧しい人々(特に農村における)を力づけ、その生活を支援する方法を再考するべきである。

 

世銀のポートフォリオ

現在、途上国の水に毎年600億ドルが投資され、そのうち90%が国内資金である。世銀は外部資金の半分、つまり毎年約30億ドルを融資している。

水関連融資は、世銀の全融資ポートフォリオの約14%である。・・・

 

誰のコンセンサスか

世銀の「水資源セクターに関する戦略(案)」は、「健全なエネルギー・セクターとは何かということについて国際的コンセンサスが形成されているのと同様に、健全な上下水道サービスについてもコンセンサスが形成されている」と述べている。このコンセンサスの内容は、「供給者(民間の割合が増えつつある)を規制や政策や評価(公的な役割)から独立させ、供給者間の競争を奨励する」という原則に基づいている。

 

提案されている水戦略

世銀は民営化の原則に沿って、今年3つの水関連の戦略に着手することを計画している。

水資源セクターに関する戦略(WRSS

水及び下水事業戦略(WSBS)

農業と食糧安全戦略の潅漑の下の灌漑及び排水事業計画(IDBP

WRSSは世銀がダムなどの大きな議論を呼んだ大規模インフラ融資を本格的に再開するよう提案している。

 

水資源セクターの戦略の検討過程

水資源セクターの戦略(WRSS)の検討は、ごく限られた利害関係者からの意見のみを聴取し(ブラジルの民間の水道関連企業など)、NGOや労働組合などには何も知らせていない。WRSS8月の理事会に提案され、承認される計画である(8月下旬から9月初旬のヨハネスブルグ・サミットに間に合って)。

 

水と公衆衛生:無計画な民営化か。

世銀は公式の立場としては、公共的な水道サービスをオプションの1つとして認めているが、実際には、世銀の理事が言うように「民間部門の参加がないなら、アフリカへの融資は不可能だ」。

 

下水設備:資本集約的方法への偏り

下水サービスは、都市では大規模集中システム、地方では分散型のタンクシステムである。債権者と企業は中央集中型に興味を示すが、この場合インフラや運営に多額の政府予算が必要となる。

 

ダムとその他のインフラ:大規模プロジェクトの再開

ダムに関して、90年代には世銀の融資総額は19%減少した。またインフラへの融資は30%も減少した。

だが不幸なことに、世銀は旧式のやり方を復活させた。

 

セーフガード政策。

ダムを含め4分の3の水プロジェクトが環境に影響を与える。つまり、世銀のセーフガード政策が適用されねばならない。・・・だが、世銀はより巨大なダムとその他のインフラに融資しようとしているので、ハイリスクプロジェクトがセーフガード政策を軽視する傾向だ。


 

世銀の政策と労働者の権利

World Bank policies and labour rights

By Asbjørn Wahl, Campaign for the Welfare State

 

世銀に関する論議が熱心になされているが、世銀が規制緩和、自由化、民営化、資本の自由な動き、いわゆる自由貿易と労働市場のフレキシブル化を促進していることについてはあまり議論されていない。実際は、このような政策を他の国々に対し、融資貸付の見返りの条件として要求しているが、問題はこれが労働者は社会の全体的利益となっているかだ。

国際的労働組合運動や国際労働機構(ILO)などは、最小限の労働基準を国際協定に組み込むことを要求している。

実際、国際的労働組合運動はこれを要求するキャンペーンに多くの資金とエネルギーを投資し、世銀、IMFWTOなどに働きかけている。結果は芳しくなく、ILOなどの報告によると過去10-15年間労働組合と労働者の権利の侵害は増え続けている。

途上国でも、労働組合と労働者の権利は弱まっており、そのほとんどの国で非人間的扱いが進んでいる。精神的ストレスが増え、多くの労働者が労働市場から追放されている。

100年前、労働条件は最悪で、労働の規制もなかった。しかし労働組合と政治闘争のおかげで労働者と労働組合の権利は徐々に改善され法律や組合と労働者の協定により改善された。

この20年間、労働と資本のバランスが大きく変化し、今は資本に大きく傾いている。このために現在、途上国と先進国において労働が非人間化し、労働組合と労働者の権利が侵されている問題に直面している。最初でかつ重要な権力に対する課題であり、ただ労働基準が公的に導入されるだけで変えられるものではない。

では、世銀との関係はどうか。労働の非人間化と労働者の権利への攻撃に大きく関係している、その新自由主義的政策は世銀の政策でもある。

世銀は、この批判に答えるべく世界の労働運動との対話を強めていると述べている。これは事実だ。また新しいプロジェクトを始めるときに国内の労働組合と対話していると述べている。これも事実だ。またILOの主な労働基準を支持していると述べている。労働組合が実際は実施されていないと主張しても、世銀の主張を受け入れよう。

では、問題は何か。世銀による労働者の権利を支持する諸政策は単に表面的なものでしかない。労働市場を規制緩和したあとで、労働基準を導入することで労働者を守ることだとする考えは、水門を開けたあとで水が落ちるの止めようとするのを同じだ。

これについて、国際的労働組合運動は自己批判を求められている。WTO 、世銀、IMFに形式的な労働基準を要求することに焦点を当てることは、形式的な基準が労働条件の改善をもたらすという考え方をもとにしている。国際労働組合運動のリーダーたちはよく、「労働基準が含まれないなら、これ以上の自由化は受け入れない」と言っているが、これは間違いである。それは闘争の方向性を見失わせ、結果として労働条件の悪化をもたらす。

北の労働運動が南の労働組合や労働者の権利を支持するためには、われわれ自身の多国籍国家の力を制限するために闘うことだ。それが成功すれば、労働条件と労働者の権利に良い結果をもたらす。市場自由化は労働組合と労働者の権利に対する脅威である。世銀の新自由主義政策はその解決策ではない。問題の一部である。