ATTAC日本版2002年第18

Sand in the wheels

Weekly newsletter - n°127 – Wednesday 08 May 2002.

 

心を開く?

BE OPEN

 

ATTACニュースレター「サンドインザホイール」(週刊)

200258日号(通巻127)号

目次

本号は、英語版の要約のほかに、日本版独自の企画として、アフガニスタン革命的女性連盟(RAWA)の4月28日付の声明と、フランスのマクドナルドでの労働者の闘いのレポートを掲載しています。これからも、英語版要約以外にも重要なレポートを掲載して充実させていきたいと考えています。翻訳協力可能な方は事務局までご連絡ください。

1- 統一は違いを避けることではなく、直視することによって実現されるUnity Is Achieved by Confronting Differences, Not Avoiding Them

反戦の立場が「現時点では米国の労働組合リーダーにとって政治的自殺である」という断定には戸惑ってしまう。たしかに政治的条件は地域によって異なるが、労働運動はわれわれの経済、基本的な民主的権利、団結権とストライキ権、基本的な社会的サービス - 要するに労働に関わるあらゆることがらに直接に影響を及ぼす行動に沈黙を保つべきではない。(1023)

2- フランス:大統領選挙のトラウマ(France: The Trauma of the Presidential Election)

 大統領選挙第2回投票は、フランス社会が極右を拒絶していることをはっきりと示した。しかし、この結果は第1回投票の結果の衝撃-それは予想されなかった事態だったため一層大きなトラウマとなった-打ち消すものではない(1752)

3-ベネズエラ:政治的不安定化のための言説(The Language of Destabilization)

ベネズエラで軍事クーデターが失敗したのは、民主的プロセスが存在していたためだ。一般市民が政府とその政策を守るために街頭に出た。これは80年代と90年代に民主行動党(AD)とキリスト教民主党(COPEI)の腐敗した政治によって”しらけ”と無気力が蔓延した後の、新たな政治化が高いレベルに達していることを示している。この状況の中で、カルロス・ペレス前大統領とその側近たちが投獄された(1203)

4- WTO をめぐる動き(WTO Tidbits)

@ドーハ閣僚会議後の交渉が継続されているが、その中で金持ち国は自国の市場開放よりも援助に力点を置こうとしているA米国はTrips協定を修正しジェネリック薬の製造を認める案に反対している-これは一歩後退であるBコーデックスの食品をめぐる協議で、食糧のトレーサビリティー(追跡可能性)の原則について進展があったC多くの国が米国の鉄鋼輸入課税30%増加に怒りを表明したD仮契約により米国産大豆の輸入が中国市場に再び開放された(927)

5- 世銀が構造調整政策(SAP)の批判的再検討を無視(World Bank Shrinks from Challenge on SAPs)

昨年7月、ジェノバで10万人の人々が世界で最も強力な政府と国際機関の経済政策に反対した時、ウオルフェンソン世銀総裁はオーストラリアに滞在しており、聴衆に向かって「批判には心を開き、耳を傾けなければならない」と述べた(1202)

6- 楽天的な輸出万能論者への批判(Challenging the "Export Oriented Optimists")

タイや東南アジア地域でも、他の多くの地域と同様に、貿易と投資は良きにつけ悪しきにつけ、その経済および社会の構造に重要な影響を及ぼす。たとえば、短期海外投資の急激な増加--それはその後90年代の初期の金融自由化と、その後の危機を招いた急激な資本流出を伴った--の余波は、いまだにその地域全体に影響を及ぼしている(1370)

7-世界のアタックの会合(省略)

■付録1 「4月27日よりさらに不幸な4月28日」

4月28日の「ブラック・デー」におけるアフガニスタン革命的女性連盟(RAWA)の声明

■付録2 「フランス・マクドナルドで114日間のスト」

青年の闘いがグローバリゼーションの象徴=マックを打ち負かした

 


[要約版]

統一は違いを避けることではなく、直視することによって実現される

Unity Is Achieved by Confronting Differences, Not Avoiding Them

by Paul Bigman, Lynne Dodson, Mary Ann Schroeder, and Lonnie Nelson(ワシントン州JwJ)

[訳注この論考は「レーバーノーツ」月号に掲載されたもので、同誌月号掲載のRuss Davis氏の論考に対するコメントである。Russ Davisの論考はhttp://www.labornotes.org/archives/2002/04/e.htmlに掲載されており、要約はこのニュースレターの日本版第12号に掲載されている

労働運動にとって、戦争の問題も、環境の問題と同様に、さまざまな立場の人たちがいるが、少しずつ一致点を見出していくことは可能だ。ワシントンの「ジョブウィズジャスティス」(JwJ)では、団結権、世界規模での公正、財政危機、医療などの問題を進行中の戦争との関連の中で位置付け、戦争と不況の下での組織化を今年の活動の重点として設定している。

反戦の立場が「現時点では米国の労働組合リーダーにとって政治的自殺である」という断定には戸惑ってしまう。たしかに政治的条件は地域によって異なるが、労働運動はわれわれの経済、基本的な民主的権利、団結権とストライキ権、基本的な社会的サービス - 要するに労働に関わるあらゆることがらに直接に影響を及ぼす行動に沈黙を保つべきではない。

ワシントンのJwJは、軍事化が市民的自由や労働者の権利への攻撃につながるという認識を持って、退役軍人やベトナム戦争時代の徴兵登録者たちにも働きかけ、一致できる点を広げていこうとしてきた。大きな連合を作っていくには、違いを避けるのではなく、それを直視し、共通の土台を見つけ出していく努力が求められる。

 

フランス:大統領選挙のトラウマ

France: The Trauma of the Presidential Election

ピエール・カルファ(Pierre Khalfa)

[全文訳]

 大統領選挙第2回投票は、フランス社会が極右を拒絶していることをはっきりと示した。しかし、この結果は第1回投票の結果の衝撃-それは予想されなかった事態だったため一層大きなトラウマとなった-打ち消すものではない。

 

空前の大衆動員

 

 このトラウマを克服する動きは、第1回投票の結果が発表された直後から開始された。フランスの多くの市や町で自然発生的なデモが起こった。

 このデモは数日間続いたが、当初は学生が中心だった。学生たちが自然発生的に、大挙して街頭に飛び出したことにすべてのコメンテーターが大きな驚きを表した。多くの若者にとって、これは初めてのデモで、初めての政治的経験だった。この一連のデモが2つの意味で政治的な雰囲気を変化させた。第1に、それは茫然自失の状態から脱出し、ショックから立ち直り、希望を取り戻すきっかけを提供した。第2に、それは状況がただごとでないことを際立たせ、ルペンの第2回投票への進出が支持されていないことを示した。

 学生の大規模な運動は労働組合や市民組織に刺激を与え、これらの組織を行動へ駆り立てた。最初の大規模なデモは4月27日の土曜日に行われた。LDH(フランス人権同盟)、MRAP(「レイシズムに反対し民族間の友好を促進する運動」)のイニシアチブによって組織され、一部の労働組合やATTACなどの組織が参加をよびかけた。FO(「労働者の力」)とCFDT(フランス民主労働連盟)は参加しなかった。このデモは5月1日のデモのリハーサルとなった。

 5月1日のメーデーには、パリで50万人、全国で150万人がデモに参加した。この津波のようなデモは、わずか2万人しか動員できなかった極右を圧倒した。しかし、このような統一的な取り組みと事態の深刻さにもかかわらず、一部の地方でCFDTはセクト主義的な政治に固執した。ある統一的な集会でCFDTは、SUDなどの組合が結集する連帯労組連合(USS)の参加を認めず、ATTACやその他の市民団体の参加を拒否し、5月1日のパリのデモではフランス農民連盟のリーダーのボジョゼ・ボベの参加を認めなかった。

 

状況の変化

 

 この大衆動員の力は、第2回投票をめぐる状況を一変させ、第1回投票の結果がフランス社会の右傾化を示すものではないという分析を確証した。この大衆動員は、投票所での意思表示に先立って、街頭という場を使って極右に対する拒絶を示したのである。右派政党のリーダーたちはこの街頭デモを支持することを拒否した。ただし、シラクは5月1日のデモが終わった後で、このデモに賛辞を送るだけの分別を示した。

 この大衆的な抗議運動と、大部分の社会運動団体によるシラクへの投票の呼びかけ(直接的か間接的かは別として)が第2回投票に一定の影響を与えたということは、再選されたシラク大統領が完全な正統性を与えられたわけではないことを意味している。

 

政治的論争の要求

 

 すべての市民団体、労働組合、左翼政党が関わった最初の論争は、第2回投票における投票の問題、つまり人々にシラクへの投票を呼びかけるのかどうかだった。最初の学生デモは、「ファシストよりは詐欺師に投票を」と呼びかけることを鮮明に主張していた。その後、激しい論争の後、大部分の組織は人々に何らかの方法でシラクへの投票を呼びかけるという考えを受け入れた。しかし、アルレット・ラギエ候補と彼女の組織(「労働者の闘争」)は、棄権か無効票を呼びかけた。多くの若い有権者はこのよびかけを拒否した。

 また、多くのエネルギーがデモへの参加のために費やされたとはいえ、第1回投票のショックはすべての活動家のネットワークに影響を及ぼす政治的カタルシスとなった。社会党のリーダーたちはジョスパンの敗北の責任を、候補者を立てた左翼政党や、ジョスパン政権の社会・自由主義的政策を批判した左翼に転化しようとしたが、この説明や自己弁護の試みは、現在の状況の背景となっている根拠をめぐる政治的論争の拡大を抑制することはできなかった。

 ATTACや多くの社会運動団体、労働組合の連名による「街頭フォーラム」の呼びかけは、「政治の場を取り戻し、極右への支持を掘り崩し、連帯と民主のための新しい基盤を構築し、自由主義および社会・自由主義的政策に対するオルタナティブを目指すための広範で持続的な集会、論争、動員」を呼びかけた。こうして第1回投票の直後の4月25日にパリで数百人が集まって最初の集会が開かれた。これとは別に共産党と緑の党のリーダーたちが第2回投票前の27日に、労働組合や市民運動団体のリーダーと共に公開討論を組織し、千人以上の人々が参加した。

 総選挙までの期間、このようなイニシアチブが続けられるだろう。たとえば、ATTACは現在の状況から導くべき教訓を明らかにすることを目的に、社会運動団体と政党の間で意見を戦わせる機会を提供するための論争をよびかけることを計画している。「街頭フォーラム」のよびかけに署名したグループは、現在の社会的要求を前面に押し出すことができるような一連の集会を企画している。

 

第2回投票の結果

 

 第2回投票では棄権は約9%減り、20%だった。棄権率の減少は基本的にはシラクに有利に作用し、シラクは82%の票を獲得し、ル・ペンの18%に大差で勝利した。これは第1回投票で合計20%を獲得した極右勢力にとって後退である。しかし、ル・ペンは票を減らしたわけではない。むしろ、彼が獲得した票は、第1回投票で極右の2人の候補が獲得した票の合計よりも5万票以上多い。約550万人が彼に投票したのである。このことが示しているように、極右は阻止されたとはいえ、政治の舞台から消滅したのではなく、それどころかこれまでの大統領選挙よりも支持基盤を広げ(100万票の増加)、安定させることに成功した。

 シラクの大量得票に騙されてはならない。これはいかなる意味でも彼の政策への支持を表しているのではない。それは単にル・ペンへの拒絶を表している。なぜなら、シラクへの投票は実質的には「極右に反対する国民投票」だったからである。実際、これが今回の選挙のパラドックスである。シラクの得票が多ければ多いほど、その得票のうちのシラクを支持する割合は少ないのである。そのことを考慮すれば、82%という得票は彼の立場を特に有利にするものではなく、第1回投票における彼の得票率の低さを忘れさせるものではない。したがって、彼の正統性は脆弱である。

 

次は何か?

 

 シラクは「穏健右派」と言われているラファランを首相に選んだ。これは彼が街頭と投票箱に示された世論を配慮しているというポーズである。しかし、この政治的舞台設定を越えて、右派政権が彼の政策以外のことをできるとは考えられない。第2回投票直後の5月5日夜にジョスパン前首相は「より柔軟性を持った社会的立法」が必要であり、年金問題が優先的課題であると述べた。これは状況が社会的対立に満ちていることを示しており、シラク当選の背景となった条件は、いかなる蜜月期間も許容しないだろう。

 依然として次の国会の構成は不確かである。総選挙の第1回投票は6月9日に行われる。右派が多数を占める可能性が大きいと考えられている。多くの評論家は、第2回投票で約170の議席が左翼と右翼と極右・国民戦線の三つ巴の争いになると予想している。つまり、最終結果はまだ予断を許さず、したがって人々は第1回投票で「抵抗票」を投じるのでなく直接に社会党に投票するよう促されるかも知れない。

 ATTACをはじめとする社会運動組織にとって、これは政治的論争に力を入れ、政治家たちが一連の社会的要求を取り上げざるをえないようにし、自由主義的グローバル化に反対することが絶対的に必要であることを訴える時である。それこそが極右に集まった票の根拠そのものに攻撃をしかける絶対的前提条件である。

 

 

ベネズエラ:政治的不安定化のための言説

The Language of Destabilization

By Marcos  Roitman Rosenmann.(社会学者、マドリード大学講師)

 

ベネズエラで軍事クーデターが失敗したのは、民主的プロセスが存在していたためだ。一般市民が政府とその政策を守るために街頭に出た。これは80年代と90年代に民主行動党(AD)とキリスト教民主党(COPEI)の腐敗した政治によって”しらけ”と無気力が蔓延した後の、新たな政治化が高いレベルに達していることを示している。この状況の中で、カルロス・ペレス前大統領とその側近たちが投獄された。

ベネズエラは今日、国民の大多数が新憲法(国民投票により2000年から施行)に基づく国民国家プロジェクトに関与している社会である。だから、憲法を無視し、政権を奪取しようとしたクーデターは失敗したのである。カラカスだけで20万人以上の人々が、チャベス政権の復帰を求めてミラフロレス宮殿を取り囲んだ行動は、民主主義への関与を表す行動として以外には解釈しようがない。

緊迫した状況では生命が危機にさらされる。軍事クーデターは、死、抑圧、拷問、殺人をもたらし、基本的な民主的自由を奪う。このような状況で、女性も男性も、軍人も民間人も恐怖を打ち破り、ベネズエラの88%の支持する憲法と民主的秩序が崩壊することに反対した。軍が憲法への忠誠を示したことも重要だったが、それだけでなく、私たちは市民社会の多くの人たちが民主主義のために政治的、人間的な関与を示したという教訓に注目しなければならない。政治的改革、新自由主義に対する闘い、大国支配への反対は、主権を持つ人々が自己決定権を行使し、政府とその改革を支持する時に実現可能となる。もう1つの現実が実現可能になるのである。

 

一方、これまでに反政府派が行ってきた政治分析は、「ガバナビリティー(統治能力)」という理論によって(民主的手続きに熱心でない人々と、その海外における同盟者たちに支持されながら)、ベネズエラに政治的反動を利する政治的・社会的・経済的枠組みを提供してきた。それは政治的不安定化のための言説を押し付けるための闘いだった。したがって、ウーゴ・チャベスの選挙における勝利はベネズエラとラテンアメリカの政治機構にとって危険だとする国際世論が形成された。「主権者たちの選択は間違いだった。だから、この好ましくない発展を阻止する戦略が必要だ」というわけである。

これはラテンアメリカでは常にくり返されてきたことである。ウーゴ・チャベスが大統領にふさわしくないという宣伝が展開された:ポピュリスト的な政治手法、独裁的体質等々である。

そしてこの論理が実践に移された-政府を攻撃する時が来た。あとは、政府の政策を、倒産や国際社会からの不信を招いた時代遅れの、ナンセンスであると描き出すだけでよかった。そのような大統領の下でベネズエラ人であることを恥であるとする悲壮感が作り出された。チャベスが独裁者として描き出された--当然にも、独裁者は打倒され、民主的が回復されなければならない。こうしてすべての準備が整った。あとはクーデターを正当化するためのきっかけとタイミングだけが必要だった。反乱の正当性は保証されている-ペルー、チリ、スペインの政府が支持を表明していた。しかし、彼らが1つだけ予想していなかったのは、人々が民主主義の剥奪に抗議して立ち上がることだった。

 

クーデターが失敗した後、この敗北が勝利だったと描き出す試みが行われている。この過程でも言論とメディアが重要な役割を果たすだろう。これはクーデターの首謀者の無罪放免を狙っている。政府が法を曲げて首謀者を無罪放免しなければ、それが報復として描き出され、次の反乱を正当化する口実とされるかも知れない。現在、法律に基づいて首謀者を裁判にかけることが非常に重要である。それにより、ベネズエラの「ボリバール共和国」の民主主義がより確固としたものになろう。

 

WTOをめぐる動き

WTO Tidbits

By the Attac work group on International Treaties, Marseilles

 

1)豊かな国は市場開放より援助公約を急ぐ

豊かな国々はドーハの後、「開発資金」に1,800万ドルの援助を公約した。この「資金」は「途上国」の新交渉への参加意欲を引き上げることを目指し、その国々対する技術支援の割り当てをおこなう。この金額は、事務局が2002年技術支援計画に求めていたが額の2倍である。この基金へのEUの融資は2002年基金に公約された合計金額の60%である。

このニュースはムーア事務局長を驚かせた。しかしブラジル代表は、先進諸国が自国市場を開放するべきだと述べた。

 

2)知的財産権と強制的ライセンス権をめぐる論議。

米国は、知的財産権協定の改正に強く反対している。米国の提案は、医薬品の製造能力のない貧しい国への医薬品輸出に強制ライセンス権を与える国に関する紛争の処理に猶予期間を設けることだけである。この提案に「途上国」は反対している。長期的な解決にはならないからだ。

猶予期間によりジェネリック薬生産の誘因を弱めるだろう。この米国の提案は大きな後退である。

 

3)トレーサビリティー基準が国際食品規格へ

バイオテクノロジー食品の国際食品規格(コーデックス)の作業グループは、トレーザビリティーの概念を国際基準に含めることで合意したが、その詳しい説明は避けた。その前の会議では、この重要な課題に対する規範を採用は保留されていたが、その後、米国とEUの論争の柱となっている。米国は、トレーサビリティーとEUが要求する遺伝子組み換え商品のラベル化の要求は妥当でなく無意味に貿易を制限すると考えている。現在の協定ではトレザビリチィー基準の使用に関する国際的交渉で前進している。

 

当局は、リスク要因の理解は不確実であること、またそのリスクに対する適切な手段を実施することを考慮するだろう。基準の表現は、商品を市場に出す前に健康へのリスクをケースバイケースで理解する必要があるということも書かれている。全ての影響について考慮されなければならず、特に基本栄養素またはアレルギー源の可能性に関し人の健康に影響を及ぼす新しい危険の可能性と一次変異を考慮しなければならない。この記録の採用は、2003年、6月ローマで開催予定の会合で申請される。

コーデックス・食品委員会は健康と植物保護対策に関するWTO協定で認可されたもので、食品の安全性に関する国際基準の確立する責任をもつ。WTO加盟国は食品安全性に関する国内法の基礎としてこの規範を適用するよう要請される。

 

4)米国の鉄鋼輸入関税30%引き上げ決定、その後

カナダ、ベネズエラ、ブラジル、EUの圧力団体は、自国政府に関税の調整を求めた。「地球の友」は各国政府に対し、米国遺伝子組み換え食品の輸入を禁止し、さらにEU市場に出回っている米国製品にエネルギー税を課し、ブッシュ政権の決定に対処するよう求めた。

 EUWTOの論争調停手続きをすでに始めている。日本、ニュージーランド、オーストラリアからの支持を取り付け、ブラジル、台湾、韓国、中国にも支持を呼びかけている。損害の補償としてEUが要求する額は25億ドルである。

 

5)中国と米国、米国産大豆の中国への輸入に関する仮契約に合意。

この契約により、中国はその輸入規則を一時的に放棄するだろう。それは3月20日に発効し、大豆は人体に安全であるとする米国の保障を受け入れたものである。中国は昨年10億ドルを買い、米国産大豆の最大のマーケットとなった。

 

世銀が構造調整政策(SAP)の批判的再検討を無視

World Bank Shrinks from Challenge on SAPs

by Steve Hellinger

[「50年でたくさんだ」ネットワークのニュースレターhttp://www.50years.org/ejn/v5n1/index.htmlより]

昨年7月、ジェノバで10万人の人々が世界で最も強力な政府と国際機関の経済政策に反対した時、ウオルフェンソン世銀総裁はオーストラリアに滞在しており、聴衆に向かって「批判には心を開き、耳を傾けなければならない」と述べた。

彼はこの20年間にわたって世界銀行の政策を批判しつづけてきた人々による調査報告書を受け取り、検討するべきだ。「構造調整政策に関する参加型検討のためのイニシアチブ」(SAPRI)は昨年のジェノバ・サミットの後ニューヨークでフォーラムを開催し、報告書の草案を発表した。彼はこのフォーラムに参加して、この報告書にふまえて世界銀行の政策を変更するべきだった。

世界銀行は90年代半ば以降、ウオルフェンソンのイニシアチブで、批判的な市民グループを含めた多くのグループの提言を求めてきた。しかし、その提言が具体的な報告書の形になると、それに背を向けるのである。

南の諸国、そして北の諸国で大きなデモに参加する人々の不満の中心は、重要な決定が当事者を排除して行われていることである。南の政府でさえ、自国の市民の主張に理解を示さない。重債務(HIPC)国の債務帳消しや貧困削減戦略ペーパー(PRSPs)といった大がかりなイニシアチブは、世銀やIMFが対象国にワシントンの処方箋に従うことを要求したとき、その信用を失う。

 

私たちの組織が「構造調整政策に関する参加型検討のための国際ネットワーク」(SAPRIN)の委託によりコーディネートしたSAPRIは、一連の「構造調整」または貿易自由化を援助・貸付の条件として強制してきた世銀とIMFの責任を問うてきた。世銀とIMFは、「労働市場柔軟性」や、貿易と金融部門自由化といった民営化政策を課しながら、海外投資を促進するために世界90カ国以上の経済の再調整を行っている。

 

このような政策は、非民主的に決定され軽率に無差別に実施され国内経済を大混乱に陥れている。それによる低い購買力、高い借り入れコスト、安い輸入、高いサービスは地域市場に商品を供給し、そして多くの国内雇用を生み出す何千の中小企業を一掃した。そしてその過程で貧困、不平等、不安定な金融システムを生み、対外債務が増加した。SAPRIは世銀および各国政府と共に、この現象を多くの国について立証した。多くの組織が政府と共にSAPRIの試みに参加した。フィリピンとメキシコでは独立したイニシアチブをとり、アルゼンチンなど各地で小プロジェクトを開始した。構造調整政策は様々の集団や経済的に重要な地域と分野にそれがどのような影響を与えるかで、選択され評価された。

 

「これまでのやり方を変える」ためにこの調査結果を活用するというウオルフェンソンの当初の約束ににもかかわらず、世銀がSAPRIの結論を無視することを決定したことは、私たちにとって驚くことではない。私たちは世銀総裁がビジョンと勇気を示すことを期待していたが、つまるところ彼は世界の大手金融センターで北の財務大臣たちと支持団体が支配する委員会の中にいる。この状況が変化しないことは明白だ。

 

SAPRINは重要な問題で市民社会を動員するという目的を達成した。経済政策策定の領域の中で、普通の市民の能力で活発で誘発的な役割をはたすという目的を達成した。この重要な時期において、世銀は試練を受けそして失敗した。SAPRIの結論を真剣に検討することを避けたのだ。

 

彼の言葉は空虚だった。世銀は、その他の多国籍機構と共に世界的企業、銀行その他の組織の代わりとなり、グローバリゼーションと自然経済を継続していくことは明らかだ。そして、組織された市民がそのような会議で意義ある役割を果たすことはないだろう。

 

活発な組織と社会運動は圧力をかけるために継続するだろう。SAPRINは、今日の政策に挑戦し、民主主義をもたらし、活発な代替策をもたらす。この激しい対立の中で建設的解決があるかどうかは、世界的経済的を操るひとの手と真正面から向き合っている。

 

楽天的な輸出万能論者への批判

Challenging the "Export Oriented Optimists"

By Jacques-chai Chomthongdi.

 

タイや東南アジア地域でも、他の多くの地域と同様に、貿易と投資は良きにつけ悪しきにつけ、その経済および社会の構造に重要な影響を及ぼす。たとえば、短期海外投資の急激な増加--それはその後90年代の初期の金融自由化と、その後の危機を招いた急激な資本流出を伴った--の余波は、いまだにその地域全体に影響を及ぼしている。

貿易の自由化と投資の自由化は合わせて考える必要があるが、切り離して扱われることがある。原理的には、金融部門は「実体」部門を支援する役割を持ってきた。したがって、多くの貧しい国は、自国に十分な資金がないため、膨大な国際的な金融資源にアクセスするために金融自由化は避けられないと信じさせられてきた。だから多くの国にとって、金融の自由化と貿易の自由化は補強しあうはずのものだった。

 

・結果はばら色ではない

実際には金融自由化の結果は多くの人が期待するほどばら色ではなかった。たとえば、タイとその他の国々は短期資本の急速な増加を経験したが、短期資本は長期経済活動には役に立たない。また多く場合、外貨導入の急激な増加はインフレと、地元通貨の過大評価をもたらし、その国の輸出の競争力を減退させる。

 

この問題に対して多くの見方がある。しかし、アジアの金融崩壊は一般的に短期資本流入と強く関係していると考えられている。注意すべきことがある。短期投資は「悪い」と考えられているが、すべての長期投資が「良い」わけではない。海外直接投資(FDI)などの長期投資は潜在的利益があるのは事実だ。FDIはその他の民間資本移転より安定しているので、FDIは「途上国」経済にとって重要な財政源としての役割をもつ。

 

だが、これはFDIが自動的にもたらす恩恵ではなく、単なる可能性でしかないことが強調されるべきだ。南の諸国がそこから利益を得るために短期及び長期の海外投資を選択し調整するために、自治権を取り戻すことが不可欠である。しかし、政府の能力は、貿易関連投資措置(TRIMs)やサービスの貿易に関する一般協定(GATS)など、WTOの多国籍協定によって急速に弱まっている。たとえば、TRIMsのもとでは、投資の受入国は国内部品調達率を適用できない。これは投資受け入れ国の発展に打撃をあたえる、なぜなら国内部品調達率はFDIと国内産業を結びつけるために重要なものだからだ。

 

とはいえ、発展途上国がFDIを全面的に拒否するべきではない。バランスのとれた戦略が重要だ。そのためには、「市場アクセスをいかに増加させるか、輸出をいかに増加させるか」という従来の質問でなく、「いかにしてひとびとが貧困に打ち勝つか」という基本的質問に帰る必要がある。

 

統合の代価

見過ごされてきた問題は、世界経済への統合に伴う代価である。各国はいま、貿易と投資に対する障壁を解除し、新しい特許のルールからより厳密な銀行基準へその要求に応じることを要求されている。貧しい国々の政府は、国際的統合に注意を向け、人的資源、行政能力、資本を教育、公共衛生、社会的一体性などの緊急の優先課題から引き上げることを要求される。エコノミスト・Dani Rodrikは言う。「世銀貿易エコノミストMichael Fingerによると、典型的な途上国がWTO3つの協定の要件を満たすには、1億5,000ドルが必要になる」。

 

貿易戦略の公式には草の根主義レベルの注目が必要だ。貧しい人々が生活の質を向上させるための要因と政策の選択が確認される必要がある。その後、その要因と政策を支持し、強化するために外国貿易と投資のレベルと種類を決定する。「市場アクセス」は最も重要ででないとことが分かる。多くの場合、輸出増加は農業と同じく、産業部門の極端な搾取を伴ってきた。たとえば、タイの小規模農民は輸出生産に関係すればするほどますます借金し化学的危機にさらされる。人類の発展の目的は貧しい人々のポケットのお金を増やすことではなく、彼らが全ての生活面を改善し、人類の尊厳を取り戻すことであることを忘れてはならない。

 

付録1

4月27日よりさらに不幸な4月28日

2002年4月28日「ブラック・デー」のデモにおける アフガニスタン革命的女性連盟(RAWA)の声明

(原注:1978年4月27日は、ロシアの傀儡権力がアフガニスタンの政権を制した日。1992年4月28日は、傀儡政権崩壊後に原理主義者たちが政権を握った日。)

[http://www.rawa.org/apr28-02en.htmより、訳:池田真理、注も訳者による]

 

わたしたち、アフガニスタン革命的女性連盟(RAWA)が、1992年に初めて「4月27日よりさらに不幸な4月28日」というスローガンを掲げたとき、人殺しで盗っ人の原理主義者どもは、醜くも怒りをむき出しにしてわたしたちを攻撃し威嚇し、悪罵のかぎりをつくして RAWA を卑しめ誹謗しようとした。しかし、わたしたち、RAWA は、これらラバニ+マスード、サイヤフ、ゴルボディン、ハリリ(注1)などのテロリストどもの脅しに屈服しなかった。そして、かれらの背信行為と悪行を人々が知るほどに、このスローガンの正しさがいっそう認識されることとなった。国際社会もまた、傀儡政権崩壊後の1992年から96年まで権力の座に着いた者どもがプロの犯罪集団にほかならないことに気づいた。

その結果、わたしたち、RAWA に対するテロリスト集団の攻撃、脅し、悪罵はしだいに弱まっていった。だから、わたしたち、RAWA が、今年、多くの教育・スポーツ振興財団とともにアフガンの新年(注2)を祝うフェスティバルを企画したとき、ごろつきテロリストどもは、ワーダット派の新聞紙上に脅迫状を”バヒール”という偽名で掲載し、RAWA と芸術界とスポーツ界の仲間を誹謗するパンフレットをひそかに流すしかなかったのだ。こういった臆病な遠吠えは、人々の耳に届かなかったし、届いても誰も相手にしなかった。もし、ナフリン地震(注3)という惨事が起こらなかったら、わたしたち、RAWA は、これら卑劣な人殺しどもに対し正面きって、大ミュージカル・ショーを開催していたということは特に言っておきたい。すでにすっかり準備ができていたのだから。1万3千人ものフェスティバル参加者のすがたは、これら宗教ファシストどもへの痛撃であった。

 

カルザイ氏(注4)への権力移行後、わたしたち、RAWA は、再度、北部同盟の犯罪人どもがかれの政府をだめにし、それによって国民の信頼が失われていくと警告した。わたしたちはまた、かれらを政権から遠ざけ、裁判にかけることによってのみ、国民、とりわけ夫や息子を亡くした女性たちは安全と自由を実感でき、わが荒廃した国土の再建は向かうべき方向に進むのだと意見を述べた。

 

さいわい嘆きは、いまやRAWAのものではなく、カルザイ氏のものとなった。彼に仕えているのが、蛮行を行った当の北部同盟の刑吏たちであるのは皮肉である。

「4月21日、ハミド・カルザイは、武装集団を率いる頭目たちの殺しあいが人々の日常の暮らしを悲惨なものにしてしまったと語った。またかれは昨月、ナフリンの地震に襲われた地域を訪れた際、人々がもっとも欲しているものは、援助物資でなく安心して暮らせることであると語っている。このような地域の人々でさえ、もっとも求めているのは、安全な暮らしと平和なのである。」(AFP,フランス通信社、2002年4月22日)

 

この地域に派遣された RAWA 救援グループが保護と安全を求める悲痛な声を数限りなく聞いたことは、言うまでもない。

 

はっきりしているのは、犯罪集団ジハード諸党派のメンバーがただ一人でも関わっているかぎり、この政権はだめなのだという、わたしたち、RAWA の主張の正しさである。9月11日以降の過程は、わたしたちの国を解放しなかったばかりでなく、ひとつのドアからタリバンというオオカミを追い出して、もう一方のドアから北部同盟という猛犬を招き入れた。現政権の閣僚の位置を占め、ロヤ・ジルガ(注5)への準備などに関わっている女性たちは、信用ならず卑劣で、原理主義諸党派のいいなりである。このような者どもが、多数の苦しむアフガニスン女性を代表することはできない。かの女たちの役目は、あの忌まわしい悪党どもの代理人として、民主主義に基づく安定政権の樹立を阻むことである。カブールにおける、ラバニ+マスード一味とつるんだ愚劣で無意味な出版物の氾濫と、かの輩によるRAWA の出版物(「女性たちのメッセージ」など)を売る本屋への攻撃が、報道出版の自由のしるしであるはずがない。それどころか、民主主義の基礎をなすこの原則を盗用し嘲弄するものである。アブドル・ラフマン博士(注6)の暗殺者どもは、依然として閣僚、軍のトップに居座っている。ファヒム氏と一党の治安組織によるテロリスト(ゴルボディン派「導きの同胞団」メンバー)逮捕も、”宗教上の兄弟”である犯罪者集団の内輪争いでしかなく、自らの邪悪な陰謀を隠蔽し政権内部に地歩を固めるための行為にすぎない。このような逮捕は、当の重罪人どもの裁判を要求する民衆の声とはなんの関係もない。ゴルボディンとその一派に対する裁判と刑の宣告は、同時に彼らの”ジハード同胞”であるラバニ、ファヒムとその一党が裁判と刑に処せられてこそ、はじめて意味がある。

 

以上述べたことは、アフガニスタンには、20年におよぶ混乱と破壊後もなお、わたしたち国民に真の自由を享受させまいとする勢力があることを示している。この勢力が排除されるまでは、そして排除されないことには、この状態は永遠に続くだろう。

 

ザヒール・シャー(注7)の帰国の直前、”エミール”(注8)ラバニとその”兵”たち(ジャミアート兵(イスラム戦士)による1367年ダルワ23日(注:9)のワソクトの暗殺を思い起こせ)、その中でもミラブディン・ムスタンという名のフランスにおけるラバニの代理人は、その輩特有のいやらしい性格ゆえのずうずうしさで、「自分たち、ジャミアートは、”独裁の復活”に反対である」と宣言した。ラバニ一味とその仲間は、背広にネクタイを身につけて西側諸国の気を魅こうというだけでなく、このような言いぐさによって、「独裁を”古めかしく時代遅れ”とみなすほど、自分たちは”近代化”された神権政治主義者である」との証明に努めて、西側諸国を”頭脳的”に口説き落とそうとしているのだ。

 

このような言いぐさは、軽蔑にすら値しない。これに対しては、わたしたちが長年繰り返して言ってきたことを再度言うだけである。ラバニ氏と、裏切り者の”導きの同胞団” - ゴルボディン、サイヤフ、ハリリの諸氏と飾りネクタイの”兵士”たち-、おまえたちよりザヒール・シャーの疥癬病みの犬のほうがましだ。

 

ザヒール・シャー自身は、王政を復活させる考えはないと何度も言明してきた。しかしながら、もし、王政が復活したら、おまえたち、犯罪者よ、アフガニスタン国民は、おまえたちの広報マン、ウミドとその同輩たち、ラティフ・パドラム、アクラム・オスマン、ラーナワルド・ザーヤブなどのもみ消し工作もかいなく、血と背信で汚れ腐ったおまえたちの”領国”より、王政を選んだということを思い出すべきだ。

 

アフガニスタン国民は、原理主義のくびきからの解放と、タリバンと北部同盟の刑吏たちを葬むって国を再建することを、最優先課題と考えている。あの4月27日、また、4月28日から始まった無法の日々の再来を決して許さない。

 

RAWA は、デモンストレーションはじめさまざまな活動を、パキスタンと多くの西側諸国においてだけでなく、アフガニスタン各地においても、あの4月27日、4月28日から始まった悲惨な日々の痕跡が完全に消え去るまで続ける。

 

注1:ラバニ+マスード(党派:ジャミアート・イ・イスラム、イスラム協会)     サイヤフ(党派:イッティハード・イ・イスラム・バライ・アザディ・アフガニスタン、アフガニスタン解放イスラム連合) ゴルボディン(党派:ヒズブ・イ・イスラム、イスラム党ゴルボディン派) ハリリ(ヒズブ・イ・ワーダット、イスラム統一党ハリリ派)

注2:アフガニスタン暦、Solar Hejra という暦によれば、新年Nawrozは3月21日

注3:アフガニスタン北部地震 中心地 ナフリン  2002年3月25日

注4:ハミド・カルザイ 2001年12月22日発足した暫定臨時行政機構議長

注5:ロヤ・ジルガ 国民大会議 暫定政権の任期が半年なので、2002年6月半ばまでに緊急ロヤ・ジルガが開かれ、暫定政権後を担う移行政権が決められる。

注6:暗殺当時、航空相。暗殺はドスタム国防次官とファヒム国防相の勢力争いによるといわれる。

注7:1973年外国旅行中にクーデターが起きイタリアに亡命したアフガニスタン国王。2002年4月18日に帰国した。

注8:かつてのアフガニスタンの支配者の称号

注9:西暦1989年2月12日

 

付録2

フランス:マクドナルドで114日間のスト

青年の闘いがグローバリゼーションの象徴=マックを打ち負かす

[会員の湯川順夫さんが、「ル・モンド」、「リベラシオン」などの報道をもとに書かれたレポートです。この闘いにはATTACフランスも積極的に関わっていますが、英文のニュースレターに報告が掲載されていないため、この形で紹介します]

  パリのサン・ドニ大通りにあるマクドナルド店の労働者は、ストライキから114日目の2月15日に、同店支配人と協約を結び、ほぼ4ヵ月ぶりに仕事を再開した。「背任」を口実に店から解雇されていた2人の労働者も職場復帰する予定である。他の3人の解雇者はすでに労働審判所や労働監督機関の裁定によって職場復帰が決定していた。ここに5人の労働者の解雇に端を発したマクドナルド店の労働者の闘いは全面勝利を勝ち取った。

 

ファストフード店労働者の闘い

 

  この闘いの中心的担い手であるアブデル・マブルキ君は、マクドナルド店の労働者ではなく、1995年以来、ピザ・ハットで働いている。1996年以来のCGT(フランス最大のナショナルセンターで、共産党と緊密な関係にある)の組合代表として、かれはファストフード・レストランで3回のストライキに参加してきた。200012月のサンジェルマンのマクドナルド店のスト、2001年1月のオペラのピザ・ハット店でのスト、そして今回のストラスブール・サン・ドニのマクドナルド店のストである。昨年2月には、ピザ・ハットのストライキの後、ファストフード店やディズニーに働く労働者の権利を守るためにCGTファーストフード・チームを結成した。こうした闘いによって自身もピザ・ハット経営陣によって2001年5月に一度解雇されたが、職場復帰を勝ち取ったばかりである。闘いの前進のためにけっしてCGTの枠だけにこだわることなく、CFTC(キリスト教系労働組合の流れをくむナショナルセンター)やCFDT(フランス第2位のナショナルセンター、社会党系)ともいっしょになって闘っている。

  今回のパリのストラスブール・サン・ドニにあるマクドナルド店の闘いの発端となったは、5人の従業員が職場従業員代表選挙に立候補する意向を表明したまさにときに、経営者側が突如として、店のレジから百万フランを盗んだとしてこの5名が解雇したためである。すでにその前の九月に、店の経営陣が従業員代表の活動を妨害しようと試みたのに対して、労働者が短いストでこの反組合的試みを阻止するといった事態が起こっていた。こうした組合活動つぶしの一環としてに、経営陣は新たに、解雇によって一挙に組合切りくずしを図ったのであった。この店の労働者はこの暴挙に抗議して5名の職場復帰を求めてストライキに突入し、長い闘いが始まる。

 

青年を使い捨てるファストフード大資本

 

  今日の資本主義的グローバリゼーションの中では、マクドナルドをはじめとするファストフードの大資本チェーンは、労働の世界におけるグローバリゼーション的経営方式導入の世界的な尖兵としての役割を果たしてきた。20年前にマクドナルドがフランスに上陸したとき、それはディズニーと同様に、それまで労働者によって獲得されてきていた労働条件と権利を踏みにじるようなファストフード・レストラン業界の団体協約を強引に導入した。夜間労働は午前2時以前に開始しなければならないという協約は撤廃され、休日労働の支払いは2倍ではなくなり、「補充労働」時間が「超勤」時間にとって代わりそれについての手当もはるかに少なくなった。こうしてファストフード産業で働く労働者の権利は労働法規が保障するもの以下に転落する。この部門で闘争することは非常に象徴的な意味をもっている。なぜなら、マクドナルドのこの導入されたシステムは他のすべての部門でも経営者たちによって模倣されているからである。極端な変則労働時間制、慢性的な人員不足などに象徴されるこのシステムは、このままでは労働界全体にまで拡大していくだろう。その意味でこの闘いは象徴的であるが、困難な闘いでもあった。

  ではこの産業にはどのような労働者が働いているのであろうか。1999年度のフランスの失業率は、男性平均で9.6%といぜんとして高率であるが、15歳から24歳まで青年になるとそれは倍近くの19.6%になる。女性の失業率は平均132%だが、それが15歳から24歳の青年女性になると24.2%にも達する。こうして、若者は、高校、大学を卒業してもなかなか職が見つけることが困難であり、当面「アルバイト仕事」で食いつないでいかざるを得ない情況にある。また現役の学生も同じである。現在、自分の勉学の資金を得るために働いている学生が70万人いると言われている。こうした学生は同じ労働者であり、20時間契約や30時間契約の安月給の使い捨て労働者となっている。こうした失業青年や学生を「使い捨て労働」としてこき使うことによって急成長してきたのが、マクドナルドやピザ・ハットなどのファストフード大資本である。しかも、これらの職場ではこれまで労働運動が勝ち取ってきたさまざまな既得権は完全に無視され、不安定雇用と変則勤務制が横行している。この部門の労働者の中では、青年、女性、移民などの比重がきわめて高く、その身分はパート労働などの不安定雇用が圧倒的である。そして、その経営者は、今回のマクドナルド店に見られるように、労働者に対してきわめて高圧的、反組合的であり、しばしば人種差別的でさえある。だから、今回の場合は、店のレジの金を労働者が盗んだとして告訴されたのだが、アブデル・マブルキ君もかつてはピザ・ハットから会社を中傷するビラを撒いたということで告訴された経験をもっている。こうした資本の側の告訴戦術は、もちろん何よりも労働者を屈服させるためであるが、同時に職場の外の「世論」に向けて、労働者が「悪質」であり、盗人であるといういう印象を与えるためでもある。

 

広範な支援戦線の結成で反撃

 

  こうした諸条件のもとでその部門では組合を組織することはほとんど不可能であったのだが、マブルキ君たちは、企業の枠を超えたファストフード業界での闘いを組織する試みを開始した。すでにファストフードCGTチームが形成されていたが、今回のマクドナルドの闘争が起こるとさらにCGTというナショナルセンターの枠を超えたより広範な戦線、「ストップ不安定雇用ネットワーク」が結成された。これは、経営者側の「世論」に訴えようとする大々的な宣伝に対抗するためであると同時に、サービス産業に働く多数の不安定雇用労働者を組織するための新たな試みであった。AC!(反失業共同行動)やATTACAarrg(グローバル・レジスタンス・ネットワークのために煽動する見習い労働者)ならびに組合ではCGT系の組合やSUD(新しい戦闘的独立労働組合)系労組などもこのネットワークに結集し「ストップ不安定雇用」ネットワークが少しずつ建設されていった。こうして、失業者と不安定雇用労働者と常勤労働者の広範な共闘が、また同時に労働者と学生の共闘が形成されていった。

 

マクドナルド店占拠へ

 

  ストライキが始まると、労働者たちは毎日、毎日、10時から19時まで営業の再開を阻止するためにスラスブール・サン・ドニの店に詰めかけ、「われわれはハンバーガーではない」などのスローガンを叫び続けた。運動は、すでに述べたように5人の解雇撤回から始まったが、従業員が職場の従業員代表選挙に立候補する意向を表明したときにレジから百万フランを盗んだという口実で解雇されたことに見られるように、闘争は、組合活動の承認と自由という本質的問題を問うものへと発展していく。労働者によれば、職場では経営者の強権的態度、権力の濫用や言葉の上でや心理面での攻撃が日常茶飯事のように続いているという。運動が強化されるにつれて、経営側はストライキ労働者の何人かの親に電話をかけて労働者を屈服させようとしたり、労働者に対する切りくずしを図った。だから、あるCGT活動家は「もちろん、不安定雇用と変動労働時間制はわれわれの考えの中心をなすものであるが、この闘争は労働条件と同時にその『尊厳』にも関わるものである」と語っている。そして、労働者の固い結束は崩れなかった。

  12月中旬になると闘いをさらにエスカレートし、労働者たちは支援の労働者・学生とともに守衛を追い出し、このマクドナルド店を占拠してしまった。これを契機に闘いはさらに上げ潮に入り、2002年の年頭からこの店の営業を再開するというマクドナルド資本のもくろみは完全に粉砕される。今年1月に入ると、ストラスブール・サン・ドニ店を以外のマクドナルド店へと占拠が拡大され、地域デモや支援委員会によるコンサートが開かれ、1月19日にパリの会場ゼニトで開催された7000名のATTAC大集会に招待されたマクドナルド労働者はそこで万雷の拍手を浴びる。そして、1月24日には、パリの労働審判所が、「要求を集団として提出したとき、あまりにも露骨に労働者を排除しようとした」として経営側を非難し、2名の職場復帰、罰金の支払いを経営側に命じる裁定を下したのであった。そして、最初に述べたように、とうとう2月15日の和解によって労働者は事実上全面的な勝利を収めることになる。巨人マック資本に立ち向かった青年労働者たちが一矢を報いたのである。

 

新しい青年運動

 

  この闘いの勝利の意義は、不安定雇用と未組織が圧倒的なファストフード産業労働者、サービス部門労働者の今後の闘いにとってきわめて大きい。それは、現場の労働者の不屈の闘いとそれを支える組合、ナショナルセンターの枠を超えた広範な支援が加わるならば、ここでも闘いが勝利し得ることを示したのである。マブルキ君自身は、CGTの組合員であるが、闘いの展望をけっしてCGTの枠内に限定しようとはしなかったし、現在もそうしていない。事実、ナショナルセンターからの闘いへの支持はあるかと聞かれた彼は「支持はない。CGTはわれわれの闘争に反対しなかった。それだけだ」と答えている。マクドナルドに象徴される資本主義的グローバリゼーションは同時に、それに対する抵抗運動のグローバル化をももたらしつつある。フランスのマクドナルド店で勝利したということは、全世界のマクドナルド店でもまた勝利できる可能性があることを意味する。

  さらに注目すべき点は、これがフランスにおける新しい青年運動の出発を告げる闘いでもあったということである。この間、フランスでは社会運動が大きな高揚を見せてきたにもかかわらず、教育をめぐる青年、学生の運動は高校生や学生の間欠的な大規模な闘争の爆発にもかかわらず、持続的な青年運動という点では、イギリスやアメリカに比べるとほとんど見られなかった。「ストップ不安定雇用ネットワーク」に結集する青年たちは、労働者として職場での闘いを組織しなながら、同時に、ATTACAC!などとともに、イタリアのジェノバの大規模な街頭デモにも参加している。マブルキ君は、この点を次のように語っている。「グローバリゼーションの問題が取り組まれているのは、とりわけ『ストップ不安定雇用ネットワーク』を通じてである。われわれはVamos(「連帯のグローバリゼーションの万歳」)とともに、ATTACAC!などと並んでジェノバで行動した。この経験は私個人を大いに豊かにしてくれた。この1年で私は多くのことを学んだ。われわれはほとんど至るところに出かけて行った。イタリアの労働組合員がわれわれをメーデーに招待してくれた。それによってわれわれはよりグローバルなものを見ることができた。われわれは同じ地球上にあるすべてのものを見たが、問題は至るところで同じである。連中がわれわれに強制しようとしているこの単一のモデルに反対して闘わなければならない」。これらの若者は、青年労働者であると同時に学生でもある。この闘争の支援に駆けつけた学生のエティエンヌ君は「大学と外部との結合を考えている。学外での学生の闘いの存在を示すことは重要である。これによって、わわれわれの諸要求、とりわけ、青年全体の社会的所得という要求を結びつけることができる」と考えている。失業青年や学生を「使い捨て労働」としてこき使うことによって急成長してきたのが、マクドナルドやピザ・ハットなどのファストフード大資本であるとすれば、今、それに立ち向かう青年学生の運動の出現は、まさに反グルーバリゼーションの青年運動の大きな可能性を示している。

  この闘いはさらに、FNAC(フランスの一大レコード店チェーン・グループ)など、サービス産業の他の部門にも拡大しつつある。